偉大なるマルグリットのレビュー・感想・評価
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フランス流、切ない映画
夫を愛し、音楽を愛したマルグリット。
なのに、一番愛してるモノが一番遠い〜。
なんと言う切ない話。
愛しているから、真実に目を背けるマルグリット。
最後の方で、一途に生きるマルグリットに
神の奇跡の様な一瞬が訪れる。
ああ、神様!!
マルグリットの望む形では無いけど、夫は夫なりに
ちゃんと彼女を愛している事も判る。
深いな〜、やっぱフランス映画って。
マダム・マルグリット! 夢見れなかったふたり
あらすじだけ見たら『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』みたいだなと思ったら、あの映画でメリル・ストリープが演じた実在の○○ソプラノ歌手、フローレンス・フォスター・ジェンキンスをモデルにしているという。
ちなみに公開はこちらが先。
モデルとは言え大まかな概要は同じ。
歌う事が好きなマルグリット夫人。
屋敷に客を招いて自慢の歌声を披露する。
が、彼女はとんでもない音痴で…。
客は嘲笑失笑するも、それにも自分が音痴である事も知らぬはマルグリット当の本人のみ…。
やがて周囲の夫や記者や歌手や音楽家をも巻き込み、音楽会を開く事に…。
歌のレッスン。張り切って練習する余り…。
講師は音痴さにうんざりするが、夫も本当の事を知らぬ妻にほとほと呆れている。若い女性と浮気中。
唯一支えるは執事のみ。夫婦中を案じるなど、好助演!
遂に迎えた音楽会。
練習の甲斐あって、少~~~しだけ上達。
ところが、練習で喉を痛めた事により吐血。
音楽会は中断。
入院中もまた歌えるようになって今度は音楽会を成功させる事を夢見る夫人。
そんな彼女に、治療…いや、本当の事を話すべきか。
意見割れる中、決まった。夫人の歌声をレコードに録音し、それを本人に聞かせる。
いつもながら歌ってる時は自信満々。
が、録音した自分の歌を聞いたら…。
あまりの酷さに卒倒。
リアルジャイアン…?
『マダム・フローレンス!』で夫役のヒュー・グラントは本作と同じく浮気するも、奥さんの事は大事に思っていた。が、こちらは距離ある夫婦間。一応夫も夫なりに夫人を愛しているのだろうけど…。
音痴であっても歌が好きな夫人を愛らしく、ユーモアやハートフルを持って描いていたのに、こちらは…。
オチも一種のシュールな笑いなのだろうが、何だか夫人が不憫…。
こちらのマダムの歌声は聞く人を幸せに出来なかった…?
上手いから歌うのではない、好きだから歌うんだ
夫の疑問、「なぜ彼女は歌うんだ?」のシンプルな答え。
上手いから歌うのではなく、好きだから歌うんですよね。
ありのままをさらけ出す天真爛漫で純粋なマルグリット。
好きなものは好き!と歌う喜びに溢れた彼女の目の輝きを前にしたら、好きにならずにいられなくなる。
一度は騙された若き芸術家たちへの寛容な振るまいも素敵。自分が好きな人や物に惜しみ無く投資する姿も清々しい。
自分が一番大事にしているものを、なぜ夫は認めてくれないのか。
自身の音痴に気づかない彼女はずっと心を痛めている。毎度歌う前に夫を探す姿が切ない。
終盤、劇場でリサイタルを敢行したマルグリット。
序盤では音痴を盛大に披露し失笑を買うが、特訓の成果もあってか徐々に音程があってくる。…まさか?もしや?
期待に胸を膨らませたところで、まさかの展開。
すっきりとハッピーエンドにせず、髭女の台詞「物事には光と影」のように、悲劇と幸福の二重構造で畳み掛ける。
マルグリットの軽い精神崩壊とともに、それまでの世界が暗転。
黒人執事はずっと味方とばかり思っていたのに、彼女を面白い被写体として利用していただけだった。
しかしマルグリットが切に望んでいたもの、夫の献身や情愛は彼女を包み込んだ。真実を受けとめて、もう一度彼女が目覚めることを切に願うばかり。
ともあれマルグリットからは、評判や周囲の声にとらわれない、心の自由と解放のあるべき姿を教えられた気がしました。
音痴でも歌手になれるってことか。
自称オペラ歌手のマルグリットは、講演会を開き、自分の歌声を披露するのですが…。
彼女は音痴だったのです。
失笑する会場の雰囲気を物ともせず、大満足で歌い切る姿に唖然…。
誰も本当のことを彼女に伝えられないのは、彼女が莫大な資産を持っているお金持ちだからなのでしょうか?
資金目当ての、嘘で塗り固めるリサイタル。
そこにあるのは、優しさなのか、厳しさなのか。
彼女の可愛らしい性格と、何事にもポジティブに捉える思考能力が、この狂った世界を創り出しているのかもしれません。
意気揚々と歌い上げる大胆さに、誰も突っ込まず、微笑ましい笑顔を見せる人々。
彼らの優しさは、時に残酷です。
最後の最後で、執事見せた勇気ある行動は、愛の鞭だと思いたいです。
現実を受け入れた彼女が、その後どう生きたのか気になるところです。
愛すべきマルグリット
フランスのお金持ち貴族のマルグリット男爵夫人、善意に満ちていてチャリティに精を出している。
歌が大好きなのだが、可哀そうなことにひどい音痴。
誰も教えないので本人はうまいと思っている。
とうとうコンサートをやると言い出し・・・。
私もマルグリットには言えないなぁ。
フランス流、切ない映画
夫を愛し、音楽を愛したマルグリット。
なのに、一番愛してるモノが一番遠い〜。
なんと言う切ない話。
愛しているから、真実に目を背けるマルグリット。
最後の方で、一途に生きるマルグリットに
神の奇跡の様な一瞬が訪れる。
ああ、神様!!
マルグリットの望む形では無いけど、夫は夫なりに
ちゃんと彼女を愛している事も判る。
深いな〜、やっぱフランス映画って。
夫婦愛を試す嘘。
伝説の音痴なオペラ歌手フローレンス・フォスター・ジェンキンスを主人公にした映画が今年メリル・ストリープ主演で公開されるが、この「偉大なるマルグリット」も同じ歌手をモチーフにしている。ただこちらはあくまでもモチーフであり、ストーリーはオリジナルとなっている。私の単純な発想で考えると、音痴なオペラ歌手のドラマと聞けば、ついついハートウォーミングなコメディ・ドラマを想像してしまうが、フランス映画がそんな芸のないことをするはずがなく、確かに音痴な歌手という面白さを利用するシーンもあるが、マルグリットを笑いものにするような低俗な喜劇は一切取り入れず、意外とシビアに物語を綴っているあたり、実にフランス映画らしい解釈が随所に見られる感じでこれはこれで好きだった。
主人公のマルグリットは自分が美声の持ち主だと信じて疑わないが、そんな彼女の幻想を壊さないようにと、周りの人間が嘘をついて(真実を告げないことも嘘の一つだ)あげている、という可笑しみと悲しみがこの映画の一つの構図。つまりは子供に「サンタクロースは存在するよ」と信じさせようとするのと同じ。主に夫は、妻への愛も冷めはじめ、浮気もしているし、妻の歌声が酷いということも分かっているのだけれど、ずっと嘘を吐き続けている。その苦悩と沈痛が丁寧に掬い取られていて、夫の存在がよく効いた物語だった。
この映画は、きっと夫婦愛を試す物語だったのだろうと思う。決して情熱的に愛し合っている夫婦ではないし(夫には愛人がいるし)、「歌」というものに対する考え方で言えば2人が真逆の方向を向いているような夫婦だった。けれど、大勢の観客の前で歌おうとする妻を止めさせたい夫の願いも突き詰めていけば、決して妻から歌を奪うためではなく、妻が自分らしく歌うための願いだったとすぐに分かる。妻が歌を愛し、歌が妻の人生だと知っているからこそ、マルグリッドに対して一緒に優しい嘘をついてくれる内輪の仲間の前だけで歌わせてきた。情熱は冷めたけど、また違う愛がきっとこの夫婦にはあったのかな、とじんわり思うとうれしいような余計にやり切れないような。そんな定型通りではない「夫婦愛」で成り立っていたはずのマルグリットのユニークな歌声が、若い記者と画家に発見されてしまったことで、夫の願いと妻の幻想が打ち砕かれるまでのカウントダウンが始まっていく切なさと哀れさ。最後の大舞台のシーンは、安い感動などではなく、寧ろ憐憫や皮肉として鋭く捉えた残酷かつ切ないシーンだった。分かり易い感動やカタルシスはないけれど、逆にそれがフランス映画らしくていいんじゃないかと思ったりもする。
この作品でついにセザール賞を受賞したカトリーヌ・フロが、善良で愚鈍なマルグリッドをチャーミングに演じていてとても良かった。困った女性だけど絶対に憎めない魅力に溢れていた。
彼女のほしかったもの。
1920年代のフランスが舞台です。第一次世界大戦後の時代です。
資産家のマルグリットは、オペラを愛しており、たびたび仲間内の会合でその歌声を披露してきましたが、音痴なのです。面白い感じの音痴です。声量はあるのに音程が取れないという人みたいです。自称コロラトゥーラソプラノ。夜の女王のアリアを意気揚々と音程はずして歌う姿はいっそすがすがしいものがあります。
ある日、マルグリットの自宅パーティーにもぐりこんだ若い(というには白髪の目立つ)批評家と芸術家が、彼女の強烈な歌を面白がり、援助をもくろんで批評家が好評と取れるレビューを新聞に載せます。マルグリットは大喜びで批評家に会いに行く。そんなところからお話が始まります。
マルグリットの求めていたものについて、ずっと考えながら見ていました。美しくすばらしい音楽をよいと思える耳があるのだから、自分の歌を聞けば酷い事は分かるだろうに、そうしなかった・できなかった、意図・理由がわかりません。語られないからです。
ですが、悲しい人だなと思いました。夫は自分に興味を示さない。夫に聞いて欲しくて歌うのに、聞こうとしてくれない。多分抱いてもくれないのだろうし、実際夫は友人と不倫にいそしんでいるし。その寂しさを晴らすためなのか、寂しさに気付かないようにするためなのか、オペラの舞台装置や衣装を集め、本物の衣装を着ては撮影会にはしゃぐ毎日を送っています。そんな妻をみて、夫のうんざりする気持ちも理解できないではないですが、ならばハッキリ言えばよいのに、体裁なのか、妻のお金が惜しいからなのか、直視を避けて他の女に逃げるだけ。破綻した夫婦そのものです。
マルグリットは、いい人です。朗らかで、心から音楽を愛しているだけ。歌いたいように歌いたいだけ。ただ、聴いて欲しい人には聞いてもらえなくて、いつも悲しい。
批評家と芸術家にけしかけられ、マルグリットはパリでの催し(たしか戦争否定・国家否定の内容だったような)で意気揚々と国家を歌います。その結果、地元のクラブから追い出されます(戦争孤児を支援する団体だったかな?)。歌う場所とコミュニティを失い、それでも髭を生やした女占い師や、道化師を演じた男性歌手に勝手に励まされ、歌の特訓をしてリサイタルを開こうとします。道化師を演じた男性歌手を教師にしますが、この流れは笑いました。断ろうと思ったのに、執事に性癖をネタに脅され、いやいや教師になります。執事のマルグリットへの忠信と献身と、変態性(マルグリットの写真にエロスを感じている?かと思えば髭の女とヤってる!など)が、面白かったです。
歌は全然うまくならないまま、そして夫の不倫を知って悲しみに打ちひしがれながら、それでも念願のリサイタルが始まります。相変わらずの音痴(このときは声も張れなかった)にざわつく客席。しかし曲の途中で夫登場。突然、マルグリットの歌声は精気を帯び、音程も取れているように聞こえます。でもたった数小節でその奇跡は消えてしまい、声を出せなくなって倒れてしまいます。
ここまでを見ていて、ああ、夫の気を引くために、夫の愛を確かめるために「わざと」ずっと下手に歌っていて、夫が見てくれたからちゃんと歌えるようになったのかなとおもい、なるほどなるほど、と思ったのですが、そうではない感じで続いていきます。
倒れて入院したマルグリットは、どうやら妄想を本格的に信じちゃっている感じだということが分かってきます。医師との会話を録ったものを聞くと、自分は大物オペラ歌手で、夫と愛し合っていて、ということを滑らかに語っております。幻の中に幸せを見出してしまったのですね。それがいつからなのか、分かりませんが、つらくてつらくて、自分が作った夢の世界の喜びに逃げてしまったのかなぁと思いました。
最終的には治療の手段として、自分の酷い歌を録音して聞かせる、一種のショック療法が取られます。うれしそうに蓄音機の前に座ったマルグリット、やはり思いとどまって聞かせまいと走る夫、でも聞いてしまったマルグリットは倒れる。
ここで唐突に映画は終わります。そろそろフランス映画にもなれましたので、聞いて倒れて終わるなという予感がしていたのでそんなに驚きません。この突然の幕切れをなぜフランス映画が多用するのか、知りたいようなそうでもないような。
夫は、マルグリットを彼女が望むようには愛せないけれど、全く気にかけていないわけでもないです。マルグリットの望みに気付きながら、それにこたえる気が起きなくて、それにちょっと傷ついてもいる様子です。不倫しておいて、僕もつらいねんという態度は、私は了承しかねるんですがね。ですがほんのちょっと、シンパシーは感じました。
悲しいお話です。どうしたら、マルグリットと夫は幸せになれたのでしょうか。せつないです。
音楽はオペラに詳しくなくても知ってる!っていうメジャー曲が多かったです。
あのイボ痔
もっとコメディ色全快の作品を想像してたら、流石はフランスとでも言うべき陰湿で悪趣味なジョークとも取れない映画だった。
普通の音楽映画ならクライマックスは圧巻の演奏や喝采が待っているが、ド下手くそな歌と失笑が待っている。
実話を基にしてるらしいが、実に不憫な描かれ方だ(笑)
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落としどころなし?
予告編の影響だろうか。
もっと明るくコミカルな内容を想定していた。
しかし、調子外れの歌以外はかなりシリアスだった。
ヒロインのおばさんは掴み所がなく、
音痴を承知の上での行動かとも思われた。
しかし、話が進むに連れてそうではないことが分かる。
夫は彼女を怪物呼ばわりで不倫中、
近づいてくるのは金目当てのグズばかり。
唯一執事のみが心から彼女に愛情を持って対応する。
ヒロインの行動は常軌を逸しているが、
その瞳の奥には常に悲しみを宿している。
救いようがない状況の中、
ラストのリサイタルに向け徐々に雰囲気が変わってくる。
夫の愛を取り戻し、周囲の共感を得て、
猛特訓の末に歌も急激にうまくなってリサイタル大成功!
そんな陳腐なラストにはなるまい、と思いつつも、
途中ロッキー的な雰囲気も漂った。
どう落としてくれるのだろう?とワクワク感すらあった。
だが、結局のところよく分からなかった。
あれで落ちたのだろうか。
私はすっきりしないままだ。
宣伝が大ウソ。実際には老人虐待映画
まず大前提として、本作はコメディでは無い。全編通して暗い、陰影の濃い美しい画面作りはさすがヨーロッパ映画というべきか。それだけに画面が深刻になりすぎて笑いどころと言われる彼女の歌唱シーンも笑えない。つまり本作を笑って泣けるコメディだと思って見に行くと手痛い目にあう。
がこれは配給会社の小細工であって映画そのものの落ち度ではない。しかし映画そのものも僕は個人的に気に食わない。フランス人のインテリはアメリカがとても嫌いなのだろう。フランスのアニメ映画ベルディブランデブーでも露骨にアメリカを風刺するシーンがあった、しかしこれに比べればいいほう。
この作品ではフランス人の高邁な精神性がとても好きな人に合うだろう。
今年の自己ベスト10に入る作品かな?
これこそ、映画だ!大いに腹を抱えて笑って、そしてその後、ホロリと泣ける。
映画を観た後は、人生について考える。
愛について語り合う事が出来る作品、これぞ映画の楽しみです!
実在した歌手にヒントを得て創作された作品だと言うけれど、これが例えフィクションであろうとも、観ていて観客を明るく幸せな気持ちにさせると同時に、ヒロインの真摯な生き様とその行動力と勇気に心酔出来る秀作だ。
この映画のヒロインマルグリットとは、有り余る金と貴族の夫と言う名誉も持ち、物語の描かれている1910代の世の中にあっては、当時持てる物の全てを持っていた筈の理想のヒロインだ。
自分の大好きな音楽を利用して、サロンコンサートを日々行い、戦災チャリティーをする事で、社会参加も積極的に行い、当時の上流階級の女性の中に於いては、決して他に類をみない、まるで夢のような理想の幸せな人生を生きていたように見える。
だが、現実の彼女の気持ちは、世間の羨望とは真逆で、孤独と苦しみ人生と言うヒロインの葛藤が克明に描かれていて本作は素晴らしい展開だった。
映画の始まりから終わりまで彼女の陰鬱な表情を捉えている事も印象的だった。
そして映画は、彼女が最も愛し、最も人生に捧げている全ての愛の対象である夫と音楽の才能と言う彼女にとり最も必要不可欠な二つの存在に限って、手に入らない運命にある。
ここに観客で有る私達一般庶民の悩みや、葛藤がピタリと彼女の苦しさと重なる。
マルグリット自身はだが、決して尻込みをせずに、むしろ徐々に大胆に先へ先へとその手を伸ばして行くのだ。彼女自身がその事が最も困難な道だと知りながらも、自己の人生で一番大切な愛を得る為の探求を諦める事はない。その真摯な姿勢が痛いのだが、滑稽な彼女の奇声として表現される事で面白、可笑しく作品として笑える様に創られている。
丁度時代は、劇中でも登場したチャップリンの無声映画全盛時だが、かつてチャップリンは「人生はクローズアップで観たら悲劇だが、ロングで引いて観たら喜劇だ」と名言した。
ヒロインがいくら、生粋の音痴でもこれ程の酷い音痴に本人が些かも気が付かないと言う事はない。
彼女はそれを知りつつも尚、自己の大切な存在を得る為に挑んで行ったのだ。
これこそ、本当の喜劇で有り、悲劇ではなかろうか?
だが、人々は彼女のそんな生き様に影響を受けて変化して行くのだから!
マルグリットの人生に乾杯だ!
彼女の人生に喝采を送りたい!
始まりは若き画家のキリルと新聞記者のボーモンは彼女を利用しようと擦り寄るが、しかし、徐々に彼女の一途な生き方に心を奪われていくボーモンの姿に観客は自分を重ね合わせる事だろう!
ハリウッド映画と違い、フランス映画は、やっぱり琴線に触れる巧い映画が有るものだ!
心地よいオペラを聴こうと思ってはダメ
全編、マルグリットのオンチな歌声でいささかうんざりしました。ハッピーエンドで終わるのかと思いきや、結末がお粗末と言うか、哀れで。自分がオンチである事を終始理解できない?普通わかるでしょ⁉︎ こんな非現実的な設定でありながら、結末が余りにもむごすぎて。
何系の映画…?
この話の顛末、なんか理解不能。
愛に寂しいマルグリットの一途な想いに感動すればいいのか、周りの損得勘定な人々に同調すればいいのか、サイコな執事になびけばいいのか、予想外な展開に放り出された感じ。
音痴だけど人気があったという実在の歌手がモデルらしいがかつての昭和のアイドルみたいなもん?
全編通して主人公の寂しげな眼差しが印象的だった。
とにかくマルグリットが愛らしくてステキでした❤
とにかくマルグリットが愛らしくてステキでした❤
あんなに歌が下手なのに、結局の所たくさんの人達に囲まれて過ごせたのは、マルグリットの人柄でしょうか。
最後のリサイタル中、ずっと愛を感じられなかった旦那さんと目が合い美しい歌声に変わった時が、マルグリットと旦那さんが初めてつながった瞬間だったのでしょう。涙が溢れてとまりませんでした。
最後、録音した自分の歌を聴いてしまったマルグリットはどうなっちゃうんだろう?
以前に比べて、少しは旦那さんの愛情も出てきたし、最悪の状況になってなければいいなと思いました。
貴方だけは真実を言ってほしかった・・・
お気に入りのフランス人女優カトリーヌ・フロの新作『偉大なるマルグリット』、実在した「音痴の歌手」に着想を得た物語、ということだったが、恥ずかしながら、観るまでは、「音痴の歌手の実際の物語」と思っていました。
1920年フランスの郊外。
第一次大戦も集結し、マルグリット・デュモン男爵夫人(カトリーヌ・フロ)は、豪華な自宅のサロンで戦災孤児のためのチャリティ音楽会を度々開催していた。
呼び物はマルグリットの堂々たる歌いっぷり。
パリの新聞に音楽評論を執筆するボーモンは、左翼芸術家の友人と件のサロンに潜り込み、マルグリットの歌声を聴いたが、それはとんでもなく音痴だった・・・というハナシ。
この冒頭だけだと、「知らぬは自分ばかりなり・・・」といった勘違い主人公によるコメディ映画みたいなのだけれど、さにあらず。
実は、悩める女性の物語。
音痴に悩んでいるのでは、ありません。
彼女は、だれも真実を言ってくれないことに悩んでいる。
いやいや「だれも」ではなく、真実を言ってほしいのはただ独り。
夫のデュモン男爵だけが、自分と正面から向き合って、真実を言ってくれればそれでいいだけなのだ。
彼女は、自分が音痴なのをよく知っている。
映画の冒頭で、それをさらりと描いており、その描きかたが上手い。
冒頭に挙げたサロンでの音楽会で歌い終わったあと、彼女は自室へ戻り、鳥様の仮面をつける。
夫はいつもと同じく外出し、事故を口実にして、その場に居合わせない。
他の面々は、他室に逃げ込んでいるか、終わって心にもないお世辞を言うばかり。
だれも、自分につけた仮面を剥ぎ取ってくれない・・・
そういう演出だ。
ここがわかれば、この映画、グンと面白くなる。
ボーモンと左翼芸術家に祭り上げられたマルグリットは、どんどん過激になって、果てはパリの大会場で歌う羽目になってしまう。
このあたりになると、マルグリットは自己分裂を起こしているかのようで、「真実」を告げ欲しいために自己嫌悪を持ちつつも人前で歌うのか、それとも自己陶酔を持ちつつ人前で歌うのかがわからなくなってきている。
このパリの大会場でのリサイタルシーンは見応えがある。
それまで、マルグリットが歌う際には同席しなかった夫のデュモン男爵は、会場に足を運び、観客が哄笑爆笑するなかでも、マルグリットを見つめ続ける。
すると・・・
マルグリットの歌うアリアが、ほんのワンフレーズだけ、譜面どおりに高らかに歌い上げるのだ。
それも、それまでとは打って変わった澄んだ美しい声で。
おぉぉ、なんということか!
だが、それも束の間、マルグリットは喀血して舞台に昏倒してしまう。
ここから先も、大きな展開があるのだけれど、それは書かない。
貴方だけは真実を言ってほしかった。
自分と正面から向き合ってほしかった。
そういう映画。
エンディングもなかなか見事な幕切れ。
年頭に観た『ヴィオレット ある作家の肖像』と並んで、見応えのあるフランス映画らしいフランス映画でした。
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