「「赤い糸」」君の名は。 SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
「赤い糸」
久々に、「面白かった!」と言い切れる映画だった。
ストーリーが非常に緻密に練りこまれていて、山場がいくつも設定され、展開に飽きがこない。常に続きはどうなるんだ?と引っ張る大きな興味が出てくる。
まるで1クールで展開されそうな膨大なプロットで、しかも時系列がかなり複雑なのに、急いでる感じがなく、分かりやすく、自然に最後まですっと観れる。
入れ替わりの面白さ、楽しさ
入れ替わりが失くなり、相手探し
2人の時間がずれていることが判明(山場1)
入れ替わりの再現の試み
危機回避の試み
2人の出会いと、危機回避の成功(山場2)
2人の記憶がなくなるが、相手を探す
2人の再会(山場3)
最後、再会をクライマックスにして終わるのが本当にうまい。これで泣ける人はカタルシス最高だろう。
普通は山場をいくつも設定した場合、後の方の山場は蛇足感が強いものになりがちだ。無理矢理話を引き延ばした感じになってしまう。
また、一番大きな山場を最後に温存しようとすると、今度は途中に蛇足感が出てくる。
その点この物語は、3つの山場が必然的に結びつけられていて、この必然性をベースの部分で支えるように世界観が作られている(主人公が巫女であること、主人公の集落の由来、主人公が祀る神など)。
そして全体のストーリーを貫く普遍的なテーマとして、「君の名は」という問いが繰り返し語られる。
この世界のどこかに、自分の運命の相手がいるかも知れない、という、とても古典的な物語(いわゆる、「赤い糸で結ばれた相手」)を、現代的に、複雑に編みなおした。
「赤い糸」は、「赤い組紐」になり、糸は、時間の流れ、運命、人間関係、そして「つなぐもの」という複層的な暗喩として解釈し直された。
赤い組紐は、記憶をつなぎ、現実と夢をつなぎ、出会いをつなぎ、離れた時間をつなぎ、思いをつなぎ、男女をつなぎ、最後には「命」をつないだ。
紐に近いイメージとして、「線」も繰り返し出てくる。こちらは、「世界を分けるもの」として出てくる感じだ。彗星の軌跡、花火の軌跡、手の平に書いた線、スカートを切り裂いた傷。
そして、沈む太陽の光が描く垂直な線は、「世界を分けるもの」でもあり、「つなぐもの」でもあるものとしてでてくる。
このシーンの幻想感、トリップ感はなんというか、言葉に表現できない。時空を超えて、絶対に永久に触れられない、でも、つながっている、という感覚。
景色、風景がきれいなのも良かった。新宿、四ツ谷、市ヶ谷、千駄ヶ谷辺りは見慣れた景色だったので、あー、あそこ、と思うのも楽しい。
音楽も、ストーリーと絵柄に調和していて気持ちよく観れた。
とても完成度が高い映画なんだけど、気になるとこもあった。
彗星(隕石)の衝突で出来たクレーター(もしくはそのようなもの)が、複数あってわかりにくい。
たぶん4つ(?)あると思うんだが、勘違いかも知れない
1. 昔落ちた隕石由来の、御神体があるとこのクレーター
2. 昔落ちた隕石由来の、今は池になっているクレーター
3. 昔落ちた隕石由来の、今は街になっているクレーター
4. 今落ちた隕石由来のクレーター
(1, 4以外は、隕石由来の地形であるとは映画の中で言われていないので、単なる噴火口跡のようなものとも解釈できるのか?)
今見てるのは何のクレーターなのか、もっと分かりやすくしてほしかった。
あと、「設定の不自然さ」。
2人の入れ替わりがたとえ数週間だったとしても、名前、住所などを書き留めたりしない、などということはあり得るか?
入れ替わっていないときに電話を一度もしなかったというのも不自然だし、仮にそうだとして、メール(LINEとかのSNS含む)すらもしないというのは、今の若者の感覚としてちょっとありえない。
そして、3 年間のズレは、かなり容易に気付けたはずだ。テレビ番組、新聞、ニュース、友達との日常会話…。はやりのドラマの話を全くしないですごすということはあり得るだろうか?
2人は序盤の段階では、相手側の「名前」「住所」を書き留めることと、「3年間のズレ」に気付くことは、ストーリー上禁止されていた。
だからこんな不自然なことになったんだが、この辺の理由を匂わす程度でもちょっと言及しておけば、「この辺はストーリー上の都合だよね」と冷めた気持ちを持ってしまうことを防げたかもしれない。
たとえば、入れ替わってる間は現実感がうすくて夢心地で、自分の住所を書こうと思っていてもなぜか忘れてしまう、とか。