リリーのすべてのレビュー・感想・評価
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ゲルダはそして母になる
綺麗な男性、エディ(リリー)
『リリーのすべて』を観る。世界で初めて性適合手術を受けたリリーのお話。エディ・レッドメイン、カッコイイし綺麗だなぁ。最初は男性の格好をしているにも関わらず、メイクや持ち前の中性的な甘いマスクで既に女性っぽい。イチャついててもほんわかした雰囲気を醸し出している。その後は自分の性について悩んだり奥様も混乱したりするも、壮絶なパニックに陥ることがないので観ていられる。あれが喚き散らしたりしているとまた印象が変わってきているのかもしれない。個人的にはこのままの方が安心してみていられる。衣装がとにかく綺麗で見惚れてしまう。リリーのデンマークでのお友達で同性愛者のヘンリク。演じるはベン・ウィショー。彼が出てくるとテンションが上がる。そんな彼も実生活で同性愛ということを公表している。難点がちょっと。同一性障害というよりも多重人格のような印象を受けてしまった。途中で“役割”という言葉が出てくるが、それ以外は人格が出てくる、といった2つの人格があるような演出がなされている。
トランスジェンダー
邦題もちょっとあれだし原題もうーん。とは思う。けれど内容自体はよかった。
トランスジェンダーというトピックは最近ますます社会に出てきていると思う。この映画は初めてトランスジェンダーした男性の物語。いろんな葛藤があって自分自信もすごく辛かったと思う。けれど同じくらい辛かったのは妻。私はリリーよりも妻の方に焦点を当てて観た。愛する夫が急に異変を感じ始めリリーとして生きたいと決心する。夫を愛してるし妻のことも夫は愛してる。でもリリーとして女性として生きたい。複雑だったと思う。ましてやその時代では前例がほとんどなかったんだと思う。そんな中いろんな思いはあったけれども、どんな時も一緒にいた妻。どんなに投げ出したくても一緒にいた妻。私は夫の葛藤より妻の葛藤に感動した。
エディーが出てるからもあって凄く話題になって周りでもたくさんの人が観たと言っていた。感じたことは人それぞれだけれども、何かの役に立って欲しいと思う。
笑顔が切ない
エディ・レッドメインが…
愛だけが理由ではない
1920年代というまだまだトランスジェンダーの概念がない世の中で、男性(アイナー)から女性(リリー)に性転換した夫と、それを支えた妻の物語。
妻の側からすると、愛する夫が殺され、かつて夫だったものから「あなたは私の世話をしてくれて感謝してるけど、もう夫はいません、女としての人生を生きています」と残酷な通告を受けて、それでも夫だった人が死ぬまでその側にい続けた物語。
彼女がそうした理由はなぜだったのだろうか、と考えながら映画を見ました。
愛だけでは説明が足りないと感じる。友人としての愛に変わったというのも足りない。ショッピングに行くとか、いわゆる友人とすることを2人はしてないからです。
妻がリリーの側にい続けたのは、リリーが妻の芸術上のミューズだったからなのだと思います。リリーをモデルにした絵は高く評価されました。妻は妻であるのと同時に画家であり、夫を失った悲しみを超えて、画家であることを選択した。
ただ、メリットを理解して納得しての選択ではない。妻の中にはずっと葛藤があり、葛藤の正体を彼女自身、わかってはいなかったと思います。自分がどうしたいのか、どうするべきなのか、わかってはおらず、いわば状況や感情に流されて、リリーの最期にたどりついた。
(なお、ひとりの女であることは、友人ハンスが埋めてくれた。ハンスはいわば当て馬ですが、強面なのにおとなしく当て馬役をこなしているところが、個人的には好みでした。)
リリーはトランスジェンダーの歴史的シンボルだけれども、それを実現させた背景に、深い葛藤と曖昧な意思を持った強くも弱くもある人がいたことが、この作品の美しいところのように思いました。
自由な風に舞うこと
夫婦のアイナーとゲルダだが、次第に、それまで隠れていた自分が姿を現すことに戸惑うアイナー(リリー)と、その当時は未知であった障害に対して苦しむゲルダ。
それでも、リリーを信じて支え続けたゲルダの姿に、深い絆を感じた。
また、自分の生き方を自分で決めたリリーに、人生に対する強い希望を感じた。
リリーの女性的な仕草が、もう少しさりげなくても良いのではないかなと若干の違和感はあったけれど、リリーに対する人の奇異な目が、気の毒に思えた。
切ないけれど、ストールが風に舞う様子に、一人の人間の自由な生き方が見えた。
美しい。
性同一性障害。
もちろん詳しいことは知らないし、認識としては、「3年B組金八先生」で採り上げられ、上戸彩が熱演したもの、という程度である。
世の中には多くの性同一性障害の人がいて、差別や偏見にさらされているとしたら、胸が痛い事態である。
ただ、僕の知り合いにはいない。
そんな僕が観ても、リリー(エディ・レッドメイン)の苦悩には胸がしめつけられる。
リリーのそばにいたゲルダ(アリシア・ビカンダー)の苦しみも察するにあまりある。
ときにあかるく振る舞う両者には、ただただ頭が下がる思いである。
トム・フーパーの演出のキーは美しさである。リリーの美しさ、ゲルダの美しさ。
コペンハーゲン、パリなどのヨーロッパの美しさ。
そして、男だったリリーが描き続けた故郷の美しさ。
絵画がモチーフのひとつであったが、カットのひとつひとつが絵画のようであった。
まさに名画の名にふさわしい。
エディ・レッドメインが素晴らしい。もし「博士と彼女のセオリー」がなければ、オスカーは彼に渡っていたはずで、レオナルド・ディカプリオの戴冠はまたもやお預けになっていたであろう。
それくらい、彼は素晴らしかった。
「アイナー」ではなく「リリー」のすべて
アイナー→リリーではなくアイナー=リリーでもなくあえていうならアイナー&リリー、なのだろうか。
アイナーがリリーとして変化していく物語と思っていたので少々驚き、みるみるうちにアイナーがリリーに食われていくのを呆然と見ていた気がした。
アイナー、リリー、アイナーを含んだリリー、リリーを含んだアイナーのそれぞれを違和感なく演じているレッドメインにはただただ脱帽。
笑顔一つで今そこにいるのは誰なのかわかる。
性同一障害に立ち向かったリリーの物語はまだ終わらない。世界中に未だ自分への違和感を抱える『リリー』達はいる。
でもおそらく、彼女は夢の中で見たような生を生きているのではないかと思いたい。
レッドメインだけでなくどの役者も適材適所、素晴らしかった。
でもできればゲルダは包容力と母性にあふれた女性としてだけではなくリリーとの互いを利用している(リリーはゲルダという存在に甘え、ゲルダはリリーを描くことによって生活をしている)共依存的な部分がもうちょっとあると互いの「女性」らしさが際立ったのでは?という気がするけどもそれだと美しくないかな。
_φ(・_・ある意味異次元への冒険か、、、、。
1930年前半の話なのか?アイナーとゲルダの夫婦の話。夫のアイナーがふとした事からリリーという人格にとらわれていく話。
とらわれていく?以前からアイナー自身が感じていた性的違和が表に出てきてしまう話か。別人格が出てくる解離症状なのか性的違和なのか最後まで判断できませんでした。解離が性的違和なのか?ん〜そこはどうでもいんだけど、奥さんのゲルダ、こりゃ大変!自分の旦那が女性になっていっちゃうんだから。ただこの奥さんが強くて優しい!最後までリリーに付き添ってあげる。感動しました。
ゲルダ役の女優さんはアカデミー賞取りましたよね。さすがです。
リリーも話が進むにつれてどんどんキレイになってくるんですよ!女性の体にする手術を受けるためにドイツに旅立つんだけど、これがまた女性がうれしがる姿そのものを演じています。この男優さんもすごい演技。そして、映像がどの場面をとっても油絵の様に美しいのが見所です。ホントにキレイな映像。人の性は何によって決定づけられるのか?元々あやふやなのか?なぜ身体にこだわるのか?突き詰めれば自分が自分である証拠は?考えてしまいますよね。久々にいい映画見ました。
山無し落ち無し意味無し。
見所はエディ・レッドメイン、それが全ての一本。
物語が進むにつれ、しぐさ・表情までが女性にしか見えなくなってくる、これぞ役者魂を感じた。
映像・色彩も静かな中にも情熱を感じさせる画面作り。
何よりも評価したいのは日本公開に当たって「ぼかしで逃げなかった」事だろう。
本当に大事な場面を、そのまま映したことは作品にとって本当に幸せなことだと思う。
(「ぼくのエリ」をもう一度やり直せ!)
ただ、物語としては驚くほどに平板で全てがあっさりと流され進んでいってしまう。
主人公とその奥さんの心の葛藤も、演出上は非常にあっさり流され。
乱暴に言ったら「わがまま(元)男に、周りが振り回されるだけ」になってしまっている。
当の本人はやりたいことやりきって、好きにおっ死ぬっていうオチ。
コレなら映画に別にしなくても…と思ってしまった。
事実ベースの話を過剰にドラマッチクにしろとは言わないが、もう少し映画的演出は欲しかったのではなかろうか。
淡々としすぎて、自分としてはごくまれな恐ろしく眠くなった作品。
とらわれていく様子は見どころ
美しい映画でした
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