君の名は。のレビュー・感想・評価
全455件中、181~200件目を表示
ポストモダニズムの象徴としての君の名は。
この映画を初めて視聴したとき、映像美や音楽との融和性、ストーリーの構成などから純粋に感動し、涙を流した。
ただそれと同時に、設定についていくのがやっとで
「これって矛盾してんじゃないの?」と疑問が消化されないまま
鑑賞を終えたのも事実であった。
ということで、感動を再度味わうために、そして疑問点を解消するために、現在計3度の鑑賞に至っている。
3度の鑑賞で自分が強烈に感じたのは
「この映画はポストモダニズムを鮮やかにかつ力強く描き出している」ということだ。
このレビューではポストモダニズムとそれが乗り越えていこうとしているモダニズムを以下のように定義する。
モダニズム=近代合理主義的な考え方。神や愛、感覚といった物理的、論理的につかみどころのないものよりも、理性に基づいて科学的に物事にアプローチしようとする態度。地球上で理性を持つ唯一の存在とされる「人間」を世界の中心として考えるため、自然を人間に従属したものとしてとらえる。
ポストモダニズム=脱近代的な考え方。近代が生み出した問題点を乗り越えていくために、近代合理主義の恩恵を認めつつも、理性でとらえられないもの、人間以外の存在(宗教、自然、愛など)も同時に大切にしていくべきであるとする態度。
ポストモダニズムという切り口で「君の名は。」のストーリーをみていきたい。
物語の序盤でてっしーが、前日の様子がおかしかった三葉に対して
その原因が「それって、前世の記憶?エヴェレット解釈に基づくマルチバースに無意識が接続したっちゅう!!!」というなにやらわけの分からぬことを、オカルト雑誌を開きながら発言するシーン。
同級生の様子のおかしさを理性では到底とらえられぬオカルト的要
素に帰結させるてっしー、ナイスである。
このてっしーの存在がポストモダン的な生き方の一つ象徴なのだが、それはまた後程。
そしてその夜、組紐作りにいそしむ宮水一家の様子と
巫女装束に身を包み儀式を行う三葉・四葉の姿が映し出される。
近代が下等なものとして興味の埒外に置いた「宗教」的要素が非常に美しく描かれている。
その中で、おばあちゃんが「文字は消えても伝統は消しちゃいかん」といった趣旨の発言をしたシーンも興味深い。
これは「オーラルヒストリー」を端的に表したセリフだ。
「オーラルヒストリー」とは、近代合理主義的な歴史分析の「文字という、理性で客観的に把握可能なもの」をもつ物にのみ歴史が存在し、文字を持たないすべてのものは同時に歴史をも持たないという立場を乗り越えようとする歴史観である。
たとえ文字は消えても、土着の人々の力で時には口頭で、時にはもの(組紐)で文化(歴史)を伝承していこうとする態度だ。
また、三葉・四葉の父、俊樹が妻を亡くしたことから神への懐疑を抱き、神社を出て政治の道に進んだことが明らかになったシーンは
まさに、モダニズムの象徴である。
神が世界の中心であった中世から、人間を世界の中心に据えて
人の力で世界を変えていこう(その手段は往々にして政治もしくは商業活動だ)とする態度が端的に表れている。
町長に再度選出されるために土建屋への根回しをするなど
非常に理知的に物事を進め、娘(中身は瀧だったが)の「彗星が町に落ちてみんなが死ぬ」という主張にも一度は耳を貸さず、「病気だ」と合理的な反応を見せる父は、近代主義を凝縮したような存在である。
そして、物語のキーの一つである「彗星」に
近代合理主義への警鐘が読み取れる。
三葉との入れ替わりが起きなくなった瀧は、三葉に会いに行くことを決意。途中立ち寄ったラーメン屋で手がかりを得、糸守へと向かうが、そこに待っていたのは壊滅し、町が消失した糸守だった。
物語のなかで非常に美しく、幻想的に描かれていた彗星が、実は破滅の象徴であったという事実に、私は驚きを隠せなかった。
ここから読み取れるメッセージは、「結局のところ自然は人間の思い通りになるものではなく(作中でも、彗星の核が砕けて落下をすることをだれも予測できなかったというセリフがある)、時には人智を超えた力をも発揮し得る。そんな自然を支配しようとするのではなく、崇拝し、時には恐れ、共存していくべきである。」ということではないだろうか。
彗星の落下によって糸守は壊滅し、三葉も死んだ。
この事実を知った瀧は、様々な苦悩を抱えつつも口噛み酒によって再び三葉との入れ替わりを行い、糸守を、そして三葉を救うことを決意する。
さやちんとてっしーと共に糸守救出作戦を練る瀧 in 三葉。
ここでてっしーがポストモダニズムの象徴であるということが一層鮮明に見えてくる。
防災無線、重畳周波数など普通の高校生では知りえないような科学的な知識を披露し、高校生にしてMacbookを操る。
非常に理知的な印象を感じるシーンであるが、先述のように、このてっしー、オカルトマニアである。ほかの方々のレビューでも言及されているように、オカルトマニアであるからこそ、「彗星が落ちてみんなが死ぬ」という突拍子もない言葉に真摯に向き合えたのだ。
狐憑きや彗星の落下といった非合理的なものにも心を開き
問題を解決するときは理知的に、合理的に。このようなてっしーの生き方は、ポストモダンな現代に生きる我れにこそ必要な生き方であろう。
御神体のある地でカタワレ時に奇跡の出会いを果たした三葉と瀧。瀧から作戦を引き継いだ三葉は町へと戻り、父のもとへ。
ここまで見てきたように、三葉の父・俊樹は
モダニズムの象徴的な人物である。
一度は「彗星が町に落ちる」という発言に全く取り合わなかった父。
しかし、傷だらけの三葉の姿、そしておそらく、三葉の熱意に押され、消防団の出動を命じたようだ。
この出来事に、ポストモダニズムが集約されている。
近代的、合理的な考え方で行動してきた父が最終的には
娘の「熱意」によって「感情」を動かされ、非合理な事実(町長は山火事はないとの連絡を受けていた)から目をそらさず、
意思決定をしたというこのシーン。
まさに、非合理が合理を乗り越えた瞬間であろう。
このようにポストモダンという切り口でみても印象的なシーンがとても多い「君の名は。」。
私の周りの友人たちは意外にも辛口だ。
「時間軸がずれた入れ替わりなのだから、糸守がすでに壊滅していることにお互いが気付かないのはおかしい。」
「日常生活の中で今が西暦何年なのか、普通に気づくはず」
「メモなどの非効率な方法ではなく、もっと早くスマホで連絡を取ろうとするはず。」などなど・・・
確かに、非常に理にかなった指摘であり、「なるほど」と思わされた。
映画や小説などは非常に精緻に、矛盾がないように作成されることが前提の現代において上記のような点は確かに気になるポイントではある。
しかし、この映画を見て、純粋な感動を覚えた私は、あえて声高に主張したい。
「それでも良いではないか!!!!!」、と。
細かな矛盾はあれど、「映像美」や「音楽」といった
「感覚的」なものを基礎に、ストーリーにもふんだんに非合理的要素が散りばめられた本作が多くの人の心(外国人の心さえ)つかんだというのはまぎれもない事実である。
憶測の域を出ないが、新海監督をはじめとする「君の名は。」の製作スタッフは、あえてこのような矛盾点を残したのではないだろうか。
矛盾はあれど、映像、音楽、ストーリーによってそれらに対する疑問をはるかに超えた感動を生み出そうとする大いなる挑戦=理性万能の近代合理主義を乗り越え、感覚的でメタフィジカルなものにも焦点を当てていこうとするチャレンジ。
確かに、爪痕を残したのではないだろうか。この映画がヒットしたということは、人々の中に近代合理主義への懐疑が生まれている証明になるかもしれない。
あるいは、人の心を動かすのは論理ではなく、感情的な要素だ、ということの証明だろうか。
いずれにせよ、言葉や論理を超え、直接感情に訴えかけてくる本作が素晴らしいものであるということに、変わりはない。
忘れてはいけないもの 青い心と3.11
日頃全くアニメは観ないのですが、とても話題になっていたので鑑賞。うん、普通に面白いじゃないですか!
観ててやっぱり「若いっていいなー」っと思いました。年甲斐もなく若い頃の何かに夢中になっている時の気持ちを思い出してしまい胸が熱くなる始末。学生の時に観たらきっともっと面白かったのではないかと思います。
隕石が落ちてきた災害は3.11がモデルですよね。恋愛の要素と共に災害を食い止める要素が1つのテーマとなっています。確かに恋愛要素のみではここまでロングランのヒットにならなかったのではないでしょうか?
タキくんが頑張ったのも、災害を食い止めるっていうよりも、なんだかんだでミツハに逢いたかった為なんですよね、基本的な動機としては。その結果として多くの人を救う事になったという。好きな人の為に夢中になれるってのは素晴らしい事だと思います。
大人になると日々の生活に埋没してしまう青い心、そして現実の世界では止められずに起きてしまった不幸を忘れる事なく生きていかねばなと思いました。
再観賞記録
2021/3/27
本作を最初に観た当時からすると随分と色々アニメを観たので、やっぱり良くできているなっと思いました。映画は良く観る側の人間なのですが、最近アニメも面白いってのに気が付きチョコチョコと観るようになってます。人間いくつになっても知らない面白い事は世の中に溢れてるもんですよね。
本作を久しぶりに観て、救われない現実もあるけど、救われた世界もあっていいんじゃなかろうかと思います。
再々鑑賞履歴
2022/10/2
IMAXにて
私たちの行けない、彼岸の物語 (妄想、願い、あるいは祈り)
この物語を恋愛ものとして見ているレビューが多いので、あえてもう一つの視点からの感想を書こうと思う。
その分ネタバレの内容も詳細なので読む方には気を付けていただきたい。
---------
この物語の主人公が誰かと問われれば、当然 三葉と瀧という答えになるだろう。
彼らは物語の中で「運命の出会い」というテーマ部分を担っているが、視点を変えて別のテーマで見たとき、私はあと2グループの主人公たちが存在していると思えた。
ひとつは、テッシーとサヤちゃん。
もうひとつは、高山ラーメン屋のおやじである。
テッシー達はともかくとして、ラーメン屋のおやじはどうかと言われそうだが、彼はとても重要な位置にいる。
彼は「災害後生き残った人」の代表なのだ。生き残り、失われた故郷を離れ、喪失感を抱えながら堅実に今を生きている。
彼の「あんたの描いた糸守、ありゃあよかった」という台詞は、私にとっては上位の涙腺ポイントだった。
彼は私達の投影だ。311を生き残り、故郷を失い、それでも今を生きている私達そのものだ。
では、テッシー達は誰の投影か。
おそらくは、311(あるいは、過去に起きたすべての災害)で亡くなった人達である。
タイムリープもの、あるいは歴史書き換え物の作品に出合った時思うのが、歴史が書き換わらなかった方の元の世界はどうなっているのだろうか、ということだ。
考え方は2つあって
1)歴史が書き換えられた時点で消滅
2)平行世界(パラレルワールド)として、そのまま存在している = おこった悲劇はそのまま
だろうと思う。
2)だと救いがないので基本的に私は1)の解釈を当てはめることにしているが、今回の作品に関しては2)の方が救いがあると思っている。
なぜなら、今まさに私たちが悲劇が書き換わらずにそのまま時の経った方の世界にいるからだ。(=ラーメン屋のおやじ側)
もしも「あの日」に戻れたら、きっと誰もが三葉たちと同じ行動をとりたいと願うはず。
自分にそんな能力はないが、もしかしたらもう誰かがそんな不思議な体験をしているのでは?という想像をせずにはいられない。
書き換わった歴史のもう一つの世界では、此方側では未来を失った若い人たちが元気で生き延びて、(テッシーとさやちゃんのように)喫茶店で恋人と結婚式の打ち合わせをする光景が存在しているのかもしれない。
小学生だった少女たちは、(四葉のように)高校生になっているのだろう。
けれどもその世界は平行世界の此方側にいる私達には決して行くことのできないあちら側 ―― 彼岸である。
決して行けない向こう側。
だから「あったらいいな」という願いだけが残る。
こんな平行世界があったらいい。
決して行くことはできないけれど、あったらいい。
そして、そこではもういなくなったはずの彼らが幸せでいてくれたならどんなにか救われることだろう。
この映画はたぶん、そういう妄想であり、願いであり、祈りである。
そんなに?
@新宿TOHO.ヒットし異例のロングラン上映をしている事と、高校生が主人公である事以外、何の事前情報も得ずに鑑賞。鑑賞理由としては、なぜそこまでヒットしているのかに興味があり、先入観を抱かずに鑑賞するためにも、事前情報は仕入れなかった。感想=自分にはなぜそこまでヒットしているのかよく理解できなかった。映像・音楽の使い方がうまく、飽きる事なく映画を鑑賞できた。しかしどうしてもストーリーがしっくり来ない。男女の入れ替わり系は特に新規性がないし、残りは単なるラブストーリーだし、何がそんなに良いのか??この映画のターゲット客としては主人公と同年代近辺だろう。しかし映画館にはかなり幅広い年齢層がいた。うーん、わからない。
超びみょー・・・。
前情報が少し入った状態で見に行きました。
テレビで流れる映画情報のコーナーでは絶賛の嵐。
舞台になった地を巡る「聖地巡礼」という行動をする方もかなり多いと聞き、
「そんなに言うのなら、きっとものすごい作品なのだろう!私も見たあとに聖地巡礼をするぞ!」と大きな期待を持って見に行きました。
しかし鑑賞直後の私は
「面白かったけど、社会現象になるほど盛り上がるものではないな」と思いました。
もし誰かから感想を聞かれたときに簡潔に答えるとするならば
「綺麗すぎる画に気を取られてる間に、サッと気づかれないように伏線を張ってくる。伏線の張り方と回収の演出が悪くて、後半は置いてけぼりを食らう。何も考えないで見て入ればスッと入ってくるけれど、色々考えてると突っ込みどころが多々あって集中できない。あと私は涙腺がピクリともしなかった。」
と言うと思います。
前情報が入っていなければもう少し感じ方が変わっていたかもしれないですが。
また、この感想を見て「そういったツッコミは野暮だよ」と思われる方がいるかもしれませんが、だって気になるんですもん。
腑に落ちないとことは黙ってはいられないです。
CMだと恋愛もの感もりもりに見えましたが、それよりSF的な要素のほうが目立っていたように思います。
まず、“心と体の入れ替わり”のことに関する意見ですが、
「学校に行く」なんて行動が考えられないです……。
自分がどこの誰かも分からない人間になっていて、ちゃんと学校に着くなんておかしな話じゃないですか?
私だったら、家に引きこもるか家の周辺を探り、自分が誰でここはどこなのかの答えを求めるくらいしかできないと思います。
その後、お互いの環境に徐々に適応していくのはいいのですが、
お互いの時間の差に気がつかないのはちょっとムリな設定なのではないかなと思います。
三葉の住む町の美しい描写はとても素敵です。
風に揺れる木々の緑色にキラキラと光る湖など、もう実写にしちゃえばいいじゃん!と言いたくなるほどリアリティーがあります。その場の匂いも感じられそうなほどです。
組紐を作る場面だったり、神楽の舞台だったり、ラーメン屋だったり、「聖地巡礼」する人を狙って作ろうとしていたのかは分かりませんが、訪れてみたいと思わせるような描写が盛り沢山でした。
折角の「入れ替わり」なのだから、瀧くんの住むところももっと美しくアピールしてほしかったです。都会の魅力をもっと!
瀧くんと奥寺先輩がデートをした美術館のリアルな画にはとても驚きましたが。
三葉には都会への憧れや、現状への不満など、感情を感じ取れるシーンが多数あっと思いますが、瀧くんにはいまいち…何の特徴も無さすぎです。
お互いが恋に落ちる点もようわからん。あの過ごし方とかだと、「なんかちょっと気になる」程度にはなっても、好きとは確信できないよ。
お互いが惹かれる要素がないし、そんな演出が微塵も感じられなかったわ…
涙するほどまで好きになる要素があったとは思えない。んまぁ恋愛に関しては「理論」じゃなくて「理由はわからないけど、いつの間にか」ってのはよくある話なんだけど…
全体を見るとやや三葉のほうに注ぐ力が偏ってしまってる気がします。
もうちょっと中身を洗練させて、集中できる内容にしてくださいって感じです。
私が褒めるのは絵の綺麗さだけ。
あ、RADWIMPSはイメージがぴったりでしたね。
違う人が曲を担当してたらこんなにヒットしてなかったと思います。
...前評判ほどでは
また映画館、DVDで観ようとは思わない
TVでチャンネル回してて、やってたら「TV画面だとどんな感じだろ?」程度にちょっと観るくらいかなあ
周りの前評判
ストーリーが面白い。
絵が綺麗。
ストーリーが面白い。
→過去変われ!って応援できたし、再会できたところはスカッとした。
開始1時間経ったくらいから楽しめる。
たきくんの糸守の絵から実際の場所探すとことか
ただ、見たことある感はぬぐえない。
携帯に日記は残すのに即電話で連絡取り合わないのは、ストーリーを楽しむ映画を成り立たせるためとはいえ、きびしかった
笑いどころもいくつかあるけど、タイミングが微妙なのと、
過去のカラダ入れ替わりストーリーのドラマの笑いどころの多さと言ったらそれはそれは多かった記憶が
あれは俳優と女優が生身の人間だったからか。
俳優のもともとのイメージとのギャップというか
あと、流石にカラダたきくんが最後まで内股っていうのは、感情移入が難しかった
彗星落ちるのが、サマーウォーズっぽかった
他の次世代アニメ監督と似たようなのは見たくなかった
中身が入れ替わるストーリーの日本のドラマ(タイトル忘れ)
時間軸がかわるストーリーの洋画 all you need is kill、interstellar
が観たくなった
絵が綺麗。
→綺麗。小物は。鉛筆の痕とか、戸のレールとかがリアルで。
ただ、リアル=綺麗 で観てしまうと、どうしたって人が浮き出てしまう。なじまないというか。
ジブリで、全て手書きのかぐや姫の物語があったが、あれのアニメとしての良さを感じた
彗星のかたわれ?、オーロラみたいなとこが画的にはいちばんの山場なんだろうけど、期待を越えるまではいかなかった。
パンツとかブラとか、奥寺先輩の私服とかの、ナニコレ感
テンションというか、ワクワクが少ないというか。
自分が想像力が足りないのか、
アニメ絵に慣れてないのか、
映画開始前広告の土竜の唄?のエロの方が強かったからか
全体的には、
ストーリーも、絵も、セリフも、
こんなん好きなんやろ?感が強め
自分がアニメに慣れてないからかもしれないけど
次世代アニメ監督3人?
時をかける少女、サマーウォーズ、までは楽しめた 素直に、とても。どちらも3回以上観るほど
ただおおかみこども、バケモノの子あたりから、こんなん好きなんやろ感が胸やけしそうになる
余白が少ないというか、
薄皮あんぱんならぬ、ほとんど皮ないあんパンというか、
人格整い過ぎとか、絵と声優キャストのルックスそのまんま感とか
準備され過ぎてる感 とでも言うのか
絵きれい。音楽良い。だけじゃない
11月末という今更ながら観に行った感想です。
・紅葉と都会の雪景色がめちゃくちゃ綺麗でした。映画館というス
クリーンだからこその迫力
・糸が紡ぐ人とのつながりという祖母との会話が後半に効いてきた
ときは思わずうなりました。
・ドアの閉まる描写(ドアの側面からのアングル)がやけに多かっ
たけど何か暗喩があるのかなと思ってしまう。でも何なんだろ。
・川を隔てる彼岸と此岸の前半部での会話も後半でこう関わってく
るのかーと感心。ていうか脚本がいい。
・RADWIMPSが主題歌ってのは知ってたけど劇中歌も手がけてたんで
すね。始まってすぐRAD全開でRAD好きな方にはたまらないでしょ
うね。映画の世界観とピッタリです。
・後半、時代が転々としていて、若干集中しつつ頭を整理しながら
見ないといけないかも。
・ただの人格入れ替わりの話ではなく、タイムスリップの要素も含
まれている点は新しく感じました。
確かに映画館まで観に行く価値のある作品だと思います。
でも、住民たちがはっきりと避難したシーンってあったっけ。
タイトルなし(ネタバレ)
予備知識ほぼなしで観ましたが、思ってた感じと違ってビックリしました。
周りの人からハッピーエンドとは聞いてたから、もっとホッコリしてる感じかと思ったら意外とそうでもないのね。(感じ方に個人差あると思います。)
泣けるシーンも多々あり…
公開から3ヶ月近く経っても満員に近くてそれもビックリ。終わって歩いてる人の感想盗み聞いたらはじめの人も結構いたみたい。(もっとリピーター多いのかとおもた。)
秒速でやられてる身としては、最後はまあ良かったなあって感じなんだけど、結局二人で話す時間短すぎて!!!二人のその後の言い合いとか観たかったよ!!!笑
ハッピーエンドなんだけど、わたしとしては切なさの方が優った印象です。
ただ、映像は美しいし、音楽も良いし、三葉は可愛いし、また観たいと思える作品でした。
それにしても、彗星の感じがどうにもハウルの動く城のと似てるなあ。
面白い映画だが、あえて。
いくつか辻褄が合わないというか、疑問が残る話だけど、ここが一番気になる。
時間が三年ずれていることに、当人2人はなぜ入れ替わった初日に気付かない?
話の途中まで、観ている側にここを隠す意図は分かるけど、さすがに主人公2人が、3日経っても4日経っても気付かないのは、無理があるのでは?
粗探しは野暮というものだが…。
普通によかったですが…
普通に良かったです。でも一般の評価ほどは・・・? 私の年齢のせいなのか? 中高生から20代はじめくらいだったら、また違った受け止め方だったかも?
映画とか本とかって出会いですから、そのときの自分の状況で印象が違うのでしょうね。
新海監督の作品は、前作「言の葉の庭」を見て雨や公園の緑の映像がすごくきれいだったので、今回劇場で見てみたいと思ったのでした。結論、やはり雨の映像がきれいだった。
あと余談ですが、みつはの学校の古文の先生、あれっ?と思ったのですが、あとで調べたらやはり「言の葉の庭」の先生。こういう発見はうれしい。
震災を経験したからか?理屈を超えて観れた
主人公2人の関係にキュンキュンするというよりは、震災の方に目がいった。
自分は昔3.11で多くの人が一気に亡くなったということに結構ショックを受けて、震災直後はそのショックを和らげるために何か過去に戻って多くの人を救えないかなあなんて妄想をよくしてた経験があり、
そんなことはてっきり忘れながら見ていたが、作中の隕石の件があってからは自分の中で完全に3.11と被った。だから震災直後に感じた自分の叶わない欲みたいなものをフィクションでどうにか満たしてくれたので映画の終盤はホッとした。
確かにこの映画は理屈が通ってるかと言われると微妙で、矛盾も見つかるかも。そこを優れた映像美や構成やらでなんとかカバーしているんだと思う。自分もロジックの矛盾があったり、極端に御都合主義の映画は冷めてしまうので、人が入れ替わるという設定すら受け入れられるか心配だったが、自分はあの大震災が防げたらなあなんていう数年前の気持ちが胸の奥にまだ残っていたせいか、この映画はあまりロジックの矛盾とかに目が行かず受け入れられました。震災関係はあのラストで本当に安心した。途中のまま終わるのかとドキドキしていた。
タイトルなし(ネタバレ)
背景は言うまでのなくずば抜けたクオリティ。
だが説明口調だったり、不自然ないいわまし、唐突な伏線と雑な回収、演出もいちいちやりたいことはわかるのに出来ていない焦ったさがある。
視点が入れ替わるというややこしい話の基盤の説明が雑だから疑問が次々重なって全然話が入ってこない。
さらに、細かい部分(新幹線の席順の違和感=初対面かと思ってたモブたちの間に仲介する主人公が入るべきでは?)とかそういう一々、作り手では把握しているんだろうけど観ててわからない点が一々引っかかる。
丁寧に描写するべき入れ替わり直後の生活や、終盤で再会した際の「土壇場で怖気付く心理描写」もあっさり飛ばして、ここが肝になる部分、というのも見事に外していってる感じ。序盤の入れ替わりまでの下りも長いし、ストーリー展開の為の伏線は露骨で不自然だし、1人で考えるシーンはモノローグでいいのに台詞に出す白けさがある。隕石対策に仲間と動き始め曲調もアップテンポになったのに、なかなか進まない。女の子と父親の確執やら盛り込みたい事はもっと削るかさらっと見せたらいい一方、肝心の隕石衝突は破壊のシーンが短くすごくあっさりしていて残念。
色々とフラストレーションの箇所あげたけど、結局2人はなんで恋に落ちたのか全く思い出せない時点で、いくらその後の再び結びつく描写に凝っても入って行けない。
完全に関係ないけど、クライマックスで隕石せまるなか、自分の膀胱も限界を迎え、(通常作品の進み方なら)耐え切れるだろうと見てたら延々と進まないため、尿意と忍耐の限界で初めて途中で抜け出した。
作画面、背景、女子の可愛さ、奉納舞踊などその他絵の面ではよかった。
何度見ても楽しい映画は、前提として、一度で楽しめる必要があると思う。その後、繰り返し見ると細かい点に気づく楽しみがあるものだが、この作品は、やりたいことがありすぎる割に編集が下手で、いわゆる理解の難しい作品と違い、分かりづらいのだけれど描こうとしているテーマの魅力に惹かれた人がリピートしていると思った。何度か見ないと理解できないのは、前述のように説明が曖昧で、主観がハッキリしてない部分があり混乱する為だと感じた(ミツハ視点の際に男の方のモノローグが入ったりややこしい!)。声優は問題なかった。
追記:鑑賞後のワナワナ感を酔った頭でいつのまにか書いてて、見苦しい上に意味不明の文章になってたので、自分への戒めとして残しつつ打ち間違いなど直した。
泣けます。
秒速と言の葉の庭を見返してから見に行きました。
やっぱり絵がきれいです。
RADWIMPSの音楽も良かったです。劇中でボーカルの入る音楽が多いので、映画が長いPVのようにも感じしたが、良かったです。
ストーリーも単純ですが、時間軸がずれているということを加えることでかなり面白く感じました。
最後の隣同士の電車で目が合い、お互いを探し合うシーン。秒速のようにバッドエンド(?)になるかハラハラしながら見てました笑
映像が綺麗で内容も曲もよかった
序盤は楽しい感じで後半は伏線回収を綺麗にしていたと思います。
RADの曲もよかったのですが、流石にぶっ込み過ぎだと思いました。2曲くらいでよかったと思います。(EDはすごく良かった)
最後に一個だけすごく細かいけど気になったのが、初めてたきくんと入れ替わったみつはがベッドから落ちた時に「いてっ」と言ったのが気になりました。
みつはなら「いたっ」って言いそうな気がしたので…
まぁあくまで自分の想像ですが(笑)
良くも悪くも、新海作品
やっとこさ映画館で鑑賞。
正直、前作「言の葉」のような、超書き込まれた背景のオンパレードだと、二時間は辛いと思っていましたが、いい意味で力が抜けていました。
というか、キャラ立ちがスゴい。
やっとキャラクターが魂を持てたという感じ。
背景は背景。でもキレイ。
前半の入れ替わり、中盤の謎解き、後半の感動から数年後、と起承転結が分かりやすく、よくまとまった見易い作品でした。
東京近郊にお住まいの方には、あるあるというか、あぁ~あの路線のあの瞬間だな!と分かる所もあるかと思います。
ラストのハッピーエンドが、売れる理由だな、と。あれが今まで通り、すれ違ったままだったら新海監督らしいけど、ここまで売れなかったでしょう。
二時間は長いけど、それを感じさせたのはOPがあったから。OPがいわゆる『いいとこの寄せ集め』だと分かってしまったら、あとはそこに向かっていることが分かり、一部ネタバレになってしまっていた。
せめてパステルシルエットとかで表現するとか、カット使い回すより、もっとネタバレ感は薄められたはず。
心地良い切なさと、新たな才能に触れられる良作。
新海作品の入り口として今後残るか、それとも最高傑作として残るかは次回作次第。
恐らくこの作品から新海作品に触れると、半数は言の葉に拒絶反応を出すのでは?(笑)
面白いが気になる点がいくつか。
話の展開はとても面白かったかと。
入れ替わるだけで終わってたらえ?って感じですが
三葉と瀧がいれかわるが…
おそらく感動シーンと思われる
瀧くんが三葉の手に「すきだ」と書いてあったシーン
いやぁ…
生活も環境も、そもそも人間自体が入れ替わり
気になり→恋する
ってちょっとおかしいと思ってしまったのは私だけでしょうか…
入れ替わりで好きになるという恋愛に展開を持っていくのはちょっと嫌だったなあ
あのシーンでは好きだ、ではなく、普通に名前でも良かったのでは…
ごめんなさいちゃんと感動できている人もいると思いますが。
そこに感動をもっていくのなら、
死んだはずの三葉が瀧の手に「すきだ」と書かせる方が良かった気もした…
…
知り合っていたはずの相手(三葉)が、実は死んでいて
3年前の三葉と今の瀧と入れ替わっていた、というところから三葉という存在がとても貴重で
不思議な感覚になった
その気持ちから、瀧くんの手に「すきだ」と書かせてあれば
既に電車で瀧を知っていた三葉の事もあり
感動できたかも、、、、?
そして瀧くんは三葉と会わない5年間なにがあったのか?
5年間誰かを探してたみたいな感じになっていたけれど
なぜ5年間も経たせる必要があったのか…
再会するには、成人して三葉を東京にこさせる必要があったからだとも思うが
駅で初めに三葉のような人を見かけてしまってから
その時点で三葉が生きている
というのが分かってしまい、再会にあまり感動ができなかった…(−_−;)
内容的にはとても面白かったと思います。
偉そうに言いましたが、面白かったです。
楽しめた。それだけ。
映像美しい、音楽良い、展開飽きない・・・楽しかった。
が、感動・感涙まったくせず。
感動・感涙=感情移入=「あるある」「わかるわかる」
これがまったく無い。
理由
①見ず知らずの男女が入れ替わり、まして生活環境も都会と地方、
ちょっと戸惑う程度で生活できるハズが無い。
1980年代の入れ替わり作「転校生」では幼なじみですら自殺さえ 考えるほど悩むがそれが当然心理(わかるわかる)
②なんでもアリのドンデン返し
なんだかんだで三葉探しの旅に出、3年前に彗星落下で町が全滅、
三葉家族も死亡者名簿に載っていた
・・・が5年後生存が判明!なんじゃコリャ!
神話か民話か知らぬがそんなウンチク小賢しい、106分が勝負。
③瀧よ、5年間何してた?
17才から22才頃といえば高校、大学、またバイトなどを通じて
様々な人間関係が生まれ恋の一つや二つ経験し人間としても
成長する年代だが5年間「血液凝固剤」でも飲まされて休眠
していたかのようなラスト。
最近TVであるタレントが「この映画を観た仲間はおもしろい派、
つまらない派に分かれるがおもしろい派の共通点は『若い頃恋愛
経験が無いこと』。だから現実離れしていてもこういう展開に
あこがれる」と話していたがなるほどと思った。
全455件中、181~200件目を表示




