劇場公開日 2016年1月23日

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「課題で強制的に見させられた。自分の選択で見たかった。」サウルの息子 桃子さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5課題で強制的に見させられた。自分の選択で見たかった。

2025年1月29日
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主観的なPOVと映画表現の特徴

本作の最も特徴的な映像表現の一つが、主人公サウルの視点(POV)に強く依拠したカメラワークである。カメラはほぼ常にサウルのすぐ後ろに寄り添い、観客は彼の視界と聴覚を通じて収容所の地獄のような環境を追体験することになる。この手法は、昨年日本で公開されたジョナサン・グレイザー監督の『関心領域』(2024)と対照的である。『関心領域』は、アウシュビッツ強制収容所のすぐ隣に住むドイツ軍人一家の日常を、ドキュメンタリー的な客観視点で淡々と描くことで、観客の感情を排除し、むしろ無機質な恐怖を際立たせるアプローチを取っていた。それに対して『サウルの息子』は、極限状況下に置かれた一人の男の主観を徹底的に追うことで、観客が彼の息遣いを感じ、彼の焦燥や絶望を直接体験するような感覚を生み出している。ナチス・ドイツを扱う映画において、このように異なる視点の選択が映像表現を180度変えてしまう点は非常に興味深い。

光と距離感による対比

『サウルの息子』の映像表現の中で特に印象的だったのは、ゾンダーコマンドたちとドイツ軍人たちの対比である。収容所内のユダヤ人たちは、暗く湿った環境の中で、顔色も悪く、声を潜めながら密接に行動する。一方、ドイツ軍人たちは、明るい日差しの下、広々とした綺麗な部屋で、大声で指示を出す。彼らはゾンダーコマンドたちとは物理的にも心理的にも距離を取っており、そのコントラストが、支配する側と支配される側の圧倒的な力の差を視覚的に強調していた。

音響効果の緊張感

序盤の音響演出も非常に効果的だった。人間の叫び声や犬の鳴き声、ドアを叩く音などが、壁に反響しながら鳴り響くことで、空間の閉塞感や収容所内の極度の緊張が観客に伝わるようになっている。特に、視覚的な情報がサウルの視点に限定されているため、音による情報が重要な役割を果たしていた。

クライマックスの映像表現

物語の終盤、サウルが収容所を逃れ、川を渡る場面が特に印象的だった。彼は必死に息子の遺体を抱えていたが、川の流れに飲まれて遺体を手放してしまう。サウルの頭がゆっくりと水中に沈んでいく映像と、息子の遺体が遠ざかっていく姿が重なり、「生きる希望を手放すこと」の絶望が視覚的に表現されていた。このシーンではカメラのアングルも変化し、水面の境界が画面に対して傾いていくことで、サウルの精神状態の変化を巧みに示していた。

まとめ

『サウルの息子』は、主人公サウルのPOVを徹底することで、観客に収容所内の過酷な環境を主観的に体験させる作品だった。同じくナチスを扱った『関心領域』とは対照的な映像手法を用いることで、ホロコーストの表現がいかに多様でありうるかを示していた。また、光と距離感の対比や、音響効果の巧みな使用により、収容所の閉塞感と恐怖を強調する演出が際立っていた。クライマックスの川のシーンは、サウルの希望の喪失を象徴的に描いており、映画全体のテーマを見事に締めくくっていた。

桃子