「自分の「証(あかし)」を残したかったのか。」サウルの息子 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
自分の「証(あかし)」を残したかったのか。
クリックして本文を読む
ある意味でゾンダーコマンドであるということは、メンタル的には一層の負担だったのではないかと推測します。
つまり、予期はあったのかも知れませんが、ふつうの被収容者であれば、長い長い移送で疲れ果てた体に温かいスープやコーヒーを与えられる前にシャワーを浴びるだけだと騙されて(時を移さずに)抹殺されてしまうところ、ゾンダーコマンドは、彼・彼女らの死体の処理に任務として当たるが故に、自らの行く末も、自ずと理解させられてしまうわけですから。
パルチザンと後に合流することによって生還できる可能性を、サウルがどの程度に信じていたかは、残念ながら作中からは窺い知ることができませんが…。
しかし、そういう境遇にあって、サウルがなおユダヤ少年の正規の葬送にこだわったのは、生還の見込みの限りなく薄い中で、自分がここ(収容所)で生きたことの「足跡」というのか、「証」というのか、そういうものを残したかったからではないかと思われてならないのです。評論子には。
そう思うと、観終わって、本当に重い、重い、重い一本になってしまいました。評論子には。
コメントする