「私たちの行けない、彼岸の物語 (妄想、願い、あるいは祈り)」君の名は。 まるさんの映画レビュー(感想・評価)
私たちの行けない、彼岸の物語 (妄想、願い、あるいは祈り)
この物語を恋愛ものとして見ているレビューが多いので、あえてもう一つの視点からの感想を書こうと思う。
その分ネタバレの内容も詳細なので読む方には気を付けていただきたい。
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この物語の主人公が誰かと問われれば、当然 三葉と瀧という答えになるだろう。
彼らは物語の中で「運命の出会い」というテーマ部分を担っているが、視点を変えて別のテーマで見たとき、私はあと2グループの主人公たちが存在していると思えた。
ひとつは、テッシーとサヤちゃん。
もうひとつは、高山ラーメン屋のおやじである。
テッシー達はともかくとして、ラーメン屋のおやじはどうかと言われそうだが、彼はとても重要な位置にいる。
彼は「災害後生き残った人」の代表なのだ。生き残り、失われた故郷を離れ、喪失感を抱えながら堅実に今を生きている。
彼の「あんたの描いた糸守、ありゃあよかった」という台詞は、私にとっては上位の涙腺ポイントだった。
彼は私達の投影だ。311を生き残り、故郷を失い、それでも今を生きている私達そのものだ。
では、テッシー達は誰の投影か。
おそらくは、311(あるいは、過去に起きたすべての災害)で亡くなった人達である。
タイムリープもの、あるいは歴史書き換え物の作品に出合った時思うのが、歴史が書き換わらなかった方の元の世界はどうなっているのだろうか、ということだ。
考え方は2つあって
1)歴史が書き換えられた時点で消滅
2)平行世界(パラレルワールド)として、そのまま存在している = おこった悲劇はそのまま
だろうと思う。
2)だと救いがないので基本的に私は1)の解釈を当てはめることにしているが、今回の作品に関しては2)の方が救いがあると思っている。
なぜなら、今まさに私たちが悲劇が書き換わらずにそのまま時の経った方の世界にいるからだ。(=ラーメン屋のおやじ側)
もしも「あの日」に戻れたら、きっと誰もが三葉たちと同じ行動をとりたいと願うはず。
自分にそんな能力はないが、もしかしたらもう誰かがそんな不思議な体験をしているのでは?という想像をせずにはいられない。
書き換わった歴史のもう一つの世界では、此方側では未来を失った若い人たちが元気で生き延びて、(テッシーとさやちゃんのように)喫茶店で恋人と結婚式の打ち合わせをする光景が存在しているのかもしれない。
小学生だった少女たちは、(四葉のように)高校生になっているのだろう。
けれどもその世界は平行世界の此方側にいる私達には決して行くことのできないあちら側 ―― 彼岸である。
決して行けない向こう側。
だから「あったらいいな」という願いだけが残る。
こんな平行世界があったらいい。
決して行くことはできないけれど、あったらいい。
そして、そこではもういなくなったはずの彼らが幸せでいてくれたならどんなにか救われることだろう。
この映画はたぶん、そういう妄想であり、願いであり、祈りである。