ある天文学者の恋文 : 映画評論・批評
2016年9月20日更新
2016年9月22日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー
名匠トルナトーレが描く、宇宙の深淵にてミステリアスに輝き続ける愛の物語
なんとも奇想天外な作品だ。ようやく物語の正体をつかんだかと思うと、次の瞬間それは幻影となり、また一歩も二歩も先に立って別の輝きを放っている。そうやって付かず離れず、何億光年もの彼方から瞬く星のように観客の進むべき道をずっと静かに照らし続ける。
物語はいたってシンプルだし、主な登場人物も男女たったふたりに過ぎない。天文学者のエドと教え子エイミーは、ホテルの一室でつかの間の愛を交わし、やがて別れの時間がくると、エドは颯爽と旅立っていく。遠く離れた二人の距離を埋めるのはもっぱらメールやビデオメッセージ。離れていても変わらず愛の言葉を囁きあう二人だが、そんな矢先、彼女のもとに衝撃的な訃報が届く。もう何日も前にエドが亡くなったというのだ。まさかそんなはずはない。それが本当なら、今なお手元に届き続けるメッセージは一体何だというのか。
途端に映画はミステリー色に染まる。これは誰かのいたずらか?それとも死者からの交信なのか? 頭の中はたちどころに疑問符でいっぱいになるが、しかし謎が膨らんだ時こそ思い出してほしい。これはトルナトーレの作品なのだ。そこには「ニュー・シネマ・パラダイス」(89)以降、彼がこだわり続けてきた多様な“愛のかたち”がある。そして本作の特異な点といえば、これらの愛に天文学を織り交ぜて描いてみせるところ。たとえば、地球に輝きを届ける頃にはすでに消滅してしまっているかもしれない星の運命に、人の生死、愛のあり方を重ね合わせ、ある種の深淵に触れようとするのである。
ひとつ間違えば束縛にもなりかねない愛を、ジェレミー・アイアンズの深みのある存在感が優雅に牽引していく。その立ち居振る舞いはどれだけ見ていても飽きないが、と同時に、本作の彼は“後ろ姿”で観る者の心を射抜く瞬間があるのを付け加えておきたい。果たしてその表情は微笑んでいるのか、泣いているのか————。そんなスクリーンという名の天球に散りばめられたすべての要素を、エンニオ・モリコーネの音楽がゆりかごを揺らすように穏やかに調和させるのもさすがだ。
シンプルなれど壮大。実験性に富みながらも、誠実に愛のかたちを描いてみせる。スクリーンの幕が閉じる時、ああやっぱりトルナトーレの作品だったと、あらゆるシーンが万感の想いとともに胸に蘇ってくるはずだ。
(牛津厚信)