サウルの息子のレビュー・感想・評価
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観る価値はある一本。
ゾンダー・コマンド、収容所で死者を葬る者。恥ずかしながらその存在を知りませんでした。
それを知ることができただけでも観る価値はあった。
しかし…。
カンヌ受賞作品とはいえ、私はハマらなかったです。自分の命を守るため同胞たちを葬る役割に甘んじていながら、自身の信仰に基づいてなのか、息子(かどうか微妙なのですが)の死というものに対する肉親としての感情に基づいてなのか、「正しく弔う」為に自身の生命や同僚達の異論も省みず、ガツガツ行動をする主人公・サウル。
その行動に至る源泉に共鳴することができませんでした。
自分の命に執着することに固執してろよっ!、と私は思ってしまって。
人間は簡単に割り切れないモノ、といわれてしまえばそれまでですが。
自己中をテーマにした映画
他の方が書かれているのであらすじは省くが、重い背景が下地になっているので正直、泣ける映画だとは思わないし、良い映画か悪い映画かも難しいところだと思う。
感情や目線を強調した撮影技法が素晴らしいとか、ピックアップされた「1944年のある日」がノンフィクションで救いようのないストーリーになるってネタバレなト予告編が良いのか悪いのか僕には分からない。
ただ、僕は登場する能動的なユダヤ人全てに有り余る人間らしさ、もっと言えば「生」に対する執着を感じた。勿論、その執着が側から見れば自己中であったり、周りの人の運命を大きく変えてしまう大ポカであったりするワケなのだが、場面場面で考えて行動した人たちを誰も責められはしない。
作中、ナチはユダヤ人を部品と呼ぶ描写があるが、彼らは間違いなく人間であったのだ。
ラストシーンの笑顔が印象的
正直ちょっと難しい。少なくとも私には。この作品に込める監督の想いが、どこまで自分に理解できたのかなと思ってしまった。
セリフも会話も少ない。最低限の知識は必要。たとえば「ラビ」とはどんな人たちを指すのか?とか。
印象的だったのはラストシーン。サウルが一回だけ見せた笑顔。その裏にはどんな意味が隠されていたのか。。。。
地獄の底に人間性は現われるのか
第二次大戦末期のナチスのユダヤ人収容所施設。
舞台となるのは収容所とは名ばかりの虐殺施設(たぶん、アウシュビッツ収容所なのだろう)。
サウルはユダヤ人でありながら、ナチスのために働くユダヤ人。
彼らはゾンダーコマンドと呼ばれ、虐殺行為の一端を担っている。
しかしながら、生き延びることはなく、数か月で抹殺されてしまう運命にある。
ある日、サウルは他の収容施設から送達され、ガス室送りになったユダヤ人のなかに、息子の姿を見つける。
息子と思しき少年は、ガス室の中でも生き延びたが、まもなく、ナチスの手で殺されてしまう。
それまで、生き人形のように日々の労働をこなしていたサウルに、人間として生きる動機の一縷の綱が沸き起こる。
それは、息子の死体を焼却処理にせず、ユダヤ人として埋葬してやりたいということだった・・・というハナシ。
と、このように書くと、なんだかヒューマニズム溢れる映画のように思えるが、そんなことはない。
映画から発散されるのは、ユダヤ人収容所で繰り広げられていた非人道的行為に対する遣る瀬無さ。
ひいては、人間でいることすら拒否したくなる(せざるを得ない)情況である。
映画は、その非人道的行為を正面からは写さない。
常に、サウルの背後から垣間見るよう、サウルの後ろ姿にピントがあった画像で写していく。
よって、観客が観るそれらの行為は常にぼやけている。
ぼやけているが、行為は常にリアルである。
この演出には驚かされる。
それらのぼやけた行為を直視しようとし、しかし結果として目を背ける、いや観ないことを装う。
そんな効果があるのだろう。
なので、観客側は眼前で繰り広げられる非人道的行為に徐々に麻痺していき、サウルと同化する。
この映画の特筆すべきところは、この点である。
しかし、この演出にこだわるがゆえに、映画としての幅が狭くなってしまった。
サウルが感じる、息子と思しき少年の死体を埋葬することにこだわる気持ちが、真実かどうかあやふやなのである。
映画後半で、サウルには息子などいないと、周囲の人々から指摘されるている。
つまり、サウルはこの地獄のなかで正気を保っていたのか、いなかったのか。
これがよく判らない。
たぶん、巻末の結果から観れば、彼が正気を保つための自己欺瞞だと思われる。
とすると、息子のエピソードは、サウル自身の思い込み、よくいえば人間性を保つためのウソなのだろう。
そしてもうひとつ、サウルの息子の埋葬の執念と並列して描かれるのは、他のゾンダーコマンダーたちの叛乱の様子。
叛乱の企ての段階。
サウルは、この企てのなかで重要な位置づけにあるように描かれている。
先の、息子の埋葬がウソの世界ならは、この叛乱はホントウの世界である。
しかし、その企てについてもサウルの眼を通して描かれるため、何がどうなっているか、いまひとつ要領を得ない。
よく観ればわかるのかもしれないが、何故、サウルが叛乱の首謀者たちに重宝がられているのかはわからない。
ホントウの世界は、ただただ瓦解していくだけ。
で、映画としての幅が狭くなってしまったというのは、ウソもホントウも一緒くた、そんなことにこだわっていられない状況だ、ほら、そうだろう、というように映画が終始してしまったこと。
いま一歩引いて、物事を観る勇気がほしかった。
観ていて思ったのは、『炎628』。
非人道的行為は同じぐらいなのだが、あちらは少しだけ引いて観ていたように感じられました。
辛かった
映像に酔ったのか、内容に気持ち悪くなったのか、途中少し目を瞑ってしまった。映画館でなかったら見切れなかったから映画館で観て良かった。
去年「野火」を観た時に、ある種のファンタジー性を感じて、現実なのに現実と思えないような、本人にとって、あんまりな事態は、そうなってしまうのかもしれないと思った。
サウルの息子も、背景がぼかされ、何が起こっているのか分からないようなところに、放り出されてしまったような、さらに、自分が何をしているのかさえ分からなくなってくるような、そういうのは夢を見ている感覚に近いかもしれない。
野火の突き放された主観描写とはちょっと違って、サウルは自分の意思で行動しているように見えるけど、正常じゃないようにも見えて、かえって怖い。
本当に息子だったのか、最後の男の子はなんだったのか、分からなかったけど、本当に現実にああいうことが起きたということが一番非現実的に思えて恐ろしかった。
追記
町山さんのブログを読んで、とても納得して、改めて、凄い映画だったなと思った。
3/1(火)2回目 新宿シネマカリテ
最初と最後が繋がっていて、サウルはずっとあの世界の中に閉じ込められている、という見方、亡霊のように・・・
「息子」と呼ばれているもの
「息子」が主人公サウルの実の子であるのか否か、また、「息子」を埋葬することにこだわって周囲を危険に巻き込んで良いのか、といったあたりを取り上げた意見を見ると、ちょっと残念な気分になります。
そんなことはこの作品のストーリーの軸ではありません。
まず、「息子」とされている遺体が、サウルの実の息子などでないことは明白です。作品の中でちゃんと描かれています。
そんなことよりも、サウルがあの遺体を「まるで息子のように感じている」こと、そしてその埋葬にこだわり続けること、これらが何故なのかを考えるべきです。
次に、作中でユダヤ人たちが反乱を計画していますが、これがうまくいかないことも自明です。ナチスの強制収容所でユダヤ人が反乱を起こして成功したなんて歴史的事実を、聞いたことありますか?
反乱など決して成功しない。彼らは否応なしに殺される運命にあります。サウルにはそれがよくわかっています。
何よりサウルは、収容所で死んだユダヤ人の遺体が、その後どのように扱われるかを知っています。彼自身がその仕事に携わってきたのですから。
さて、サウルが「息子」と呼ぶ遺体の埋葬にこだわる理由です。
すでに様々な解釈が出ていますね。
埋葬にこだわることだけが彼の精神を支えていたのだ、とか。
町山さんは、収容所で殺された子供たちの象徴と見ていました。
これらに頷きつつも、ちょっと付け加えてみたいと思います。
誰かの息子とは、ある意味で、その人の分身でもあります。うつし身といってもいいでしょうか。
「息子」と呼ぶ遺体は、サウル自身の、死んだ後の遺体を象徴するものであり、また、収容所で死んでいくユダヤ人たち皆の象徴でもあると思います。
サウルは自分たちの遺体を、「息子」に見ているのです。
収容所で死んだユダヤ人の遺体は、例外なく火で灰になるまで焼かれ、その灰も川に流されます。
決して土に埋葬されることはありません。
それを知っているサウルだからこそ、「息子」だけは、ラビの臨席を得た正式な葬儀を行い、土中に埋葬したいと考えているのでしょう。
それがたとえできたとしても、本当にわすかな慰めでしかありません。
しかし、それを画策することで、彼が精神の均衡を辛うじて保っているというのは、そのとおりだと思います。
そんな彼の僅かな願いもむなしく、「息子」の遺体の埋葬はかなわず、しかも、他の遺体の灰と同じように川に流されてしまうのです。
そして、ラストシーン。ここは、町山さんのブログの解釈に委ねます。
少しだけ、救われた気分になりました。
暗かった
ユダヤ人収容施設で、ナチの手先となって働くユダヤ人の様子が珍しい。奴隷のようにこき使われていながらも、ナチの目を盗んであっちに行ったりこっちにいったり強かに活動していた。
ガス室で息子が殺されてしまうなんてやりきれない。見ていてつらくて、見終わった後もどんよりした気分になった。ガス室の床を手作業でゴシゴシ洗浄していて、血や潜在が服の袖や膝についたまま生活するのが見ていてすごく嫌だった。戦争怖い。
言語についてのやりとりがあったが、全部字幕なのでさっぱり分からなかった。
同化への仕掛け
ナチスのユダヤ人収容所では、労働力として生かされるユダヤ人たちがいた。ゾンダーコマンドと呼ばれるその人々は、各地から運ばれてくるユダヤの同胞を「処理」することをその使命とされている。
そのゾンダーコマンドの中の一人、サウルがガス室で息絶えなかった少年を見つける。しかし、すぐにナチスはこの少年を殺してしまうのだ。
この後、サウルはこの少年は自分の息子なのだと言って、ユダヤ式の埋葬をしようと、閉ざされた収容所の中を奔走する。
「処理」されるユダヤ人たちには、映画の冒頭からレンズの焦点が合わない。35ミリの狭い画面はサウルの姿でほぼ占められている。観客は、彼の周囲の状況をそのごく限られた余白でしか窺い知ることができない。
このサウルの捉え方も、大部分が彼の背中からのショットである。観客はサウルのあとをついて歩いているかのような錯覚を抱く。そして、その錯覚がサウルの抱えるストレスと同じ恐怖や焦燥につながっていくのだ。
サウルが抱えている遺体の少年は、本当にサウルの息子なのか。
死者を葬るために、生きている者たちが命を危険にさらす意味があるのだろうか。
収容所内で反乱を起こし、果たしてドイツ軍やナチス親衛隊相手にどこまで戦えるのだろうか。首尾よく収容所を抜け出したとして、どこまで逃亡すれば安全が確保できるのか。
それらの疑問もまた観客にストレスを与え、憔悴したサウルその人へと同化させる。
映画はこのように、カメラワークとシナリオによって、観客に主人公そのものを疑似体験させる。
サウルの身に起こったことの追体験は、われわれに早くこの状況が終わって欲しいと願わせる。ことの成否よりも、尊厳を失うことなく早急に生を終えることのほうが重要であり、そこにこそ当事者のその絶望的な感情を理解させる仕掛けがあるのだ。
期待値高すぎて
タイトルなし(ネタバレ)
息子かどうかもわからない少年の遺体埋葬に執着し、周りの空気を無視しておろおろ動き回る主人公、見ててイライラした。主人公のバストアップが画面のほとんどを占め、周りの風景にはめったにピントが合わない。始めはその撮影手法に面白さを覚えたが、物語が進むにつれて、全体像の掴めない画面構成にストレスを感じてしまった。ラストシーンに心動かされる気力も残らず、製作側の意図に応える鑑賞ができなかった。
正しいか正しくないか…?
まさに「カオス」の世界
作品が始まって、いきなり四方からモップの音、毒ガス室に詰め込まれるユダヤ 人の悶え苦しむ声が。耳も目も覆いたくなる現実がそこに。見る私には、すこし 気分が悪くなるぐらい、 背中に大きな赤い「×」と記されたゾンダーコマンダーの主役が、顔色ひとつ変 えず、毒ガスの床をひたすら清掃している。かと思えば、マネキンのような死者 の塊が山積みとなって、ナチス親衛隊の厳しい声が四方八方から、そしてまだ 「部品」と呼ばれるユダヤ系の人間が、ガス室とも知れず、裸となってシャワー 室という集団虐殺室へ。これこそ、カオスの世界だ。サウルが息子のような 子供を急いで毛布でくるみ、自分のいる部屋向う慌ただしさ。アウシュヴィッツ収 容所では静寂などないといっていい。悲鳴と怒号が四六時中鳴り響いている。シャワー室をでて、ものいわぬ「部品」は焼却炉へ。画面から訴えかけるおぞまし い場面は 見ているものを容赦しない。それでも、ナチスの悪魔共は表情も変えず、流れ作 業のように「部品」を「シャワー室」へ押し込んでいく。サウルが持ち去った自 分の息子を、ひたすら隠しながら、自分の息子だけは、全うな人間として葬りた い気持ちが画面から伝わってくる。これまで、このような残酷で哀しい映画は あっただろうか。最後の場面には、 「恐ろしさ」だけが残った。
楽しむ映画ではない
制作方法は古典的でありながら、撮影の仕方や主人公の画面へのおさめ方などが斬新だった。
息子への執着という気持ちは理解できるが、死体への執着というものには理解しがたいものがあった。宗教の違い云々というよりも、パーソナルといったところか。そうは思うもののどうしても宗教上の意味合いを感じざるを得なく、しっかりと埋葬したい、と主張されても全く理解できなかった。
この人は死にたいんだなと思ったりするものの、結構自分の生にも執着するし、やっぱ分からないというのが正直な気持ち。ユダヤ教徒のハンガリー人ならば、痛切な思いになるのだろうか…どうしても想像がつかない。かといって完全に否定することなどできないし、なかなかモラルというものを揺さぶられる手厳しい映画かもしれない。
覚悟を持って臨まないと、理解できないし、そして寝る。
どうせ死ぬ命
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