「家族観と死生観」リメンバー・ミー miさんの映画レビュー(感想・評価)
家族観と死生観
全体的にピクサーならではの映像美や世界観はとても良かったです。
メキシコの死者の日から連想されたマリーゴールドの花びらの橋、死者の国の壮麗さなどは想像力を掻き立てられる描写でした。
あまり深く考えずに観るなら良い作品と言えるでしょうか。
私は自身の家族観や死生観と合わなかったですが。
まず、ミゲルの祖母と両親がどうしても好きになれません。
ミゲルに禁止したものが音楽ではなくもっと危険を孕んでいるものであれば、あるいは家族の気持ちも理解できたかもしれません。
しかし、とうの昔に亡くなった一族の者がたった一人音楽のために家族を捨てた事があったからという理由だけで、ミゲルの気持ちも理解しようともせず寄り添おうともせず、頑なに音楽を禁止し続ける祖母や両親の気持ちが到底理解できません。
一族の子どもなのだから従わなければならない、縛りつけて当然という感覚を持ったあの一族が私は嫌いです。
そして最後まで家族は自分達のしたことを省みる事なくミゲルに詫びるでもなく終わるのが最悪でした。
ミゲルは死者の国で成長したかもしれませんが、家族は一体どう変わったのでしょう。
ココがミゲルのリメンバーミーを聴いて昔を思い出したから音楽解禁しました〜って言われても意味不明でそのまま音楽禁止にしてくれていた方が筋が通っていてまだマシなレベルです。
もちろん映画にない部分でミゲルが色々と話をして和解したのかもしれませんが、あの家族ならミゲルが死者の国に行って先祖に会ってきたなどというお伽話をしたところで、
「この子は何言っているのかしら!そんな事はいいから早く一人前の靴作りにならなきゃ」なんて頬にキスをしながらまるでミゲルを物みたいに扱う気がしてならなかったですし、そもそもそんなミゲルの話を聞いたくらいで音楽解禁するくらいなら最初からもっと耳を傾けてあげれたでしょうと思います。
死生観についてですが、本作の「人は忘れられた時二度目の死を迎える」というよく聞いたような言葉を映像化した点は興味深かったです。
ただ、本作ではあまり救いがないといいますか…
例えば、歴史的な大犯罪者は死者の国でずっと生き続けるのでしょうか?
身寄りのない者はどんなに純粋な魂を持っていようとすぐに消えてしまうのでしょうか?
もし本作にも天国と地獄の概念があり本作の死者の国が天国にあたるならそこにデラクルスがいるのもおかしいですし、掘り下げるとあまり納得のいく設定ではない気がします。
また、二度目の死の描かれ方が個人的にとても残念です。
例えば自分がいつか死に、死者の国で両親と再会できたとして。
おそらくまず先に両親の事を覚えている者が現世からいなくなると思いますが、その時に死者の国で両親との本当のお別れが訪れるのですよね。
それがあんな消え方だととても辛い。
まあおそらく映画を観たほとんどの方が、死者の国でいつかまた本当に最後のお別れをするシチュエーションなど想像はしていないのでしょうが。
死後の世界の寿命が「現世の人に覚えてもらえる時間」に置き換わっただけで、結局は死を先延ばしにし、「人はいつか死ぬ、その先はわからない」という事に何ら変わりはないなと思いました。
生きている者との思い出があるうちは死者の国に住み、年に一度の死者の日に会いに行ける。
思い出を持つ者が現世から消えた後は、死者の国から輪廻転生に入り新しい命に生まれ変わる。
くらいの方が素敵じゃないでしょうか。
忘れないで…と苦しんで消えて、忘れ去られた後はどこに行くかわからないなんて…
投げやりというか救われないというか。
まあ観る者の想像力にお任せしたと言えば綺麗ですが。
あと私が死者の立場なら、自分の事なんて忘れて生者には自分の人生を楽しく生きてほしい。
忘れられる事が供養や成仏できる事に繋がるのかなと思います。
ヘクターがココに会いたい気持ちもとてもよくわかりますしそこは変える必要はないですが、もっと忘れられて消える事に対してポジティブな骸骨もいていいと思うし、一緒に描いてほしかった。
家族や死について考え直す良い機会を得たという感覚はありますが、手放しで感動した!良い作品だ!とは言えないです。