ダンケルクのレビュー・感想・評価
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戦争映画は常に緊張感が漂うものだが、この作品に緊張がなくなる瞬間は...
戦争映画は常に緊張感が漂うものだが、この作品に緊張がなくなる瞬間はない。常に死と隣り合わせの中必死にダンケルクから脱出使用とする兵士。救出される側・救出しに行く側・救出のため空からの攻撃を守る側と様々な視点で描かれるこの映画の凄いと感じたことは、どの側にも緊張が無くなることがない。ラスト20分、ノーランMAGICによって観客の心を掴むいい演出もありthe・ノーランMOVIEだった。ノーラン映画にハズレなしだ。IMAXで観たかった。
息のつまる106分
鑑賞前、戦争ものは苦手なのですが、クリストファー・ノーランが手がけたのでとても興味ありました。
大阪で見たかったのですが、さすがに映画一本のために大阪まで行くことができず、通常上映を観ました。
最初の最初から、最後の最後まで安心することができず、途中で何度も自分の息が荒くなるのを感じました。
各シーンの繋がりや状況の描き方はさすがでした。見ているときは、とても緊張していてたのですが、何がそうさせたのかうまく説明できません。思うところで、今回は、敵側のシーンが一切出ませんでしたが、それがまた見えない敵という感じでドキドキを加速ささせたように感じます。実際、その現場にいる人たちは敵側を見ることがないので、よりスクリーンの中に吸い込まれていったのだと思います。
独特の時系列の描き方ですが、過去の作品よりは、実話に基づくもので、かつ最初に文字による解説が少しあったので、いつもよりわかりやすかったです。
魅せられる
淡々してるのがgood!
群像としての人間模様が感動を誘う
この救出作戦を 美化するかのような映画でもなく、 大声で戦争反対を...
この救出作戦を
美化するかのような映画でもなく、
大声で戦争反対を叫ぶ映画でもなく、
主人公たちの心の葛藤とか思いを
強調するでもなく、
ただ事実を淡々と描いている、
そんな雰囲気の映画でした。
しかし、逆にそれが観る側の心をつかみ、
お腹の底から魂を鷲掴みにされた感じです。
歴史は偉い人が作ってるんじゃなく、
普通の人たちのそれぞれの積み重ねっていうか、
私たちひとりひとりの行動が
大きなうねりとなって、
できていくのかな、
そんなことを感じました。
教科書だと、
数行で書かれるだけの出来事も、
その数行には何千何万、
何十万人の人々がいて、
そういうひとりひとりに思いを
はせるっていうか、
ひとりひとりに対して
想像力をもつ必要がある。
そう感じました。
それは歴史だけじゃなく。
あと、
戦地で生き残ったおじいちゃんが、
その体験を語らないという話を
聞いたりしますが、
なんとなくその理由が
わかった気がしました。
うまくこの感情、感想を
伝える文章力がないのが悔しい。
普段お祭りハリウッドムービーばっかり
観てますが、
深くていい映画でした。
やっぱり、どんなことがあっても
戦争はダメ。
今の世界情勢を思うと、
武力以外で解決して欲しいです。
imaxで観よう❗️
戦場と人
パンフ購入推奨
退屈な映画でした
空虚なこころ
映画『ダンケルク』評
☆映画『ダンケルク』(2017年アメリカ/クリストファー・ノーラン監督作品)評
-映画『ダンケルク』とは砂浜であり、それが生と死の瀬戸際のトポスとして君臨する時、あらゆる記号体系が神話作用を稼動させる。そこには父性的特権と母性的なそれの強靭な拮抗と融合による戦いの構図が、微かなる垂直の振る舞いと女性性を不可視の領域に於くことで成立する倒錯的な記号により暴露される英霊達への弔いのトポスの表象形態が敷衍される。
或いはラスト近く砂浜に並べられた数多のヘルメットの描写は、そこが兵士達の葬られた匿名的特権を奮う場所であると共に、戦争の過酷さを静かに讃える映像として君臨するまさにこの映画の白眉として、筆者も涙を禁じ得ぬ極めて崇高な戦争の縮図と謂っても過言ではないであろう-
クリストファー・ノーラン監督はこの戦争叙事詩を謳歌する為に、常に兵隊に動きを纏わせる事で映画の運動性を誇示させる映像戦略を、観る者にカメラと被写体による操作で感知させる。そこでは、イギリス空軍のスピットファイアとドイツ空軍メッサーシュミットによる空中戦が動きを奪われたパイロットであるにも関わらず、戦闘機が『トップガン』や『ライト・スタッフ』の如くゲーム感覚で披瀝される時の速度との戯れにより映画が活性化される事に観る者は敏感であらねばならない。
その証拠に最期にイギリスに帰り兵士達を運ぶ電車が男根的表象体を維持する事で陸が持つ父性を奮う時、不意に車窓に現れる遊ぶ男の子達に、兵士が次の駅の名前を尋ねる時に彼等が発する「ウォーキング」の一言に端的に現れていよう。ここに於いて、この映画がひたすら女性性を回避する事で成立する歩く事、つまり速度を伴った動きに固執する監督の父性的特権性が認められるのだ。戦争とは、恰もこの父性が纏う運動性に代表される速度の醸成にある。
しかし、この映画にはどこかこの速度を欠かせるトポスの誘惑が認識できるのだ。それはこの映画のほぼ七割が女性的特権を標榜する大海において繰り広げられる兵士達の救出劇にある事から、流れをせきとめる停滞と逡巡の概念が海の場面を占有する。
それは閉塞的な船中に銃弾で穴を開ける事で海水を誘い込む場面と、海上に不時着した戦闘機内に閉じ込められたパイロットが侵入する海水で溺れる間際に逃れる場面のカットバックにより代表される。そこでは生と死の中間地帯を纏う虚構空間を停滞と逡巡を生成する閉塞的装置とする事が、前者では船底に残された兵士達と、後者ではコックピットで海水と抗い窓を壊すパイロットのみという数学的見地からの差異を不覚にもさらけ出す結果となる。
そこでは複数と単数という概念が奮う運動性が、微かなる垂直の動きにより脱出するまでの過酷なる戦争状況を露呈する時の閉塞感が、たとえ複数であろうと単数であろうとその人間が船と戦闘機が運動性を剥奪される事で、殆ど差異を払拭する閉塞的な悲劇的空間からの逸脱装置として機能しているのだ。
これらを導き出す海の存在意義は、母性を孕む事でオイディプス的な側面を暴き出す。そこには、戦争こそはアンチ・オイディプスの概念が働くマッチョな人間の愚行であるかのように振る舞われる自虐的な殺人行為であり、まさに生き残りを懸けた遊戯であるかの如く描かれるのだ。それは、係累を遺せぬ性的不能の様相をも帯びる過酷な悲劇である。
またこの兵士の動きを停滞へと向かわせる砂浜での縦列の並びは、彼等を船に乗せる為に狭い防波堤に並ばせる時に発生するリニア的構図が、男根的特権を行使する縦の構図を図らずも露呈させる。この縦の構図が、只ひたすらダンケルクという砂浜のトポスを陸と海の中間地帯である事に終始させる。それは、父権を保つ陸と母権を奮う大海を表象するトポスの抗い難い宿命をも顕示する表層性の誇示でもあろう。
或いは海水という液体が死への欲動を施す記号体系を謀る溺死を誘い海面に浮かぶ死体を現出させるのに対し、砂浜では死体は土砂によりひたすら隠蔽される事だ。ここにも、トポスの持つ表層への依拠が装わているだろう。それは戦死した兵隊の姿が霰も無い姿で披瀝されるか否かで、弔いの概念の有無を無闇にも曝け出す結果となる。
この弔いとリニア的構図が陸という父性的特権に於いて行使されるのも、戦争が男の兵士により敢行される殺し合いである事からも立派に証明されよう。それほどこの映画は、こと程左様に女性性を回避する事で微かなる縦の運動が保つ生への優位が確認できるのだ。
例えば、ラスト近くでの一般人の船による救出劇の殆どが、船に乗り込む兵士達の姿を不可視の領域に追い込む事で成立している事からも明らかであろう。この映画はこういった垂直の動きを画面から排除する時にこそ、生存率を高める証となる記号体系を編んでいる。それは女性の描写を極度に排した事と連関性を誇る。
これは子供を産む女性こそが、係累を遺すジェンダーとして君臨する事の暗喩として機能しているからに他ならない。この血縁関係が催す垂直の関係を保つ事が、微かなる縦の動きを回避する起因ともなっている。戦争とは、かくも縦の関係を寡少たらしめる男性性というジェンダーの悲劇なのでもある。
それはイギリスからドーバー海峡を渡り連合軍を助けに来る男同士の縦の関係である父子こそが、血縁関係を代表する時に呼応する悲劇的フィクションの醸成だ。この息子兄弟の弟が不慮の事故で命を落とすのも、父性の悲劇的側面の強度を高める捏造に加担している。それが戦争の実体なのだと言わんばかりに。
この映画が女性性を徹底的に駆逐する時、映画は微かなる垂直の動きさえをも回避させる。それは生き抜く事の優位を高らかに謳歌している記号として見事に符合しており、この連関性は喩ようもなく美しい。
しかしこれが逆に照射するのが、戦争状況に於ける死者を英霊として祭り上げる祝祭空間の生成にある。この英雄讃歌がラストに用意されているのも、この映画が只の反戦という通俗的制度に則るメロドラマを排する事の証でもあろう。そこでは敵機を完膚無きまでに撃ち落としたスピット・ファイアが砂浜に不時着する時、この戦闘機が炎に包まれそれを眺めるパイロットが炎の赤さに溶け込む実に感動的な場面。又はダンケルクから逃れるイギリス兵士二人が、本国に帰還し電車の中で静かに微笑む場面。そして、イギリスから救出に向かった船に乗る父親と息子が兵士達と共に無事に生還する場面と、死して帰還するヒーローにも準える新聞紙を彩るもう一人の息子の写真。
この三者の生き残る姿或いは死をもって兵士を救う青年の写真記事には、クリストファー・ノーラン監督の英雄讃歌が些かシニカルさを伴い表現されており、ここには監督自身の怜悧な他者的視線さえ窺えるのだ。
「ダンケルク」とは砂浜であり、それが生と死の瀬戸際のトポスとして君臨する時、あらゆる記号体系が神話作用を稼動させるのだ。そこには父性的特権と母性的なそれの強靭な拮抗と融合による戦いの構図が、微かなる垂直の振る舞いと女性性を不可視の領域に於く事で成立する倒錯的な記号により暴露される英霊達への弔いのトポスの表象形態が敷衍される。
ラスト近くの砂浜に並べられた数多のヘルメットの描写は、このダンケルクで散った兵士達の葬られた匿名的特権を奮う場所であると共に、戦争の過酷さを静かに讃える映像として君臨するまさにこの映画の白眉として、筆者も涙を禁じ得ぬ極めて崇高な戦争の縮図と謂っても過言ではないであろう。
(了)
ちょっと、船酔い感
クリストファーノーランが好き
むむむ。だからこそ最後まで寝ないで観れたのかもしれない。
戦争映画というより、脱出映画、生きて故郷に帰りたい!が伝わりました。
戦争映画によくある、脚吹っ飛ばされた、血が、ギャーなど一切なく。
空海陸で時間軸が違うので、それはクリストファーノーランの得意とする手法かと、もう一度、二度みたくなる。
メメントでこの映画どういう事‼️とハマり、監督知らずインセプションで感動して。
台詞もほぼなく名前もなく(ある人もいるよ)誰が誰かも少ししかわからず、
しかしもう一度見てみたいと思うのはトリックにハマってるのでしょうか。
クリストファーノーラン一度で感動したのは『インフェクション』。ダンケルク、本当に好き嫌いが分かれそうな作品。
もう一度ネタバレ見てから見たい作品。
そこがまたいいね😊👍
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