孤独のススメのレビュー・感想・評価
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傷付いた者だけが癒やす
ふと何かを感じたのだろう。 あるいは嫌味なあのメガネの教会役員への、当てつけや意地もあって、大した理由もなく、勢いで、無謀な行動に出てしまったのかも知れない。 フレッドは、図らずも、壊れた男=「ホームレスのテオ」を迎え入れ 奇妙な同居を始めてしまうのです。 原題は「Matterhorn」というらしい。 でも堅苦しい教会を中心としている狭くて古いコミュニティ。彼らの毎日はいつまでたっても「Matterhorn」どころではない。 衆人環視のムラ社会。 曇り空。 レンガ造りの暗いリビング・・ 成り行きで同居し、まさかの「余興の芸人」になる二人のお話でした。 フレッドは、恥辱と緊張の中での「見世物役者とそのマネージャー」を演じているうちに、その堅物のフレッドがどういう人間だったのかが、だんだんと見えてくるところがたいへん楽しい。 つまり 言葉も声も (テオ同様に) 失って、隣人への挨拶さえ忘れていた孤老のフレッドだけれど、 じつは本当に意外なのだが、彼はこんなにもたくさんの童謡や子守歌が歌える人だったのだ。 そして居候のテオも同様に失語症。 そして挙動不審。 なんの返事も出来ないし、感謝どころか反論も、ましてや宿主のフレッドに対しての、愛想やアドバイスなどもやらない存在だった。 だからこそ、 自身孤独で喋らなかった男やもめのフレッド氏も 仕方なく テオに対して声を掛けてやったり、童謡を歌ってやったりすることで、フレッド自身も固まっていた喉が開かれいく。表情もほどけてゆく。走ったり、ボール蹴りもやれるようになる。 そして 黙って話を聞いてくれるテオがずっとそばに居てくれたからこそ、フレッドは胸の内を“独り言のように"語り出すことができるようになったようだ。 ― いなくなった息子の部屋のドアを開けるフレッド。 ― 死んでしまった亡き妻のクローゼットを開けてみるフレッド。 ― 旅行会社を訪ねてドアを開き、スイス行きのバスに乗ってみるフレッド。 息子への後悔と思慕。そして 諦めなければならないと自分に言い聞かせて、密閉していた「妻に会いたい」という想い・・ これらを、フレッドは来訪者テオにならば 閉ざしていた口を開いて、言葉にして吐露ができたという訳だ。 息子や妻にしてやりたかった事を、フレッドはひとつずつ試していく。 ―パンにバターを塗ってやり、 ―料理や洗濯をし、 ―旅行に伴い、 ―語りかけ、 ―子守歌を歌い、 ―ボールを共に蹴り、 ―髪をくしけずり、 ―結婚式を再現し、 ―「メ〜」も言えた!(笑) そして いじめっ子には猛然と立ちかかって、テオを我が息子のように助ける。 「ヨハン!!!」。 ヨハンが出ているクラブの、重たい扉を、とうとう父は開ける。 テオのせいで、フレッドが守ってきた「規則正しい生活の歯車」は めちゃめちゃに狂ってしまったけれど、 喪失の日々を償わせてくれるきっかけをくれた「客人」 (まれびと) が、まさしくこの浮浪者テオだったようだ。 彼テオは、孤独なフレッドを救い、 あの意地悪な教会役員の友となり、 テオの妻に愛と勇気と賢明さを与えた。 テオは、小さな村に佳きさざ波を立ててくれた「神の使い」だったのかも知れないね。 みんなに、「心のリハビリ」が起こったのです。 フレッドがやっと、ついに、自分の声を取り戻して、あんなにも大きな声で、父親は失っていた息子ヨハンの名を呼べたのですから。 キリスト教の言葉 「救いは外から来る」、 「傷付いた者だけが癒やす」とは本当だった。 清々しくて、空が青くて、名峰Matterhorn が本当に綺麗だった。 なんか、思いがけず良い映画に出会えて嬉しかったです。 馴染みのなかったオランダの映画でしたが、この映画の舞台となったオランダの、広い干拓地の畑の光景。堪能しました。 そこには病身だったゴッホと、兄に生涯寄り添ったその弟《テオ》の物語を、ふと思い出させるものがありました。 で、 教会の変なオヤジと浮浪者テオが、その後どうなったかって? そりゃあ、観てのおたのしみ! ・ ・ ・ ・ [おまけ] カルバン派の教会は、いくらか知性重視で、お硬いことで有名なのだが、 あの礼拝の光景で朗読されていた聖書の聖句 「マタイによる福音書25:35〜」(=ぜひ検索を) が、 皮肉なことに、教会の外において、「スポイルされていた者たちの間で」、救済の業として成就されていく。 このストーリーは あたまでっかちのキリスト教界への批判であることは確かだろうね。 そういえば、 僕も、一晩だけでしたけれど、ホームレスのおじさんを家に泊めたことがありましたねー 思い出しましたよ。 劇中、始終、テオは缶に入ったビスケットを食べたがっていたけれど、うちに来たホームレスはイチゴジャムを僕の目の前で一瓶ペロリと食べてしまったおじさんでした。 はいはい、そうそう!名前も思い出したわ(笑) 人が救われていくとき そこにはクスクス笑いが発生する。 そういう映画でしたよね。
妻に先立たれ、息子も失ったた男性のところに、ふいに来たよその男性が...
妻に先立たれ、息子も失ったた男性のところに、ふいに来たよその男性が居着いて、共同生活をする話。 会話もお作法もおぼつかず、性格も行動も真逆で、出だしは戸惑ってばかり。 でも特技を見つけ、徐々に親近感がわいてくる様子。 しがらみから自由への変化、さすが進んだお国柄ねえと感心してこられました。
登場人物も言葉も少なく何を言いたいのか語りたいのかさっぱりわからな...
登場人物も言葉も少なく何を言いたいのか語りたいのかさっぱりわからない。 ラストでそれが一気に押し寄せる。 音楽と表情と。やられました。秀作。 鑑賞日:2017.1.11
変な映画
なんだろうこの映画。 ただ訳の分からない男とのお話だったのに 最後の10分で印象ががらっと変わった。 彼は彼を通して理解しようとしていたのかな。 そういえば伏線もあったし。 子どもにおかまと言われてキレたとことか。 こうあらないといけない、 と自分や他人を縛り付けてた人を 彼は解きほぐしていたのか… だんだん神に見えてきたぞ。
眠る前につらつら見る感じの映画かな、と勝手に思いダウンロードして、...
眠る前につらつら見る感じの映画かな、と勝手に思いダウンロードして、絵的にきれいだしつらつら見ていたら、最後思いがけず胸がいっぱいになっていました。うひょぅ~、なんだったんだこれは。 シンプルで本質的。
解き放たれる、ということ。
変わらない毎日をひとり淡々と生きる主人公のもとへ、ある日、言葉も喋らず謎めいた男がやって来て居ついてしまうことから物語は始まる。見知らぬ男との同居生活は、良くも悪くも今までの単調な生活にアクセントをつけ、主人公の過去が俄かに色づき始める。 訳あって閉ざされた、或いは自ら閉ざした世界が「異質なもの」によって解放に向かうという話自体は今までにもあったが、この映画の登場人物の設定には興味が湧く工夫があり、淡々と、それでいてグッと引き込んでゆく脚本と演出が良かった。 オランダ映画であり、まったく初めて観るキャストと製作陣。そういった部分でも、個人的にはかなり鮮度があった。邦題を含め、日本語の配給コミニュケーションには騙された感もあるが、それはそれでまた「意外性」だったかもしれない。
This is my life
人は、いつも何かを演じているそうです。家にいると、誰かの親であり、誰かの子であり。職場にいると、どこかの会社の、どこかのスタッフであり…。でも、それらすべてを取り払ったら、何が残るのでしょう。本当の自分?、あるいは、正真正銘の虚無?。答えの無い問いかけを、繰り返したところで、ふっと訪れる、居場所の無い感覚が、消えることはないですけど。 ま、個人的な話は、置いといて、愛する家族のこと。訳ありの隣人のこと。なんにも演じない人のこと。自分の決断と、その代償。すべてThis is my life です。それを気付かせてくれるのは、誰なのか?。 なんだか、まとまりのない映画と思ったんですが、綺麗に着地しましたね。かなりの高得点が、期待できます。ただ、あの邦題は減点材料かも。離れていても、お父さんの心は、みんなと同じ空の下、繋がっているのだから。
珍しく邦題が秀逸。
人には勧め辛いが好作、という一本。 「失うのが嫌ならば、何も持たなければ良い。裏切られるのが怖ければ、誰も信じなければ良い」 そんな自分が辿り着いた人生の真理を、噛んで含めるような物語。 ただ、それを貫くには人間という生き物はあまりに弱過ぎるから、宗教に頼ったり、愛という幻想にすがったりするわけであったり。 だからこそこの映画が産まれるわけで… 宗教的描写は多いが、本題はそこにあらず。 誰もが抱える「永遠に満たされない心の隙間」を淡々とあぶりだしているのが心に染みた。 失ったようで実は持っている主人公、宗教的価値観で守られてはいるが実は空っぽの隣人。 そして全てから解放される代わりにずべてを失い、すべてを得るストレンジャー。 キリスト教がモチーフだが、これはもう「色即是空、空即是色」の哲学世界である。 疲れた心と、その隙間を埋めるものは何なのかを考えさせられる作品。
めずらしいオランダ映画
普段オランダ映画などを見ることはないのですが、不思議な雰囲気を持った映画で、信仰と人生について考えることのできた映画でした。退屈することはなかったのですが、子供会で披露する芸が、あれでお金が取れるのかと思ってしまいました。ラストの山の景色は良かった。
このパンフと邦題では・・・・
こんなに良い映画とは思わなかった。 何の予備知識も無く(予告も観ず)、パンフの写真と邦題だけだったので、映画の方向性も分からないまま観てました。 予想外の展開に驚きながらも・・・良かったですよ。
負けた気分
几帳面さと信仰心でカチカチの主人公が不思議な男の登場で変化して行く話。 テオの抱えている問題や隣人との関係等、話が二転三転、何とも言えない展開の果てに主人公の背景がみえた時、コメディなのかヒューマンなのか、いっぱい食わされた様な気分になった。 邦題は…良くわからない。
いやいや、だからと言って、ススメてはいないんじゃない?
妻に先立たれ、息子を追い出した、初老で一人暮らしののフレッド。 知的障害(のちに事故による後遺症とわかるが)の男と、奇妙な共同生活を始めたが、はじめは、近隣住民や教会に対して善人の顔を見せたいアピールなのか、と思ってみていた。 そのわりには、その薄汚れた男・テオを追い出すわけでもなく、彼のしたいがままに任せている。 中盤まで、フレッドの意図がまったく見えない。 しかし、次第に奇妙な友情や信頼も生まれ、単調だったフレッドの生活に変化が現れだす。 家の壁に書かれた落書きは、フレッドとテオを、傲慢で肉欲におぼれ、ついに神によって罰せられた「ソドムとゴモラ」に擬して中傷していた。 「善きサマリア人」を引き合いに出す場面は、善行を称えているというよりは、君(フレッド)は嫌われてると暗に揶揄したようにも取れた。など、各所各所でその場面にあったキリスト教の教えの示唆がある。 今まで、異端者を憎悪し毛嫌いしてきたのであろうフレッドが、いざ自分が周りからそうゆう目で見られだしたことで、心の基準が変わりだす。監督のいう「解放」という言葉がぴったりの心境になっていくのだ。 なによりもその証拠に、息子ヨハンの歌う「this is my life」がブレッドの心に届く。その姿が僕の胸にも突き刺さってきた。 それらを踏まえたうえで、受け容れること、赦すこと、認めること、そんな宗教観が物語の底辺に根深くしみ込んでいるを感じた。 ラストのマッターホルンは、まさに孤高の頂き。それでいて、気高ささえ感じた。一人でもいいじゃないか、とマッターホルンを自らにかぶせているようだった。やはり、タイトルは原題(マッターホルン)のままにしてほしいわ。
コドク
亡き妻と追い出してしまった息子。フレッドは、孤独による寂しさから、テオを受け入れてしまったのだと思った。不器用なフレッドだけど、優しさもあり… 手のかかるテオだけど、テオから気づかされることもある。 タイトルにススメってあるように、独りになることは悪くない。独りになって初めて気づくことってあるから… ラストのsongとフレッドの表情が良かったです。 あと景色に癒されますよ。
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