「素晴らしい作品」君の名は。 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
素晴らしい作品
新海監督はよくこのような物語を思いついたなあと思う。
様々な想い、特に割り切れない思いなど人のそのほとんどは満たされない想いの積み重ねかもしれないが、どうしても恋愛だけは嘘がつけなくなってくる。
嘘のない思いを自分自身で感じたとき、やはり涙が流れてしまうのだろうか?
ほしのこえ (2002年)
まだ見ていない
雲のむこう、約束の場所 (2004年)
この作品で監督は「サユリを救うのか、世界を救うのか?」どっちが大切なのかということを考えた。これは形を変えて「天気の子」によって着地した。
秒速5センチメートル (2007年)
この作品で監督は純粋さの根源を小学生まで引き下げて考えたのだろう。
問題は距離だった。幼さ故に感じるどうしようもないこと。
これをロケットに見立て、距離と時間によって壊れるはずのない純粋な恋愛感情の崩壊を描いた。
星を追う子ども (2011年)
ここでは死というもの 誰も何もできないこと それを何とかできないかと考えること
これらを古事記 神話、超古代文明をファンタジーでまとめた作品
仕方のないこと でも受け入れられないことが描かれている。
言の葉の庭 (2013年)
これもまた恋愛になる。
主人公の成長を伴いながらも、これもまた失恋という形で終わった。
さて、
監督にとって恋愛とは多種多様的でありながらも、嘘だけは付けないものでありそれほど人の心がはっきりとするのもない題材なのだろう。
どれだけ想ってみても、ダメな場合
どれだけ二人が盛り上がっても、ダメになってしまうこと
当時それが本人の一番のことであるにもかかわらず、決して叶わないこともたくさんある。
この苦しさや切なさを彼は描き続けてきた。
恋愛にこそ真実がある。
恋愛以上に自分の本当の想いを知ることができるものはないのかもしれない。
監督がそのダメになる過程をいくつか描き出し、そうしてこの「君の名は」でようやく二人の想いを出合わせた。
その過程は長かったし、様々な試行錯誤があっただろう。
終わり方はたくさんあって、物語を失恋にしたい場合はとても簡単だろう。
しかし、その恋愛を成就する場合、そこには登竜門のようなことがあり、その苦難を乗り越える必要がある。
それはまさに奇跡であり、恋愛を信じることができるなら、この奇跡はどんなことであっても信じる人に受け入れられるのだろう。
さて、、
この作品の不思議さは、まるで二つのエンディングがあるように描かれていることかもしれない。
当然伏線はあるし、岐阜県に出掛けなければパラレルワールドに行かずに何事もなく終わる。
記憶も消えていくのだろう。
登竜門のひとつ 忘却
しかし瀧は出掛けた。展覧会で見たあの写真の場所へ。
そして瀧である理由
まだ出会う前に会いに来た三葉 この時間差という概念がとても効果的かつ不思議さが漂うところ。
隕石の落下はすでに起きてしまった出来事で、その少し前に始まった三葉と瀧の入れ替わり。
瀧にとって、あの日電車で出会った三葉の夢から、入れ替わりが始まった。
おそらくそれは彗星のあとのことで、現時点で三葉はもういない。
そしてその事実を岐阜県で再確認した。
登竜門2 諦める
簡単なことだ。
瀧のその思いは、奥寺先輩とデートした日以降、一度も入れ替わりが起きていないことだった。
できたことができなくなった。
最初の一歩は三葉からだった。
それが来なくなったのは、単純にいなくなったからだろうか?
そもそも最初からいなかったんではないか?
瀧の頭には様々なことが思い浮かんだのだろう。
しかし彼は思い出す。三葉の片割れの口噛み酒
彼は見事に登竜門を潜り抜けた。
でも記憶がなくなってしまった。
この最大のピンチ
あれから5年の歳月
ここに忍ばされた時間による崩壊の罠 秒速5センチメートル
しかし「ずっと誰かを探していた」
「僕らなら出会えば必ずわかる」
この想い。
失恋する場合のケースをフォーム化し、それを落とし穴に設定
主人公が罠にはまりながらもそれを乗り越えていく先にようやく手にしたもの。
そこにあるのは紛れもない心の真実で、嘘のかけらもない。
これだけの仕掛けを用意するために長い時間をかけて作り上げられた作品。
文句のつけようのない作品
素晴らしかった。
ところで、
久しぶりに会った奥寺先輩の薬指に光るリング
様々な説が飛び交っていた。
藤井司
この事実は、またどこかの作品で明らかにしてほしかった。
おはようございます。
いつも共感ありがとうございます😊
私の邦画No.1です
今でも主題歌のRADWIMPSの3部作のメドレー週一で聞いています。
曲も素晴らしいと思います
YouTubeで裏設定みたいな動画が沢山あり、
なるほどと思った記憶があります。
その辺が新海監督の凄いところだと思います