君の名は。のレビュー・感想・評価
全449件中、141~160件目を表示
私がこの感動を忘れたくないように、瀧と三葉も、“君の名”を忘れたくなかったのかな。
観終わった後に、自分の心が主人公と同化したような感覚になる。そんな映画が、私は好きだ。
自分だけが別の世界にいるのかも。
未来の誰かから見られているのかも。
運命の人と今日すれ違うかも。
エンドロール直後にそんな余韻を感じたことで、この作品が自分の胸に響いたことを実感した。黄昏時に淡く美しい夢を見た。まさにそんな感覚。
男と女。都会と田舎。過去と未来。
冒頭から謎が散りばめられたストーリーの中で、あらゆる境界線を超えて出会う瀧と三葉。それこそ、時間をかけて結われた組糸を解いていくように、運命の謎は少しずつ明らかになる。
お互いの存在に気付いた時の爽快感。
突然会えなくなった時の絶望感。
美しく落下する彗星に隠された恐怖感。
探していた人に出会えた時の幸福感。
たくさんの感情に翻弄される二人を見つめながら、鳥肌が立っていたことも、涙が目に溢れていたことも、私は気付かなかった。
アニメーションで描かれたファンタジーが、ここまで自然に自分の中に入り込んできたのかと、今になって少し驚いている。
今私は、映画を見た直後に書きなぐったメモと、BGMで流しているRADWIMPSの音楽を頼りに、この感想文を書いている。それは、淡い記憶にしがみつくようにお互いの名前を手に書いた瀧と三葉と似ているなと思った。
私がこの感動を忘れたくないように、瀧と三葉も、“君の名”を忘れたくなかったのかな。
この感想の最初に、自分の心が主人公と同化したような感覚が感覚が好きと書いた。それは、作品の中に心を置いてきたしまったような感覚、そんな風にも言い換えられるんだなと、今は感じている。
つまり、何度でも見たい素晴らしい作品だった。
みふゆ
説明くさい
せっかくアニメ映画にしてるのに、情景ではなく、登場人物に話させて説明させているのがあり得ない。手法としてかなり性急で稚拙。主人公たちが、始まりざまに話しすぎ。
この監督の映画は、とにかく言葉で説明しすぎ。
しかし、音楽や映像は良かった。疾走感が気持ちいい。
ストーリー設定も良い。良質なSF。
なので、もったいない。
恋愛映画としては、大変幼稚。しかし、この映画はもともとオタクのための映画だから、わざわざそういうものを観に行った私が悪い。
最後に。オタクが作ったからしょうがないけど、ヘアリボンの結び方とか刺繍とかのダサさに衝撃を受けて、ストーリーに感情移入しずらかった。
映像は抜群に良かった!ですが…
ずばり、昔でいう「時をかける少女」を彷彿とさせるストーリー。あの、いつかどこかで、また会える人…的な感じ。随分歳を重ねた私は、10代の時の切ない恋心を思い出したかなwwただ、時空を超えた恋愛モノはハッピーエンドで終わらない方が心に残ったかも…
ストーリーは残念でしたが、映像の素晴らしさを観る価値はありますね。
もう一度見たい、君の名は。
君の名は。のIMAXを女子友と見てきました!(IMAXは2回目、全体の合計5回)5回中5回泣きました!かたわれ時のシーンでおおなき。そのあとのスパークル(movie ver.)はヤバイですね。ほんとに、あそこのシーンは泣きすぎて頭いたくなりました。あと、消えた糸守町もヤバイですね。なので、もう一回いって来ます!
恋に憧れてる年齢向け 内容は出会い系
評判が異常に高く、見たという友人に感想を聞いたが煮え切らない答えだったので、もう自分で見るか、と。
この映画はなかなかキツかったです。
もはや有名アイドル歌手を天才だと感じる人と、最低な歌手と感じる人とで意見が別れるのと同じレベルだろうなと思います。
恐いのはこの映画が大したものでは無いと言ってはいけない風潮が恐いですね(笑)
ただ、つまらないというのではマズイので、何がつまらなかったかといえば
大きな理由は2つ
①【ファンタジー感が現実感と水と油】
②【二人が恋に落ちる理由が無い】
1つめは
時を越える・人格が入れ代わる、これは完全なファンタジーです。が、物語は普通の現実的な世界が背景となっており、ビジュアルは写真的なリアリティを押し出しています。
そしてキャラクターだけはアニメ的なビジュアルです。つまり現実感とファンタジー感がまるで馴染んでいません。
ファンタジー感を物語に馴染ませるため「古の儀式」みたいな物がサラっと入ってきますが、「儀式の理由は分かりません」というセリフに苦笑。
お話の最後の方で「この時の為にあの儀式はあったんだ」とサラっと触れてますが(まあそうだろうね。)というくらい序盤から察しが付く程度のギミックです。
ファンタジーの鉄則(架空の物ほど納得の出来る説明や設定を表現する)を投げ出してまで入れるべき仕掛けだったとは思えません。
2つ目は
確かに体が入れ替わって生活感を共有すれば親近感が湧くのは分かりますし、会ってみたいという気持ちが芽生えるのもなんとなく分かります。
が、それは出会い系サイトと同じじゃないかと(笑)
もし女の子が入れ替わったのが主人公の男の子ではなく別の男の子であってもお話が成立してしまうんです。
せめて入れ替わった男の子に対しての恋心が芽生える決定的なキッカケや理由が必要でしょう。
監督は『単純なボーイミーツガールを描きたかった』と答えてましたが、であればもっと出来たでしょって感じます。
もう蛇足 ですが
◆バイトの先輩女性が、中身が女の時の主人公に惚れるが男の時の主人公に幻滅するくだりは物語において無意味。
◆全友人が無条件で無尽蔵に協力してくれるのも謎。
そのせいで全脇役が同じキャラクター化しているため、まるで個性がなく視界に入ってこない。
◆ヒロインの事を忘れてしまうのは良いとして、あれだけの自然災害が起きた場所を誰も知らないという、、
他にも諸々ありますが・・
映画好き、アニメ好きだと自負する方は見なくて正解。
エンドロールにて
膨大な数のスポンサー企業名が画面ビッシリと流れていく様は圧巻。一番の見所です。
スッゲー矛盾だらけなのに面白かった(笑)
評判だったので、「ホントにそんなに面白いのか?」と勘ぐりつつ劇場へ行きました。
~で、結局、友人にも勧めて計8回観る始末(笑)。
本当に、細かい矛盾や不可解な点を指摘し出したらキリが無いんです、この映画。
入れ替わる仕組みもタイミングも、記憶や記録が消えていく理屈も、3年間の時間のずれに全く気がつかない2人のことも、夕方から短時間で山の登り下りを女の子が走ってできてしまうことも、監督に「どうなっているんですか?」と問い詰めたい部分はかなりあります。
でも、残念ながら「面白かった」のは事実です(笑)。
これは、新海監督が、徹底して「観客が楽しめる映画にすること」に注力した結果だと思います。
飽きずに最後まで楽しめるよう、かなり緻密に作品を仕上げたことを、後から知り納得しました。
何度でも聴けるポップミュージックのような
何度でも乗りたくなる絶叫アトラクションのような
そんな「クセになる何か」が、この作品にはたくさん詰まっているのでしょう。
唯一、欲を言えば、隕石落下後から二人が出会うまでのシーンが長く、それまでのテンションがクールダウンしてしまうこと。
2度のニアミスで三葉が生きていることも分かるので、電車越しに二人の目が合う瞬間は、個人的にはそこまで盛り上がりませんでした。
(エンディング曲もちょっとおとなしかったかなぁ)
色々書きましたが、本作で久々に劇場での作品鑑賞を満喫できたことを嬉しく思っております。
歴代史上最高 日本最高の名作
何の予備知識も無く妻の勧めで観ました。始めは男女の入れ替わりを楽しく観ていたり、巫女さんの舞や映像が綺麗だなーと思っていたのですが、中盤に衝撃が有り、まさか彗星の破片の隕石が落ちてくるとは…。
その後の三葉ちゃんを救うべく瀧君の頑張りに感動しました。音楽もとても映画に合っていて、最後のグッドエンドも良かったです。
おそらく、今まで観た中で人生最高の映画だと思います。この映画を名作と言わずして名作とは一体何なのかという事になる!
完膚なきまでのハッピーエンド
互いの時間軸の違う話というのは、とにかくその変えられた未来がどこに行ったのかが気になって仕方がなくなってしまう質なので……疑問は多々残ったものの、なんともにも考えずに鑑賞すれば幸せな気持ちになれる映画だった。
運命の赤い糸を「結び」と言い表すロマンチックさ、夜空を彩る彗星の美しさ、飽きることなく最後まで観ていられる。
せっかくの物語なのだからハッピーエンドがいいという人にはとても合うと思うし、私としてもすごく良かった。
けどやっぱ、元々の未来はどこへ行ってしまったのかなあ……と繰り返し思ってしまう。
美しく、幸せで、ときめきながらも難しい映画。
ラストが残念!
恋する気持ちの原点をみるような素敵なストーリーだったのに、ラストが説明過多な感じで残念でした。雨の中、すれ違いのままで終わってほしかったなあ。
観る人の心に余韻を残してほしかった。
途中下車して、再会ってありがちな結末でがっかりです。
それにしても、この映画がこんなにヒットするのが不思議です。
感じたままに言うと
この映画に人が集まる理由を私なりに考えてみた。この映画の何が人をそんなに惹き寄せるのか。それは私に次のように映る。
つまり、人と人との出会いに偶然はないということ。運命の糸は恣意的に複雑に絡まっているように見えるが、織りなすカタチはひとつの作品のように美しい軌跡を描くはずだ。まるであの組み紐のように。
好意的にとらえてだが、この映画の作り手には、物語としてのさまざまな破綻を犠牲にしても言いたいこと(結論)があったはずだ。さまざまなもっともらしい挿話も美しい背景も音楽さえも、その結論のための手段にすぎない。そして観る側に残されているのは、それを肯定するのか否定するのかという単純な問いだけだ。私は肯定する側だ。これは映画そのものの評価とは別かもしれないが、しかし私は(私たちは)こういう物語に弱いのだ。映画にはこうあらねばならないという制約などなにもないはずだ。いくら破綻を言い当てても詮無いことである。
年齢の高い人のなかにはこの映画を「転校生」や「時をかける少女」の大林宣彦作品へのオマージュと見るひとは少なからずいるだろう。大林作品にもまた人格の入れ替わりや、時間軸の相互乗り入れが取り扱われているが、作品の主眼は言うまでもなくそんなパラレルな存在の在り様ではなく、人と人は運命に導かれて必然のように出逢うのであり、 偶然出逢うのではないというすこぶるロマンチックな、宿命論的な思想である。
誰しもデジャヴなどの経験でいまある現実といまはない過去や未来がどこかで反響しあっているのではと感じているのではないか。かわたれ時にかたわれであるふたりは一瞬の邂逅を果たす。過去はアダムとイブまで遡るかもしれない。組み紐はDNAの二重ラセンの暗喩のように三葉の髪と瀧の腕を飾り、ふたりの運命をひとつの結末へと押し流す。ふたりのDNAにどんな情報が書き込まれているか誰が知ろう。
クライマックス、瀧と三葉は街なかですれ違いお互いを数秒の差を置いて振り返る。これで終われば大林版「時をかける少女」と同じだが、最後実際に出逢ってしまうところにかえってこの監督の大林作品へのリスペクトを感じる。そこに好感を持った。
扱うテーマが重かった…
流行に遅れて先日観てきました。
新海さんの作品の美しさは以前から知っていたので、
その世界感、二人の主人公の物語を単純に味わえて、大満足でした!
ただ、自分が観終わったときに頭から離れなかったのは、
避難を呼びかけるが動かない町民に
勅使河原くんが言う「みんな何で逃げないんだよ…」と言うシーン。
(台詞は正確じゃないかもしれません)
正直、伏線として流れている物語が重すぎて、
いわゆる楽しい気持ちで観れないくれいでした。
取り戻しのきかない、恐ろしい未来がすぐ近くに来ているかもしれない。
でも、それを忘れる人間の怖さが、新海監督のこの作品で、
このタイミングで描かれていることに感動しました。
ただ反面、「君の名は。」のように救われることのなかった
たくさんの命が、この物語を観た満足感で消化されないでほしいなあという
危機感も感じました。
映画の内容と関係ない感想になってしまいました…。
ほかの方のコメントにもありましたが、
上映時間以上に長く充実した作品に感じられました!
(IMAXで観るの、オススメですよ!)
素晴らしい。ただ、ただ素晴らしい
自分は感想とか、余り書かないほうだが、5回目でIMAX版を見て
遂に書くに至りました。
映像、音楽、ストーリー、キャラ、全ての要素がちょっとでもずれたらここまでヒットしなかったと思います。
誰かのため、自分自身のため、彗星落下という災害からみんなを守る為に必死に動く、瀧と三葉。現実では、確かにこんな奇跡はない
でも、本当に大切なのは、諦めず、行動すればまだ自分達の見えない未来は変えられる可能性があるのだと思いました
この映像を見れて本当によかった。素晴らしい作品でした
最後にIMAX版凄すぎです。細かい音や音楽、彗星落下の瞬間が迫力すら感じました。
これってあれだよね…
著名人や私の周辺でも賛否両論分かれていたので、一度みたくて見に行った作品。
見始めてすぐに流れるオープニング映像に目が点になってしまいましたf(^^;
これって劇場作品であって、テレビアニメじゃないよねと…。
話が進むにつれて、何となく懐かしい感じが思い出されて、「あ、この感じラーゼフォン!」
『君の名は』を簡潔に言えば、一組の男女が出会ってお互いに惹かれ合うけど、お互いの時間軸がずれて離ればなれになるが、現代で再会する話。
ラーゼフォン見た人ならわかるけど、テーマは全くラーゼフォンな訳である。
某漫画家なんかは今まで作られてきた映像作品の寄せ集めと言っていたけど、確かにそれは否めない。
ただ、寄せ集めだとしても新海監督のなかで、伝えたかったメッセージが伝わってきたらもっと自分の中でもっとこの映画を受け入れられただろうけど、それができず消化不良になってしまった。
体が入れ替わっただけで惹かれあうというのもちょっと弱く感じたし、先輩と瀧との関係もどこまで瀧が思いを寄せていたのか、よく分からないところだ。
三葉にしても父親との確執や神社との関わりがどのように変化していったのかも見えてこなかった。
要は物語としての二人の問題が見えてこなかったり、その問題が見えても対峙できていないのだ。
ただ、『星を追う子ども』でも描かれていた黄泉の世界と現世との関係をもっと掘り下げて、ちゃんとした物語を構築したよりよい作品を次回に期待したい。
青春の残像(既視感)
公開直後に観た際には、今一つ乗れなかった作品です。その後、社会現象となり、現在もロングランには驚きです。関係の方々おめでとうございます!
その秘密を知りたくて再度鑑賞しましたが、やはり新しい驚きを感じる映画ではありませんでした(スミマセン)。私の様な世代には、どうしても大林宣彦監督の名作「転校生」「時をかける少女」と重なってしまい、既視感を払拭出来ません。しかし、描画は日本人好みの線画に緻密な背景が美しく、新しい世代の青春の残像としてのこるアニメ作品だと思います。
ちなみに、ラストは「天国から来たチャンピオン」か?って思っちゃいました。
演出がうまいのか、本当にそうなのか?
今頃になって「君の名は」を見ました。
やはりこれだけ話題になっているものですから、どんな映画なのかずっと気になっていました。
僕は、映画にしろ漫画にしろ小説にしろ、かなりこだわりの強い人間ですので、きっと自分には合わないんだろうな、と思っていました。昨今の万人受けする作品はことごとく自分とは合わないからです。
そして、案の定、この作品も合いませんでした。
巷で言われているような、整合性の問題について、僕はあまり気になりませんでした。個人的な考えを言えば、整合性の粗というのは、物語に必ず存在するもので、そこまで気にするようなものではありません。全く気にならなかったといえばうそになりますが、それよりも別のことが気になったというのが正直なところです。
以下、僕が気になった点です。
1、説明調のセリフ
物語の冒頭というのは、とにもかくにも脚本家の力量が出やすいところだと思います。というのも、冒頭部は読者に提示しなければならない情報が多く、うまくやらなければ、物語が非常に閉じたものになるからです。
説明というのは、作者の作為が丸見えになるということです。本来感じるべき世界観やその広がりが、隠されてしまいます。
「君の名は」に関しても、作為が強い冒頭と感じました。
最初に彗星の美しい映像から始まります。正直言えばこの時点から不満がありました。というのも、モノローグや彗星の表現が直接的すぎて、それ以上のものを感じる余地がなかったからです。とにかく力押しで「この作品は壮大なんだ」と押し付けられているような感覚がありました。
「わからない」ものがないんです。美しいのはわかる。彗星がなんかの伏線なのもわかる。でも、そこになにも疑問がない。疑問がないと、世界観は広がりません。「わかっている」ものしかない。
また、三葉視点が始まってからの内容。すでに入れ替わりが起きた後の時点から話が進んでいるのは新鮮でよかったのですが、キャラクターのセリフが説明調すぎます。どこもかしこも「一言二言多い」印象。特殊な田舎の設定なのに、その背景や雰囲気を感じ入る余地がありません。情報を言葉ではなく、そのキャラクターの動きや態度で感じることで、そこに一緒に映るものを感じ取ることができます。セリフは美麗な背景等に溶け込むことがないので、セリフが多ければ多いほどその雰囲気が覆い隠されて作為の強いものとなります。
そして、作為の強さのせいで、物語全体が平坦に感じました。ファンタジー設定も入れ、とにかく美しい景色を前面に出しているにも関わらず、台本通りに進んでいる「作為」が見え隠れしました。
これも、説明調の弊害であると思います。
説明調にしてしまうと、作者自身もその説明に頼ってしまう。本来は、時間をかけて表現していかなければならないことを、説明調で書いたから「表現できた」と満足してしまう。
さらに、作為の強さも相まって、視聴者に雰囲気を感じ取る余地を与えない。
「君の名は」の最大の問題点は、僕はここだと思います。
たまに、セリフなしでBGMと背景を魅せるシーンがありますが、短すぎます。もっと尺をとるべきだと思います。
2、キャラクターが生きていない
この作品、誰にも感情移入できませんでした。瀧が三葉を好きになる過程、三葉が瀧を好きになる過程を描き切れていないのもそうですが、なによりも、「特徴が薄い」の一言に尽きます。
例えば三葉。途中、田舎暮らしに嫌気がさしているところが出てきます。しかし、それは他のクラスメイトも似たような感情を抱いているシーンを出しているせいで、彼女特有のものとして消化しきれません。瀧に乗り移っているときに家庭的な部分が出てきますが、せいぜいそのくらいです。
キャラクター描写には、「その人にしかない部分」を見せていくのが必須だと思います。「その人にしかない部分」は誰しもが持っているものです。それがあまりにも少なすぎ、「お」と興味を惹かせてくれません。無味無臭のキャラにすることで、老若男女に受け入れやすくしている、という見方もできなくはないですが、恋愛物において、それはどうなのかな、というのが個人的な感想です。恋愛ものこそ、もっともキャラクターを問われる部分だと思いますので……。
主役二人以外のキャラも、主役に都合のいいキャラでしかありません。物語に動かされている感が強かったです。
嘘くさい、大げさな反応は、アニメ映画に多いので、なるべくやめてほしいというのが僕の本音です。
3、実はあまり見せ場がない
ところどころ、工夫はありました。
髪を切った三葉。あとで、その理由がわかる仕組み。
また、前述したように、入れ替わりが起こったあとから話を進めているところ。
必ず胸を揉む瀧。
瀧と三葉が出会う舞台として、美麗な場所を用意しているところ。
ですが、全体にわたって時間に追われている感が半端ないのです。落ち着いて見たい場面でも、さらっと流されてしまう。特に前半部はその印象が強いです。あくまで「伏線をひくためのところ」と考えられているような節があります。
しかし、前半部というのは、そうではないはずなのです。伏線をひくだけではなく、視聴者を引き込んでいくところ。僕は映像の美しさだけでは引き込まれない性格ですし、前述したような説明調が気になっていたので、後半部へと気持ちがつながっていきませんでした。
前半部は、重要な場面とそうでない場面とのメリハリをつけるべきだったと思います。すべてが同じような時間の流れ方をするため、作者の魅せたい部分が伝わりにくい結果になったように思います。
4、音楽の扱い方
この作品、全体を通して音響がよかったです。いいBGMや歌、効果音に恵まれていたと思います。
しかし、その魅せ方が「微妙」だと感じました。
言ってしまえば、映像の裏にBGMや歌を垂れ流しにしているだけなのです。BGMに合わせて映像を動かすような工夫はあまりありません。
映像作品において、BGMというのは非常に重要だと思っています。ときに、背景以上に雰囲気や感情を表現します。しかし、BGMを聞き込ませるようなシーンはほとんどありません。
面白くないとは言いません。
中盤、瀧・三葉が入れ替わった時の様子は、にやにやしながら見ることができました。
また、作者の変態性には脱帽します。
口噛み酒。三葉が口から出したシーンは、口〇射〇後の精〇のようでした。それを瀧に飲ませ、あろうことか、受精シーンを描いてしまう。脱帽……いやドン引きしましたとも、ええ。
奥寺先輩は(都合いい人物とはいえ)めっちゃ可愛かったです。
しかし、僕としては、上にあげた点について納得できず、許容できませんでした。
作者のエネルギーを、美麗な映像と一緒に押し付けられたような印象が強かったです。
二つの平行世界が描かれ、のちに時間がずれていると明かされる、というのも、実はかなりありきたりな展開です。むしろ、並行した二つの視点があれば、ほぼ確実に時間がずれていると言ってもいいくらいです。
瀧が3年前に実は三葉に会っていたということ自体は好きな展開なのですが、「私は三葉!」という悲痛すぎる叫びは、むしろ嘘くささを感じさせられました。
電車ですれ違うシーンも、どうしても東野圭吾の某作品と重ね合わさずにはいられませんでした。
洋画贔屓のようなコメントにはなりますが、邦画として大ヒットした作品である以上、洋画にはまだしばらく勝てないのかな、と思わされる作品でした。
期待しすぎました
本当は見る気なかった映画でしたが、巷の口コミや夏からの大ロングランということもあり少しだけ期待して見てきました。
ところが、50前のおじさんには矛盾に思えるところがいくつかあって、正直感情移入することができませんでした。ごめんなさい。
ですが、評判通りの美しい映像はとても写実的で、どこか懐かしい気分になりました。ハレーション効果を上手く活用した風景がとても印象に残っています。日本のアニメ技術の高さが伺えます。超時空要塞マクロス以来の衝撃を覚えました。
ただ、ここまで映像が写実的であるがゆえに、わざわざアニメにしなくてもよかったのではないか?実写でも表現できたのではないか?色んな思いを浮かべながら帰ってきました。
ネタバレかもしれませんが、劇中「結び」がキーワードになっています。これからも家族、ご先祖様、周りの人たちを大事にしていこうと思いました。
心地よい見せ方&濃い内容
気軽に観るつもりが、考えさせられた、そんな映画でした。
自然の大きなサイクルの中では、人間のライフサイクルはあまりにも短くて。いにしえの祖先が残してくれたメッセージに耳を傾けることで、自然とも共生できるのかも、という期待は、震災があったから?
音楽に合わせた尺を作り、台詞のタイミングも調整されていた、とのこと(パンフより)で、音楽と映像の組み合わせが心地よかった。その調整により、なくなったセリフもあったという。
全部の調和が、この作品の強みなのでは。観せ方にも一考された、新たなアプローチだと思います。
様々な伏線があり、想像する余地も用意されている。最初のオープニングで、観る側に予習ができていたからかな?二人がいつかは出逢う、と。
自然災害を幻想的で稀有な衛星落下にしたことで、SFファンタジー様にしてくれたから助かったけど、被災者名簿のくだりは胸が締め付けられる思いだった。
何事も、最初から結果がわかったら、もっと上手にやるよな~。高校生だからテロリストのような過激なことになったけど
何故ヒットしたのか
シンゴジラも含めネタばれアリです。
先日、某放送局で何故ここまでヒットしたのか分析していましたが、少し違和感があったので記載します。
自分が何故この映画に感動したのか一言でいうと、3.11後の日本で、絶望(喪失)と再生への祈りを見事に表現している点です。
同時期にヒットしたシンゴジラも同様のテーマを内包していました。
我々日本人は、3.11のように一瞬にして街が消失し、多くの人々が亡くなる絶望をリアルに知っています。
映画では、主人公の三葉が、実は3年前の彗星災害で死んでいたことが明らかになります。
糸守での生活を生き生きと描いていただけに、もう一人の主人公の瀧が、亡くなった糸守の人々の名簿をみるシーンは何とも言えません。
ひとりひとりの人生が、単なる名前の羅列になる現実。
そこから二人が奇跡を起こすのですが、それは希望というより祈りに近いものを感じました。
ジブリの鈴木さんが「希望という病」という表現をしてますが、正にその通りです。
シンゴジラも全く同じで、映画の中でも語られるスクラップ&ビルドが基本構造になってます。
米軍の最新兵器も歯が立たなかったのに、日本の新幹線や在来線が活躍し、笑うシーンなのかもしれませんが、何故か泣けてきて泣き笑いしてました。
2つの映画には共通して、圧倒的な絶望に対する祈りがあり、それに感動したのだと思います。
あり得ないと思いつつも、信じたいのです。
谷川俊太郎の詩に「私が歌う理由は、一匹の子猫。ずぶ濡れで死んでいく一匹の子猫。」という一節があります。
優れた作家は、世界に充満する声なき声を代弁する依り代のような存在だと思うのです。
我々は、作品を通じて顕在化された、その声なき祈りを聴き、感動するのではないでしょうか。
そういう意味でこの2つの作品の類似性は決して偶然ではなく、
今の時代に生まれるべくして生まれ、ヒットするべくしてヒットしたのだと思います。
全449件中、141~160件目を表示