劇場公開日 2016年3月26日

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「不器用に現代を生きる女の子のおとぎ話」リップヴァンウィンクルの花嫁 めいさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5不器用に現代を生きる女の子のおとぎ話

2017年4月12日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

泣ける

悲しい

 この物語は、現在の日本社会を生きる、とある不器用な女の子のおとぎ話だった。

 前半は、主人公の結婚とその失敗、転落を描く。
 皆川七海(黒木華)は派遣教員をやっているが、仕事は安定せず、友達も少なく、人生停滞気味。そんな時、SNSで知り合った鉄也との結婚話が持ち上がり、上手くいかない仕事から逃れるかのように彼と結婚する。主人公の結婚式に出席できる親族が少ないことを鉄也から咎められ、七海は「なんでも屋」の安室(綾野剛)に結婚式の代理出席を依頼して式を挙げる。しかし、新婚早々に鉄也が浮気し、義母から逆に浮気の罪をかぶせられた七海は家を追い出されてしまう…。
 七海にとっての現実世界は過酷で、幸せを求めて進んだはずが、彼女はどんどん不幸の沼へと沈んでしまう……。
 手持ちカメラを使用した撮影は、常に不安定な彼女の立場を表すかのように、淡々と進んでいく日々を映しとる。特に結婚式のシーンは印象的。新婦というその場の主役であるはずの七海を映すカメラの位置は遠く、あくまでも彼女が主体性を持って式に出ているのではないことを示す。感動的な親への手紙のシーンですら、寧ろ他人事のような空虚さがつきまとう。
 そして、このように流されるままに結婚した彼女は、浮気の濡れ衣を被され、家を放り出されて、迷子になるのだ……。

 だが、そんな前半の現実世界とは一変し、後半はおとぎ話のように、きらきらと繊細で鮮やかな日々が描かれる。
 東京という大都会の森を彷徨っていた七海は、まるで魔法使いに別世界へ誘われるかのごとく、安室によって、月給100万円という好条件の住み込みのメイドの仕事を紹介される。夢のような大豪邸で、七海は変わったメイド仲間の真白(Cocco)と共に暮らすことになる。
 洋館での生活は、現実感が無く、白昼夢を見ているかのよう。大きなリビングに、緑の濃い庭、クラゲや蛸やサソリが飼われているペット部屋。
 二人は橙色の夕陽を背景に一緒に自転車で出かけたり、瑞々しい朝の空気の中で庭で水を撒いたりと、「メイドごっこ」生活を楽しむ。二人を捉えるカメラは、前半とは打って変わって鮮やかで、柔らかい。特にクラゲの水槽ごしに二人の姿をソフトフォーカスで捉えるシーンは、実に幻想的。
 そんな洋館での生活を送るうち、七海は真白と友情を深めていくが、ある事をきっかけに、一見破天荒な彼女が持つ危うさと、彼女の抱えている秘密を知ることになる。そして、この夢のような生活の裏に別の真実があったことが発覚する……。
 真白が七海にとってかけがえの無い存在となったある日、たまたま通り掛かったウェディングドレスの店で、真白と七海はウェディングドレスを買う。花嫁になった二人の女の子は、まるで本当の結婚式を挙げるかのごとく幸せな一日を過ごす。だが、その時、実はおとぎ話の終わりが近づいてきていた…。

 七海の不器用さとピュアさを体現した黒木華、どこまで素か演技か分からない危うさを演じたCoccoの、二人の演技が素晴らしいのは勿論のこと、安室役の綾野剛の得体の知れなさも凄かった。おとぎ話に出てくる魔法使いの如く、物語におけるトリックスターとしての役割をしっかり果たしていた。

 タイトルの基となった『リップ・ヴァン・ウィンクル』(Rip van Winkle)とは、1820年に発表されたワシントン・アーヴィングによる、アメリカ版「浦島太郎」的ストーリーの短編小説だという。
 その名の通り、この映画は、一人の女の子が竜宮城のごとき豪邸で夢の生活を送り、最後には現実へと戻ってくる話だった。
 だが、浦島太郎とは違い、最後に主人公の七海の元には、真白と送った日々の証拠が手元にきちんと残っていた。真白の存在は彼女の中で永遠となって、七海を前へと進ませようとする。映画のクライマックスは、いつもと同じ日常が戻って来たようで、だが七海のなかには確実に変わった何かがあることを示唆する。そんな希望に満ちた終わり方だった。

■余談。生まれついてオタクの私は、実は重度のサブカルオシャクソアレルギーを持っているため、公開時、岩井俊二監督作品というだけでこの作品を避けていた。その為観るまでに一年もかかってしまった。鑑賞中にじんましんが出たらどうしようととか、余計な心配しながら観たのだけど、結果として観れて良かった。鑑賞後、食わず嫌いは良くないなと思い、このレビュを認めたのでした。

めい