「経済というたわごと」マネー・ショート 華麗なる大逆転 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
経済というたわごと
リーマンショックのことは知らない。
が、わたしは世界経済の趨勢について、誠実なひとたちが誠実に運用している──と思ったことはない。
不誠実なひとたちが不誠実にやっているのだろうと思っている。新自由主義のミルトンフリードマンがノーベル賞とるくらいだから根本的にデタラメなもの──だとは思っている。このばあいデタラメとは富者の味方である──という意味だ。いまさら、そんなことを驚きはしない。
ただ、リーマンのとき感じた格付け会社の不誠実さってのは、度肝をぬくものだった。
わたしは大卒でもなくホワイトカラーの仕事もやったことがない。ずっと労働者でやってきたので、事務系職というものが、なにをしているのか、想像がつかない。ほどの世間知らずである。
しかし、この恐慌があったとき思ったのは格付け会社というものの存在意義である。格付け会社とは、会社の財政の健全度を、評価する会社だと思われる。すると、かれらは、何百、何千、何万人の職員がいるのか知らないが、日夜、会社の格を調査したり算定したり推量したり再評定したり、している──はずである。実地調査と議論とコンピュータが、日夜AかAAかBかBBか、について格闘している──はずである。
であるなら、格付け会社は、無教養なわたしが順当にかんがえても、暴落やデフォルトのバロメーターとして機能しなければならない。
ところがどうだろう。
とんでもない不誠実さに加えてとんでもない不透明さ。
そもそも付した格の根拠を説明できない格付けとはなんなのか。飲食店に、A定食やAA定食やB定食やBB定食があって、なんですかとたずねたらわかりませんと言われてしまった──みたいなもんである。
おそらくあの巨大なビルには、AやBやAAやBBなどが記された円形の的があって、それをぐるぐると回転させているところへ、職員たちが矢を射て、会社のAやBを決めている──としても、不思議はない。
それがビジネスとしてなりたち、巨大企業として存在するという不思議さは、労働者にはとうてい理解不能である。だいたい、会社や債券の格を付けて、どうやってお金を稼いでいるのか、かいもく検討もつかない。
しかもリーマンで格の信憑性を追及されると、格はあくまで主観的な意見ですから──と言って逃げたわけである。食中毒をおこした飲食店が、食べたのはあんたの判断でしょ──と言ってるようなもんである。
ひとは大きなお金を動かしていると感覚が麻痺する。ゆえに、ウォール街周辺のひとびとは、概して感覚の変調があるだろう──とは思う。ただしこの映画でサブプライムローンのからくりを見抜いた複数の主人公らは、意外に庶民的に感じられた。とりわけスティーヴカレルの演じたキャラクターはずっと怒っている。しごくまっとうな反応だと思った。
演出は編集に尽きる。中心人物を変えるとき、場面転換するとき、回想するとき、おびただしいカット割りを挿入する。しかも見たこともないほど早く割る。そこに使われているすさまじい量の情景やイメージ。
仕掛けは主にふたつ。登場人物がカメラ目線で観衆に話しかけること、金融プロパーではない有名人が概説すること。いずれも群像劇のさなかにスルリと移行する。思い切った演出だが違和感はなく面白い。
再現性が高いドラマとドキュメンタリーのように腰の据わらないカメラと厖大なイメージ。ぐいぐい引き込まれてあっという間に終わる。