ジュリエッタ : インタビュー
ペドロ・アルモドバル、3年ぶりの新作と「パナマ文書」疑惑を語る
「オール・アバウト・マイ・マザー」(1999)でアカデミー賞外国語映画賞に輝いた他、数々の受賞歴を誇るスペインの巨匠、ペドロ・アルモドバル。彼の3年ぶりの新作「ジュリエッタ」が公開になる。カナダのノーベル賞作家、アリス・マンローの3つの短編を彼自身が脚色し、運命に翻弄された母と娘の胸を突くドラマに仕立てた。今年の4月には、「パナマ文書」のリストのなかに名前が公表されるなどスキャンダルに見舞われたものの、5月のカンヌ映画祭で会った彼は、積極的に取材に応じ、その言葉の端々に誠実で真摯な姿勢を感じさせた。(取材・文/佐藤久理子)
4月にスペインで「ジュリエッタ」が公開になった直後、パナマ文書のリストが公開になった反響について尋ねると、彼はこう語った。「まさに一夜にして、人々の反応が手を裏返したように変わった。僕はあの件について本当にまったく知らなかったし、タッチしていなかったんだ。それについてはプロデューサーの兄(アグスティン)が翌日、僕らの潔白を証明する声明を発表した。疑惑を生むようなことに巻き込まれたのは僕らが世間知らずだったのかもしれないけれど、ちゃんとスペインで税金を払っているし、やましいことは何もないと声を大きくして言いたい。僕自身は以前も今も同じ人間だよ。でも正直、この件ではとても傷ついた」
アルモドバルが繊細であるということは、彼の映画を観ればわかるだろう。一見ラテン気質のおおらかで陽気な映画のようで、そのじつそこに描かれているのは感受性が豊かで、人間関係のさまざまな軋轢に翻弄される人々が少なくない。新作もまた然りである。
12年前、いつものように家を出て行ったきり接触を断った娘の仕打ちに大きく人生を左右された母親、ジュリエッタ。そんなとき、街で偶然娘の旧友と会い、その消息を聞いたことで彼女の人生が変わる。取り返しのつかない過去とその悔恨が、彼女の記憶のなかに蘇る。アルモドバルはジュリエッタの物語についてこう語る。
「もともとアリス・マンローという作家は、家族の内なるドラマを描いたものが多くて、それが僕の惹かれた理由でもあった。僕の作品にはミステリータッチのものが多いけれど、それは人生というものがミステリーだから。人間どんなに芯が強くても、どんなに楽観的でも、運命というものには逆らえない。運命は謎に満ちていて、それを理解することはできない。それはときに苦痛を伴うけれど、もちろん辛いばかりではないと思う」
ジュリエッタは辛い過去と再び向き合うことで、人生に一歩踏み出すきっかけを得る。これもまた、人生の予測のできない側面に違いない。ジュリエッタの若い頃(アドリアーナ・ウガルテ)と現在(エマ・スアレス)を演じ分けるふたりの女優がまた、それぞれに異なるいい味を出している。
「エマは会ってすぐ彼女こそジュリエッタだと感じた。アドリアーナは何度かオーディションを受けてもらったけれど、とてもフォトジェニックで、溌剌とした感じが若い頃のジュリエッタに相応しいと思った。今回はこれまでの映画とは異なる新鮮さを出したくて初めてふたりと組んだけれど、素晴らしい結果をもたらしてくれたと思っているよ」
1980年、最初の長編劇場公開作となった「Pepi, Luci, Bom y otras chicas del monton」以来今年で36年目、本作が20本目を迎えたアルモドバル。そのキャリアを見渡すと、女性を描いた作品が目立つ。
「どうしてかと訊かれても困るけれど、僕にとっては女性の方が理解しやすい。もしかしたら、子供の頃女性に囲まれて育ったからかもしれないね。僕の母は僕が映画監督になるのに反対で、デビューしたあともしばらくは、そんな不安定な仕事は辞めて電話会社の仕事に戻れと言われ続けた(笑)。映画界のことは全然リスペクトしていなかったけれど、それでも僕の情熱だけは理解して、つねにサポートしてくれたよ」
最後に自身のキャリアを振り返ってどう感じるかと尋ねると、こう答えてくれた。「映画に対する情熱はこの仕事を始めた頃となんら変わりはないけれど、いまはより生きるために映画を作り続けることを必要としていると感じる。一種のオブセッションのようにね(笑)」