「描くことは瞑想だった。」リリーのすべて kebabpapaさんの映画レビュー(感想・評価)
描くことは瞑想だった。
自分の男性の肉体に女性の心を宿して生まれたアイナー。
ゲルダという心から愛する妻がいながらも、ひょんなことから彼はいままで自分すら気づかなった、自身の中にいる女性性リリーを見つけていく。
セクシャリティとジェンダーの不一致についての研究が一般的でなかった1900年代前半。当然トランスジェンダーという言葉もない時代に、社会の不理解と不寛容もさることながらアイナー自身がそんな自分に一番戸惑う。
彼はリリーをどうやって受け入れたのか? それは、二重人格。あたかも、自分の肉体にアイナーとリリーの二人がいるかのように振る舞っていく。そういう形でしか、他の人間と異なる自分を受容できなかった彼の姿が、今の感覚からすると奇異に、そしてとても切ない。
夫が自分の愛するアイナーではない存在になっていくことに、最初はゲームのような感覚で一緒に楽しんでいた妻のゲルダ。しかし、次第に彼が自己発見の深みに足を踏み入れたことに気づき、どんどん遠いところにいってしまうことに困惑する。
だけど、肖像画家であるゲルダは、夫の中からでできた女性リリーを描きまくる。そして、彼女は画家として一皮剥けていく。ここが面白い。彼女は、アイナーが二重人格などではなく、本来的には女性性の持ち主であることを、キャンバスに筆で向き合っていくうちに見抜いたのだろう。だからその絵は人の心を打ち、売れる。
創作とうい名の瞑想で彼女は類稀なる冷静さを身につけ、愛する夫の変化を受け入れようとする。だがそれでも、もちろん一番近くにいるからこその彼女の苦悩は続く。
終盤、性器の除去に成功し肉体的にも女性に生まれ変わろうとしているリリー。そんな彼女を前にゲルダは、アイナーとリリーを丸ごと愛したことを伝える。
男/女という枠組みを超えて人を真に愛することとは? そんなことを考えさせる作品だった。