ロブスター : 映画評論・批評
2016年2月23日更新
2016年3月5日より新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにてロードショー
ハマる人にはたまらない、ランティモス監督が仕掛けるブラックコメディの怪作
ギリシャ映画「籠の中の乙女」のヨルゴス・ランティモス監督が初の英語作品を撮り上げた。コリン・ファレル、レイチェル・ワイズ、レア・セドゥら豪華キャストが集結しているが、メジャーへの色気などカケラも感じさせないゴリゴリの怪作である。
舞台は美しい湖を望む瀟洒なホテル。世の中では「独り身」であることが法的に禁止されており、妻と離婚した中年男デヴィッドは他の独身者とともども強制的にこのホテルに連行される。
ホテルでのルールは45日以内にカップルとなる相手を探すこと。期限までに見つけられなければ特殊な手術で「動物」に変えられてしまう。パートナー探しに失敗したデヴィッドは、逃亡して森の中で暮らす「独身者」の集団に身を寄せるが……。
と、あら筋をまとめようとしてみたが、改めて「なぜ?」の嵐である。「伴侶が見つからなければ動物になってもらいます、好きな動物を選べます、動物になったからといって不幸とは限りませんよ」と、序盤から奇妙なルールや価値観が次々と明かされて当惑が止まらない。
思えば「籠の中の乙女」も奇妙な物語だった。郊外の一戸建て住宅で、両親から「家の外は危険」と教え込まれて育った子供たち。「犬歯が生え替わるまで外出禁止」「外に出るとネコに食い殺される」。理不尽なマイルールが支配する小宇宙を描いたブラックコメディはもはやランティモス監督の十八番芸だ。
しかし「籠の中の乙女」と同様、「ロブスター」の語り口も静謐かつ真剣そのもの。観客は疑問符を必死につなぎ合わせて、この映画は「人間関係」や「愛」にまつわる哲学的な考察に違いないというアイデアにたどり着く。
暖かい家庭という規範が奨励され、運命の相手と出会えれば幸せになれると信じ、愛こそすべてという理想を夢見る。本作の歪んだ世界も、われわれが生きている現実と本質的には変わらないのではないか?
さて、ランティモスのタチの悪さは探求よりもかく乱を目的にしていること。人間は1人では幸せになれないのか? なぜ誰かと繋がろうと考えるのか? 愛とは自己愛の変形に過ぎないのではないか? 次々と命題を放り投げて、ランティモスは観客が混乱するのを明らかに楽しんでいる。
真実なんて一過性の錯覚に過ぎないと言いたげな作風は好き嫌いが分かれるだろう。しかしランティモスは斜に構えているわけじゃない。右往左往がやめられないわれわれ自身をまるごと肴にして、面白可笑しく自嘲しているのだ。この灰色の笑いがツボにハマる人には、「ロブスター」は一瞬も目が離せない愉快なコメディとして機能するはずである。
(村山章)