「…言葉に窮する」サウルの息子 Garuさんの映画レビュー(感想・評価)
…言葉に窮する
次々とガス室へ押し込まれていくユダヤ人の人々。 そして、その死体処理作業をやらせられるゾンダーコマンドという部隊に配属されたユダヤ人の男たち。 その一人である主人公のサウルは、「死」だけに囲まれたこの地獄の中で、偶然出くわした「息子の死」に何を見たのか…。
ホロコーストは、紛れもなくヨーロッパで実際に行われた「人間の行為」だ。 これ以上の悪夢はあり得ないと言い切ってもいいが、それが映画の中で追体験、いや、実体験できる作品である。 詳細に当時の事を調査した上で脚本が作られているのだろう。 とにかく凄まじい。 言葉に窮する、というのが初見後の感想だ。
最初から最後まで、主人公の顔にフォーカスしたまま展開は進んでいく。 この手法が使われたのは、我々観客にできる限りリアルな映画体験をしてもらうためだと思う。
作品の中心に据えられるのは、絶望的な状況の中で思考停止に陥っていると思われるサウルの表情。 その際、サウルの顔以外の背景は、リモート会議の画面のようにボカされている。 わずかに見える裸の死体や死体処理作業の動きが、逆に生々しい。 そして、様々な作業音、ドイツ人看守の怒鳴り声、悲痛な鳴き声、叫び声、うめき声、赤ん坊の声…。 後ろがはっきりと見えない分、背景音が恐ろしい。
絶望的な状況の中でも、息子の遺体を弔うことに執着するサウル。 その危険で無謀な行動を、助けようとしたり咎めたりする部隊の仲間たち。 彼らもまた、わずかな希望に縋ろうとする余裕すら持てない状況にある。 それが、はっきりとわかる。 非常にリアルだ。
息が詰まるような展開を追ううちに 、だんだんと気づき始める。 この作品は、わが子を想う親の愛情を見せようとしているわけではないのだと―。
サウルが執拗に弔ってやろうとした子供が、実は彼の息子ではなかったとしても筋は通る。 本物の地獄の中で、人間が正常な感覚でいられるはずはないのだ。
際限のない無意味な作業は、心理的な負担が極めて大きく、先の大戦でも捕虜に対する拷問に使われたと聞く。 その作業が、「同胞のガス室への誘導と、殺害後の死体処理」なのである。 しかも、次は自分がガス室送りになるという恐怖の中での作業となれば、さらに絶望的だ。
生身の人間が、幻想と思い込みに取り込まれたとしても無理はない。 目の前の悪夢から心を逸らし、自分を保とうとするのは、自然な心理反応だろう。
本当に言葉がなくなる。
幸いと言った方がいいだろうか。 映画では、臭いだけは感じられない。
それでも、ここまでこの異常な空気感が画面上から伝わってくるのは、技術うんぬんを越える製作者たちの執念のなせる業ではないか。 ネメシュ・ラースロー監督は、非常に大きな仕事をやってのけたと思う。