「せめて人間として死ぬための努力」サウルの息子 夢見る電気羊さんの映画レビュー(感想・評価)
せめて人間として死ぬための努力
アウシュビッツでユダヤ人が虐殺されたということについては、事柄として知ってはいたものの、映画という形で見たのは初めて。
シンドラーのリストや、ライフイズビューティフルで見た程度で、これほどまでに生々しく見せた映画は見たことなかった。そんな自分にはものすごい衝撃的であった。全編通じて主人公しか映らない映像とピンボケした世界。しかし、それが、映画の世界で主人公と一緒に見ている感覚にさせる。映画は疑似体験的な要素があるものだが、この映画ではまさに疑似体験レベルが未だかつてない。本当にその場にいる怖さと緊張感がある。ドイツ兵が本当に怖い。実際はこの何百倍も、何万倍も恐ろしいはすだ。それでもその片鱗に触れられることは大事なことだと思う。
そういう意味で、この映画にはネタバレなんていうものは存在しない。全ては見なくては理解できないからだ。
まず、何が始まるんだろう、と見ていたら、何やら多くの人が集められている。収容所の中かな、と思ったら、多くの人が服を脱いでいる。そして密室に押し込められる。扉が閉まると、壁に掛けてある服を主人公サウルたちは回収していく。ここで、ああガス室か!と分かるのだ。ここで、彼らは死ぬのだ。暫くすると密室から、叫び声ともなんとも言えない声と、扉を叩く音が聞こえてくる。次第に扉を叩く音は大きくなっていか。しかしサウルは表情を変えない。彼の心はとうの昔に死んでしまったかのようだ。
そんな心理状況を説明するかのごとく、周囲はピントボケ、ぼんやりとしかわからない。しかし確実にそこでは虐殺が行われているのだ。肌色の死体の山と思われるものも見える。
そんな中で、ある時死にきれなかった少年を見る。彼はその少年を埋葬することで、自身の人間としての尊厳を、それは無くしてしまったものなのかもしれないものを、再び思い出すための行為であった。
彼はその少年を息子だと言うが、彼の息子ではないことは映画の中盤で分かる。彼自身も恐らく分かってはいるが、彼は自分の尊厳のためにも、少年は彼の息子、つまり自分自身を投影した人間であったときの自分である必要があったのだ。ゾンダーコマンドとして死んでいくしかない彼だが、彼自身あるいは彼らを人間として死なせる唯一の希望が少年の埋葬であったのだ。
ゾンダーコマンドの反乱は実際にあった出来事だそうだ。この映画でもそれは描かれるが、主人公サウルはそれに組みしようとしない。反乱は死を覚悟しながらも生きることを目指す行為であるが、サウルは逆に尊厳的な死を目指すことでそれまでの生を肯定しようと試みているからだ。
最後に死体が川に流されてから絶望したが、その後の死んだ少年が成仏したかのような、尊厳のある死を与えられたかのような人物に出会えて、彼は彼の生と死に満足するのだ。