レヴェナント 蘇えりし者のレビュー・感想・評価
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重ためで見ごたえ十分
内容、映像共にじっとり重い感じがずっとあり、観るのにカロリーを使う映画でした。
当時の時代背景や人物など、浅学のため全てを拾うことは困難でしたが、余計なBGMのない、非常に長まわしの1カットに、まばたきもできないような緊張感が続き、映っている人物たちとシンクロするような感覚で視聴できました。
まるで万人受けしない上に、作り手側が高尚な映画を狙いすぎという話も聞きますが、良い意味でしっかりとその通りになっている気がします。
自然の畏怖と人間の生きる力
1823年、毛皮ハンター一団がアメリカ西部の未開拓地を進んでいる最中に先住民に襲撃されるところから始まる話。ディカプリオ演じる、ヒュー・グラスは実在の人物で、実話を基にした映画。
「愛する息子を奪われた父の復讐」などと書かれた作品紹介を見ましたが、私自身は父子の愛など、そういった点にはほとんど感情移入できませんでした。大自然のスケールというか、自然の畏怖に圧倒されっぱなしで、自然の中の一部である人間が、ここまで生きようとした姿(生命力)をただ唖然と見つめるばかりでした。過酷な自然の中で、いかに人間が死なずに生き抜いたかということに感動を覚えるものであって、ストーリーで人を惹きつけるものではないと思います。監督の映像、撮影、演出、出演者やスタッフの根性なども半端じゃないと思います。
違和感があるとすれば、グラスの回復が早すぎるということかもしれません。映画の中では、どれだけ日にちが経ったかというのは明確にしておりませんが、特にラスト、瀕死の状態で戻ってきたのに、すぐに敵討ちに向かうというのは、ちょっとなあ……。
あと、ディカプリオが童顔であるせいか、息子と一緒にいても父親らしく見えなかったですし、トム・ハーディの方が年下のはずなのに、トムの方がおっさんぽく見えました。
もう一度、観賞したい気持ちはあるものの、やはり、これだけの映画なので、鑑賞後、ドッと疲れが出ました。自宅で52インチのTV画面で見ましたが、本物のスクリーンで観ていたら、感動が大きかったものの、圧倒されて疲労感がもっと凄かったかもしれません。
余談ですが、
スケールもストーリーも時代背景も違いますが、厳寒の中、極限状態を生き抜いたという『マイナス21℃』という映画も思い出しました。こちらも実話がベースです。
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自宅にて鑑賞。五度目のノミネートで初のオスカーを手にしたL.ディカプリオを始め、'15~'16年における内外の各賞を総なめにした一作。自然光に拘って撮影された濁った無彩色の寒々しい原風景に重厚乍ら主張し過ぎないBGM。科白も少なめな上、夢うつつが度々混在する未整理で説明不足な構成もあり、1823年アメリカ北西部と云う時代背景や物語のバックグラウンドを知らないとなかなか読み解けない。ストイックな作り乍ら、情け容赦無く心揺さぶられる描写もあり、喩えるなら薄味乍らコッテリ濃厚で、お腹一杯になる一本。60/100点。
・実話ベースとの触れ込みだが、“ヒュー・グラス”、“ジョン・フィッツジェラルド”、“ジム・ブリジャー”や“アンドリュー・ヘンリー”隊長等、各人の設定や末路は史実と異なる箇所があり、あくまでM.パンクが'02年に発表した原作『レヴェナント 蘇えりし者』を元にしている。亦“ヒュー・グラス”の逸話は、R.C.サラフィアン監督が『荒野に生きる('71)』として映画化している。'10年、J.ヒルコート監督がC.ベールを“ヒュー・グラス”にした企画が進行していたらしい。
・一見、不屈の精神による復讐劇だが、或る意味で唯心論的な境地に至るラストでカタルシスを得られるかは観る者を選ぶ。本篇では殆ど説明が無いが、M.ナケコ演じる“アリカラ”族の探す“ポワカ”と思われる女性の顔を憶えておくと理解が深まる。
・リアルに拘り、劇中の時系列通りにカナダから始まった撮影は暖冬で融雪した為、アルゼンチン南部の高地に移り、約九箇月間に亘り続けられた。これにより撮影スケジュールは大幅に遅れ、予算も当初の6,000万ドルから9,000万ドルと徐々に膨らみ、最終的に1億3,500万ドルとなった。
・極力CGIに頼らない作りを目指したが、熊との格闘シーンや谷底に落下するシーン、馬を射殺するシーン等はこの限りでは無い。亦、『スター・ウォーズ/帝国の逆襲('80)』にシンスパイアされたとされる馬を切り裂いた後被り、吹雪を凌ぐシーンでは、馬を始めその内臓もフェイクである。
・ひたすら喘ぎ、苦しむ“ヒュー・グラス”のL.ディカプリオは本来菜食主義者だが、A.レッドクラウド演じる“ヒクク”と知り合うシーンでバイソンの肝臓を生で食した。この“ヒュー・グラス”と対照的な心持でいかにもアクが強い存在感を示すT.ハーディの“ジョン・フィッツジェラルド”だが、当初はS.ペンが演じる予定だった(スケジュールの都合がつかなかった為実現しなかったらしい)。
・鑑賞日:2017年3月6日(月)
まぁ凄い。
アカデミー賞うんぬん以前に、予告編を観てこれは絶対に観たいと思っていた作品。
結論から申しますと、まぁいろんな意味でとにかく凄まじい作品だ。
全編通して、寒そうで、冷たそうで、痛そうで、襲ってくる原住民とか熊とか、もう凄いのなんの。
まさに体当たりの演技なわけで、ここまで演るかといった感じ。
レオ様ファンの女子は観ない方が賢明かな?
いや、悲惨過ぎて観ていられないかも。
ま、信じられないくらいに主人公が超不死身だったり、ものすごい回復力だったりというのはあるが、こんなにも過酷な撮影を頑張ったのだから、アカデミー賞ぐらいあげないとダメでしょう。
映像は素晴らしかった。
カメラワークも迫力満点。
あまりに凄過ぎて、冒頭からずーっと気分が悪いまま観ていて、人には勧めにくい作品ではあるが、一度ぐらいは観ておいて損はないかも。
興味のある方はどうぞ。
アポカリプトのアメリカ大陸編
残酷さを超えた崇高さ
あらすじは一行でかける。
ヒュー・グラスの姿に何を見いだすか。
人間が動物にまで貶められたと取るか、それともあるべき原始の姿に戻ったと取るか。
自然光のみで撮影したという圧倒的なリアリティ。監督が特にこだわったという夜明けや、夕暮れのマジックアワーは神々しく、薄明に照らされた雪原や森林はひれ伏したくなるほど美しい。
その中で繰り広げられる命のやりとり。人間も獣も、その日生き延びることだけを考える。命のやりとりに残酷さを超えて、崇高ささえ感じる。
私は登山が趣味で、テントを背負って3~4泊山を縦走することがある。
だから、ヒューの目を通して一緒に山野を歩いている気持ちに陥った。
無心になり、ただひたすら一歩を繰り出す。 苦しさは次第に薄れ、自分の体が自分の物ではないような、その場の一部になったような奇妙な浮遊感を覚え始める。
鳥の声が聞こえたら天を仰ぎ、太陽が出てきたら立ち止まり暖かさを感じ、水があれば喉を潤しその美味さに感動し、眠るときは風の咆哮に身を震わす。
しかし日の出の瞬間は、世界がいっせいに目覚めたような感覚が肌を駆け巡り、雄叫びを上げたくなるほど無性に嬉しくなる。
ヒューは、瀕死の状態で何を考えたか。
最初は復讐にたぎる目をしていた。
しかしジョンを追いながら、肉や水が五臓六腑にしみわたる喜びを得て、メディシンマンに救われ、馬の屍肉を切り裂き腸で暖をとり、過酷なサバイブをしていくにつれ、自分が生きていることに不思議な感銘を受け、魂が浄化されていくようにも見えた。
生きたいという大きな欲と無我の境地は相反しているのに、不思議だ。
人間社会のモラルが酷く陳腐に思えるのだ、大自然の中では。
最後、ジョンの命を自然の成り行きに委ねるヒュー。結局人間がジョンに止めを刺すことになるのだが、人間も自然の一部だという表現なのかもしれない。
感動を生むのは、グリズリーに襲われる場面、突然飛んでくる銃弾や矢、崖から馬と共に落下する場面など、映像の奥行きと臨場感の凄まじさがあってこそ。
長回しの手法をとってはいるが、体験型劇場にいるような「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」とは違って、その場に放り出された感覚に陥った。なまじ、3Dなどより生々しい「生」がここにはあった。
美しい冬の光(と獣の血)
知的興奮に包まれる映画体験
Emmanuel Lubezki
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥとエマニュエル・ルベツキの最新長編作品ですね。メキシコの鬼才コンビが今回も飛び抜けた作品を作ってくれました。
今回注目したいのは、撮影。毎回エマニュエル・ルベツキ(Emmanuel Lubezki)はアカデミー賞撮影賞の常連で、毎回「これどうやって撮影したの?」と驚かされます。代表的な作品は、スリーピー・ホロウ”Sleepy Hollow (1999)”、ゼロ・グラビティ”Gravity (2013)”、バードマン”Birdman (2014)”などがあります。
この作品で感じたことは、「なんてスクリーンに映し出される世界が広いんだ。」ってことでした。レオナルド・ディカプリオやトム・ハーディーの表情から、雪山や動物たちが歩く背景まで、とても広い世界観を見ていて感じた人も多いんじゃないでしょうか。まるで映画の世界にいるような感覚。
今回エマニュエル・ルベツキが使ったカメラはARRI ALEXA65。65mmフィルム相当のセンサーを使ったデジタルカメラ。さらに彼は24mmやときには12mmのような超ワイドなレンズを使ってほとんどのシーンを撮影しています。それゆえ、かなり広い視野で、かつ奥行の感じられるような、超現実的世界をスクリーンに写しだせているんです。
まぁお金があるからできることではあると思うんですが、どうしてもロングレンズを使って、ラックフォーカスしてみたりしたくなるのが、映画界の伝統と流れ。そのなかで、彼は毎回それをぶち破り、新たなことに挑戦しています。そして毎回作る作品でそれを更新していくのです。つまりは、前回使った技法のいいところを次回の作品で生かしながら、また新たなことに挑戦する。だから、私たち視聴者は新たな映画体験にワクワクする。
是非次回のエマニュエル・ルベツキ撮影作品は、大きな大きなスクリーンで。小さな小さなスマートフォンではこの映画体験はできませんよ!
そしてもう一つは、劇中音楽。2015年の作品だから、この事実は忘れて見ていた。
みているときに、なにかジブリ感を感じた。つまり、久石譲さんのあのストーリーを追い越して引っ張っていくような感覚をもったんです。この感覚は久しぶりでした。ずーっと見ながら、誰がこの映画の音楽担当してるんだろうって思いながら見ていました。
そして、エンドロールで思い出す。そうだった、我らが坂本龍一さんではないか。忘れていた自分が恥ずかしい。。。
あの感覚は、日本で育ち、その楽曲構成に慣れ親しんでいるからなのだろうか。それとも、久石譲さんや坂本龍一さんのような日本を代表する作曲家たちが、世界でもトップであるのだろうか。どちらであっても日本人としては嬉しいのだが。
絶対に見ればわかると思うのですが、ほとんど会話のないこの作品であっても、音楽が引っ張って行ってくれる感覚が感情を動かす。ストーリーの波を前もって予告してくれるように、それまで、背もたれに体重を乗せていた体を、ぐっと引き起こして前のめりになる瞬間が、視聴者全員に同時に訪れる瞬間は映画音楽の真髄だと思います。
ディカプーの呻き声ばっかり…
クマに襲われ痛すぎる場面もあり
これは劇場で観るべきだったのか
ただし劇場で観たらしばらく立てないくらいヘロヘロにになってたと思う。重く長く美しい映画。
ほぼ実験映画だった『バードマン』ほど極端ではないが、多用される長回しが、特に冒頭の乱戦やグリズリーとのどつき合い等で臨場感をグッと高めている。
ディカプリオはそもそも『ギルバート・グレイプ』でアカデミー賞を獲っていてしかるべきだったと思うが、とりあえずお疲れ様である。『マッド・マックス』や『ダンケルク』のイメージしかなかったので、これトム・ハーディ?と驚き、逆に『デトロイト』の筋金入りレイシストの印象しかなかったウィル・ポーターが、こんなナイーブな役をやってたとは。役者ってやっぱりすごい。
観たばかりの『ウインド・リバー』とも印象がかぶるが、ラストカットから見るにグラスはきっと…。
凄まじい生への執着
・冒頭でいきなり熊との大一番、思ったよりもガッツリとガッサーいかれてる!
・バチボコの生命力の塊の父親グラス(ディカプリオ)、狡猾極まりない見事な悪役フィツジェラルド(トム・ハーディ)、グラスの目の前で殺される息子のホーク、気弱な少年ブリジャー(ウィル・ポールター)
・瓦礫の教会で亡き息子と出会ったり、川辺の向かい岸に奥さんを見たりと幻想シーンも随所に挟み込まれる
・至近距離から接写したカメラワークが見てるだけで凍えてきて、とても効果的ですばらしい
・熊と闘い、急流に飲み込まれ、馬の臓器を取り出して暖をとったり、そりゃレオさまオスカーとるわ
・涙目のグラスがカメラを見据えて息づかいが聞こえるなか幕
何でこんなに評価が良いのか謎
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