ディーパンの闘い : 映画評論・批評
2016年2月9日更新
2016年2月12日よりTOHOシネマズシャンテほかにてロードショー
社会問題を見据えながらも描かれる、任侠映画とも通じるやさしさの美学
昨年、カンヌで前評判の高かったライバルたちをさしおいて大賞に輝いた本作。結果を報じる記事にはどこか“番狂わせ”といったニュアンスも漂っていた気がする。
半年を経てそんなパルム・ドール受賞作「ディーパンの闘い」を実際に目にしてみると、同じジャック・オディアール監督作品で2002年のカンヌ映画祭に出品された「預言者」が大賞を逃したのにこちらが受賞? と、ちょっとだけ意地悪をいってみたくもなった。なるにはなったが、だからといって映画に磁力がないなどとは毛ほども思わない。確かにオディアールの映画の歩みの中で最高の傑作ではないかもしれない。が、移民、難民の経験をしぶとく多層的に見据え、素材がつきつける真摯な現代性、その切迫感に突き動かされるようにある種のラフさを話の運びの勢いともしてみせたオディアールの新たな一作を貫く試みの心、そのスリルはやはり見逃し難い。
スリランカの内戦の混乱を逃れ夫と妻と娘という家族になりすました3人。パリ郊外でそれぞれに新たな暮らしを遂行しようとする中で、嘘から出た真を手にしていく“疑似家族“。その在り方は「天使が隣で眠る夜」以来、繰り返しオディアールの映画がみつめてきた人と人との関係の要に他ならない。そうしてその寒色の世界にふっとたちのぼるよそもの同士のやさしさ。例えば家政婦となった“妻”が団地の一室でドラッグ密売を取り仕切るまた別の移民の“ファミリー”を束ねる青年とかわす何気ないやりとり、そこに流れるやわらかな時間。あっけなくそれが覆された時、“家族”を守る家長ディーパンを突き動かす戦士の過去の形見の闘志。その爆発の鮮やかさと苦さもまた任侠映画やノワールとも通じるやさしさの美学だろう。世界の今と向き合いつつも自らの世界を曲げない映画の逞しさが素敵だ。
(川口敦子)