スポットライト 世紀のスクープのレビュー・感想・評価
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ドキュメンタリー的な映画
この事実に基づいた映画、素晴らしく出来たものでした。
人が行った罪ではあるが、そこにある組織疲労 組織腐敗を照らしている。
確かに過ちを犯しているのは、人です。
この事実をスタートに良くなってゆけば、と切に願います。
最後に、この映画、誰にフォーカスするんじゃなく、チームプレイを確実にこなすスタッフのチームワークには感動しました。
仕事人として、羨ましくも思えたりもしてます。(笑)
誰もが変わるきっかけを待っている!
異常な胸糞悪さと静かな恐怖
絶対的な存在である教会に仕える神父が子どもに性的虐待を働いていたという米国の闇を描いた実話。
自分は信仰心がないため、カトリックにとっての教会の神聖さがいまいちわからなかった。
しかし被害者らの言葉や表情から教会がどれほど心の拠り所であったのか、その存在に裏切られ傷つけられた痛みがどれほどのものかというのが伝わってきてこの事件の深刻さや悲惨さが理解できた。
実話を元にした話のため、画的なハデさはないが、少しずつ真相に近づいて行くマークラファロら「スポットライト」チームの熱心な取材活動と静かーに驚愕の事実が明かされて冷や汗が出たりとそういったとこは見どころ。
その驚愕の事実の明かし方が音響をハデに使った大袈裟なものではなく、あっさりと明かされるがよく考えるとすごい規模のものだったり、ひどく気分が悪くなるような内容だったりと教会の罪の重さがずっしりと増していくような感じになっていた。
ラストのけたたましい電話は全て被害者からのもの?それとも教会を擁護する人間からのもの?
おそらく前者だろうと思うけどSNAPの人間以外であれだけの被害者がいてなおかつエンドロールの虐待神父がいたことが確認された教会の数を思うと相当闇の深い事件だなと感じた。
個人的にはマイケルキートン絶好調で嬉しいなぁ今後も出演作品多いみたいだし、楽しみだなぁ。
良い作品
良質で実直な社会派ドラマ
評判の割りには…
地味だった
記者たちのプロ根性に鳥肌
テーマ性>娯楽性>技術性に軍配
どの作品がアカデミー賞を獲るのかを予想するのは難しい。作品の娯楽性が優先されることもあれば、技術の高さが優先されることもある。極端な言い方をすれば、アカデミー賞は作品自体の質のみでなく、アメリカの今が反映される映画賞でもあるからだ。
今年のアカデミー賞を獲得したのがこの『スポットライト』という作品であるが、はっきり言って娯楽性は低い。技術的に目を見張る演出も乏しい。しかし、神父による児童への性的虐待を暴くジャーナリストたちの活躍を描いた本作はアメリカが抱える問題点を指摘した。宗教を重んじるアメリカ人が本作から受けるショックは我々には分かり得ないほど大きかろう。つまり、今年のアカデミー賞は作品が取り扱ったテーマの重さが重要視された年だったのだ。
この作品の面白さはジャーナリストたちの見えない悪と戦う姿を描いていることだ。主人公たちはあくまでも記者であり、警察や司法の立場にない。どんなに有力な証拠を掴んでも、立件できないもどかしさがある。物語は淡々と進む。性的な悪戯をした神父たちとの激しい舌戦もなければ、被害者感情に過度に肩入れすることもない。故に自社の記事で真実を公表することこそが彼らにとっての最大の武器となる。そして、その武器を作り上げることが如何に大変なのか、言論の自由をもってしても、教会という巨大な権力に挑むことが如何に困難であるかを観客は疑似体験するだろう。
これがアカデミー賞か?という声も聞こえてきそうな気がするし、決して心地の良い作品ではない。しかし、エンドロール直前に映し出されるあるリストを見て、この作品の持つテーマの重さと、今尚続く問題の大きさを実感せざるを得ない。このアカデミー賞は言論・表現の自由を信じ、実際にこの記事を書き上げたジャーナリスト達の勇気と努力を讃えたものに他ならない。
みんなが信じてるものにNOと言うこと
日本人にはとっつき難い題材だが・・・
緊迫感最高
難局に立ち向かうには。
アメリカのムラ社会
日本社会を批判する際によくムラ社会なんて表現をする場合がある。同調圧力や排他性、隠蔽体質、過度なコミュニティ意識といった意味合いで使われる場合が多いだろう。
本作の中では被害者が抑圧される原因の一つとして、教会を母体とした地域コミュニティからの圧力が何度か描写され、主人公たちもまた地域(ボストン)への愛着や、自分自身の信仰心との間で揺れ動く。
その姿を見ていると、人間が社会的動物である以上は、洋の東西を問わず多かれ少なかれ「ムラ社会」に属しているということを痛感する。
日本人とアメリカ人のムラ社会的な部分に違いがあるとすれば、それは単純に幼児期の教育において何が正邪の規範となっていたかに依存するのではないだろうか?
日本人の無宗教性をみて、アメリカ人はよく驚くという。彼らにとって宗教とは正邪の観念の基本をなすのだ。だからこそ、本作で描かれるような児童虐待が長年にわたり放置され続けたのではなかろうか。
彼らにとっては教会を中心とした地域コミュニティこそが「ムラ社会」なのである。
(そうは言っても、それに対する自浄作用はさすがの一言。今年も日本の報道自由ランクが下がったようだけど、問題なのは政府じゃなくて都合の良い報道しかせずに自分たちの社会的信頼を貶めてきた報道機関そのものじゃないの、と思ったり…。こんな胸の熱くなるような報道ストーリーが最近の日本でありますかね…。)
聖職者も人間であるのだが。
私は、日曜日に教会に行く習慣はないし、神父というのはどういう存在であるかもわからない。
神父というよりかは「僧侶」の方が親しみやすい。僧侶が、性的事件を起こすというのは、
そんなに多くは聞かない。
カトリックの教会の神父は、禁欲者で妻帯を禁じられている。しかも、民からは神のような
存在でなくてはならない。にもかかわらず、神父の児童への性的虐待が異常に多い。
ジャーナリストとしては、聖職者の性的スキャンダルをの真実追うのはウズウズさせられるネタ
(記事)に成り得る。カトリック教会の聖職者は、教会の閉鎖的な場所にいる。
聖職者は、「神」にちかい存在とはいえ、一人の人間であるし、教会そのものは人間がつくった
組織にすぎない。このような事件が起こり得る温床にあるのであれば、今まで以上に開放的な
空間と時間を与えるべきではないだろうか。
スポットライト
よくぞ、この作品をアカデミー賞、作品賞にしたなーって感じ。 本当は...
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