映画 聲の形のレビュー・感想・評価
全112件中、41~60件目を表示
面白くて全部見たけど
冒頭の小学生シーンの胸糞の悪さで人を引き込む感、良くも悪くも卑怯だなぁと思った。まんまと引き込まれて全部見てしまった。
いじめのシーンのリアルさの反面、あんなに悪ガキだった石田が5年後には改心して大人しくなっているリアリティのなさ。
植田も、母親に怒鳴りつけるほど西宮のことを嫌っていたのに最後にえらいあっさりただのツンデレになったなぁ。
耳が聞こえないという設定もちょっと疑問。
本当に耳が聞こえない人に見せたいものではなかった。
聴覚障害者への理解を深めるために作られた作品ではない。
最後の主人公の泣き方がちょっと女々しくて気持ち悪かった。
上記のように気になる点はいくつかあったけど、アニメーションは本当に綺麗。思春期の人間関係の危うさも、見てて懐かしい気持ちになった。
しょうちゃんかわいい
絵が可愛い
しょうこが可愛くて、でももどかしくてイライラするのもわかる
最後のとこわりと高いところから落ちたような描写だったのに、結構軽症な感じだったのが拍子抜けだった笑
素晴らしかった
デリケートな問題を超デリケートに扱っていて、なかなかここまでデリケートに描けるものではないと非常に心打たれた。特によかったのが聾唖のヒロインが、罪のない無垢な存在ではなく、彼女は事なかれ主義で空気を読まないところを露骨に描いている。
特にたちが悪いのが主人公の隣の席の意地悪女で、彼女は心底意地悪で卑怯者で、だけど正直だ。
彼女よりも最悪なのがメガネの女で、自分を正当化することしか考えていない。彼女の彼氏も部外者なのに好き勝手言うタイプで大嫌い。
そんな彼ら彼女らと仲良くしなければいけないという結論でないところが素晴らしい。みんな勝手に、どこかで誰かとぶつかって楽しくやったり喧嘩したり嫌な思いをしながら生きればいいと思う。ただ一言誰かに「卑怯なことはよくない」と言って欲しかった。
いじめはされる方が傷つくのは当然だが、する方もひどく傷つく。しかしいじめは無くそうと思ってもなくなるものではない。「してもされても傷つくからやめよう。卑怯なことはよくない」と声を大にして言いたい。
捻くれねじれた青春
タイトルのような感じで
登場人物のほとんど全てがどこかしら心がねじ曲がっていたり、捻くれていたり、歪んでいたりしており、彼ら彼女らの行く末を見届けたくなるので物語にはとても引き込まれる。
オープニングのテンションの高い曲はどこか合ってない気もする。
小学生の純粋かつ無垢で無知ゆえに残酷な描写はどこか自分も何かが違えば自分もこうなっていたのかも知れないと思いながら観てしまった。(自分も小学生低学年のときはこういう所もあった気がするので)
高校生?になってからもみんな鬱屈したものを抱えているようで、かなりヘビー。
同時期に公開されている大ヒットのアニメ映画がキラキラとした青春エンタメだとしたらこちらはねじれた青春ドラマと言ったところだろうか?
あちらもとても面白かったがこちらもとても引き込まれる面白い映画だったと思う。
原作ファンの友人も面白いと言っていた。
ただ、原作よりも主人公たち意外の描写が削られているとのこと。さらに原作の方がもっとエグイとか。
主人公たち以外の描写が削られてるのは映画としてまとめる上でどうしても発生することなのでしょうがないかも(あー原作読みたくなった)
あと、削られてるせいなのか、俺の感じの問題なのか、登場人物の心の機微とかがどうしても拾いきれなかったし、この物語のテーマのようなものも伝わってこなかった感じ(まあ私の感受性はゴミくそレベルなのは認める)
ゆえに原作を見てじっくり登場人物の心の機微を観たくなった。どうしてもアニメーションゆえに理解しきる前に展開が進んでしまうので、何度も読み直して理解を深めてもいいのかなと
ただ、この作品も非常に引き込まれる作品ではあるので満足してます。
他の方のレビューを観て
やはり色々と省略はされているらしい
その中でも自分の考えを拾いだせてる方はスゴいと思った(俺の感受性はゴミくそらしいわ…)
エンディングの展開はやはり物語なのだなぁとどこか大団円になりすぎている感もあるかもとは確かに思わなくはなかった
聴覚障害者をテーマにお涙頂戴映画では終わらない素晴らしい作品
コメ欄を見ると、川井ウザー、キモッとのコメントが多く見受けられるけど、 多分その言動・行動だけではなく、ほかの登場キャラ達がこの物語が進んでいく過程での心情変化によって 大きく成長していくのが感じるのに対し川井にはそれを感じ取れない部分も皆が嫌悪感を覚えるとこだと思う。
原作コミックでも過去編小学生時代から、川井のいい子ちゃんアピが描写されてるんだけど、
川井自身がかわいいと自覚してるこその優等生的な言動や天然なふりしたぶりっ子行動のあざとさは、
石田を含めたメインキャラ達はもちろん、クラスメイトのモブJK達にも見透かされていて、 まじ気持ちワルイって思われてる。
因みに俺もこれで女子のあざとさって、
あくまで理想が「俺ガイルのいろはす」や「からかい上手の高木さん」の萌えで、
リアルだと川井のウザッになるんだと学んだ。
そんでもって、川井自身も既に小学生時代に完成された処世術が、
他者からのガチキモ評価されてることに 薄々気づきつつも、
それでも反省や改善することはせず、
むしろ揺ぎ無い純度100%の自己愛で自身を肯定し、
それ以上に否定する者に強い敵意を燃やし、
そして攻撃も忘れない。
詳しくは原作コミック6巻に『川井みき』タイトルで1話描かれてるから必見
自分は、中学までは西宮みたいに周りにいらない気を使い、良かれと思ったことが裏目に出るKY陰キャで、
高校からは、そんな自分を変えようと理想としたのが、ある意味川井みたいな陽キャだったから
そのデビューした結果が、リア充カーストグループには入れたけれども、正直3年間息苦しい思いをした思い出しかない。
大学は身の丈以上の友達付き合いはすまいと考えすぎ、一時期は石田ほどではないが結構なコミ症でヤバかった。
だから、川井は人格的には完全にOUTだけれども、自身を迷いなく肯定できるブレない生き方には、
少しうらやましくもあり共感も感じる。
そう理解できると、映画初見時にかなりイラッと感じた飛び降り事件後の西宮を励ます
演技かかった抱擁シーンでの 川井が掛ける言葉は、ある意味自身を肯定する際の強がりなんだろーなと思える。
(ウザイけどね。)
以上も含め、聴覚障害者をテーマにお涙頂戴映画では終わらない『聲の形』は本当に素晴らしい作品だと思う。
最後に、どーしても映画視聴のみだと知りえない
服飾デザインアーティスト視点からの植野と佐原の関係、
さすが川井が恋するサイコ真柴の影ある過去と人物像、
理解ある友人だけではない黒永束君の陰キャ部分の人間臭さ
などなどあるんで、是非原作コミックは読んで欲しい
そんでもって再度映画見ると更に共感できると思う。
切なくて重い
だけど胸にグッとくる作品でした。
君の名はと同時くらいの公開でしたので、君の名はの話題で埋もれてしまいましたが、こちらの作品もいい作品だったと思います。
いじめられる流れや、物事の流れなどがリアルな感じで、現実にあるような内容のため、重みがあります。
人の心の奥にある重い、1人1人の性格、思い、感情。
沢山のものが詰まった作品でした。
全員が全員しっかりと存在感があり、何度も涙が出ました。
最後、石田くんの心のバッテンが取れて本当に良かったですね。
誰も死ななくてよかった。
そして絵が凄くキレイな作品だなと思いました。
現実とのズレも多少あるが、いい話だ。
聲の形。
声があるからこそコミュニケーションが取れる。
声がなければ思いを届くツールもない。
硝子は人の声が聞こえない、声を出せない。
しかし、
声があってもコミュニケーションが取れない場合もある。
石田という少年はそうだ。
本当は、思いを届けるかどうかは、人の意思によるのだ。
しかし、小学校のその人たちはそれを意識できない。
悲しい話だが、この映画に悪い人がいない。
ーー本当はどうだろう。
学校のいじめは本当にこの映画が描いたもののように見えるか?
疑問持っている。
が、
この映画が悪い人を描いていない。
一番悪そう植野でも、彼女が硝子が嫌いという理由もなんとなくわかる。
その理由は、硝子自身も変えなければならないところにある。
特にこの映画は人物の心理感情を表現するところにとてもうまかった。
怖いところもあるが、最後に暖かい思いをさせる映画になる。
もう少し
原作は鑑賞後に読了。全体的にはよくまとめられてたように思いますが、予備知識なしで観てわかりにくかった点を挙げます。
●硝子の自殺理由
唐突に感じた。石田が仲間と仲違いしたから自殺はないでしょ。動機が弱すぎ。当日までデートしてリア充してるわけやし。他の人のレビューでこれまでの周囲への罪の意識からとの説明を見たが映画では分からなかった。それならデート場面で硝子の人生不幸シーン(親の離婚、自分や妹のいじめなど)の回想を入れてそのあと「私といると不幸になる」なら観客も硝子の心理の闇を感じたと思う。
●ラストシーン
いつものメンバーと話して千羽鶴もらってなぜ全校生のバッテンが取れるの?他のいろんな生徒から祝福されたり声かけられたりしてからだとわかるけど。これまで苦しんできた割に簡単にバッテン取れすぎでは?
あと、結弦に「死にたい」と言った場面も硝子の手話だけでピンとこない。原作のように結弦が絶望的にショックを受ける表情をいれないと
ご都合で進行するのは構わないけど、とにかくここ重要!てな場面であれ?となったのが残念。作画など他は満足です。
原作も見ないと....
原作は未見で映画のみです。ストーリーは良いと思うのですが展開が少し唐突に感じます。結弦ちゃんのいかにもアニキャラなボクっ娘と石田君の母親が若すぎて違和感。原作で補完が必要なのかと感じました。
gooWikipediaで補完
DVDで見たあと、連載で単行本何冊ぶんを詰め込んであると聞き、goo Wikipediaであらすじなど読んで、
評価が変わりました。
ひどいことになり、自分を責めるようになれば十分反省してるけど周りの人には伝わらない。自分の命を危険にさらして半ぶん死んでやっと認められる。人生は難しい。でも簡単に思考が伝わりすぎたら、今度は別の状況で苦難が発生するかも。
goo Wikipediaを読んだら、学校での先生の誘導でクラスメイトが手のひら返しするとか書いてあってびっくり。
単行本を買って読みたいと思います。
作画はきれい
京アニの気にくわない所
なーんか気取ってる。具体的には言いにくいが、まあ音楽とか
今回初っぱなからザ・フーとかかけちゃってうわ〜みるのやめようかと思った。必然性もよくわからん。
ほとんど京都を舞台にしてるのは風景からもわかるのに、なんで標準語なんだ?これは前から気になってた。
一度たりとも京都弁で作られた作品はないはず。
というなんか鼻につく京アニ演出は今回も健在だが、それでも映画となるとすごくいいものつくるので期待してました。
涼宮ハルヒの消失
たまこまーけっと
の映画どちらも素晴らしい
これも悪くなかった、というか途中からうるうるしてしまった。
でもなーんか素直に誉めたくない。いろいろとひっかかる。
まず、主人公の少年だが
そんな小学生のころなんていじめたりいじめられたりあるだろ。もちろんいいことじゃないが子どもなんて未熟だから仕方ないと思う。
相手が障害ある子だったから、そんな高校生になっても重い十字架背負ってるように気にしてるってか。
それこそ差別じゃねーのかねえ…
あと、おれもこの聴覚障害の子がこんな美少女じゃなかったら主人公の少年はどうしてたかな、と気にはなった。
もっとも京アニは基本的に超絶美少女ばかりなんだが(そこらへんも鼻につく、もっとブタ子ちゃんみたいのも出せよ、リアリティーがないわい)
植野とかいう子も本当はいい子でしたみたいに最後はみんな仲間〜みたいなよお…んなわけあるかよ。
最後はウィー・アー・ザ・ワールドでも歌えよだったらよ。
作画きれいで盛り上げかたもうまい間の取り方も絶妙な京都アニメーションだから、みてるあいだはうるうるしちゃったしよかったねうんうん。
とそれなりに感じ入るものがあったが、終わってからしばらくして
はて?なんなんだこの話?と釈然としない。
ひとりいじめられた子が学校を去ったからといって残った子どもたちの関係がことごとく崩壊していくのはおかしい、ちょっと考え方として偏りというか傲慢
ただのいじめじゃない、障害ある子をいじめてたから特別なんだ、と考えたならそれこそ差別だろう。
世の中いろいろあるだろうが、キレイキレイ〜なものばかり作ってるからそこらへんわからないんじゃないのか、京アニ
とか考えちゃった作品でした
ヒロインが作品の生贄になっている
■↓僕の評価の目安(ザックリと)
☆★★★★:酷い(不愉快)
☆☆★★★:つまらない
☆☆☆★★:物足りない
☆☆☆☆★:満足♪
☆☆☆☆☆:衝撃!!!
※上記に基づき採点すると、本作は☆1.5あたりでしょうか
(因みに原作漫画は、1巻の『試し読み冊子』を鑑賞前に書店で読みました)
■劇場で2回観たけど・・・
トイレを我慢していて集中できなかった1回目を反省し、改めて劇場で鑑賞。
それでも「マジか?」と思いました。
前半は不愉快
中半は退屈
後半は苦痛
129分のはずの本編が「体感200分」に感じるほど、ひたっっすら長い!!
終始「良いトコなし」。
■「物語を引き立てるため」のイジメに疑問
転入してきた女の子の「耳が聞こえない」というキャラに、バカみたいに「興奮する」主人公と、
とっつきにくさから「からかって距離を置く」主人公の隣の席の女子。
耳が聞こえない転校生のヒロインには、「隣に座ってくれる生徒」も居ません。
転入早々ヒロインが聾啞であることで掛けてしまう「クラスへの迷惑」を片っ端から描き、
思いつく限りの中傷と身体的苦痛と侮辱をヒロインに延々と与え、ただひたすらに
「悲劇のヒロイン」に仕立て上げていく「作り手の悪質な手口」に不快感すら覚えます。
これらがすべて、高校生になった主人公の「過去の罪への後悔」を描くためだけに積み重ねている
ものだとすると、ヒロインは「作品の生贄」でしかないわけです。
■この主人公の物語に「ヒロインを虐めた過去の事実」は不要
高校生になった主人公は口調そのものが変わり果てており、小学生時代のやんちゃな面影を
微塵も垣間見ることが出来ません。
(同じく孤立していたクラスメイトの友達には、最後まで『~君』と呼ぶ始末)
そして元クラスメイトの女子からは「ダサくなった」とすら言われます。
(まあ、いい年こいて、未だにヒロインの補聴器を毟りとって昔のように虐めようとするコイツの方がダサイと思いましたが)
とにかく、高校生のときの主人公と小学生時代の主人公が「別人」にすら思えます。
そのせいで、この主人公が「昔ヒロインを虐めていた」という事実が、頭の中で繋がらないのです。
そもそも小学生のときに「虐めてしまった」から話がこじれるわけで、
初めから「小学生時代のイジメのエピソードを描かなければよい」わけです。
「こじれなければ物語にならない」というかもしれませんが、それこそ「本末転倒なお話」です。
2時間以上も「本末転倒なこじれ話」を見せられれば、たとえ背景が綺麗でもアニメーションが
滑らかでも、観ているこっちはウンザリします。
「自殺まで考えた内気で孤独な高校男子が、ある日『耳の不自由な女の子』に恋をして手話を覚え、
女の子や少しずつ増えていく仲間との交流を通じて人生を前向きに生きようと歩み始めるまでの話」
↑正直これで結構です。
■社会派?「所詮はアニメ」と思った不満点の羅列
①一向に老けない主人公の母親
この母親、美容師とは思えないくらい、何年経っても一向に「髪型が変わりません」。
(というか、主人公も)
ある意味、母子ともに「ダサイ」です。
②燃える170万円
ギャグのつもりでしょうが、「燃える必要」が全くありません。
(『作り話』でも好きではないです、こういう演出)
③突如として消えた「重罪人」
ある意味主人公よりも罪深い、小学校時代の「担任教師」。
なのに、あのステレオタイプのサラリーマン教師は、小学生編のあと「一度も現れない」。
(これは原作もか?)
「君の名は。」でも、主人公のバイト先のイタリアンレストランで「(自分で刺した)ピザのつまようじにクレームをつけて、
代金を踏み倒すチンピラ」が現れますが、これも主人公と憧れの先輩店員との距離を縮めるために登場させただけで、
そのあとは登場することなく「野放し」。
物語の世界の中にも「現実の日常」は存在するです。
あの担任教師もこのチンピラもは、まだ作品の世界の中では「平然と生きています」。
作り手はそれを忘れちゃいませんか?
いずれも「作り話とはいえ、それはないだろ!」と言いたいです。
④障害者のヒロインが転校してきたときの「学校側」の対応
この作品が「魁!!男塾」なら別にいいんです。
この作品は「現実的な物語」を描いたつもりなのでしょう?
であるならば、現実の学校相応に「受け入れる準備」をこの小学校も整えるべきではないでしょうか。
(なのに、この学校が整えているのは『孤立させる準備』ばかり)
どのクラス(担任)に預けるか?
手話のできる職員や副担任の手配
「隣に席を移動してもらう生徒」の手配
そして生徒への説明
な~んにも無いんだもんこの小学校。
教育者でも障害者の家族でもない僕ですら疑問に思うことだらけです、この学校の体制には。
しかもこの担任は、ヒロインの障害についての説明は一切せず、ヒロインに「自己紹介の全て」を押し付けています。
むしろ「この担任」を主人公にして、過去の過ちを反省させて手話を覚えさせ、ラストでヒロインに謝罪させたほうが、
よっぽど「良い映画になる」
~と思います。
⑤病室から抜け出してきた「ケガで入院中」の主人公の腹部を「突っつく」ヒロイン
「えっ、本物?生きてるの?」ってことの確認なのだと思いましたが、マジ「正気か?」と思いました。
(これは演出側が悪い)
■まとめ
~とまぁ色々文句ばかり書きましたが、ほんと「文句」しか出ません、この作品。
意外と楽しめて、何度もリピートした「君の名は。」。
映像作品に生まれて初めて「観る事ができたことへの感謝」をした「この世界の片隅に」。
昨年、上記2作と並び称された本作。
今回、満を持しての鑑賞となりましたが、結果的には僕の中で、本作だけが「置いてけぼり」となってしまいました。
何度も見てみた。
映画を何度か見てから、原作を読み返しました。
いいと思いますがこの辺が足りないかな?
上野の石田へ気持ちと、
硝子が石田の机の落書きを消す時間が分かりにくいかな?
石田が濡れてくるのでいつ?
オープニングが微妙だったかな?
公式ファンブックに連載化前のが載っているので読んでみたい。
近くの東宝シネでは、上映会数が少なく意外に長くやってました。
静岡県西部は地上波も映画館はアニメに冷たい。
上映時間が微妙なので、見れない人も多かった?
上映時間終了後に他の映画館でやってたので足を伸ばして見に行きました。
上映回数や時間はどこも微妙ですね。
浮世離れ
大衆向けアニメとオタクアニメの決裂を表象するかのようなものでした。
新海作品や「この世界の片隅に」などと比べると背景世界の描写やキャラクターの動機、心情の奥深さに欠けてます。
アニメ調にデフォルメするならするで、デフォルメして欲しかったが、中途半端にリアルさとアニメ感が混在して気持ち悪かったです。
キャラクターを製作者の意のままに操っているかのような「製作者の見えざる手」が丸見えでした。
主人公の葛藤や変化は納得できますが、
なぜ西宮さんが主人公を好きになったのか?
あれだけいじめられながら、心が捻くれず、なぜ最後泣き崩れ、崩れたと思ったらいとも簡単にけろっとしているのか?
西宮さんを理解せずに都合よく扱っているのは製作者の方なのではないでしょうか?
登場人物のキャラ付けも、あのひょうきんなキャラクターならば、友達全くいないわけないでしょうに。
ツンデレの女の子もいくらなんでも初恋を引きずりすぎです。
正直言って背景がボロボロ過ぎて、作者の伝えたい内容が全く伝わりませんでした。
リアリスティック三部作
「シンゴジラ」
「君の名は。」
「この世界の片隅に」
に対して、大変お粗末な映画を日本が誇るアニメ制作会社京都アニメーションが作ってしまったことに愕然とします。
高校生までは面白く楽しめるものでしょうが、おおよそ大人まで楽しめるものではありません。
第三者からしたら不自然で、主人公にとって都合のいい展開の仕方をしますから。
もはや主義主張のない監督が作る製作会社主導のアニメでは、本当に面白いものが作れないということがよくわかった映画でした。
スクールカーストや主人公の心情描写は丁寧であっただけに残念です。
現実世界の争いやいじめについて、改めて深く考えたくなる。
初めて『君の名は。』を見てしばらく経った頃、『聲の形』や『この世界の片隅に』も凄い映画らしいという噂をネット上で見かけ、『聲の形』と『この世界の片隅に』を同じ日に見に行った。
2つとも噂に違わぬ大傑作で、私が今までに見た映画のベスト10を塗り替え、
『聲の形』は7位に、『この世界の片隅に』は6位に、新たに入った。
『聲の形』は「障害者に対する接し方」と「いじめ」をテーマとした映画。
あらすじを知った時、同様に障害者とそれを取り巻く人々をテーマとした
昔の作品『どんぐりの家』(原作:山本おさむ)を連想した。
私の親族にはダウン症児がおり、その子とその家族が陥った状況が『どんぐりの家』での描写そっくりだった。
『聲の形』に『どんぐりの家』と似た気配を感じ、
「見なければ」という義務感めいたものを持ちつつ、映画館に足を運んだ。
私見では、『どんぐりの家』がどちらかと言えば「障害者に対する接し方」を描く方にベクトルが向いているのに対して
『聲の形』はどちらかと言えば「いじめ」を描く方にベクトルが向いている様に感じられる。
『聲の形』が訴えている事の1つは、
「いじめはごく普通の子供の間でも実に些細なきっかけで起こるものであり、子供の中に障害児(※)が加わった場合はさらに起こりやすく、陰惨さの度合いが強くなり易い」
といった事だろうか。
(※障害児に限らず、何らかの意味で「弱点を抱える」者あるいは「周囲と比べて相対的に立場が弱い」者に置き換えても、この図式は成立する)
主人公の西宮硝子と石田将也そしてその周囲の子供や大人達が陥ったのと似た状況に陥った観客は、私も含め、かなり多いのではないかと思う。
この映画には「絵に描いた様に分かりやすい悪人」は殆ど存在しない。
強いて言えば、将也の教室の担当教諭・竹内ぐらいだろうか。
小学校での竹内の仕事ぶりはいかにも「お役所的」で冷淡に見えた。
だが、あの程度なら(あるいは「残念ながら」と言うべきか)どこの学校にもいるだろう。
あとは植野直花の言動に色々と疑念を持ったが、
それとて彼女を「悪人」と断ずるには酷に過ぎる。
彼女の様な「ちょっと勝気(あるいはナマイキ)な女の子」は
どこの学校でもごく普通に見られるはずだ。
劇中で描かれた将也の罪を要約するなら、
それは「無知と未熟ゆえの想像力や配慮の欠如」という事であろう。
その罪ゆえに将也は硝子の心を傷つけてしまい、
後に激しい自己嫌悪に陥る事となった。
仮に将也と級友達そして担当教諭にもう少し想像力と配慮が有れば、硝子に対するいじめは起こらなかっただろう。
先程「いじめはごく些細なきっかけで起こる」という旨の事を書いたが、
この映画は「ごく些細なきっかけで、事態はいくらでも悪化する」という事をも訴えているかの様に、私は感じる。
将也と硝子は劇中でそれぞれ別々の時期に自殺を図るが、
二人とも死を免れ(硝子の場合は正に間一髪だった)、
辛うじて最悪の事態は避けられた。
劇中の状況がもう少し悪ければ、二人のうち少なくとも一人は死に、遺族やその周囲の人間にも大きな禍根を残しただろう事は想像に難くない。
本作を「御都合主義の感動ポルノ」などと評する人間を見かけたが、その種の人種は「現実主義()の悲劇ポルノ」の中毒者なのだろう。
そんなに悲劇が見たければ、溢れんばかりに存在する現実世界の陰惨なニュースを、寝食を惜しんで「消費」するがよい。
私が思うに、現実世界の理不尽は、天災などのように人間に由来しないものと、戦争や確執などのように人間に由来するものに、大別される。
いじめは、大人の世界での戦争や抗争や確執の、子供の世界への投影である。
大人の世界で戦争や抗争や確執が絶えたためしが無いように、いじめも絶える事は無いだろう。
大人の世界での争いごとを根絶するのが不可能でも、起こった争いごとによる惨禍を少なくする試みは常に行われてきた。
いじめも、根絶するのが不可能でも、惨禍を少なくする試みは常に行われて然るべきだ。
『聲の形』を知る数年前から、私はゲーム理論に興味を持って糊口をしのぐ合間に関連書籍を読み漁ってきた。極めて個人的な意見だが、ゲーム理論が戦争の構図を理解するのに役立つのと同様、いじめの構図を理解するのにも役立つかも知れない。
(ゲーム理論から導かれる重要な結論は「敵に決して弱みを見せるな」「敵にはこちらにとって都合良い情報のみをつかませろ」であると、私は思う)
話が脱線してしまったが、この映画のラストは、安堵感を覚えると共に、
現実世界の争いやいじめについて、改めて深く考えたくなるものであった。
現実は
自分の体験ではいじめるような子は逆の立場にはならなかった。自らぐれたりしてドロップアウトはするが…。
最後に気がついたが大人の男は全く深く関わるかたちででなかったな…父親は0。
登場人物の中の誰かには重なるはず
さすが京アニ!
表現力が飛び抜けてる!
人の顔を見られない✖︎の表現だったり、
手話の完成度だったり、
わかりやすくも共感しやすいものでした。
でもやっぱり、観ててツラかったですね。
いじめて、いじめられる中で、
親、教師、クラスメートの言動や行動は
「ああ、こういうの見たことある」って。
クラスで犯人探しするみたいなシーンは特に。
クラスメートは自分以外の誰かに
責任を押し付けて、自分のことは棚にあげる。
教師も面倒事が嫌いだから
都合の良いように誰か1人だけに
全部を負わせて、それで済まそうとする。
日本の学校を忠実に描いてると思う。
自分が行ってた学校が異常だったのかもしれないけど、
本当に、こういうのが普通にありました。
だから、こういうの本当にムカつく。
特にあのメガネの女みたいなの、本当に嫌いだった!
被害者ぶって、人の同情を誘って、周りを味方につけて、
自分に都合の悪い人を貶める。
自覚がないとしても、やってることはそういうことだから。
それにホイホイ釣られる
赤髪男みたいなヤツもどうかと思うけどね。
たぶん、自分は
主人公とツンデレ女の間くらいな
性格してるんだろうなって思う。
きっと他の人も
登場人物のうちの誰かに
共感するものがあるんじゃないかな。
全112件中、41~60件目を表示