スティーブ・ジョブズのレビュー・感想・評価
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For the times they are a-changin’. 時計じかけのAppleは電気父娘の夢を見るか?
Macintosh(1984)、NeXTcube(1988)、iMac (1998)という3つの新製品発表会の舞台裏を描くことで、Appleの創業者スティーブ・ジョブズの人物像に迫る伝記映画。
監督/製作は『トレインスポッティング』『スラムドッグ$ミリオネア』の、オスカー監督ダニー・ボイル。
主人公スティーブ・ジョブズを演じるのは『X-MEN』シリーズや『それでも夜は明ける』のマイケル・ファスベンダー。
ジョブズの”仕事上の妻”、ジョアンナ・ホフマンを演じるのは『タイタニック』『ホリデイ』の、オスカー女優ケイト・ウィンスレット。
「Apple Ⅱ」の開発者でありジョブズの無二の親友、スティーブ・ウォズニアックを演じるのは『カンフー・パンダ』シリーズや『宇宙人ポール』のセス・ローゲン。
娘を巡って争うジョブズの元恋人、クリスアン・ブレナンを演じるのは『トランス・ワールド』『インヒアレント・ヴァイス』のキャサリン・ウォーターストン。
第73回 ゴールデングローブ賞において脚本賞/助演女優賞(ウィンスレット)を受賞!✨
不世出の天才スティーブ・ジョブズ。2011年に膵臓癌で亡くなってから、とにかく沢山の劇映画やドキュメンタリーが作られてきた訳だが、本作もその中の一つ。
ちなみに2013年には全く邦題が同じ伝説映画(監督:ジョシュア・マイケル・スターン、ジョブズを演じたのはアシュトン・カッチャー)が公開されており、ややこしいったらこの上無い。こういう時こそ独自性のある邦題が必要だと思うのだが…。
実業家やIT関係者からは神様の如く尊敬されているジョブズだが、個人的には全くと言って良いほど彼の事を知らない。知っている事といえば…
・いつもおんなじ服を着ている。
・ヨガとか禅が好き。
・同じ名前の相棒がいる。
・ぐうの音も出ないほどの畜生。
ってことくらい。
Apple社についても興味がない。Beatlesのアップル・レコードの方が何倍も馴染みがある。…つっても、このレビューはiPhoneで書いてるんだけどね。
とまぁ、1㎜も知らないに等しい状態でジョブズの伝記映画を鑑賞してみた訳だが、思いの外楽しむことが出来た!最初の方こそ馴染みのない人名や出来事が雪崩のように出てくるので混乱したのだが、それらについては割と丁寧に説明してくれているし、何より情報の整理整頓がキチンと為されているため物語を見失ってしまうような事態にはならない。…まぁそれでも初見でわからんところがあって、後から見返したり調べたりしたんだけどね。
著名人の伝記映画といえば、何者でもなかった若者時代から始まり、だんだんと事を成してゆき、最終的に成功ないしは破滅を迎える、というのがセオリー。
しかし、本作のスタート地点はすでにApple社が家庭用コンピュータ「Apple Ⅱ」により成功を収めた後の1984年。ジョブズとウォズニアックの出会いとか、Apple Ⅱの開発秘話とか、インドへの瞑想旅行とか、アタリ社での下積み修行とか、その辺の盛り上がりそうなエピソードはスパッと省いてしまっています。
また、映画のスタート地点もさることながら、その構成もなかなかに特徴的。脚本術の基本の基として知られる「三幕構成」ですが、本作はその三幕がめっちゃくちゃわかりやすい。第一幕「Macintosh-1984年-」、第二幕「NeXTcube-1988年-」、第三幕「iMac-1998年-」と、ジョブズの人生のターニングポイントとなった3つの商品のお披露目会直前が、同じような時間配分で描かれる。
綺麗に三幕に分かれていたり、意地悪な大金持ちが最後に改心したりと、ディケンズの「クリスマス・カロル」(1843)を意識しているのであろう脚本になっており、伝記映画でありながらただの再現VTRには留まっていない、作家性の見える物語作りには大いに満足することが出来ました。
脚本を担当したアーロン・ソーキンはフィンチャー監督の『ソーシャル・ネットワーク』(2010)でアカデミー賞を獲得している凄腕。彼の手に掛かれば碌でもないIT実業家の半生でもクラシックな趣のある劇映画になってしまうんだから不思議。
ザッカーバーグ、ジョブズと来たんだから、次はもうイーロン・マスクしかないっすよねソーキンさん!
ウォズニアック、女房役のジョアンナ、Macintoshのプログラマーだったアンディ、元ペプシのおやっさんスカリー、そして娘のリサ。
基本的にはそれぞれの時代でジョブズとこの5人がやりとり…というか口論を行う、それだけの映画である。構成といいスケール感といい、舞台劇を観ているような気持ちになる小品である。しかし、時代ごとに各人の置かれた立場や関係性は大きく違うわけで、それを順々に見ていくことでジョブズの人間性に迫っていくという手法は大変スマート。サスペンス要素も含まれており、観るものを退屈させない。
また、会話劇ではあるがジョブズは常に忙しなく動き回っているため映画には動きが生じている。登場人物たちに自然なアクションを付けることで会話劇にありがちな停滞感をなくす。この辺りの手腕はさすが名匠ダニー・ボイルといったところでしょうか。
本作が掘り下げるのは、ジョブズとリサの親子関係。ジョブズの最も人間臭い部分にスポットを当てているといえるでしょう。
ただ、ここの描き方には少々違和感もある。父娘の関係が修復される様を見せようとするあまり、母親であるクリスアンの物語が第三幕では完全にオミットされてしまっているのである。ジョブズが良き父親になった一方で、クリスアンは精神的に不安定な女性のまま放り出されしまっており、これはあまりフェアーとは言えない。彼女に対するフォローも必要だったのではないだろうか。
もう一つ気になるのは、ジョブズの妻とその子供の存在がマルっと無視されているという点。ジョブズは1991年にローレン・パウエルと結婚。3人の子供たちに恵まれる。本作ではその辺のことを少しも描いていないため、てっきりジョブズにはリサしか子供はいないのかと勘違いしてしまった。
88年から98年の間に3人も子供が生まれたんだから、そりゃジョブズの子供に対する意識だって変わる。そこを無視してリサとの関係性の変化を描くことは出来ないんじゃないか、と思わん事もない。
また、父娘関係に焦点を当てるがあまり、ウォズニアックとの関係性の描き込みが中途半端になってしまっているように感じられた。結局、彼との確執は最後まで解消されず仕舞いなわけで…。リサとの絆が生まれたから万事OK、とはいかんのではないでしょうか。
別に劇中で仲直りしなくちゃいけない、というわけではない。ただ、不和のままで決着をつけるのであればそれ相応の描写は必要だったのでは?
すごく距離が近づいたかと思いきや、次の瞬間にはバチっと離れる。兄弟にも似たこの2人の関係性はとても印象的なものであり、正直リサとの仲よりもウォズとの仲の方が気になってしまった。あの腕時計のシーンとかすごく良かったのに、なんだかフワッとしたまま終わってしまったのはすごく残念だった。
…あ!俺はリンゴ好きだよウォズ!「オクトパス・ガーデン」は誰がなんと言おうと名曲だよ!
父娘の物語に帰着させた点には少々不満もあるが、一本の映画としてはなかなかに見事。全く知らなかったスティーブ・ジョブズの事を多少なりとも学ぶ事が出来たし、満足の行く鑑賞体験となりました😊
…にしても、ジョブズってプログラマーでもデザイナーでもなかったんすね。ウォズが宮崎駿だとするとジョブズは鈴木敏夫、ウォズが鳥山明だとするとジョブズは鳥嶋和彦ということか。そういやなんか雰囲気もこの人たち似てるな…。
天性のプロデューサーと恐怖政治を敷くサイコパスは紙一重。そんな人間の下では絶対に働きたくないでござる(´・ω・`)
何度でも戻ってくる
セスローゲン演じるウォズが、何度も戻って来る所が良かった。あんなに激しくやり合ったら二度と会わないのが普通。それなのに各時代ごとやって来ては罵り合う。それがウォズの魅力でもあり、そうさせてしまうのがジョブズの魅力なんだなあと思った。
疑似父スカリーとの「お前がオレを捨てんだ」「いやお前のほうこそ」という罵り合いのあと訪れる凪のような関係。父性の克服。そのあとの娘とのやりとり。父親になりたくなかった男の変化。
この映画、伝記がどうのというよりも人間ドラマとして面白かったなあと思う。個人的には大好きな映画だった。
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劇場で見てた時、一つ残念なことがあった。
通路を挟んで隣に座っていたお若いカップルが、早口のセリフの応酬に飽きてしまったのか、二人してスマホを見始めた。しばらくして後ろの席の人に注意されて出て行った。
上映中スマホを見るのは勿論ダメだけど、彼らの関心のなさも何となくわかる。決して難しい映画じゃないけど、なんか敷居高い感じがする。構成の妙や、映画として凝っている所(16mm・35mm・デジタルの使い分けなど)も、興味ない人には「だからなんなの?」という感じなのかもしれない。
「PCをオタク以外でも使えるようにしたい」そんなポピュラリティを持ったジョブスの映画だからこそ、関心ない人にもリーチできる大衆性がもっとあっても良かったのかなと(それだとカッチャー版になっちゃうかもだけど)。今さら言ってもしょうがないけど、最初監督に予定されていたフィンチャーだったら独創性とポピュラリティを両立できたのかなあとも思った。
「人」を観る映画
通学路にある映画館で発見し、見たかったので鑑賞しました。
スティーブ・ジョブズの業績は誰もが周知のものと言っても過言ではないでしょう。Stay hungry.Stay foolish.は僕の母校の学生手帳に格言として載ってました。現にこれもiPhoneで書いてます。
でも、この映画はジョブズを英雄視せず、1人の人として捉えた映画と感じました。ここまで生々しく描かれた伝記映画は中々ないでしょう。あえて全て語ろうとはせず、非常に凝縮された時間、人間関係に焦点を当てた変わったドラマです。
すごくスタイリッシュで緻密で知的な映画でした。脚本と演出が素晴らしく、さらに演じた俳優陣が非の打ち所がないほど素晴らしいです。この映画でマイケル・ファスベンダーのファンになりました。
音楽家は楽器、私はオーケストラを演奏する
映画「スティーブ・ジョブズ」(ダニー・ボイル監督)から。
作品の中で、こんなセリフがある。
「前に小澤征爾にあった。すごい指揮者だ。技巧も表現もね」
さらにジョブズが「指揮者とメトロノームの違い」を訊くと、
小澤は「音楽家は楽器、私はオーケストラを演奏する」と
答えたらしい。
また、ジョブズと一緒に開発をしてきた仲間が、こう呟く。
「君はプログラムも書けない。デザイナーテーでもない。
釘も打てない。基盤は僕が・・Macは他人の業績。
なのに、なぜジョブズは天才だと言われる?」と。
その楽器でいい音を出しているのは、楽器演奏家なのに、
脚光を浴びるのは、いつも指揮者だ、という不満かも・・。
それを受けてか「君は何をした?(What do you do?)」と
問い詰められた時、サラッと言う。
「オーケストラの演奏さ。君は音楽家としては一流だ。」
小澤征爾さんが答えた台詞が気に入っていたのだろう。
だから、自分が全ての楽器を完璧に演奏できなくてもいい、
今、求められている人物は、個々の力を引出して、
全体としていい音を出す指揮者のようなリーダーだ、
そう言いたかったのだと思う。
「スティーブ・ジョブズ」を一言で表現するとすれば、
間違いなく「オーケストラの指揮者」だな。
ジョブズが嫌い
もともとジョブズの人間性とアップルの方針が嫌いなので、この映画で別の側面が見えるのかと思ったけど、だいたい知っていることだったし、人間的に好きになれないな。
理想の父親になれる自信がなかったから認知しなかったなんて、クズ人間としか言いようがない。
売れる物を提供する能力は凄いが、人間的に嫌いなものは嫌い。
吹き替えで見たい
しゃべるしゃべる。
映画の8割ぐらいは字幕を読んでた気がする。
おかげで画面全体は見れず、内容に集中できなかった。
できれば吹き替えでもう一度みたいな、と思うけれども吹き替えはやってないのね・・・
私が文字を読むのが遅いというのもあるかもしれないけれども
読むことに必死で「なぜ今言い争いが起きているのか」が不明な部分もちらほら。
最後の発表会直前のスカリーとジョブズの言い争いがそれ。
なぜやめさせられたかーみたいな内容??
とはいえよかった部分もたくさんある。
まず絵の構成。
最初のマッキントッシュの発表会時の映像はフィルムの、まさに当時の映像を彷彿させるかのようなざらざら感。
そして2部はそれがちょっとキレイになりつつもまだ未完成。
3部はざらつきも気にならないほどのキレイさ。とはいえ2016年の映像技術ほどキレイにしていないのがまた良い。
次にジョブズという人間の内側の描かれ方。
自分の信念は変えず、人にも無理を押し通す。
娘は認知せず(実際違ったわけだけれども)自分のことだけ。
そんな印象を最初には与えつつも徐々に人のことも気にかける様子がちりばめられてくる。
それがピークに現れるのは3部の発表会直前の一人で机にうつむいているシーン。
リサに抱きつかれたシーンが1フレームずつまばらに入ってあるのはジョブズの脳裏にちらついている様子が感じられた。
そしてラストの外でリサと対面しているシーン。今まで「コンピューター会社は時間厳守が命」とエンジニアに直す時間を与えなかったジョブズが、リサと話している最中「遅れてもいい」なんていうとは。
終盤だからこそ、変わったなーと印象深い。
で、結局ジョブズの性格とかもろもろはわかった。
この映画は日本語版キャッチコピーの「口先一つで世界を変えた男」というのがずるい。絶妙にずるい。正直このコピーがなかったら見ていなかった。
けど発表会が始まってからはカットだし、iPhoneやiPodとかのアップル社の売れた主力はノータッチで、スティーブジョブズが何を変えたのかはいまいち伝わらない。
実際まくし立てている内容はジョブズのわがままばかりで「何がそんなに大切なのか」はわからない。ジョブズの胸の内。
そして「口先の何がすごいのか」もわからない。
ウォズの「What did you do?」は「それな!!!!」って感じ。
もうちょっとジョブズの背景とか勉強してから見れば違う見方ができたのかな。
最後だけちょっと人間味
三度の新製品発表会が始まる前だけを切り取って構成しています。
入れ代わり立ち替りの会話会話会話…
白人男性を見分ける力の弱い私はけっこういっぱいいっぱいでしたよ。
また製品の話はさっぱりで…
ネクストキューブってやつはアップル製のものじゃないんですね。
ラストで言ってた1000曲をポケットに!は、やっと使ったことあるApple製品です。
今はiPod始まりのiPhoneユーザーですし。
パソコンは今でもWindowsですけど。
公式?伝記を読んでたらもっとわかったのでしょうが、ついていくのを諦めるかどうかギリギリの難しさです。これで今Apple製品使ってなければなら絶対ついていけなかったですね。
ファスベンダーは1998年のジョブズがよく似ていたと思いました。
ケイトウィンスレットはだんだん若返ったきがしました。
横暴さが半端ないジョブズが、なぜあれほど人好きしないいやーなヤツなのかの背景は詳しくは描いてないですが、育成歴に鍵がありそうな感じでした。
リサを、どうやら愛しているけど親らしく愛せない様が見てて情けなくおもいました。
最後に屋上で少しだけ彼を応援できました。
リサの母もなんか良くない感じでしたけどね。
Apple2のスタッフに謝辞を!ってゆうのが15年経っても諦められない、受け入れられないってのが、わからなかったです。
ちょっと何が主眼なのかよくみえなかったんですけど、娘の存在と、製品...
ちょっと何が主眼なのかよくみえなかったんですけど、娘の存在と、製品への飽くなき探求の2つが大きな軸だったのかな...
話のオチがいまいちよくわからなかったし、母親がすごく悪い感じで書いてあってびっくりした
ジョブスに似てる…
主演俳優がジョブスにそっくりです。時間経過が二回あるのですが、特に最終ステージ、I-macの発表の時のジョブスは本人に思えます。
膨大なセリフ量に対して、感動が少ないです。人間ドラマが薄いのです。みな上手い俳優なのでなんとか耐えられますが、セリフが空をかいているだけで、虚しく感じる時が多かったです。ジョブスがなぜ人との触れ合いを恐れるのか、愛情表現が下手なのか、ジョブスの影をもう少し掘り下げればガラリと深いドラマになったのに。
演出は脚本のアラを補足するどころか、シーンバックを増やしてむしろさらに分かりづらくしている。
できればデヴィッドフィンチャーで観たかったな…
ロックミュージシャン
ビジネスの世界でなければそう呼ばれる人なのだろう。この人を神様とあげつらってるのは、林檎使いか、何も知らない中小企業の中間管理職位で、この人を“天才”だなんて評価することは全くの間違いだ。
そんな“ミュージシャン”の苦悩と栄光、挫折と克服を、まるでシェークスピアみたいな英国的演劇のペーソスで描いている作品である。
製品というもの、そのものは結果ではない、この人にとってはそれは通過点でしかなく、最終的には『文化』という雲のような抽象を産み出そうとしているのではないかと思う。だからこそ普通の人が妥協するモノを拒否し、友人、娘、三顧の礼で招いた仕事上の先輩等々、その全てを敵に回してもそれでも自分の信念を変えない偏屈。
病的と言ってもよいその性格がカリスマを作り出す。本当にやっかいな仕組みだと思う。
屋上で娘と和解した際、娘の持ってるWALKMANをみて、そんな煉瓦みたいなものではなく、もっとスマートなもので、それ以上の楽曲が入ってるものを作ると言ったそのセンスこそがこの人物を如実に物語ってるのではないだろうか。
あくまでもプレゼン前のあのゴタゴタはフィクションなのだろうけど、本当にあるいみこれは舞台で芝居で観るのが適してる、そんな作風に仕上がっている。意図したものだろうけど・・・
コンピュータをヲタクにだけのおもちゃにしない、他の白物家電と同等にする、それには一切ガワを開けさせないという発想そのものは、やがて“iPhone”という携帯電話に昇華することで、結実を向える。おもちゃではなくカルチャーとして。
起業と企業は違う。そこは押えておかねばならない。
楽しめた。
ジョブズについてはそんなに詳しいわけじゃないけど、ごく基本的なエピソードについて知識が有ったんで楽しめた。自分にも年頃の娘がいるんでラストはホロリだった。全く予備知識無しで行ったらアカン映画だね。全編会話、会話だし。
チケット売り場で後ろに居たカップル、男が時間をみて「なんでもいいや、スティーブ ジョブズ?じゃ、それ観るか。」2時間苦痛だったんじゃない?
まあまあだった
ほぼ発表会だけで構成していて、お話としてはあんまり面白くなかった。マイケル・ファスベンダーが最初全然ジョブズに似てなかったのが、だんだん似ていくのがちょっと面白かった。
ジョブズが里親に見捨てられたことがある、気の毒な里子であったことはショックだった。
娘の母親が浪費家で、娘を出汁に金をせびりに来ていて、それでギスギスするのは他人事ではなかった。娘が大人になって叱られていたのは羨ましかった。
諍いが全部「オレは正しい」の主張合戦で聴くに堪えなかった。
新潟では上映予定がなかったため上京して見たのだが、新潟で上映がないのは別に問題じゃない感じだった。
へえ、そうなんだ。
良くも悪くもスティーブ・ジョブズという人が描かれてる。
空前の話題をさらってったiMacが発表されるまでの。
舞台上の彼と舞台裏の彼を描きながら。
どこまで本当なのか確かめる術もないのだが、まあ、形容しがたい人物像だった。
よく言えば初志貫徹、悪く言えば独裁者だ。
自分が提唱したものを変えない。
彼が押し通した基本理念は開発当初から抱き続けたものだった。
まるで、自分以外の者は理解できないのだと断定するように。
だからこそのカリスマなのか…。
プライベートでは平穏な日々なんて無いんじゃないのかと思う程トラブル続きだ。
家族からは憎まれ、友達からも遠慮され、孤高の天才を地でやってるような。
そして驚愕なバイタリティー。
プレゼンの前に吹き出す諸問題。
彼が常日頃から抱えてた問題が吹き出す。
…メゲるぜ、毎日あんなのと向き合ってたら。
でも、彼は止まらない。
まるで、世界の命を握ってるかのような確信と神の声でもきいたのかと、確約された未来を持ってるのかと思う程、自分の理想に突き進む。
まあ、そんな思考の持ち主なのでトラブルは当たり前といえば当たり前。
およそ、右向け右の思考から一番遠い人物だ。
あなたにとっての幸せとは何ですか?と聞いてみたい。
「そんなもの追い求めた事がない」とか言ってほしい。
iMacまでの、ジョブズ
スティーブ・ジョブズといえば、世間一般的には、菜食主義の人で、ちょっと変人の金持ちで、iPod の生みの親で、家族がたくさんいる瘦せこけた男というイメージなのではないか。この映画では、あえてiPod 以前の、自ら作ったアップル社を追い出されてしまう寸前の若きスティーブと、ネクスト社を作っていたころのスティーブ(ピクサーも育てていたがそのことは無視されている)と、再びアップル社に迎えられたころの三人のスティーブを描いている。もちろん、ただ歳を重ねてゆくだけで、ひとりの人物の物語である。基本的には、性格が悪く、嫌な奴である。本編では、なぜそのような性格になってしまったのかを解き明かそうとしている。あるいは、スティーブ自身にその性格の謎を解き明かそうとさせている。そしてそれは、最後までじっくりと見ることが出来た場合、ある理由にたどりつけるものの、伝記を読んでいない一般的観客の場合、どれだけ理解できるか不明だ。まず彼が、養子としてそれなりに苦労して育ったこと、実父がシリア人であったこと、スティーブ・ウォズニアックという天才エンジニアのもうひとりのスティーブがいたこと、リサという隠し子がいたことなどを理解しておかねばならない。そしてアップル社がアップルⅡというマニアックな製品から始まったことも。
何故か惹かれる・・・
つまんないだろうなと思って観ましたが、これがなかなか私には面白く感じました。
マイケル・ファスベンダー演じるスティーブ・ジョブズがなんとも魅力的で・・・❤
酷い事をしているんだけど、何故か惹かれる、そんな感じです♪
最後、リサに対しての行動も胸を打たれました☆
グダグダ
兎にも角にも眠かった。発表会の舞台裏トークばかりで、字幕ばかり見て目が疲れるわ。それに、娘のリサをクローズ・アップしすぎてる。3つの時代(1984、1988、1998)しか無かったしな。
ジョブズの生い立ちから亡くなるまで...かと思って観ると、痛い目に遭うわ。
リサが9歳時にMac paintで描いた線がiMacの発表会で使わ...
リサが9歳時にMac paintで描いた線がiMacの発表会で使われたところで泣けた。 私は、これに人生を捧げてきたんだと。 許せちゃうかなぁ、ジョブズ。
人格破綻ツンデレジョブズ
構成がとても凝っていて、ジョブズの転機となる3つの発表会(Mac, NeXT, iMac)の発表前の舞台裏が順に出てくる。
発表会そのもののシーンは出ないところ、スクリーンの裏側の映像を印象的に示すところから、この映画はスティーブジョブズの「裏側」をテーマにしている、という意図が明確に分かるようになっている。
それだけに、ジョブズの「表の面」について、知っていることが前提になる映画。ジョブズの人生や、彼と関わる人物、アップルの歴史、コンピューターの歴史などを知らない人にとっては、ストーリーやセリフの意味が理解できないだろう。
ジョブズは、思い込みが激しい、自分の思い通りにならないと気がすまない、現実を自分の都合の良いように解釈してしまう(現実歪曲)、人を思いやることができない、人に感謝を伝えることができない、人をうまく愛することができない、そんな、人格破綻者として描かれる。
そんな、ジョブズの負の面をメインにしつつ、そんな人格破綻者である彼に、なぜ多くの才能ある人達が協力することができたのか、というところが徐々に明かされていく。
ジョブズは、素晴らしいものや人物に掛け値なしに惹かれ、熱くなれる。その、自分の「素晴らしい」と思う感性を微塵も疑わない。多くの人間は、そんなに完全に素晴らしいと思う、自分だけしか分からない感覚を信じ続けることができない。
また、ダメなものは絶対に妥協なくダメだと言って、意見を曲げないことも、彼の魅力の1つだろう。なぜなら、彼に認められた人は、彼が決してお世辞を言わないことを分かっているから。
この映画は、人格に問題のある彼が、人間的に成長していく物語でもある。そのきっかけは、常に娘から与えられている。娘との関係が、ジョブズの他人との関係に象徴されている。
最後に、ジョブズは彼の人生の中でずっと出来なかったことである、自分の不完全さや過ちを認められるようになる。
ジョブズに対しては、経営や先見性などの面で英雄像だけが一人歩きしがちなので、こういうダメで人間臭いジョブズは面白い。
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