サウルの息子のレビュー・感想・評価
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童話としての「ホロコースト」
サウルは遺体となった息子を弔うために奔走する。それが結果としてホロコーストの一部始終を描写することになっており。そして観客も事実(であろう)を知る作りになっている。だから息子の遺体はそのために必要だったのか?と途中までは思っていた。
それが最後で間違いだったことに気がつく。
サウルが最後に少年を見る表情が恐怖ではなく優しげなのは、少なくともあの少年にはサウルは永遠に(記憶)に残るからだ。
感覚を遮断していた “モノ” ではなく、あくまでも “ヒト” としてだ。
サウルが息子でもないものために奔走していたのはそのためだったのだ。“ヒト” としての存在を示したかった。だからこそなのだ。
間違いなくあの少年のサウルのあの時の表情は永遠に残るだろう。もしかしたら年をとったら孫にでもその時のことを話すかもしれない。
そして、それこそが彼の望んだことだ。
そうゆう意味では、これは童話でもある。しかし、恐ろしく悲しい童話でもある。
勉強不足を痛感
今年のアカデミー外国語作品賞。正直ピンと来んかった。本作が持つある種の「ライド感」に途中から乗れなくなって寝てしまった(寝不足で観たこともあるけど)。ただ鑑賞後に色んな批評・感想に触れたところ膝を打つものが多くてまだまだ勉強が足りないことを痛感しました…
サウルが見た世界
アウシュビッツ収容所での世界を画いているのだけれど、終始カメラは主人公の上半身を撮し続けているので 、その周辺で起きる事は周りが少し写るだけ、あえてそうゆう取り方をしているのでしょうが、少し違和感があった・・・
あるいは、地獄と云う名のテーマパーク
教科書の゙虐殺"の文字。ひどく無味乾燥ですが、冒頭いきなりその現場に、立ち合うことに。ご見物(観客のことです)一同、固まってしまいました。スパルタ式、歴史授業の始まりです。全てを失ったパパの、さまよう魂と共に、地獄巡りするわけです。POV方式(主観映像ってやつです)で撮影せざるを得ない情景。見たくもない映像が、画面を埋め尽くしているからです。おまけに、4DX方式なしで、恐怖と狂気が放出します。映画観てるのか、鬼畜なアトラクションに、参加してるのか、判らない状態に。終盤に、パパが見せる穏やかな笑み。息子さんの御霊は、天に召されたのでしょうか。余談ですが、収容所の彼らが、解放者として期待したのが、当時のソ連。その後のハンガリーと、ソ連の関係を描いた「君の涙ドナウに流れ」も、観ないと損です。悲し過ぎて、涙も出ない大河ドラマが、完成します。
せめて人間として死ぬための努力
アウシュビッツでユダヤ人が虐殺されたということについては、事柄として知ってはいたものの、映画という形で見たのは初めて。 シンドラーのリストや、ライフイズビューティフルで見た程度で、これほどまでに生々しく見せた映画は見たことなかった。そんな自分にはものすごい衝撃的であった。全編通じて主人公しか映らない映像とピンボケした世界。しかし、それが、映画の世界で主人公と一緒に見ている感覚にさせる。映画は疑似体験的な要素があるものだが、この映画ではまさに疑似体験レベルが未だかつてない。本当にその場にいる怖さと緊張感がある。ドイツ兵が本当に怖い。実際はこの何百倍も、何万倍も恐ろしいはすだ。それでもその片鱗に触れられることは大事なことだと思う。 そういう意味で、この映画にはネタバレなんていうものは存在しない。全ては見なくては理解できないからだ。 まず、何が始まるんだろう、と見ていたら、何やら多くの人が集められている。収容所の中かな、と思ったら、多くの人が服を脱いでいる。そして密室に押し込められる。扉が閉まると、壁に掛けてある服を主人公サウルたちは回収していく。ここで、ああガス室か!と分かるのだ。ここで、彼らは死ぬのだ。暫くすると密室から、叫び声ともなんとも言えない声と、扉を叩く音が聞こえてくる。次第に扉を叩く音は大きくなっていか。しかしサウルは表情を変えない。彼の心はとうの昔に死んでしまったかのようだ。 そんな心理状況を説明するかのごとく、周囲はピントボケ、ぼんやりとしかわからない。しかし確実にそこでは虐殺が行われているのだ。肌色の死体の山と思われるものも見える。 そんな中で、ある時死にきれなかった少年を見る。彼はその少年を埋葬することで、自身の人間としての尊厳を、それは無くしてしまったものなのかもしれないものを、再び思い出すための行為であった。 彼はその少年を息子だと言うが、彼の息子ではないことは映画の中盤で分かる。彼自身も恐らく分かってはいるが、彼は自分の尊厳のためにも、少年は彼の息子、つまり自分自身を投影した人間であったときの自分である必要があったのだ。ゾンダーコマンドとして死んでいくしかない彼だが、彼自身あるいは彼らを人間として死なせる唯一の希望が少年の埋葬であったのだ。 ゾンダーコマンドの反乱は実際にあった出来事だそうだ。この映画でもそれは描かれるが、主人公サウルはそれに組みしようとしない。反乱は死を覚悟しながらも生きることを目指す行為であるが、サウルは逆に尊厳的な死を目指すことでそれまでの生を肯定しようと試みているからだ。 最後に死体が川に流されてから絶望したが、その後の死んだ少年が成仏したかのような、尊厳のある死を与えられたかのような人物に出会えて、彼は彼の生と死に満足するのだ。
好き嫌いでは判断出来ない映画
こういう作品が評価され、公開されている事を幸せに思わなくてはならない。 ただ、僕はダメだった…。 ただでさえ小さいミニシアターの画面がさらに小さくなり、普段だったら全く気にならない程度のメガネの曇り汚れが気になって仕方がなく感じる程の、あえての「ピンぼけ画面」に、 「うわっ!見づらっ!」っと思い、全く入っていけませんでした…。 良心と良識を以て作られた作品であり、劇中音楽を全く使わずエンターテイメント性をあえて排除した手法は高く評価出来ますが、僕にはきつかった…。 《追記》 サウルが埋葬にこだわる理由はユダヤ教の教義に基づいているのですが、これがどういう教えなのかを理解していないと、サウルの行動にまるで共感出来ません。 僕は観賞後にコレを知り、やっと合点がいきました。 これから観る方はユダヤ教の思想・死生観・墓の定義を調べてから観た方が良いです。
八大地獄よりも・・・
去年から何作かナチス関連の映画を観ていてその酷い歴史を否応なしに見せ付けられるにつけ、人間という動物の業の深さや際限なく、行き着くとこもない悪行への突進に、気が滅入る事から逃れられない心理に陥ってしまっているが、この作品は正にその正当(表現が悪いので陳謝)なストーリーなのかもしれない。
地獄でいうと鬼の役目になるのであろうか、“ゾンダーコマンド”というユダヤ人であるにも拘らず、ドイツ軍の手先のように収容所の小間使いにさせられ、同胞の死体処理をさせられる主人公が、死体の中から自分の子供(と信じ込んでしまった)をみつけてしまい、その子供の埋葬をユダヤ教に則って葬儀をしたいと行動を起こすストーリーであるが、その行動と時間軸を沿うように、ゾンダーコマンドによる武装蜂起の経緯、ガス室での虐殺では間に合わず穴の中に火炎放射器や銃で次々とユダヤ人を殺しつつ埋めていく過程、アウシュビッツ内の貴重な証拠写真の撮影方法等が絡まりながら進んでゆく。
収容所内で“ラビ(仏教で言うところのお坊さん)”を探して回るのだが、ゾンダーコマンドとしての仕事もあるので、巧くサボりながら捜索していく過程で、色々な仕事内容を手伝わされたりと、アウシュビッツ内での出来事がコンパクトに紹介される作りになっていて、脚本の完成度が高いと感じた。そして画角が小さいこと、ずっと主人公を追いかけて撮るカメラワーク、引きがないため、主人公の周りはピントをわざとぼかし、地獄感を抑える表現にしているところと、巧い手法が随時に感じられる。テクニカルな撮影が光るが、しかしこれはあくまでも人間の蛮行をこれでもかと訴える内容である。そして、最後、逃避行の際の川で流されてしまった息子の亡骸は、前半の折角みつけた“ラビ”が川に投身自殺を試みるところを助け、しかしその騒ぎのせいでドイツ兵に撃ち殺されてしまうシーンと対になり、因果応報な意味を感じ取れた。命からがら逃げ込んだ廃屋で、地元の子供がその廃屋を覗き込み、まるでその姿は生き返った息子だと思った主人公は、この世の最後の笑みを浮かべる。次の瞬間、追いかけてきたドイツ兵に蜂の巣にされてしまうのだが・・・
なんとも救われないラストであり、その不条理さに心を締め付けられ、空虚感がエンドロールが終わってもなかなか溶けない。
アカデミー賞外国映画部門入賞は当然の結果だったのではないかと推薦する作品である。
胸に突き刺さる作品
何とも言えない重い空気が・・ ゾンダーコマンドという仕事…ナチスによる強制収容所でユダヤ人の死体処理をするユダヤ人。表情はありません。淡々と仕事をしている…そんな中で…… 延々と続く残虐・残酷な描写。 主人公サウルの視点と傍観者である私たち観客よりの視点みたいな感じでカメラワークが随時変わっていく。それが何ともいえない重苦しさを伝えてくる。 鑑賞後心が落ち着きを取り戻すまで時間がかかりました。そしてしばらくして、ゆっくり思い返してみると…涙がとまらなくなりました。劇中泣くことは多々あるのですが、鑑賞後に、こんな思いになるのは久しぶりです。それだけ鑑賞中は衝撃と重苦しさで脳がショートしてたんだと思います。 万人におすすめは出来ませんが、万人に観てほしい作品。 息子云々というより、サウルのラストの表情が胸に突き刺さる。
埋葬にこだわるワケ
サウルは、アウシュビッツで同胞ユダヤ人(ここでは「部品」と呼ばれる)をあたかも工場で廃棄処理をするかのごとく、死体処理をこなす作業員(「ゾンダーコマンド」という)。
カメラはサウルの1m以内にずっといて、画面の6、7割はサウルか、サウルの背中。背景のピントは意図的にボケている。サウルが画面にいないときは、ほぼサウルの視界の映像。
もう、自分までもゾンダーコマンドになった疑似体験を押し付けられる感覚。
うず高く積み上げられた肌色の物体に、こっちまで何の感情も消えてしまいそうになりそうだ。
サウルは、作業場で「息子」を見つけ、埋葬することにこだわるのだが、自分勝手な行動のおかげで周りを巻き込み、仲間に多大な迷惑をかける。
おいおい、死体の処理になんでそこまでこだわるんだい?
生きている人間はどうでもいいのかい?
と、じれったさばかりが募り、そのくせ、あのラストの笑顔の示す意味がわからず、困った。
そこで、町山智浩さんのブログへ。(もともと、ラジオ「たまむすび」で町山さんのおすすめだったので観たからだ)
なるほど!
自分の不勉強が歯がゆい。
そういえば、息子がいたか?って聞いていたな。
そうか、象徴か。
たしかにユダヤ教は、魂の再生を信じているな。
映画の中でも、「お前が記録していることは知ってるぞ。」って言ってることや、土管にカメラを隠すことや、それらはこの映画の資料の存在を暗喩しているわけだ。
なにかを残さなければいけない。そう思うから「埋葬にこだわる」のだ。だからこそ、流されて絶望の時に、あの少年に出会い、「ああ、これで・・・」と。あの笑顔になるのか。
森の中でありながら、やけに開放感を感じるのはそういう演出もあったのだろう。
サウルの願いは、こうして映画になったことでいくばくかは叶えられたと願ってやまない。
(ネタバレ過ぎるといけないので、抽象的な表現で。詳細は、町山さんのブログをググってください。)
胸が痛い
カメラが始終彼の廻りを追い続けドキュメンタリーの様 彼以外は焦点が合わない(合っても悲惨な状況) 単純で台詞も少ない 何故彼があれほど葬儀にこだわるのか?本当に息子なのか? 疑問は残るがカメラワークと演出でラストまで押しきる ラストの笑顔は唯一の救いかな 最近のナチス物は良作が多いです
儀式を通し救済される人間性
予告編が終了すると、スクリーンの幅がぐぐっと狭まる。
珍しい対比の小さな画面の中からサウルの顔が浮き上がり、観客は彼の「中へ」入っていく。
収容所で同胞を処理するゾンダーコマンドの労働が、臨場感たっぷりに描かれる。
監督が言っていたように、「サウルを通して収容所をのぞき見する」という感覚。
同胞をガス室に閉じ込め、死体をひきずり、死体を燃やし、ガス室を掃除する。傀儡人形のように感情を押し込め、ひたすら労働に従事するゾンダーコマンドたち。
今作ではドイツ兵の描写に特別な残忍さはない(ユダヤ人を愚弄するシーンはある)。
ユダヤ人は死んで当たり前であり、殺すことは空気を吸うように自然。罪悪感もないし、羨望が隠れ潜む憎みやそねみという感情の発露の対象でもない。絶対的優越。
今まで観た作品群ではホロコーストの描かれ方に違和感があった。
いくらユダヤ人が国家を持たない根無し民族といったって、あんなに従容とガス室に送られるものなのか。
600万人もいて、抵抗勢力はなかったのか?そもそも600万人もの人間を(合計数とはいえ)軍が管理できるのか?600万人も従容と死を受け入れたのか?
何かの映画で(サラの鍵だったかもしれない)、「俺はユダヤ人自体に何の恨みもない。ただ抵抗すらしないユダヤ人はあまりにも勇気が無いから、尊敬するに値しない」という、私の疑問を映したような台詞があった。
だが調べてみると、レジスタンスも組織されたし、ロシアと手を組む多きな勢力もあった。なので、ひたすらユダヤ人を哀れな存在として描いていない収容所での暴動シーンは気に入った。
また、「伝統的なユダヤ語を話せない」ハンガリー系ユダヤ人、ゾンダーコマンド内でのヒエラルキー、ラビと偽りサウルを騙す男など、ユダヤ人も一枚岩ではないと思った。死にたくない者たちが、同胞を集めて扉を閉める、穴へ突き落とす。
次は俺たちだ、という段になって取り乱すゾンダーたちには、「自分だけ生き延びればいい」という思いも垣間見え気持ち悪かった。
反乱を企てるリーダーがサウルに投げかける「息子なんかいない」という台詞は、本当にいないと言い聞かせているのか、サウルの行動を諫めているのか、翻訳からはわからない。
結局「息子」はサウルの人間らしさへの尊厳の象徴だったのか、本当に息子だったのかはわからない。
せっかく生き延びた少年がむざむざ殺されてしまったことが、サウルの心に何かをともしたともいえる。
この映画で語られているのはホロコースト云々というより、極限下で人間の魂を救うのは、一体何かということである。
私はそれを神とは認めたくない。宗教戦争は一神教による選民思想に拠るところが大きいから。
サウルにとって葬儀にこだわったのは神からの救済かもしれないが、私は「儀式」を通しての「人間への尊重」が、ひいては自分自身の救済にもなるということだと思いたい。
す、すごい、、。
この映画を見て、私自身の大学の卒論を思い出しました。題名「ヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧』における人間の尊厳」。どうですか?この大それた、学部生には無謀なテーマは、、。内容は正直に言って、めちゃくちゃになったのに、どうして卒業が認められたのか。今、改めて読み返してみると、「序文」が結構、我ながらいい線の問題提起のような、、。A4の紙1枚ちょっとの中に、ホロコースト 差別 人権のことが書けていたので、指導していただいた亡きΦ先生も認めてくださったのかな?と、思い出の写真なぞ見ながら考えました。ご存命なら、この映画を、間違いなくご覧になったはず。そして、学生に感想を話して下さったはず。「人間、優しさが一番だよ」といつもの感じで。
カメラワークがおもしろい
サウルのセリフらしいセリフはほとんどなく、作品中の彼の周りの対人関係も確定されることもない。ただただサウルの動きを追いかけるようなカメラワークに見入ってしまった。ピントの外れた背景の中にもナチスの大虐殺の悲惨さが多々見られ、辛い気持にもなった。ラストのシーンでの彼の微笑みがかなり印象的。
やりきった感もあったのかな…
サウルの息子?
4:3のスタンダードサイズかつ、スクリーンの脇の黒味で映像がさらに暗く。。。かつ、さらに、ピントはほぼサウルにしか合わず。。。森に逃げ出すシーンは、そのせいか視野がパッと広まったように感じるが・・・。
死者を葬る
この人間としての営み。 サウルの表情は最後までずっと固いままだが、死んでしまった息子をラビとともに葬る事に自分の命をかけている事がわかる。 ホロコーストの手先として、わずかの間生き延びるために、ゾンダーコマンドをする男の自分の最後の尊厳を守る事なのだ。 戦争で、ホロコーストで殺された死者たちはずっと人として埋葬され、供養される事を願っている。 それは生きている我々が、もう殺さないと誓う事だ。 カメラはずっとサウルについていくので、わかりにくさがある。死体処理の場面も多く、カメラの外側を想像すると震えてくる。 外に出たシーンの森の緑の木々は、奇跡のように美しかった。
この監督の次回作が早く見たい
ホロコーストがテーマなので、当初はあまり気乗りしていなかったんですが、オスカーの外国語映画賞最有力ってのと、やはりユダヤ人研究は自分の生涯のテーマなので、意を決して見ることにしました。 そしたら、これがとんでもない代物だった。去年のカンヌでグランプリ取ってます。ゴールデングローブでも外国語映画賞受賞。見れば納得ですよ。 何が凄いかって、とにかく画面設計が斬新なんです。それを実現する撮影も凄い。画面は3:4というスタンダードの画角で、カメラは主人公の背後30センチあたりが定位置。いわゆる三人称視点です。ピントは常に浅く、主人公の背中に記された赤い大きなバッテンにフォーカスされます。だから背中越しに見える風景は、いつもピンぼけています。舞台はアウシュビッツの収容所。その中で繰り広げられる陰惨な出来事は、狭い画角とピンぼけ状態で描かれます。つまり、肝心の場面は「見えそうで見えない」。そして、主人公はある使命に取り憑かれていて「あちこち目まぐるしく移動する」。……ワンカットが20〜30秒というのはザラ。1分以上の長回しもたくさん出てきます。 監督は弱冠38歳。ハンガリー出身のユダヤ人ネメシュ・ラースロー。長編1作目だそうです。ゲーマー世代ですよね。そうじゃなかったら、こんな映画の撮り方思いつかないでしょ。 終盤、カメラは収容所を飛び出し、森を抜けて川を渡ります。映像は観客に若干の開放感を感じさせながら、実に複雑なフィナーレを提示します。 久々に「ヨーロッパ映画」を見たなという感じ。早くこの監督の次回作が見たい。
タイムカプセル
人間の息づかいが聞こえてくるかの様に至近距離から撮影された長回しのカメラに何度も目を覆いたくなる。私は劇場にいるのか71年前の強制収容所にいるのか。
ゾンダーコマンド。
わずか数週間数ヶ月の命と引き換えに、同胞であるユダヤ人の命を処理する仕事。
人は今日殺されない為に、明日殺されるかもしれないことを承知で根拠のない「命」と引き換えに「尊厳」を捨てる。「命」は「尊厳」よりも勝る。
しかし、サウルは息子と言われる少年の遺体の埋葬に「命」の危険を冒してまでも執拗に執着します。遺体となった少年にはもう「命」はありませんが、少年はサウルにとって自分の「命」以上のものです。サウルが「命」と引き換えにしてでも守りたかったもの、それは「人間の尊厳」です。
「サウルの息子」という作品は、決してユダヤ人強制収容所だけの話ではありません。己の命と引き換えにして「人間の尊厳」や「民主主義」を勝ちとってきた名前のない数えきれない人達の物語です。つまり、サウルとは名もなき死者達の象徴なのです。
劇中ゾンダーコマンド達は、この凄惨な事実を瓶に詰め未来に託しますが、似た様な描写を「マッドマックス怒りのデスロード」でも観ることができます。地獄の様な現実を前にして、人が唯一託すことができるのが「未来」であり「種(子孫)」であると。
サウル達は「命」の危険を冒してまでも未来の種である息子達へ「人間の尊厳」が詰まったタイムカプセルを埋め、届けてくれました。そしてそのタイムカプセルは私達が未来の息子達にもまた届けなくてはいけないものなのです。数えきれない名もなきサウル達から預かったタイムカプセルは今、ハンガリーに、イスラエルに、アメリカに、日本に、全世界に生きる私達に託されています。「唯一の命」の重みと共に。
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