ヒトラーの忘れもののレビュー・感想・評価
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タイトルはこのままでいい
タイトル批判があるが、私はこのままでいいと思う。
地雷の国だの土地だの、地雷と少年兵だのというタイトルだったら、多くの人がこの映画の存在にすら気が付かないで通り過ぎてしまう。
ヒトラーだから人はこの作品を観る。
その名が犯した罪を知るから。
ラストシーンも賛否あるが、私は観る人の心情次第で解釈が変わる良いシーンだと思う。
アレで母国ドイツに帰りハッピーエンドだと信じたい人、国境警備に捕らえられてしまったと考える人。
私は、軍曹の人間らしさを二通り感じた。
何とか救い出してあげたい、母国に返してあげたいという善の気持ち、優しさ。
そして、自分が今後、罪悪感を持って生きることから逃れたい気持ち、よわさ。
そのどちらも間違いではない、人の気持ち。
後者のような脆さ、弱さがあるから肝心なときに人はノーと言えず、ホロコーストを招いてしまった。
間違いではないかと疑問を抱いた人がきっといたのに、誰も声を上げず従い、無感情にあんな歴史を作ってしまったのです。
そんな弱さをどこかに訴える意味も込めてラストシーンはあると、私は感じました。
美しい景色と、少年達の絶望が、残酷なほど見事なコントラストを生み出し、メッセージ以外にも、映像としてもとても素晴らしい作品です。
最後にどうでも良いことですが、ラスムスン軍曹とセバスチャン、イケメンだった…
強い反戦映画
原題:「UNDER SANDET」(砂浜の下)(UNDER THE SAND)
英題:「LAND OF MINE」(地雷の土地)
邦題:「ヒットラーの忘れ物」
デンマーク、ドイツ合作映画
背景
デンマークは現在でもマルグレーデ2世女王が国家元首の立憲君主国家だが、彼女の祖父クリスチャン10世国王の頃、第2次世界大戦では隣国、ナチスドイツに突然先制布告され、戦わずして降伏し、ドイツ軍に侵略された。デンマーク人の中には、志願してドイツ軍に加わる人もいたが、反ナチ活動家となって、レジスタンスの場を提供する者も多かった。駐米大使ヘンリス カウフマンの働きで連合国に接近し、土地をドイツに侵略されながらも連合国扱いされた。
戦争末期、ヨーロッパ戦線の連合軍はフランス、ノルマンデイー上陸を果たし、ドイツ軍を敗退させる。ドイツ軍はノルマンデイーではなく、輸送路が一番短いフランスのカレから、連合軍が侵攻すると考えていた。また同時に、デンマークの西北部の海岸から連合軍が侵攻することも考えていて、阻止するために大量の地雷で、西海岸埋めつくした。
1945年5月、終戦とともにデンマークに進駐していたドイツ軍兵士は捕虜となる。対戦国どうしの捕虜の扱いについては、国際条約ハーグ陸戦条約の規定があるが、ドイツ、デンマーク間は、交戦国ではないため、捕虜虐待禁止や、捕虜の強制労働禁止などの捕虜の扱いに特定の取り決めはなかった。ドイツ軍捕虜たちはデンマーク軍に引き渡され、200万個のドイツ軍が埋めた西海岸の地雷を除去する作業を強制された。従事した捕虜の多くは、戦争末期に非常徴集させられた兵役年齢に達していないテイーンエイジャーだった。
デンマーク人映画監督のマーチン サンドフリットは、地雷撤去に関心があって調べている内に、西海岸に大量のドイツ軍兵士の墓を見つける。どうしてデンマークの海岸沿いで終戦後なのに沢山のドイツ兵が死亡しているのか。調査の結果彼はドイツ軍が埋めた地雷を撤去するためにドイツ軍捕虜が使われた事実を知って、今まで語られることのなかった隠れた歴史を映画にしようと思い至ったという。
映画は、捕虜となったドイツ兵たちが行進してくる。その姿を見て怒りで鼻息荒くなった、ラスムサン軍曹の荒い呼吸音から始まる。
ストーリーは
ラスムサン軍曹は自分の国を侵略していたドイツ軍への怒りを抑えることができない。行進してくる捕虜の中にドイツ国旗を持っている兵を見つけると、飛んでいってぶちのめす。捕虜虐待とか、捕虜の人権とか言ってる場合じゃない。憎きドイツ兵をみて怒り心頭、絶対許せない。彼は12人の捕虜を任された。捕虜たちは、地雷を撤去する作業について訓練を受けた。この12人を生かそうが、殺そうがラスムッセン軍曹次第。3か月で砂浜に埋まった45000個の地雷を撤去してもらおうじゃないか。もともとドイツ兵が埋めた地雷、素手で掘り返して自分の国に持って帰ってくれ。
12人の少年たちは、列を作って砂浜で腹這いになって、棒で砂をつつく。棒に何か当たれば掘り返し、地雷を砂からかき出して信管を抜く。彼らは砂浜での作業以外は、鍵つきの小屋に閉じ込められて、食糧を与えられていない。たまりかねて捕虜の中でリーダー格のセバスチャンが、ラスムサン軍曹に食糧の配給を懇願する。砂浜は、僕たち餓死者で埋まってしまうだろう と。地雷が爆発して、一人の少年の両腕が飛んだ末、死亡した。
軍曹は、少年たちに食糧を配給する。それを見て、エベ大尉は批判的だ。どうして敵に少ない食料を分けなければならないのか。
二人目の被害者が爆破して死んだ。少年たちは空腹に耐えかねて、小屋を抜け出して農家から盗み出したネズミ捕りを知らずに食べ物と思って食べた。軍曹は食べた少年たちに海水を飲ませ、吐しゃさせて救命する。
3人目の被害者は双子の兄だった。弟は錯乱状態になって兄を探そうとする。軍曹は彼にモルヒネを打って鎮まらせ、眠るまで一緒についていてやる。鬼軍曹にも、徐々に少年たちへの優しい感情が芽生えてきている。
基地に出向いたときに、他の隊員達がドイツ兵捕虜に暴力をふるい土下座させたうえ放尿して面白がっている姿をみて、軍曹は虐められている二人の少年を貰い受けてくる。そして今の仕事が終われば国に帰れると、少年たちに約束する。
しかしラスマセン軍曹の大切にしていた唯一の友だった犬が、地雷撤去したはずの浜辺で、地雷を踏んで死んだ。一度は少年たちの父親の様に接し始めていた鬼軍曹は再び態度を硬化する。
そんな矢先、ジープの荷台に集めた数百の地雷を積み込んでいる最中、地雷が大爆発を起こして砂浜にいた4人を除いて全員が死亡する。爆発は強力で、車の残骸さえ残らなかった。残った4人は任務を完了する。終了後は放免されることを約束されていた捕虜たちだったが、地雷除去の熟練者を、軍は放免しない。ラスマセン軍曹の居ないうちに、エベ大尉らは4人の少年を別の地雷撤去の現場に連れ去ってしまう。セバスチャンら4人の捕虜たちは、約束された放免の日のために希望をつないで生きてきたが、ラスマセン軍曹に裏切られたと思い絶望する。
4人は作業の途中で呼ばれて、フードのかかったトラックに乗せられる。どこに行くのか、長いドライブのあとで外に出るように命令された少年たちは、希望を失い仮面のようになった顔で外に出ると、そこに立っていたのはラスマセン軍曹だった。500メートル先はドイツ領だ。走れ、立ち去れ。さっさと帰れ、、、。半信半疑の4人の少年たちは、軍曹の姿を振り返り、振り返りしながら走り去った。
というお話。
鼻息荒く怒っているラスマセン軍曹の顔で始まり、彼の満身の笑顔で映画が終わる。
国境にはデンマーク軍が居るだろう。4人の少年たちが無事に故国に帰れるかどうか疑わしい。軍規に逆らったラスマセン軍曹に待っているのは軍法会議か、厳しい罰則か、全くわからない。映画を観ているものとしては、すべて戦争直後のどさくさの紛れて、なんとかみんな生き延びて欲しいと、切ない希望を託すことができるだけだ。
強力な反戦映画。
砂浜が美しい。地雷撤去したあとの砂浜をはしゃいで走り回る少年たちの姿が、空を舞う天使たちのように美しい。
200万個の地雷。それを撤去するために従事させられた2000人の捕虜たちの映画。まだ兵役年齢に達していない戦争末期に徴発された、貧弱な体をもって腹をすかせた少年たちの姿が哀しい。
ラスマサン軍曹の犬がすごく良い。賢いボーダーコリー。ジープに乗る時も、歩くときもこの犬はいつも軍曹と一緒だ。軍曹が休んでいるとき、犬は幸せそうに全身の重さを軍曹にもたせかけている。演技とは思えない。
ラスマセン軍曹の表情の変化が甚だしい。怒りをたぎらせる鬼軍曹が、少年たちの仲間をかばい合う姿や、いつか家に帰れるという希望を失わず与えられた仕事に励む姿をみて、徐々に硬い表情が緩んでいく。彼とセバスチャンとの会話シーンなど、本当の父と息子のような空気が醸し出されていて、胸を打つ。双子の兄を失った後のエミールが哀しい。兄のオスカーは爆発で肉片さえも吹き飛ばされて何も残らなかった。兄を探して早く見つけ出して家に帰り、父親を助けてレンガを積む仕事をするんだ、と話すのを聞いてエミールが寝付くまで横について居る軍曹の限りなく優しい目。
人間はどんなに憎しみを持っていても、いつまでも鬼ではいられない。ともに飯を食い、同じ空気を呼吸し、同じ光景を見ていれば、人は人を赦すことができる。人は赦す心なしに生きることはできない。
しかし、兵器産業は武器を作り続ける。武器を売るために戦争を作り出している。
地雷ひとつ作るための経費:3ドル
地雷一つ撤去するために必要な経費:200-1000ドル
それでも毎日毎日地雷を作り続ける兵器産業。
米国、ロシア、中国は対人地雷全面禁止条約に署名しようとしない。
カンボジアには米軍が落した600万個の地雷がある。ラオスには、ホーチミンルート補給線をつぶすために米軍が200万トン、8000万発の爆弾を投下し、その30%が不発弾だったため、沢山の地雷撤去ボランテイア組織の活躍にもかかわらず、いまも人々が死んでいる。べtナム戦争は1975年に終了などしていないのだ。
どんな戦争もあってはならないし、起こってはならない。
良い反戦映画は、いつも私達に、自分はどう生きるのかを問いかけてくれる。
最後に「ヒットラーの忘れ物」というタイトルは変。原題はデンマーク語だが、直訳すると「砂の下」、英語の題名は「LAND OF MINE」で「地雷の土地」。どうしてこのまま直訳をタイトルにしなかったのか。忘れ物という言葉は、なにか、間の抜けた「母さん、忘れものだよー。」とか、母親が子供に「忘れ物ない?」と登校前の子に怖い顔で問い質すときなどに常用される言葉で、すぐれた映画のタイトルに合わない。
これまでにも、珍妙なタイトルが多くて、それごとにしつこく文句を言ってきたが、ブログに映画評を書いたので、思い出すだけでもいくつもの映画の例がある。
1)「優しい本泥棒」:「BOOK THIEF」という映画なので、本泥棒で良い。優しい がついて、やさしくて容易いのは泥棒だと言っているのか、泥棒が本だけ持って行ったから優しいのか、本泥棒はみんな優しい人なのか、、、理解不能。ナチによる出版弾圧、思想弾圧、梵書を描いたすぐれた反戦映画なので変なタイトルをつけないで下さい。
2)「ミケランジェロプロジェクト」:「MONUMENT MEN」モニュメント マンと呼ばれた人々が欧米では良く知られていて、ナチが奪った芸術品を取り戻した話なので、そのままのタイトルで良い。ミケランジェロプロジェクトという新語はないし、通じない。
3)「それでも夜が明ける」:「12YEARS SLAVE」苦しくても、夜が明けてハッピーエンドになると、初めからわかっている映画など人は見たくない。12年間奴隷にされた理不尽な人の、本当の話なので、はじめから結果がわかるようなタイトルはつけないで欲しい。
4)「戦禍に光を求めて」:「WATER DIVINER」ウォーターデヴァイナーという水脈を探し出す人で、この言葉は砂漠や荒れ地に住む人しか知らないかもしれないけど、激戦地トルコのガリポリを題材にした反戦映画。大好きな映画なので、奇妙な題をつけられて悲しい。戦禍に光なんかない。
映画の翻訳者には、どんな権限があるのだろう。映画の内容に合わない奇妙な邦題をつけるのは、止めて欲しい。映画監督に失礼ではないか。タイトルまで含めて監督は映画を作る。勝手に翻訳者のセンスでタイトルを「翻訳」してしまって良いのだろうか。これって芸術破壊ではないか。
「ヒットラーの忘れもの」タイトルは悪いが、映画は素晴らしい。見る価値がある。
戦勝国と敗戦国の違い
どう受け止めれば良いのか迷う作品 戦争に勝った立場、負けた立場どちらに視点を置けば良いのか?!
アウシュビッツでの惨状は有名で映画やドラマでさんざん観てきた。
この映画の主人公はまだ幼いドイツの少年兵、デンマーク?の一般市民も出てくる女、子供はどの戦争に置いても被害者と言う事を伝えたかったのか?監督は?
ひとつ気になったのは鬼軍曹の心の変化が急激過ぎると思う点時間の制約も有るだろうが徐々にとかではなく急過ぎる
最後のオチはある程度想像は出来た。
どう捉えれば良いの?
この映画吹替えで見ました。最初の方はハラハラドキドキで見ていましたがラストは?って感じでした、これはハッピーエンドととらえて良いのかわかりませんでした。最後の軍曹の行為は完全に命令に背いているけどなんであれが出来たのかわからない。それなら少年兵は全員助からなかったってした方が残酷さが出るのではないでしょか?あと登場人物をもう少し丁寧に描いてほしかったです。
埋めたままではいけない歴史
……誰だ、『ヒトラーの忘れもの』だなんて
ポエムみたいなタイトル付けたのは。
なんかちょっとセンチメンタルな雰囲気の映画と
勘違いしそうだが、全然そんなんじゃないです。
かなりヘビーだし緊迫感も相当なもんです。
1945年、ナチスドイツ占領下から解放されたばかりの
デンマーク。ナチスが海浜に埋めた220万個もの地雷の
撤去を命じられたのは、敗残兵となったドイツの
少年兵達だったという、史実を元にしたドラマ作品。
東京国際映画祭の上映時は『地雷と少年兵』という
タイトルで上映されたそうな。ややストレート
過ぎるきらいはあるが、こちらの方が断然好き。
...
英題『LAND OF MINE』は『地雷の土地』とも
『私の国』とも訳せる。
主人公格にあたるラスムスン軍曹が冒頭、ドイツ兵に
「俺の国から出ていけ!」と吼えるが、この映画に
おける『私の国』は、当時のデンマーク人がドイツ人に
抱いていた強固な憎悪を如実に表す言葉なのだろう。
国を占領され仲間や家族が殺されたのだから
その憎悪は至極当たり前の感情だと思うが、
その憎悪が戦争に加担した少年兵たちに
浴びせられるとなると、事情はもっと複雑だ。
自国の正義を教育として刷り込まれ、他国を侵略
するための訓練を施されたとはいえ、彼らはまだ
善悪の判断もおぼつかない子どもである。
兄のことを嫌わないでほしいと懇願し、
帰ったら腹一杯に飯を食べたいと笑い、
ぼろぼろの故郷を復興させたいと夢を語り、
母親に会いたいと泣き叫ぶ。
そんなほんの小さな少年である彼らに、
ナチスに対する憎悪すべてが注がれる。
...
砂浜の地雷を手探りで見つけ、素手で信管を
抜いて解除するという死と隣り合わせの作業。
そんな凄まじい緊張を強いられる作業を数万個。
いつ地雷で体を吹き飛ばされないか分からないし
(砂浜での最初の爆発では思わず「ヒュッ」と
音を立てて息を吸い込んでしまった)、
『死の行進』のシーンなどは恐ろしくて息もできない。
気の遠くなるほど過酷な作業を数ヶ月間も
強いられるのに、十分な設備も食料も与えられない。
食料については意図的に支給されなかったりもする。
第一、地雷を撤去した所で誰も誉めてくれなどしない。
なぜかって?
奴らがやったことを奴らに尻拭いさせているだけだ。
食料が足りない? 自国だけでも大変なのに、憎き
ドイツ兵共にくれてやる食料などあるはずがないだろう。
誤って腕や頭を吹き飛ばした? それがどうした?
それこそ自業自得だ、いっそいい気味じゃないか。
さっさと代えを用意すればいいだけの話だ。
むごい言い方だが、軍の上官や一般住民
にとって、少年達の価値はその程度だった。
...
少年達を監督する役目を負ったラスムスンは違った。
冒頭で「俺の国から出ていけ」と憎悪を露にしていた彼。
初めこそ冷徹に少年達を監督しようとするが、
彼らと直に接する内にその気持ちが揺らいでいく。
彼と利発な少年セバスチャンとの交流には特に心を打たれる。
彼らが二人で笑い合い、肩を抱き合う瞬間には
目頭が熱くなった。敵国同士でさえなければ、
彼らはきっと良い友人になれていたはずなのに。
ラスムスンの取ったあの行動。
気持ちを伝えるように、何度も何度も彼の方を振り返る
セバスチャン。あくまで素っ気無い態度のラスムスン。
重い重い物語だが、それでもこの映画には救いがある。
絵空事かもしれないが、ここに描かれているのは
こうありたいという人間としての希求でもある。
...
不満点は、ラスムスンや海辺の母娘について
もっと背景を描いてほしかったという点。
これくらい曖昧でもそこは良い部分かなとも
思うが、ラスムスンやあの母親の憎悪をもっと
詳細に描いて、後半とのコントラストを強めて
ほしかった気がする。殆ど個人的な好みだけど。
しかしながら、秀作でした。
戦争で憎しみを抱くな、というのはとても難しいが……
憎しみは人の目を曇らせる。憎しみに身を委ねると、
いつの間にか、自分自身が最もなりたくなかった
怪物に近付いていることも有り得るのだろう。
大満足の4.0判定で。
<2017.07.05鑑賞>
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長い余談1:
出張の関係で映画.comさん運営の
『アミューあつぎ 映画.comシネマ』にて鑑賞。
実は2度目(前回は『ブルックリン』を鑑賞)。
スクリーン小さめながら上映作品はどれも上質。
上映前にスタッフさんが、作品にまつわる
トリビアを紹介してくれるってのが素敵です。
また機会あればお邪魔します。
長い余談2:
それにしても、ナチス絡みの映画の邦題には
『ヒトラー』を入れないといけない
という法律でもできたんだろうか。
近頃やたらめったら多い気がしません?
さっと思い付いた限りでかの“総統”の
名を冠した映画の原題を調べてみた。
・『Der Untergang(没落)』
→『ヒトラー 最期の12日間』
・『Er ist wieder da(彼が戻ってきた)』
→『帰ってきたヒトラー』
・『Im Labyrinth des Schweigens(嘘の迷宮)』
→『顔のないヒトラーたち』
・『Die Fälscher(偽造)』
→『ヒトラーの贋札』
・『Elser(エルザー:主人公の名前)』
→『ヒトラー暗殺、13分の誤算』
・『Jeder stirbt fur sich allein(死ぬ時は誰もがひとり)』
→『ヒトラーへの285枚の葉書』
・『The King′s Choice(王の選択)』
→『ヒトラーに屈しなかった国王』
へぁ!? 原題にひとつも『ヒトラー』がいない!?
Mein Führer, wo bist du?(総統、どこですか?)
最初の2作品はずばり本人が主人公だし、
良いタイトルもあるにはありますけどさ……
本作も含め、邦題決めてる方々はヒトラー=ナチス
という安易な連想に頼り過ぎじゃないですかね、最近。
軍曹やるじゃん
戦争ではなく戦後を語るドラマ。
丁独の関係さえ理解すれば、あとは理解に易い。
(邦題に限ってだが)独裁者の名を冠するのは、彼が如何に大戦の象徴であるが故か。しかし作品が語るのはあくまでもその余波であり、歴史の裏側の人間劇である。
心臓を殴られるような思いだった。
心臓を殴られるような思いがした。戦時中、ドイツ軍がデンマークの海岸に残した地雷を、回収する為に招集されたのはドイツの少年兵だった。戦争の爪痕を、まだ幼い少年たちが命を懸けて(そして実際に失われていく命も少なくない)償っていく作業。戦争というものの不毛さを、ありありと見せつける映画で、「胸が締め付けられる」なんて言葉では足りないほど。心臓を殴られるような思いだった。
映画は特別な物語性を付加することなく、実際の少年兵たちの様子を再現するかのように写実的にその様を映し出していく。「軍隊」やら「兵士」たちの、浅ましいまでの従順さや愚かしい程の服従を見せつけながらも、その奥にある少年たちの無邪気さ、軍曹の人間味が顔を出し、しかし戦争の凶器と狂気は、人間がふと息をついた瞬間に、暴音を立ててその衝撃と残酷さを示す。この映画でも、地雷が爆音を立てるのは人間(及び観客含め)がふと気を緩めた瞬間だ。そしてその都度、戦争の恐ろしさ、現実の惨さ、そして戦争にまつわるすべてに対しての愚かしさを感じずにいられなかった。
本当に、この映画を観ていると、戦争がいかに不毛で、徒爾なだけならまだしも、その残骸があまりにも惨たらしいものだということを苦しい程に感じる。この映画には、意図して殺し合う人は出てこない。ましてやまだ幼い少年たち。彼らが、戦争の残り香を嗅いでは次々に死んで逝く姿に、それでも戦争を止めない理由が理解できないと改めて思った。
この映画が描くのは、終戦後の物語だ。でも戦争が終わった後も、まだ戦争は続いている。日本だって、70年前に終戦したけれども、今なお、戦争の残骸は残っている。終戦した後で、いつになったら本当の意味で戦争は終わるのだろう?とこの映画を観ながら思ったし、もし再び戦争を起こしてしまったら、その戦争が(終戦という意味だけでなく本当の意味で)終わるのは何百年後になるんだろう?と思うと、やっぱり戦争なんてするべきではないと、強く思った。
反戦映画ではあるけれどただ反戦を唱えるというよりは、ドイツとデンマークが手を組んで、世界に向けて歴史に向き合った真摯な戦争映画という気がして、そこには「もう二度と同じ歴史を繰り返さないぞ」という両国の強い意志のようなものを感じた。
わかり易く、誰にでも勧められる戦争映画。
軍曹の登場シーンで、恐らく帰還のため行進しているドイツ兵を、怒りに任せて暴行するシーンがあります。
それでまず軍曹がだいっ嫌いになりました。
が、その軍曹が地雷除去のため連れてこられたドイツの少年兵と、ちょっとだけ心を通わせてしまうという話なんです。
あ、デンマークのお話です。デンマークをナチスドイツが占領していたんですね、永い間。
で、ついにナチスが敗れたので、デンマーク開放!去れドイツ!という時点からのお話です。
少年兵が除去させられる地雷は、ドイツ軍が埋めたもの。
それをドイツ兵に除去させるというのは、ある意味当然かもしれません。
ただし、大人でも容易でないその任務を、あどけない子供たちにさせることに、軍曹も観客も悩みます。
また、映画の中では触れられていませんが、捕虜の強制労働はジュネーブ条約違反なんだけど、デンマークとドイツは交戦状態ではなかったから、その隙間で強制労働をさせたということらしいです。HPに載ってました。なので、ほんとは国際的にも道義的にもちょっとしたズルをして、少年兵に危険なことをさせたということなんです。
最終的に、数名(5人かそこら)が、生き残り(みんな死んじゃうんですよ)、
やっとドイツに送り返せると思った矢先、「あいつらは地雷の扱いに長けているから、他の地域で地雷除去を続けさせる」との
軍の意向で、新たな任務地へ連れて行かれてしまいます。
軍曹は、軍にそむいて新たな任務地から少年兵を奪い、ドイツとの国境近くで開放してラストという事になります。
ほんの少しだけこの結末は、見ている観客を救うでしょう。
でも、実際はこうではなかっただろうと思います。
勝っても負けても自分も相手もズタズタに傷つけるんですね。
難しくはありません。
わかりやすいストーリーなので、あまりいろんな映画を見たことがない人にも伝わると思います。
なので、世界の苦しみ・矛盾を学びたいとするならば、いい教材だと思います。
まあ、泣いて終わりの映画になってしまう可能性はありますが。
この映画に関係のないことも色々思いました。
日本だとこういう視点の映画、ないよね、なんでかしらと。
だいたいが、いかに戦渦で市民が虐げられたか、
過酷な環境で兵士は戦ったか(そしてそれは尊い)という視点なので、
日本の戦争映画は正直苦手です。
確かに、戦渦に市民は虐げられたし、兵士も苦しんだでしょうが、
それらと同じ分量で、加害者としての反省をしなきゃならないのではと思います。
でもそういった反省が感じられる映画・物語はあんまり思い出せないですが、何かあるんでしょうかね。
戦メリはそうだったかも・・・
父性か母性か
ドイツの北に位置するデンマークは、大戦当時ナチスドイツと連合国の中間的な位置にいて、ナチスによって沿岸部に埋められた200万個もの地雷を終戦後に撤去する際、イギリス等のサポートが得られなかった。そこで地雷撤去にドイツ軍の捕虜の少年兵を使った。いくら元ナチスの少年兵といっても中学生くらいの男の子だが、デンマークの鬼軍曹は容赦なし。この男の狂気なのか、デンマーク人のナチスに対する恨みの深さがそうさせるのか。
限られた食料は少年兵には与えられず、地雷撤去に失敗して手足を吹っ飛ばされて痛みのあまり「お母さーん!」と泣き叫ぶ少年達と付き合ううちに徐々に鬼軍曹にも変化が起こる。「終わったら必ずドイツに帰す」と約束し、国の復興に寄与することを楽しみにする少年達だったが、軍曹の態度の変化に軍の上層部が感づいて「情が芽生えたのか」と詰め寄る。
70年間以上も私達が知らなかった、ナチスの爪痕のあまりの深さ、戦争が残す傷跡の残酷さ、その上での赦しをこの映画は教えてくれる。
残酷で怖い・・
地雷撤去のために働かされるナチス・ドイツの少年兵。とっくに第二次世界大戦のヨーロッパ戦線は終結していた。地雷に吹っ飛ばされる少年兵は残酷だが、最後の場面に少しほろっとした。言うとネタバレかな・・
国境へ走る姿に、振り返る姿に唯一救われた
理不尽、ただただ、理不尽で悲しい。感動する映画でもなく、いやされる映画でもなく、ただただ、どこまでもきれいな映像と音楽のすべてに、気がつけば戦争の理不尽さが埋まっている。戦争のつけを敵国の捕虜で払わせる残虐さ、そこまでさせる憎しみ。どこまでも青い空と白い浜辺、映像と感情とのコントラストにも表れているのかもしれない。かわいそうでかわいそうで、ラストに、解放された犬のように振り返りながら、おびえながら懸命に走る姿に、ほんの少しでもほっとして、よかったと思える自分ありました。登場人物が幼いから、残虐さが際だって、映像美と相まって、一番感動する映画で一番むなしい映画でした。もう二度と見たくないけれど、DVDを買ってしまうでしょう。もう一度みる気持ちにはなれないかもしれないけれど・・・深い感動がありました。「よかった」とは思えない、みなきゃよかったと思う気持ちが強いのに、心が揺さぶられて涙する映画でした。
捕虜虐待だ。
いかに、第2次大戦直後とはいえ、ドイツ元少年兵に海岸線に埋まった地雷の除去をさせるとは、お粗末な話であり、明らかに敗戦国の捕虜に対する、死を覚悟させるリンチ行為である。ナチスの戦争犯罪とは全く別の話である。人海戦術で、それも子供に地雷の除去をさせるなど言語道断であり、デンマーク軍の馬鹿さ加減がよくわかる。アジアに目を転じれば、ドイツを我が旧帝国、デンマークを支那、ロシア、朝鮮に置き換えて思考を巡らすことが出来る。シベリア抑留はその最たるものだ。但し、帝国は、他民族虐殺は行っておらず、侵略戦争も行っていない。
今の日本であれば撮れないタイプの反戦映画
アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた「ヒトラーの忘れもの」を観てきた。第二次世界対戦直後のデンマークで、ドイツ軍の捕虜だった少年兵達は、ナチスが海岸線に埋めた膨大な数の地雷撤去を命じられる。実話を元にした過酷な物語だった。
少年兵達を地雷撤去させる任務についたデンマーク人軍曹は、ナチスに激しい憎しみを抱きながらも、少年兵たちが次々と命を落とすのを見、心を痛めるようになり、やがて彼らとの間に絆が芽生えていく…。死と隣り合わせの任務をさせられる少年達の絶望と、それでも希望を抱く姿に、心を揺さぶられた。
すごいのは内容だけではなく、これがデンマークとドイツの合作映画で、デンマーク代表でアカデミー賞ノミネートされているということ。現代の排他的な空気とナショナリズムが高まる日本だったら、このような映画はおそらく撮れないのではないか。たとえば2017年に「戦場のメリークリスマス」みたいな映画を公開したとしたら?おそらく、反日映画だと騒がれそうな気がする。
そんな現代日本に比べると、戦勝国でありながらも、自らの国家の加害を真摯に見つめ、描いた作品を制作し、アカデミー賞にノミネートされるデンマークという国は、日本に一歩も二歩も自省と反戦への姿勢が進んでいる。そこが純粋にすごいと思ってしまった。
本当に忘れたものとは
予告で少し明るいトーンも期待してる方に伝えたいです。本編ではほとんどそんなものはありません。緊張感、喪失感が映画の中では連続して最後まで繰り返されます。
当時地雷撤去に召集された約2000名のドイツ兵の内、殆どが少年兵。この事実を僕はこの作品を知るまで全く知りませんでした。僕は生まれた自国を憎もうと思ったことなど一度もありませんでした。けれど、時代が違うだけでこんなにも不条理な出来事があったなんて.....
カメラアングルは常に少年たちにクローズアップされるため重傷、死と常に隣り合わせという感覚を見ている僕自身も実感できました。いつ間違えて不発してしまうかわからない。ましてや、ほとんどが撤去に関して素人。除去シーンはハッキリ言って心臓には良くないと思います。
しかし、時折少年たちが見せる無邪気さと夢。この時代の子供の目もやっぱり、澄んでいました。デンマークを攻めた「彼」だけでなく、少年たちの存在を知った以上、僕はもはや誰を責めることも出来ないと思いました。
最終評価は80点です。
うまく思いを言葉にできませんが、これだけは言えます。憎しみからは本当に憎しみしか生まれません。争いなんて全く意味はない。そう感じました。
邦題、深いですね。忘れものとは地雷か、それともあの砂浜に這いつくばるしかなかった「彼ら」のことか。
あなたはどう思いますか?
ただツライ... ドイツを憎むのもわかるが... そこまでしなくて...
ただツライ...
ドイツを憎むのもわかるが...
そこまでしなくても...
とも思う...
家畜の餌を盗んで
食中毒になった少年兵達の事を
隣小屋に住んでる母親が
笑って「いい気味だ」と
言ってたのには
なんとも
嫌な気持ちになってしまった...
私も親族を殺された
当事者ならば
同じように
地雷の撤去や
食事を与えないとか
平気なのだろうか...
苦しむ姿を見ても笑うのだろうか?
いろいろ考えさせられるが
所詮第三者なんだよなぁ...
事実
シベリア抑留と同じく、ドイツの少年兵捕虜が働かされる話。しかも地雷除去。
知らなかった。
戦争の醜さ、地雷の怖さ、
気が狂いそうになる緊張感。
終戦は戦闘が終わるだけで、戦争は終わらないことを改めて実感。
実話であって それが映画になった事に価値がある だが… それ以上で...
実話であって それが映画になった事に価値がある だが… それ以上でもそれ以下でもない。邦題はこれでよかったのか たしかにヒトラーと付ければ 興味ひかれる人はいるだろう。自分も含めて
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