「奇跡の結果」ハドソン川の奇跡 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
奇跡の結果
映画鑑賞の醍醐味の一つにビッグな名匠とビッグな名優の豪華タッグがあるが、今作ほどの豪華タッグはそうそうお目にかかれない。
クリント・イーストウッド×トム・ハンクス
遂にこの二人が組んだか…!
そんな二人が挑むのは、未だ記憶にも残る“ハドソン川の奇跡”。
日本でも英雄美談として報じられた。
この二人が組んで単なる称賛映画を…?
勿論それだけではなかった。
ただ自分が知らなかっただけかもしれない。
奇跡の裏で、英雄が苦悩していた事を…。
ハドソン川への着水。
全員助かったからいいようなものの、もしかしたら大惨事になっていたかもしれない。
事故後の調査で、シミュレーションでは引き返す事も出来た。
より安全な選択もあったかもしれない。
サリー機長の判断は本当に正しかったのか。
言わせて貰えるなら、何が正しくて何が間違っているかなんて、はっきりとした答えは無い。
シミュレーションは正しいのだろう。
それは当然。シミュレーションなのだから。
不測の事態はシミュレーションでは計り知れない。
日常生活でも仕事上でも何でもいい、誰の身にも覚えがある筈。
行き詰まった時、テンパった時、シミュレーション通りに行動して対処出来るだろうか。
自分は無理。
焦りながらも、瞬時の判断、行動で、最善の打開策を取る。
全ていい方向に行くとは限らない。
でも結果的にそれで良かったのなら、こう思える。
自分の経験から判断した行動は間違ってはいなかった、と。
調査委員会には苛々した。
事故なので調査はしなければならない。
誰も責任を取らないより、誰かが責任を取る方がいい。
でも、その矛先を全てサリー機長に向けるのはお門違いだ。
だって、結果は出ているではないか。
155人の尊い命が救われた。
これが何よりの全て。
その上で、自らの仕事を全うした。プロフェッショナルとして。
それは間違っていなかったのだ。唯一無二の最善だったのだ。
英雄と祭り上げられた人物の苦悩の掘り下げは、「父親たちの星条旗」「アメリカン・スナイパー」同様、イーストウッド作品に一貫するテーマ。
何度も挿入される事故の回想シーンは、緊迫感を与えるだけではなく、機長にとってのトラウマを、観る側にもまじまじと鮮烈に印象付ける。
英雄としての表面と一人の人物としての内面を、「ブリッジ・オブ・スパイ」でもそうだが、トム・ハンクスが見事に体現する。
そして奇跡の結果はサリー機長一人だけのものではない。
あの時尽力した“多くの英雄”が居たから、僅か24分間の救出が遂行出来た。
皆がやるべき事をやり、最善の道を取ったからこそ起きた奇跡。
それらを無駄無く巧みに描き、副操縦士アーロン・エッカートの洒落たラストの台詞で締めるまで、何とコンパクトにまとめた96分!
ある意味、これも奇跡!
さすがの良作。
…でも、イーストウッド映画がまたキネ旬1位に選ばれるのは何かヤだな…。
選ばれるんだろうけど…。