「埋葬にこだわるワケ」サウルの息子 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
埋葬にこだわるワケ
サウルは、アウシュビッツで同胞ユダヤ人(ここでは「部品」と呼ばれる)をあたかも工場で廃棄処理をするかのごとく、死体処理をこなす作業員(「ゾンダーコマンド」という)。
カメラはサウルの1m以内にずっといて、画面の6、7割はサウルか、サウルの背中。背景のピントは意図的にボケている。サウルが画面にいないときは、ほぼサウルの視界の映像。
もう、自分までもゾンダーコマンドになった疑似体験を押し付けられる感覚。
うず高く積み上げられた肌色の物体に、こっちまで何の感情も消えてしまいそうになりそうだ。
サウルは、作業場で「息子」を見つけ、埋葬することにこだわるのだが、自分勝手な行動のおかげで周りを巻き込み、仲間に多大な迷惑をかける。
おいおい、死体の処理になんでそこまでこだわるんだい?
生きている人間はどうでもいいのかい?
と、じれったさばかりが募り、そのくせ、あのラストの笑顔の示す意味がわからず、困った。
そこで、町山智浩さんのブログへ。(もともと、ラジオ「たまむすび」で町山さんのおすすめだったので観たからだ)
なるほど!
自分の不勉強が歯がゆい。
そういえば、息子がいたか?って聞いていたな。
そうか、象徴か。
たしかにユダヤ教は、魂の再生を信じているな。
映画の中でも、「お前が記録していることは知ってるぞ。」って言ってることや、土管にカメラを隠すことや、それらはこの映画の資料の存在を暗喩しているわけだ。
なにかを残さなければいけない。そう思うから「埋葬にこだわる」のだ。だからこそ、流されて絶望の時に、あの少年に出会い、「ああ、これで・・・」と。あの笑顔になるのか。
森の中でありながら、やけに開放感を感じるのはそういう演出もあったのだろう。
サウルの願いは、こうして映画になったことでいくばくかは叶えられたと願ってやまない。
(ネタバレ過ぎるといけないので、抽象的な表現で。詳細は、町山さんのブログをググってください。)