「緩やかな描写から一気に加速してカタルシスへ」孤独のススメ りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
緩やかな描写から一気に加速してカタルシスへ
雰囲気はアキ・カウリスマキ監督などの北欧映画に似た味わいがありますが・・・
オランダの田舎町で独りで暮らす中年男性フレッド(トン・カス)。
町は教会を中心にした小さな集落で、誰もが皆、顔見知り。
ある日、フレッドの向かいの家に、奇妙な男テオ(ルネ・ファント・ホフ)が現れて、ガソリンがほしいといっている。
その奇妙な男は、昨日フレッドの許を訪れ、同じようにガソリンがほしいといった。
ガソリンのないフレッドはわずかばかりの金を渡して、彼を追い払ったのだが、どうも嘘だったらしい。
嘘というよりも、テオは口もほとんど利かず、どこかヘンなので、実際のところはわからない。
テオに、昨日の金の代わりに、玄関前の敷石の掃除をさせたフレッドは、労をねぎらうために彼を室内に招き入れた・・・
というところから、フレッドとテオの奇妙な同居が始まる・・・といったハナシ。
中年男ふたりの奇妙な同居生活をシュールな笑いで描いただけの映画かと思っていると、後半、物語は一気に加速し、爆発的なカタルシスが訪れる。
加速する物語は、唐突起こるのではなく、前半に丹念に布石が打たれていて、翻ってみると、実によく出来ている。
フレッドの独り暮らし・・・
若い頃の妻と幼い息子の写真が飾られている。
妻が事故死したことは早々にわかるのだけれど、その事故で息子も亡くなったかどうかは語られない。
テオの奇妙な行動の原因・・・
先天的なものものかしら、と思っていると、さにあらず。
フレッドの過去と心情的に同化してくるところがある。
フレッドが暮らす小さな集落・・・
集落の皆が教会に通い、日曜日の礼拝では皆、座る場所が決まっているほど。
フレッドの家の向かいに住む中年男は、教会の役員かなにか。
しかし、その彼も心に何かを抱えており、それがまたフレッドの過去に関係がある。
フレッドとテオが同居し始めてすぐに、彼らふたりに同性愛の噂が立つ・・・
ただ単ににテオが、フレッドの亡き妻の洋服を着ているからだけではない。
と、これらの要素が、後半、ストンと腑に落ちて、感動を呼び起こします。
(ただし、どのように展開するのかは書きません)
そして、重要なのは、映画の奥底に流れる宗教観。
受容と赦し。
これが大きなテーマでしょう。
受け容れることなく、赦すことなく、生きてきた男が、あることがらを受け容れる。
それが、赦し(ひと皆、神の前で平等であることで得られる赦し)になるというものです。
クライマックスで歌われる「This Is My Life」、鳥肌ものでした。