劇場公開日 2016年8月26日

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「「前前前世」から、君と僕は……。」君の名は。 ユキト@アマミヤさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5「前前前世」から、君と僕は……。

2016年10月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

楽しい

知的

萌える

ネット上や、マスコミでは、本作について、やたらと騒がしいですな。
僕なんかは、根っからのひねくれ者で、おまけに「四捨五入すると還暦」オヂさんです。
「メガヒットなんて、誰が観てやるもんか」と当初は思っていましたが、予告編を見ると……
美しい映像と、その世界観にヤラレました。
劇場にいってみると、やっぱり十代、二十代のカップルが多くいましたね。
彼氏や彼女を誘う口実には、本作はもってこいの「デート・シネマ」なのでしょうね。
青少年諸君!!
不純な動機で映画館に行くのは、大いによろしい!
青春とは「不純」や「よこしまな心」そのものであります。
もしかしたら、お相手の方と、次のステップに進めるかもしれませんよ。
まあ、そのあとは自己責任。
いろいろと、ヨロシク、ヤっちゃってちょうだい。
え~っと、なんでしたっけ。
そうそう「君の名は。」ですよ。
監督は新海誠さん。
僕は「初体験」なんですけど、まず思ったこと。
「えっ、今更このネタ、ブッこむの?!」
作品の背骨と言っていい、ストーリーのモチーフが、もうそれこそ、何回も使い古されたネタばっかりなんですね。
まずは「男女が入れ替わるテーマ」は、かつて大ブームとなった、大林宣彦監督の「転校生」
実はこの「男女逆転ストーリー」
その発想は、800年以上前に遡ります。
平安時代後期に書かれた「とりかえばや物語」がそれです。
漫画にもなっていますし、現代語訳も多数あります。
特に田辺聖子さんの「とりかえばや物語」は名訳でしょう。
本作の主人公「宮水三葉」の声は、上白石萌音さん。
「舞妓はレディ」
での100%混じりっけなしの、ど田舎出身者、というキャラクターが素晴らしかったですね。
21世紀の現代日本に、こんな女の子がいたのか! という驚きがありました。映画というのは、ときどきこういう奇跡を起こすんですね。
さて、女子高生である宮水三葉は、代々続く神職の家系に生まれました。
神社には古くから伝わる、古式ゆかしい『年中行事』というものがあります。
そこで彼女は神様に奉納する「舞」を踊るんですね。
さらには、彼女自身が、お神酒を作って御神体に献上します。
このお酒の作り方、ちょっと”ギョッ”とする方法なんです。
まあこれは映画本編をごらんください。
21世紀のハイテク日本社会で、いまだに古式ゆかしい世界観が展開される本作。
これまでの日本のアニメにおいて、このような土着の神様との関わりについては、
「となりのトトロ」

「もののけ姫」

「千と千尋の神隠し」

など、ジブリ作品で、もう散々、描かれてきた「ネタ」なんですね。
トトロだって、猫バスだって、アニムズムから派生してきたもの、と見ることができるでしょう。
また本作では、もう一人の主人公である、都会の青年「立花瀧」が、自分の体に憑依した、田舎暮らしの女の子に会いに行こうとします。
ここで彼は、ある衝撃的な事実を突きつけられるのですが……。
この作品、都会と山村における、日々の暮らしの違いを、実に丹念に描いて行きます。
それにより、あまりにも違いすぎるお互いの暮らし、生活様式。
その対比の鮮やかさを、クッキリと際立たせることに成功しています。
それに、アニメによくありがちなんですが、本作でも、宇宙と関係があるんですね。
1,000年ぶりに、とある彗星が近づいている今の日本、という舞台設定なんです。
ありふれた日常生活と、唐突にSF的な宇宙観とを結びつける、ということでは、膨大な作品を残した漫画の神様「手塚治虫」をはじめとして、松本零士さんなど、一連の系譜があります。
そして何と言っても筒井康隆さんの「時をかける少女」を忘れてはなりません。
本作でも「これって”時かけ”のパクリ?」
と思わせる、時間と空間の瞬間移動が出てきたりします。
もちろん、それは最新の量子理論や宇宙論に裏打ちされています。
それにどうやら、平行宇宙論の考え方さえも取り入れているように、僕は感じました。
本作の特筆すべき点は、すでに使い古されたモチーフ、テーマを、いわば「物語のリフォーム」によって、あっと驚くような最新作として、僕らの目の前に投影させた事にあります。
こんなにも「古い」のに、こんなにも「新しい」。
最後に音楽について。
56歳の僕にとっては、劇中音楽がちょっと過剰な感じ。
これは、若い人たちにはちょうど「良い加減」なのかもね。
テーマ曲を演奏するのは「RADWINPS」
ボーカルの野田洋次郎さん。
僕は、彼が俳優として主演した「トイレのピエタ」が目に焼き付いて離れないのです。
こんなにも「儚い」存在感を持った若者が、今、ほら、そこに立っている。
もうそれだけで、胸がいっぱいになるような作品でした。
彼のバンドと音楽。その、激しさの中に「仄かに」感じられる「儚さ」
それが多くの日本の若者を虜にする理由なのかもしれません。
もしかすると、平行宇宙の時空に漂う「古えのニッポン」
そこには
「もののあはれ」「人のあはれ」
という「言の葉」が、量子論的な混沌さで「フワふわ」と漂っているのかもしれません。
この手で、その言葉を捕まえようと手を伸ばすと、突然、姿を消し、他の平行宇宙へ消え失せてしまう。
その時空間は、現在と過去がゴッチャゴチャに混じり合った、カオスの世界なのかもしれません。
そこから「コトノハ」を体に降臨させ、歌詞を作り、曲を作り、そして物語を紡ぎ出す。
新海誠監督、そして野田洋次郎さん、彼らは異次元空間と交信できる、現代における、ある種の呪術使い、シャーマンたち、なのかもしれません。

ユキト@アマミヤ