めぐりあう日 : 映画評論・批評
2016年7月26日更新
2016年7月30日より岩波ホールほかにてロードショー
詩人A・ブルトンの言葉が引かれる時、波の感触が観客の胸をもやわらかに揺らすだろう
鈍色の空を思わせる沈鬱な面差し。開巻早々、そんな顔で「めぐりあう日」のヒロイン、エリザは観客の胸を鷲づかみにする。演じるセリーヌ・サレットのきんと張って酷薄な世界を射抜く眼差し――ローレン・バコール、はたまたシャーロット・ランプリングのそれを継承するような瞳の力が開巻部の忘れ難さをいっそう強固なものにする。
監督ウニー・ルコントは、この長編第二作と同様に自伝的要素をのみこんだデビュー作「冬の小鳥」でも世の理不尽に不屈の闘志を輝かせる少女の白い顔を鮮やかに差し出した。繊細な人の心の軌跡を沈黙の顔ひとつで物語りしてみせた。実の母と対面し自身のルーツをつきとめたいと故郷ダンケルクに帰るエリザの物語も寡黙の雄弁を味方につけて進む。
理学療法士として人の肌に触れ、呼吸を整え痛みを取り除く。そんなヒロインの施術の時間、触覚こそがものをいう時空に映画も共に身を委ね、名乗り合う前に出会っているような母と娘の再会の軌跡を辛抱強くみつめる。いっぽうで何気ない言葉の重み、活かし方も映画は存分に心得ている。
エリザに同行してその故郷の小学校に転入した息子ノエにランチを配るスタッフが「豚肉なしで?」とかける一言。そこにアラブ系と見える彼の、母エリザとは異なる外見をめぐる周囲の人の率直な目が示され、エリザと母と不在の父と血の物語が浮上してくる。かつて異国から来た男に恋した生真面目な娘。その葬られたロマンスと手放さざるを得なかったひとつの命の行路が縒り合される。
アラブの恋人の目をエリザの息子に素早く見て取ったもう若くないひとりがこの港町で歩んだ歩みが思われてくる。同じ町、同じ通り、同じ建物の前をひとりとひとり、ふたりの女がそれぞれに行く姿が重ねられる。反復とずれがゆっくりとひとつの想いに束ねこまれる。そうしてエンディング、日差しに包まれエリザが微笑んでいる。“鈍色の空の顔”はそこになく確信された愛が海のやさしさと融けている。「あなたの誕生に何一つ偶然はない」――誕生した娘に捧げられたA・ブルトンの詩句が引かれる時、波の感触が観客の胸をもやわらかに揺らすだろう。
(川口敦子)