リリーのすべてのレビュー・感想・評価
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エディ・レッドメインの凄さを改めて知った作品。
「リリーのすべて」字幕版で鑑賞。
観に行く前は、全く興味がなかったんですが、主演のエディ・レッドメインがアカデミー主演男優賞を受賞したと知り、興味を持ったので、鑑賞しました。(^^)
風景画家・アイナーは、肖像画家の妻・ゲルダに女性モデルの代役をやってくれないかと頼まれ、それをきっかけに、自身の内側に潜む女性の存在を意識する。それ以来、「リリー」という名前で女性として過ごす時間が増えていき、心と身体が一致しない現実を葛藤する。
妻であるゲルダは、そんな夫に対して戸惑うのですが、次第に理解を深めていくというストーリー。
ん~複雑な映画でした。
どのように描くのか少し不安があったんですが、エディ・レッドメインの演技が抜群に良い。
どこが凄いのかというと、全てですかね。
全裸になって局部を隠して、女性の仕草や歩き方など、様々なことを学ぶところなど、途中からホンモノの女性に見えてきました。こりゃ~男優賞を受賞するハズです!
あと、妻のゲルダが可哀想でした。
自分の夫が男性から女性になるというんですから、戸惑います。ですが、リリーに対してだんだんと理解を深めていきます。アリシア・ビカンダーの演技もとても素晴らしかった!
医者から精神病扱いされたり、暴漢に襲われたり、様々な苦難を乗り越えるリリーの姿がなかなか良かったです。
リリーは、最後、念願だった完璧な女性の姿になり、亡くなります。
ラストのシーンで、ゲルダのスカーフが風に乗って、飛んでいく所が美しかったですし、感動しました。
もし男女で観るなら、少し御用心かも??
渋谷humaxにて鑑賞しました。
公開2日目ということもあり、満員御礼で割引が使えなかった。
それ自体は残念なのだが(humaxは何も悪くない)、映画はとても面白かった。
トランスジェンダーの男性が主人公なのだが、1920年代時点ではまだまだ理解されようもない病気に立ち向かい、史上初めて性転換手術に挑む話である。
ぼく自身は正直、性同一性障害とか同性愛などにはあまり興味がないため、ある意味、変に感情移入することなく楽に観れた。
ぼくが面白いと感じたのは、監督の細やかな目線だった。
主人公が、触れた瞬間、感じた瞬間を絶対に見逃さない演出に感嘆した。
物語の構成としては、前半は、内なる自分に気づき困惑する夫目線、後半は、女性としての自分を受け入れた夫に翻弄される妻目線といった感じで、ぼくは前半がとても興味深かった。
一緒に観た女性は後半が面白かったようで、当然ながら男性と女性では観る目線が違ったようだ。
ぼくはアイナーで観る映画だと思ったが、同席した女性は妻目線で観る映画だと言っていた。
もし男女で観た場合、真面目に議論したら最終的にケンカになるかもしれない映画だなあと思った。
とはいえ、とても良い映画だったのでオススメです。
自分ではない
自分の性が、本当の自分ではないという苦しみが伝わってきた。
男か女かというのは個人のアイデンティティの根っこにあるもので、多くの人は与えられた性別を自明の事として疑問も持たずに生きている。でもそのことに違和感をいつも感じていたら… 自分を殺したくなるというつぶやきがリアルに聞こえた。
演技が素晴らしいが、それ以上にトランスジェンダーの生きる苦しみが伝わってきた。
想像してたよりもっともっと重かった
話が進めば進む程、どんどん重くなっていく。誰が悪いとかってことじゃないし、お互い愛し合ってるからこそ、切ないですね。
エディは女装のレベルを越えてますね。表情、仕草、立ち振舞い、その辺の女性よりずっと女性らしい、すごい。
難しい題材
性の不一致が、いかに苦しいものか。自分は理解とまではいかないが、感じることはできました。
日々の苦悩がすごいことも。
リリーの存在に理解を示す妻ゲルダ。彼女が女として幸せになってくれることを見終わって切に思いました。
愛しのリリー
見終わった後、しばらく余韻が残り、胸が苦しくなりました。感動しました。性同一性障害は、今となっては驚くことはなくなりましたが当時は受け入れ難い現実であり…
リリーのような人がたくさん苦しんでいたのだろうと…
絵画と風景と人物画と共に美しく描かれていました。
ストーリーの流れと心理描写にも引き込まれます。
何といっても、エディ・レッドメインは本当に、演技が素晴らしいです。リリーの繊細な心がすごく伝わってきました。
あと、今、いろいろな映画に出てるベン・ウィショーにも注目です!
本来の自分
リリーがリリー本来の姿になっていくことは、ゲルダにとって1番辛いこと。愛する夫の身体が他の女になってしまうということがどれだけ辛いか初めて知ったような気がした。それでもアイナーを愛し、同じようにリリーを理解し大切にする彼女の姿に何度も涙した。
エディレッドメインの演技は本当に女性になりたいリリーにしか見えず、リアリティが逆にこの物語を残酷に悲しくさせた。それに対比するアールヌーボーの装飾がより一層美しい。
汽車で2人が別れるシーンはなんともいえず、悲しく、胸をえぐられた。
そして性別適合手術を受けるということの重みやつらさ、そしてどれだけの彼、彼女たちの望みなのかというとことが痛いくらい知れた。
心情の揺れ動きに、2時間泣きっぱなし
初めて性別適合手術を受けた方の伝記小説が原作の『リリーのすべて』。
アイナーが自分の中の「女性」に気付く過程、それを受け入れられるようになるまでの妻・ゲルダの葛藤を、1920年代の美しいヨーロッパの風景と共に非常に繊細に描いた作品です。
本当にエディ・レッドメインもさることながら、アカデミー賞助演女優賞を受賞したアリシア・ヴィキャンデルの演技も非常に心に迫るものがありました。
おそらく、この映画のあらすじなどには、「夫が女性となるのを受け止めた妻の話」のような文言もあったかと思いますが、そんなあっさりと受け入れられたわけではありません。
愛し合う夫婦として6年一緒にいるのに、夫のことを愛しているのに、彼は「彼女」に変貌しようとしている。違う男性とキスしている場面を目撃した衝撃や「愛する夫」が消えてなくなる様子は、夫を愛しているからこそ、ゲルダは簡単に受け止めることができないのです。
「妻のことを愛しているけれど、心は女」だと主張するアイナー。「愛する夫が別の女性になろうとする姿」を目のあたりにしつつも、ゲルダはアイナーを愛している。これほど、つらく切ない愛があったでしょうか。
そうした2人の気持ちに、見ている方も涙涙涙。アイナーとゲルダが泣くたびに、こちらも泣く。
初めから「リリー」が存在しないからこそ、アイナーとゲルダの感情が手に取るようにわかってしまいます。上映中は終始、あちらこちらからすすり泣く声が聞こえていました。
「トランスジェンダー」という言葉がにわかに日々のニュースでも聞くようになった今、改めてその問題に真摯に向き合った映画だと思います。
1920年代は、きっと今ほどトランスジェンダーに寛容的であったわけではないはず。差別や偏見もあったでしょう。
トランスジェンダーを抱えている人はどういう気持ちなのか、そして私たちはどうするべきなのかを窺い知るのに、この映画はきっとよいきっかけとなるはずです。
そして、絵画のように美しいラストシーンは、きっと群を抜いて美しい締めくくりでしょう。リリーのストールが飛ぶ画が非常に印象的でした。思い出しても泣ける。
余談ですが、エディ・レッドメインが本当に美しかった…!そして、一物がちらっと映ったときは、この映画の中で一番凝視しました(笑)。
そんな意味でも、レッドメインファンの方にはこの映画は必見かもしれません。
分裂しそうな内面を動的かつ端正に描く秀作
1920年代のデンマーク。
アイナー・ヴェイナー(エディ・レッドメイン)は風景画家として成功を収めつつあった。
妻のゲルダ(アリシア・ヴィカンダー)も画家であるが、主流でない肖像画を中心に描いているため、成功には程遠い。
ある日、製作中の妻のモデルの踊り子の替わりを務めたアイナーは、幼い頃からの想いと相まって、自身の内からの女性性に目覚めていく・・・というハナシ。
内なる自分に気づいて、内面が分裂しそうになるひとの話はこれまで何度かお目にかかった。
そういう意味では、それほど目新しくはない。
しかし、トム・フーパー監督は、その内面性を巧みに、それも的確に端正ともいえる映像で表現していきます。
冒頭のデンマークのフィヨルド地方の沼の風景。
それは、アイナーが幼い時分に暮らした土地。
水面に映る立木。
それは、揺らいでいる。
そして、風景に続いて製作過程のアイナーが写し出され、その湖沼地域の風景画を描いている。
この導入部は、後に明かされるアイナーの幼い時分のエピソードを知ると、非常に巧い。
アイナーが自身の女性性に気づく代理モデルのシーン。
ストッキングを履き、右脚を斜めに伸ばしたアイナーは、そのスベスベの脚を自身で魅入る。
このスベスベ感、このシーン以前にアイナーが件の踊り子のもとを訪ね、多数並んだ彼女のスベスベした衣装を手で撫でるところと上手く関連付けられている。
これらの内面の女性性に気づくアイナーを、抑制した表現でみせているあたり、トム・フーパー監督の巧さを感じ、一気に映画に引き込まれていきます。
さらには、妻役アリシア・ヴィカンダー。
たまたま、アイナーにモデルの代替を頼んだことで彼の女性性を引き出すことになるのだけれど、当初はそんな意図などなく、面白半分、ゲームのような気持ちでした。
夫の女装も、ゲーム=つまり、夫と自分とのなかでの秘密の共有、程度だったのが、アイナーの自我を引き裂き、自分をも引き裂いていくさまを、こちらも感情移入できるように演じています。
この引き裂かれた自己、そして引き裂かれて相手を変わらずに愛おしく感じてしまう感情。
このダイナミックな主題を、トム・フーパーは端正に描いていきます。
ダイナミックでありながら端正、相矛盾するふたつを巧みに演出した例としては、次のふたつが挙げられます。
パリに移住したアイナーが覗き部屋で、裸婦を覗き見ながら、自身が裸婦と同化していくさま。
押さえきれない女性性の発露を、部屋を仕切るガラスに映る裸婦とアイナーのシンクロニティで描きます。
ここはダイナミックな例です。
端正なのは、切り返しの上手さ。
言い争うアイナーとゲルダ、手術に挑む前のアイナーと教授など、ふたつの対象をそれぞれのフレームに収めて、的確にみせていきます。
最近の映画では、意外とうまい切り返しが少なく、何気ないショットですが、切り返しに至るまでを的確に撮っているからだと思います。
物語は後半、アイナーの手術にうつっていくのですが、手術は、男性性器の切除と女性器の形成の2回にわたります。
1回目の手術を終えたあとのアイナー(もうこの時点ではリリーですが)の心境の変化にはかなり驚かされます。
それまで抑圧されていたものから解放されて、自由になったわけですが、その自由に対しての渇望・欲求が極端に大きくなっていきます。
物語的には、ここいらあたりがかなり興味深かったです。
そんな自己解放が進んでいくアイナー/リリーを愛しつづけるアリシアには胸が押しつぶされそうになりました。
観終わってまだ整理がついていないので、とっ散らかったレビューになってしまいましたが、評価は「秀作」です。
とてもいい映画だった、 2人の演技が上手すぎる。 自分はそういう者...
とてもいい映画だった、
2人の演技が上手すぎる。
自分はそういう者ではないけど、性っていうのは決して極端に女男と決まるものじゃなくて、とても曖昧で複雑なものなんだなと実感出来た。
神様が女に作ってその間違いを医者が治した。
なんて素敵な表現なんだ。
ただ邦題はリリーのすべて
これは残念。『the danish girl』
の方がとても深い意味があってほんとにそのままでいいのに。
前半から泣き通しの映画
いままでで一番泣いた映画かもしれない。周りの人もすすり泣きが凄かったです。
実話だと聞いていて、テーマも気になってたので、ネットで少し調べてから映画館に行きました。知った上で観ていると、特に後半の方は余計な情報を全て排除していて、非常に辛く切ない中でもまとまりを感じました。
エディ・レッドメインの演技もさすがのもの。エディも周りも凄いから、リリーがどんどん女性に見えてきました。
しかし、特に後半苦しもがき、悟った様子が「博士と彼女のセオリー」の博士そのもので、もっと別の面も見せて欲しいと感じました。
暗いが観る価値が多いにある映画
全体的に暗い映画だった。
主人公に救いがないのが辛い。
手術が成功して女になったらリリーとゲルダの関係はどうなるのか。お互い幸せになれただろうか。
科学的に同性愛が先天的なものであると解明されているにも関わらず未だにLGBTの人々は人権を侵害されており、中には苦悩の中で死んでいく人もいる。
今から50年前の映画界で同性愛者に関する作品が多額の予算と力強いスタッフにより作られ、アカデミー賞の作品賞にノミネートされることが予期されていただろうか。確実に人類は差別撤廃に向けて一歩ずつ進んでおり、この映画はその一歩を象徴する作品である。
1人でも多くの人がこの作品を通してLGBTへの理解を深めることを願う。
力強い映画だった。
エディ・レッドメイン、入神の演技、必見の作品。
この映画は「同性愛」の映画ではなく、「二重人格」に関する作品です。主人公の男性の中に「リリー」という女性が存在していて、夫婦生活を続けていくうちに、次第に「リリー」の存在が大きくなって、遂には当時、危険であった性転換手術を決意する、というのが大まかな筋です。
最近、日本でもLGBTに関してもマスコミがさかんに取り上げ、ゲイのタレントが活躍したり、女性同士の結婚式の様子も放送されています。私はこのようなタレントが活躍したり、その種の報道がなされるたびに「果たして大々的に報道される価値のあるソースなのか?」と思っていました。マスコミ全体がLGBTの人たちを全力で応援しているという嘘くさい風潮に辟易していました。そういう訳で、映画を観終わった後に涙が込み上げてきたのには我ながら驚きでした。今年は14,5本の新作映画を見ているのですが、レビューを書く気になるような映画には出会えませんでした。「ディーパンの闘い」や「ヘイトフル・エイト」のような面白い映画もあるにはありましたが、とてもレビューを書く気にはなれませんでした。しかし、この映画は違います。エディ・レッドメインの入神の演技、そして、レッドメインの役を補完するアリシア・ヴィキャンデルの演技、共に素晴らしいものがありました。レッドメインはアカデミー賞を逃しましたが、オスカーなど軽く超えています。
最後の暗転には唖然としましたが・・・。
人間は平等だ、などということばは嘘です。人間は多様性に富んでいて、そのことについて人間は寛容でなくてはならない、というのが本当のところでしょう。
それにしても、久々にいい映画を観ました。
涙には心を浄化させる作用があるのです。
究極の悲劇であって、ラブストーリーとはちと違う。
エディレッドマン、アリシア・ヴィキャンデルの演技力は言うことなし。おそらくエディは日本では「イケメン俳優」という認識が高いから、女性役というのにアレルギー反応を示す人はいると思うが、ある一点を超えて、男性が完全に「女性」になる、スムーズなトランジッションは圧巻。ちなみに彼の演技のポイントは、「笑顔」です。フーパー
ただこの映画は、究極のラブストーリーではないと思う。
というのは、恋においた男が「女」に変わっていく戸惑いと、それでも「好き」の感情ではなく、「愛した」「事実」から、抜け出し切れない苦悩が描かれていて、物語の中途から、愛し合っていた二人は、ものすごく近いのに限りなく遠い二人になる。なぜなら、二人を繋いでるのは心ではなくて、形だから。極めて美しい悲劇です。
おすすめおすすめ。
すべてが美しい
正直女装のエディって・・と内心不安だったんだけど繊細な演技でなんの抵抗もなくリリーの気持ちに共感し愛おしく思えた。アリシアの演技はオスカーにふさわしく胸をしめつけられた。ベンもさすがの存在感。アンバーは凄まじい美貌。すべての俳優が見事に役に命を吹き込み風景、衣装を含め素晴らしい映像だった。プレミア上映会の舞台挨拶でのエディはすらりとラルフローレンのスーツを着こなし人懐っこい笑顔を振りまいてくれた。上映後はあちこちからすすり泣きが。ほんとに夢のような時間だった✨✨
ジャパンプレミアにて鑑賞
TOHOシネマズ日劇で行われたジャパンプレミアにて鑑賞しました。
ジャパンプレミアには、主演のエディ・レッドメイン、監督のトム・フーパーが出席なさり、レッドカーペット、舞台挨拶が行われました。
エディが演じるのは女性の心を持ちながら、男性の身体を持つことに葛藤する人間を演じていて、彼を支える妻をアリシア・ビカンダーが演じている。
女性として生きたいという思いとそれによって生じる問題や苦渋が描かれている。
夫婦揃って画家であり、出てくる絵画が大変美しいのだが、様々なシーンで芸術的な魅力を感じることができた。
舞台挨拶ではエディの優しさや紳士な面を見ることができ、大変満足できるものであったが、できることならば、先日アカデミー賞助演女優賞を獲得したアリシア・ビカンダーにも来日してもらいたかった。
自己の魂を解放しようともだえ苦しむ姿に感動
1930年に世界で初めて性転換手術を受けたデンマーク人画家のアイナー べルナーの伝記映画。
同性愛が犯罪と見なされていた時代に、アイナー べルナーは、手術を受けリリー エルビーと改名しパスポートも所持した。映画の原作は、デビッド エバーズショフの同名の小説。2015年ヴェネチア国際映画祭で初めて上映され、トロント国際映画祭でスぺシャル プレゼンテーションとして上映された。
主演したレッドメインは、昨年「博士と彼女のセオリー」(THE THEORY OF EVERYTHING)でオスカー主演男優賞を受賞したが、受賞の檀上で、「この受賞を切っ掛けに、筋委縮側索硬化症(ALS)という難病への人々の理解が広まることを願う」とスピーチした。今回この映画で再び彼が、オスカー主演男優賞候補となったので、感想を聞かれて、「話題になったことが契機になってLGBTへの人々の知識が普及し、理解が深まることを願う。主人公は自分に正直な勇気ある人です。」と言っている。
性的マイノリテイーを示す、LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアルと、性同一障害を含むトランスジェンダー(性別越境者)を言う。トランスジェンダーは一般的には、生まれたときに与えられたジェンダーに対して適合できず、それを否定して自身のジェンダーを選ぶ人を指す。外科的手術やホルモン療法する人も含まれる。これ以外に、インターセックスと言い男性性器と女性性器の両方の特徴と器官(小さなペニスまたは大きなクリトリス)をもって生まれてくる人も少なくない。インターセックスを含めてLGBTIという場合もあり、たくさんのバリエーションがあって、人々の嗜好によって10人10様、性の形も、愛の形も多様だ。この映画では、トランスジェンダーで女性になった画家が、常識を打ち破って、自分の魂を解放しようと苦しみもがいた心の軌跡が描かれている。
監督のトム ホッパーは、「レ ミゼラブル」でエデイ レッドメインを起用したが、今回の脚本を読んで、すぐ彼のことを思い浮かべたという。エディは学校劇でシェイクスピアの「十二夜」で、ビオラの役(男装した女性)を演じたことがある。主役がエディに決まるまで、二コル キッドマン、シャーリーズ セロン、グウィネス パルトロー、ユマ サ-マン、マリオン コーテイヤールなども候補に挙がったという。 今回、非トランスジェンダーのエディがこの役を演じたことで、一部のトランスジェンダーのアクテイビストから批判が出ていると報道された。LGBTをテーマに扱うことが、いかにセンシテイッブなことかを裏付けている。
ストーリーは
1926年、デンマーク コペンハーゲン。
アイナー ベイナーとその妻ゲルダは、コペンハーゲン芸術学校で共に学び、ゲルダが18、アイナーが22歳のときに結婚した。子供はなく結婚してから、すでに6年も経つが、とても仲の良い夫婦だ。アイナーは、若き風景画家として評価され、注目をあびていた。彼の描くポプラの並木、湖に映る木々と光、海岸と太陽などのモチーフは、彼の生まれて育った田舎の風景だった。一方のゲルダは肖像画家として、客の依頼に応じて絵を描く。画商が求めるものを画家が描かなければ生活が成り立たない。
ある日の事。絵の完成が遅れていて依頼者から催促されているバレリーナの絵をゲルダは、仕上げなければならなかった。モデルの踊り子が約束の時間に来ないことに業を煮やしたゲルダは、夫のアイナーに、バレリーナの足の部分のモデルになってくれるように頼みこむ。アイナーは、妻に言われるまま絹のストッキングとビーズで飾られた靴を履き、チュチュを身に着けてポーズをとる。やわらかな絹のストッキングの感触、美しい靴、軽やかなチュチュの香しさ。
アイナーの中に眠っていた何かが、突然、稼働し始める。この日を境に、アイナーは次々と女性の服や化粧品を手にする。ゲルダは遊び感覚で、アイナーを女装させては、そのエロチックな姿を絵にした。ゲルダが描いた女装のアイナーの絵は、評判が良く、画商にまるごこ引き取ってもらえるようになった。二人で仲好く女性同士になって、外出もするようになった。二人は、自由を求めてパリに移住する。はじめは、女性の服に身を包んで男達に見つめられたり、誘われたりすることに喜びを感じるようになったアイナーは、次第に女性化していき、妻の肉体的要求に応えられなくなる。こんなはずではなかった。「夫を私に帰してちょうだい。」と泣いて訴えるギルダを前にして、アイナーは、「毎朝、今日はアイナーで居ようと思う。」 しかし彼の決意は長くは続かない。自分に正直であろうとすると、女性の自分しか考えられない。二人の苦悩は続く。アイナーは、何人もの医者のドアをたたくが、精神病者として扱われ、怪しげなラジウム療法や、電気ショックを受け、果てには強制入院させられそうになって、窓から脱出する事態にまで追われる。思い余ったギルダは、アイナーの幼友達ハンスを訪ねる。ハンスは昔、「アイナーにキスをしたことがあった。」ほど仲が良かった。そのハンスをアイナーは、美しく女装して待っていた。それを見て哀しみと苛立ちをみせるゲルダに、ハンスは何もしてやることもできない。
遂に1930年、どうしても女性の体になって子供を産みたいという夢をもったアイナーは、ドイツで性転換手術を受ける。段階的に、まずテスティクル除去と卵巣移植を受ける。術後、回復して次の手術を待つ間アイナーはゲルダがどんなに強く勧めても、絵を描くことをせず、ゲルダのモデルを続け、デパートで売り子になって女たちとの交流を楽しんだ。アイナーは、リリー エルべと改名して、ゲルダとの離婚も成立した。そして、翌年再び、リリーは手術を受け、念願の子宮が移植された。しかし、3か月後に移植臓器拒否反応と感染症を併発してリリー エルべは亡くなる。ゲルダは最後までリリーを支える。
というお話。
こんな難しい役をエディ レッドメインがどう演じるかが、見所。彼は、女性の体になるために極端に体重を減らした。インタビューで、「簡単だよ。朝食を普通に食べて、お昼はちょっとだけにするだけのことさ。」と言っている。 晩メシ抜きで数か月、、。背広姿を横から見ると本当に痩せて細い。彼がバレエスタジオの大きな鏡の前で全裸になるシーンは圧巻。去年アカデミー主演男優賞を取ったとき、ステファン ホーキンス教授になりきるために、彼の家に泊まりこんで、体の動きや表情を何か月も観察したという努力型の役者。体の線が細く、愛くるしい顔、アイドル ビジュアル系、ジュノンボーイと思いきや、なかなかどうしてシェイクスピアを舞台でしっかり学んだ本格派のイギリス人役者なのだ。
バレエのコスチュームを身に着けたことを契機に、自分が本当に望んでいた美の世界ののめり込んでいく姿が、順を追ってわかりやすく、スクリーンの中で語られていく。
映画の始めの頃は、昼夜なく仲睦まじく愛し合い、度重なるセックスをコミュニケーションにしていた仲良し夫婦だったのに、アイナーが女性に目覚めて男として全く反応しなくなってしまったことに、二人してショックを受けるシーンは哀しい。画面いっぱいに顔が大写しになる場面が多いが、、二人が徐々に変化していく様子が、とてもよく表情で表現されている。
ギルダを演じたアリシア べーカンデールが全身全力で夫を愛し、夫の信念を支持して、最後まで看取る、パワフルな妻を演じて素晴らしい。初めて見る女優さんだが、ハリウッドと違ってヨーロッパにはまだ、こんな良い女優がいることがわかった。
アイナー(リリー)の幼友達ハンスは、いわばこの世で最初にアイナーの女性性を感じとった男、として出てくる。彼は、アイナーのこともギルダのことも、しっかり支えるすごく「良い人」役。本当にホロリとするほど良い人ぶりを見せてくれるので、すっかり虜になりそうだ。金髪のオールバックで、美しい青い目はいつも伏し目がち、体がでかいのに威圧感を感じさせない美しい立ち姿、紳士の代表選手みたい。
最後のシーンがとても印象深い。結構長い映画で、ラストシーンなんかない方が良いような映画とか、取って付けたような説教臭いラストシーンとか、どっかで何度も見たことがあるような、お決まりのハッピーエンドとか、ちょっと考え過ぎのラストシーンとかが多くて閉口していた。でもこの映画の最後のシーンは、とてもとてもとても美しい。アイナーの絵の世界を、自然の描写で再現してみせてくれた。見ているだけでアイナーの美的世界に身も心も引きずり込まれそうだ。きっとこのラストシーンは長い事忘れることができずに、記憶に残ることだろう。
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