「機長は何を守ったのか」ハドソン川の奇跡 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
機長は何を守ったのか
俗物の自分としては、本当にこんな人がいたのか?と思ってしまう。主役のTom Hanksが演じるのは聖人のような機長だ。
ハドソン川の奇跡の実話は有名な話なので記憶にある人も多いだろう。凡百の映画監督がこの実話を映画化しようとすれば、まず乗客たちそれぞれの事情をオムニバス的に描き、それぞれの人生が乗っていることで飛行機を襲った危機を重大なものに感じさせる手法を使うだろう。そして無事に着水し、全員が無事でメデタシメデタシで終わるところだ。
しかしさすがにClint Eastwood監督である。凡人には決して思いつかない切り口で事故の本質に迫る。
機長には、42年間飛行機に乗ってきて随分と危ないこともあったが、常に無事に帰還できたという自負がある。だから着水が間違った選択だったという安全委員会の指摘は非常に心外である筈だ。しかし彼は決して怒ったり声を荒げたりすることはない。自分は仕事として正しい判断をしたのだし、委員たちは仕事として真実を追及しようとしているのだ。
機長が守りたかったのは自分のことではない。事故が起きたときはまず乗客乗員の生命を守ることに専念した。そして安全委員会の追及を受けたときは、家族の未来と同僚の名誉を守るために自分の判断の正しさを証明しようとした。いずれも無償の利他的な行為である。機長は筋金入りのヒューマニストなのだ。
Eastwood監督が描きたかったのは、このヒューマニズムだと思う。格差社会でギスギスしてしまったアメリカにも、こういう覚悟を決めたヒューマニストがいるのだということ。そして機長の言葉通り、救出に関わった誰もがヒューマニストであり、誰もがハドソン川の奇跡の主人公なのだということだ。いまのアメリカはナショナリストに席巻されてしまったが、少しでも良心が残っている人は、この映画を観て自分を恥ずかしく思うに違いない。
Tom Hanksのきっぱりとした英語の口調も作品を格調の高いものに押し上げている。監督、主演ともに見事な「仕事」である。