ロブスターのレビュー・感想・評価
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運命を共にする覚悟はあるか?いやガタガタ屁理屈こねてんじゃねえ
私ごとだが、ブログのほうで宣言したひとつが早くも崩れようとしている。
婚活をレポートすることができなくなったのだ。理由は一つ。
そう、今の俺には大事な女性がいる。
「ロブスター」
ロブスターの知られざる生態に、不老不死、というのがある。脱皮時に臓器も新しくなるという驚異の新陳代謝があるからという話だ。しかも食欲も性欲も減退しないという。
その生態は俺たち人間にとってどう映るだろうか。
本作の世界では、独身者はホテルに半ば監禁状態で一定の期間内にパートナーを得ないと動物にされてしまうという。その世界から逃れようとする独身者を狩るとその猶予が伸びる。主人公は、その際、どの動物にされたいかを問われ、ロブスターと答える。
彼にとって、不老不死の生態は何を意味するか?
このホテルでは、せっせと男女の肉体的なふれあいを刺激することで、パートナーのあっせんを行う。この部分はかなり性的表現が激しい。もちろん、あえての演出だ。「生殺し」などとっても効果的なはずだ。
だが、ここにいる独身者はいちいち理屈を垂れて、なかなか進まない。
ここに登場する独身者はわかりやすく、それぞれ欠点を持っている。足の悪い男、滑舌の悪い男、鼻血が簡単に出る女。いちいち理屈は垂れるが、欠点の共有、共感、あるいは優越感を感じることで「ようやく」腰を動かす(もちろん、まじめな意味で)。
要は理屈ばっかり垂れる独身者にさっさと身を固めろと。だが、このホテルでは、動物になることも決して悪いことではない、とも言っている。
がたがた言わず、赴くままに生きろと。独身者の人間性は「がたがた言うこと」に終始している。
中盤、主人公はいったんはパートナーを見つけるが、「合わない部分」が見えると態度を急変し、逃げ出す。もちろんその「合わない部分」は映画では相当な出来事だが、とにかく彼は逃げる。
そのうち、彼は独身者のある集団に合流し、そこで共感を得た女性と親しくなる。彼女は「近視の女」として、欠点をもつ。
次第に二人は熱がこもる。だが、独身者集団は、その二人を許さない。「独身者集団」だからだ。二人に与えられた罰は、「欠点の増幅」であった。その集団からなんとか二人は脱出したが、二人が、そして主人公が選んだ選択は果たして。
ここで主人公のロブスターの生態を望む理由がはっきりする。
不老不死は、「覚悟はいらない」。
つまるところ、そういうことだろう。一人のうのうと生きていたいのだ。
今の俺には、この映画はとても重い。最近ほとんど映画は彼女とみてきたのだが、さすがにこれは一緒にみると、俺は何も話せなくなっただろう。だが一人でみても、これは重い。そして痛い。
追記
不条理コメディ、ということだが、なんの、ホテル側の主張もわかりやすいし、独身者集団の在り方も、そして主人公の考えも明確。きわめてまっとうな物語。
屁理屈こねる独り者への手痛い風刺。実に見ごたえがある映画。
しかし、この映画の持ち味である不条理感があまり面白いとは思わない。音楽も若干うるさすぎる。
1人より2人がよろしい!世界
「聖なる鹿殺し」を見て、ヨルゴス・ランティモスの他の作品はどうなのかと気になって見ましたが、発想がユニークで楽しく鑑賞できました。主人公デビッドは同じく、コリン・ファレルです。
独身者であることは、この世界ではすでに「罪」であり、独身者、配偶者を亡くした人、離婚した人などが施設に強制連行されて45日以内にパートナーを見つけることを強要されます。期間内に相手をゲットできなかった人は、なんと、動物にされてしまう・・・というルール。
結構、芸が細かくて笑っていまいました。
パートナー探しの制限期間は45日
晴れてお相手が見つかった場合ダブルルームで2週間、様子み
その後ヨットで2週間暮らす
双方で解決できない問題が生じた時は子供が派遣され問題解決につなげる
独身者1人を狩りすれば、制限期間が1日延びる
冷酷で血も涙もない女性(デビッドの相手になった人)は最高192人、独身者を捕獲したとか!?
いろいろな規則が数字で設定されて管理されているというのが数字で評価や結果を出す現代をちくりと風刺しているようでもありました。
足の悪い男の人(ベン・ウィショー)の演説が始まる
母がオオカミにされてしまった。母と会うために動物園に行ったら多くのオオカミが寄ってきた。どのオオカミが母だとわからなかったので、とりあえず、持ってきた肉をみんなに与えた。檻を開けたらオオカミが襲ってきたが、そのうち、2匹だけは自分を襲わなかった。おそらく、母はその2匹のうちの1匹でしょう。何気ないエピソードだけど、おかしくてたまりませんでした。
デビッドは兄(犬)を冷酷女に殺されて、すぐに破談か。
その後、森に逃げ込み、カルトのような独身者の集団に加わるも、恋愛禁止の環境なのに皮肉にも近視の女性と恋に落ちてしまう。
近視の女性は独身者たちのリーダー(レア・セドゥ)にだまされて手術によって失明してしまう
そして、デビッドと近視の女性(ワイズ)は2人で駆け落ち。食堂に逃げ込んだ2人。デビッドは自分も盲目になろうと、目にナイフを突きつけようとするが・・・ここでFin。
デビッドが目をナイフで刺したか刺さなかったかは、あまり問題にしていないのかも。人間らしく生きようと思っても、これだけ難儀な世の中になってしまったのだということを提示して終わったのかもしれません。
筒井康隆の近未来SF小説みたいで、本当、興味深いです。
必死に共通点を探したり相手に合わせようとする登場人物の行動が面白い
必死に共通点を探したり相手に合わせようとする登場人物の行動が面白かった。コリンの友人が鼻血女のためにわざと鼻血作ったり、コリンがショートヘアの女性の性格に合わせて不良っぽい言動と行動するのはコントみたいで笑える。
「私たち合うわ」温泉でショートカットの女性がコリンファレルに窒素したフリをして、コリンが助けず意気投合するシーンは1番笑った。側から見たらサイコパスだよ。相手が好きそうな好みに合わせて、無理に悪ぶってるコリン可愛い。
好きな人との共通点ってそんな大事なのかな?確かに共通点あった方が仲良くなりやすい気はするけど、あくまでスパイス程度で全てじゃない気がする。
私が今まで仲良くなった女性を思うと、まったく共通点が無くても親密になれたパターンもあるしなぁ。あと共通点は逆に無い方が仲良くなりやすいって聞いたこともあるし、この辺は実際どうなのか気になる。
最後目をナイフで突き刺そうとするシーン痛すぎて直視できなかった。結局刺した後は見せずに終わり、血だらけで目が潰れたコリンを見ずに済んでホッとした。愛する人のためとは、自分の目を潰すのは無理だなぁ。
YKK
何とも生きて行きにくい世界、どちらにしても。パートナーがいないといけない世界といてはいけない世界。どちらもルールが厳し過ぎる。中盤は意味が分からず長ーく感じた。最期は春琴抄
奇妙なお話
うーん
メルヘンだけど不気味
なるほど。こういう世界が『ディストピア』と言うんですね
観ていて戦々恐々としました。
なんじゃこりゃ!?って…。
国のトップの人たち、国民の恋愛や結婚にまで
首突っ込まんでください、ほんとに(滝汗)
ホテルの、なんて言うの?
レクリェーション? ホテルの人たちの
「シングルはいかに不安で(わかる…)
パートナーがいたら、いかに安心か」
を演劇みたいに見せてくるシーンは
不謹慎だし少し笑いそうになったけど
やっぱり不快だった…。
(唐突に女性を乱暴するシーンいらんですよ、
露骨に視聴者をホイホイ??しようとするの
やめてくだされ監督)
その反対の森のルールも頭が痛くなりました。
チミら、極端から極端へ走るの何とかしなさいって汗
…息苦しいったらありゃしない。
なんだってそんなに頭ガッチガチなん…?
おら、こんなホテル嫌だぁ♪
おら、こんな森嫌ダァ♪
動物の国へ出るダァ♪
もし動物さになったら 目に寄生虫付けて
ニシオンデンザメになるだぁ♪(がぁ!)
……ごめんなさい。
ラスト。主人公、どっちの道を選んだんだろう…?
あえて見せない作り方、面白かったです。
発想は面白かったです。
でも人には勧めたくない
ヘンテコ〜な映画でした…苦笑
超クソまじめなSF 恋愛と条件について人々に再考する機会を提示している
冒頭 車を運転する女性は、いったい誰なのだろうか?
ナレーターの女性だと思っていたが、それは主人公が森で愛した女性だということがわかる。何故か冒頭の女性はそれ以降登場しない。
雨の中、女性が車を走らせて降りた場所にいたロバ。彼女は沈黙の中でそのロバを射殺。ただその映像が流れ、衝撃的なこととこの作品の謎が一気に膨張する。
SFならではの変わったルールに支配されている世界。それが求めているのが何であれ、この女性の心中が示すように、「この世界」の中では決して折り合いはつけられないというのを強烈に提示している。
面白いのは、SFにありがちなスターウォーズのオープニング字幕のように、最初に条件が示されて始まるのではなく、徐々に何が求められている世界なのかがわかる点だ。
独身者を排斥する社会。どんな理由であれ独身になればホテルに連行され、新しいパートナーを作る必要があるが、そこにはルールが設定されている。
まず二人とも同じ特徴があることが必要で、考え方もシンクロしなければならず、パートナーに対する嘘は罪で、罰が課せられる。 この世界における愛の条件だ。
期限は45日間 それを超えると好きな動物に転身させられる。
主人公の男は情のない女と結ばれるものの、彼女のあまりにも情け容赦ない行為にこれ以上嘘はつけなかった。
主人公はホテルを脱走して独身者が集う集団へ入ったものの、そこでのルールは真逆で、決してカップルになってはいけない。つまり「人を愛さない」こと。
主人公はそこである女性を好きになってしまう。その女性がこの作品のナレーションをしているのだ。
そもそも主人公は妻に捨てられた。他に愛した男ができたのだ。
最初に妻の視点で主人公との会話が始まり、続いてナレーションがその後の主人公の動きを追跡している。
この主人公二人の特徴は「近視」そして相思相愛だとお互い認めることで、一般社会ではカップルとして成立するが、独身者の集団ではそれは禁止行為だった。
やがて二人の関係がばれ、彼女は騙されて病院へ行き失明させられる。
それでもどうにかしてそこを脱出して町へ行った二人。
主人公は自分も失明すればカップルとして成立すると決心し、カフェのトイレで自分の目をナイフで突こうとする。彼女は一人カフェのソファに佇んでいる。
作品はこれで終了する。
さて、
解釈は複数あるだろうが、まずは主人公はトイレから逃げたとする説。自分の目など突けないからだ。
そこで冒頭のシーンに戻る。
彼女は何らかの事情でロバを射殺した。
彼女はそのロバの特徴を知った上で射殺した。ロバはパートナーだった人物、あるいはパートナーの浮気相手かもしれない。彼女がホテルに連行される直前の行為だったと思われる。
多種多様性がある人間性をある一定の型枠で納めることなどできない。昨今のジェンダーもそうだが、「○○ねばならない」だから「それに反することはダメだ」というものの考え方の上に、このおかしなルールが存在するSF世界があるように思う。
だから主人公の男も「ルール」は絶対だと考えている。彼女に近づく男が「近視」かどうか疑う。
このルールなるものが人間性を型枠に閉じ込めているのは歴然であるにもかかわらず、それに抵抗しようとしない構図は、現代社会のことであろうか?
次に、主人公は目を突くことなく彼女を連れて外へと出たという説。
理由は、彼女がナレーターをしているからだ。彼女そここの世界の案内人であり、記録者だ。そして、やがてこの世界の変なルールが撤廃されたのだ。こちらの方が希望が持てる。
しかし、
ホテルのメイドと独身者のリーダーはなぜ内通しているのだろうか?
二人の会話だけフランス語だったことから、出身が同じだからか? 少なくともこの二人はこの世界のルールに抵抗している。
やがて独身者の集団はホテルを襲う。目的はみな嘘をついてカップルを演じていることを認めさせること。
そしてまんまと支配人カップルの虚偽をあらわにしたが、鼻血癖のカップルは、共通の特徴の必要性を無視した。「嘘の鼻血でもお前にとやかく言われる筋合いはない」このように思っていた彼らのことが、主人公のルールは絶対という思い込みを変えたのかもしれない。
人は誰もが本当と嘘の中で生き、それでも二人の間では「折り合い」をつけているのだ。
結婚がいい例だろう。恋愛と結婚は違うというが、結局はお互いに「折り合い」をつけることで成立している。
この作品は恐ろしくまじめにこの「恋愛」について人々に考察させ、ここにルールを適用した世界がいかにディストピアかを提示しているように感じた。
愛を証明させられる愛なき世界
独身者は拘束され、45日以内にパートーナーを見つけなければ動物にされてしまう。
あまりにもシュールな設定に笑ってしまうが、物語が進むにつれて何とも言えない気持ち悪さを感じる作品だ。
離婚され独身となったデヴィッドは、犬にされてしまった兄と共にホテルに収容される。
そこには同じように独身の男女が集められており、彼らは期限が来るまでパートーナー選びをするか、もしくは人間を狩ることによって期限を先延ばしにすることも出来る。
不思議なのはパートナーが決まってもそのまま合格とはいかず、その後も厳しいチェックが待っていることだ。
その基準はそこに愛があるかどうか。
しかしその愛の基準も変わっている。
お互いに愛していることよりも、共通点があることの方が大事なようだ。
鼻血が出やすい体質の女に取り入るために、わざと顔をぶつけて鼻血を出して、自分も同じ体質であることをアピールしようとする男もいる。
期限の迫ったデヴィッドは慈悲のかけらもない冷酷な女に接触し、自分も同じタイプの人間であることを示す。
が、女に兄を殺されたことで感情を抑えきれなくなってしまう。
彼はホテルを脱出し、レジスタンスのグループに加わる。
そこでのルールは逆に恋愛することを禁じるというもの。
しかしデヴィッドはそこで近視の女と出会いお互いに恋に落ちてしまう。
二人の関係に気付いたリーダーの女は彼らに罰を与える。
デヴィッドは視力を奪われた女と共に逃走するが、彼は彼女への愛を証明するために、自分も失明するという選択を強いられることになってしまう。
描かれている内容は決して難解ではないが、この映画のテーマは何なのか考えさせられた。
警察が町中で一人でいる者に対して、既婚者かどうか職務質問をする姿も不気味だ。
この世界では必ず男女はペアでいなければならないらしい。
しかもそこに本当の愛があることを求められる。
言ってしまえばリア充以外は排除されてしまう残酷な世界だ。
この映画のラストでデヴィッドが視力を失ったのかどうかは明かされない。
彼女と同じになるために視力を失うことは本当に愛なのか。
もしデヴィッドが怖気づいて逃げ出したのだとしたら、それも残酷な結末だ。
背中の手の届かない所に薬を塗ってくれる人が近くにいると有り難い
「哀れなるものたち」→「女王陛下のお気に入り」、そして事前情報ゼロで「ロブスター」に来ました。とても面白くのめりこんで見ました。素晴らしい俳優陣の揃い踏みにも大満足でした。
前半は、う~むと思いつつ絶対ないとは言えない話だと思った。少子化だとか結婚したがらない若者たちとか親だか国だか警察だかが大きなお世話で何かしようとする。すればするほど反旗を翻す「独身王国」地下=森組織ができる。恋愛禁止、独身こそが素晴らしいとまた訳のわからないルールを作ってリーダーだか指導者だかグルが偉そうに見張る。そしてそこで恋が生まれる。ジョージ・オーウェル『1984』と同じ世界だ。
後半は、私にとってはコリン・ファレルとレイチェル・ワイズの美しいラブストーリーだった。最初は言葉を介さずに思いを伝えあう(合図が多くて複雑過ぎるので自分だったらこんがらがって絶対覚えられない!相手と喧嘩しそうだ!と笑いたかった。でも笑うの我慢した)。次は見えないながら愛を確かめあう。春琴抄、小栗判官と照手姫の話のようでもありオイディプース神話でもあった。
生きてゆく上での元気をもらうことができた。
なぜ、このような一見、不条理な映画を観て元気をもらうことができたのだろう。根底には孤独な魂がある。
ヨルゴス・ランティモス監督の出身地であるギリシャは、確かに空も海も青く澄み渡っているが、乾燥していて土地も狭く、経済的には恵まれない人も多い。何より、ギリシャ悲劇を背景として、不条理劇を多く産んできた。このギリシャ・ローマを源流とするヨーロッパ社会は、個人こそが生存の単位であり、それぞれが孤独な魂を養いかねていることが出発点。
この映画では、少子高齢化が進み、伴侶と家庭を持ち子孫を残すことが義務付けられている近未来が背景(第一の社会)。妻に逃げられたデビッド(コリン・ファレル)は、近未来社会のルールにより郊外のホテル(第二の社会)に送られ、45日以内に新たなパートナーを探すことになる。様々な制約がある中で努力するものの、なかなか上手くゆかない。期限を過ぎたら、自分で指定できるとはいえ希望する動物に姿を変えられてしまう。そこで、独身者たちが隠れ住む森の中へと逃げ込む。そこには強い女性のリーダー(レア・セドゥ)がおり、恋愛禁止のルールが聳えていた(第3の社会)。信じがたいことには、ホテルの住民は週に一回、森の独身者たちを麻酔銃で襲撃することができ、首尾良く捕らえることができたら、一人につき1日ホテルでの滞在日数が増える。そんな中で、デビッドは森の中で理想の女性(近眼の女:レイチェル・ワイズ)に巡り合う。
この映画のどんなところに惹かれたのだろう。近眼の女は、デビッドと恋に落ちた罰として失明を余儀なくされるが、あの谷崎潤一郎の名作を思わせるシークエンスが出てくる。この映画で、最も清冽な場面。
もう一つは、何と言っても使われている音楽。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番第4楽章の断続音は、不条理な場面が出てくるたびに繰り返され、心に突き刺さる。あのドアを強烈に叩くような三つの音の繰り返しが、孤独な心を呼び覚まし、困難と立ち向かえと励ましてくれたのだろう。一方、ところどころで聞かれるギリシャの素朴な歌は心を癒してくれる。特に久しぶりに聞いた、1957年ソフィア・ローレンの出た「島の女」で使われた歌。懐かしい。このような歌がでてくるところは、最近復活して、フィンランドのロックンロールや日本の歌を聞かせてくれるアキ・カウリスマキの映画を思わせる。
この映画を観て、不条理が孤独な魂に力をあたえてくれることが初めてわかって、我ながら驚いた。
現代のスマホ社会へのアンチテーゼ?
なんとも不思議な世界観でよく分からないが惹き込まれる作品。
原作者は何を伝えたかったのか?
受け止めは人それぞれだろうけど、現代のスマホ社会へのアンチテーゼと感じた。
みんな同じような服を着て、ホテルに集められ相手がどんな趣味嗜好か、どんな容姿かを元に恋愛相手を探し出す。
感情よりは条件で相手を探す方法は、マッチングアプリで相手を探す様子そのものだ。
ホテルに入って最初に片手を拘束されるのは、片手でスマホを拘束されていることのメタファーと受け止めた。
一方、森でワイルドな生活をするステージでは、恋愛は禁止され、独裁者に支配され、狩をして生き延びる世界。
(狩られる動物は、ホテルで動物にされた人?)
ホテルでの綺麗な服を着て、美味しいものを食べ相手を探す世界とは真逆の不自由な世界が描かれるが、主人公はそんな中、直感的に好きな相手に惹かれていく。
相手もまた同様に。
相手の女性は恋愛禁止の掟を破ったことで、目を潰されてしまうわけだが、主人公はそれでも相手を支え続け、二人逃亡する。
最後は主人公も自ら目を潰そうとする場面で幕が降りるわけだが…
マッチングアプリで上辺で恋愛相手を探す現代の恋愛より、不自由でも自然に惹きつけあって見つけた恋愛が真実の愛だ。と伝えたかったように感じた。
最後に主人公は自分の目を…
ほーん
独り身は変わってるよね、何かと老後大変なのにね、
という、パートナーがヘテロであれホモであれいるべきとする社会を究極まで極端に描写した感じ
パートナーを見つけるための養成所としてのホテル
見つからなければ動物に生まれ変わる
独り身を決心した人間をハントする生活
中途半端も許さない(靴のサイズに0.5刻みはない。バイセクシャルは許さない)
主人公は選ぶとすればロブスターになりたい。長生きしたいし精力も持ち続けたいと言う。
ホテル内では極端にまでパートナーとの共通点を重要視する。
鼻血が自然と出る子に合わせるために顔をぶつけて鼻血を出す。
感情のない女性に合わせて、隣で窒息しそうになる相手を放っておく。結果その窒息も演技だった。
感情のなさを確かめるために犬になった兄が蹴り殺される。
主人公は悲しまないふりをする。
やはり自分は独り身がいいのだと決意してパートナー候補を動物に変えた挙句ホテルを脱走。
独身至上主義の集団に属する。森の中で恋愛禁止。自分の墓を事前に作っておく。
皮肉なことにそこで運命の相手と出会う。
近視であることすら共通点となる。
リーダーがそれに気付き近視の眼球を手術して盲目とさせる。
そうするとやはり違いが浮き彫りになってくる。
どうやら血液型も違ったしドイツ語も話せる側と話せない側がいる。
ただ最終的にはなんと主人公も盲目になろうとする。
実際に実行できたかは明かさずまま映画は終了。
監督が描きたいこともなんとなくは分かるし、確かに効果的に描かれてるけど、
ほーん、で?という感じが強い。
ぶっ飛びぃ~!!
人間と動物、恋愛と自由
これは観る人を選ぶ作品。
設定はめちゃくちゃ面白い。
独身者はとあるホテルに監禁され、そこで45日以内にパートナーを探さなければならない。
見つからなければ好きな動物に変えられて、森に放たれる。
妻と別れた主人公のデビッドもホテルへ。
犬に変えられた兄と共に。
しかし、パートナー探しは上手くいかず、デビッドはホテルから脱走する。
逃げた先の森の中には独身者たちが。
そこは恋愛禁止の自由の楽園だった。
デビッドもその楽園で自由を謳歌するが、一人の女性と恋に落ちてしまい…
ね、面白そうでしょ?
キャストも容姿端麗で、雰囲気も素敵な映画。
ラストも最高。
それなのに、すごく変。
面白いのか面白くないのかよくわからんw
少子化が進む日本でも恋愛万歳の認識を改めて、いっそ恋愛禁止にしてみたら意外と効果があるんではなかろうか。
そんなわけないか。
面白かったです(前半は)
奇妙な設定に惹きつけられて、前半部分は面白く観ました。
ただ、主人公デビッドの人物造形に感情移入できないので、彼の恋愛にも全く興味が持てないのです。
よって、後半の「恋愛が主軸」となる物語が私にとってはさして面白くはなく、惰性で見ることになりました。
前半の奇妙な勢いのまま話が転がっていればよかったのですが。
『聖なる鹿殺し』の方が私は面白いと思いました。
ヘンテコ世界が描く愛ってやつ
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