裁かれるは善人のみのレビュー・感想・評価
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絶望の淵で拠り所とするは
ソリッドで静的かつ、動的な大自然。荒涼だが美しい風景に見いだされるのは、絶対的で圧倒的な力には到底無力だということである。
本作では、権力・宗教・不運などの覆すことのできない不条理がLEVIATHANとして描かれる。一方で、LEVIATHANを想起する鯨の死骸が浜辺に転がっている。これは絶対的な力の腐敗を意味しているのか。
絶望の淵に立たされたとき、あるいは人間の理解を超えた何かに合間見えたとき、拠り所とするのは神だ。理性の世の中が200年以上続き、一般市民の間にも事実のみを信じる志向はかなり浸透してきているのだろう。しかし、ある意味人間の最後の砦である信仰それ自体が腐敗したものだったとしたら、、、絶望の闇の中で我々は一体何を頼りに歩んで行けば良いのだろうか?何を目的に生きれば良いのだろうか?そもそも私は何の為に生きているのか?
腐敗した宗教が「本当の価値が嘘に取って代わられている」と語ったのは、腐敗した権力者たちであったことは、皮肉以外の何者でもない。
絶望の岸壁に立たされたとき、目の前にするのは、誰の力も及ばぬ大自然。それは人間の手に負えるものではない、全てを飲み込み、全てを破壊する、静的だが暴力的なものだ。神をも思わせる圧倒的な力をもち、息をのむほど美しいこの自然は、リリアのように身を捧げてしまいたくなるほどだ。
不思議
家のインテリアや風景がとても美しいです。
でも、喜怒哀楽が表情から、本当に読みにくいのが不思議だなあと思います。
人生、色々うまくいかないよね。。
という出来事が、いっぺんにおきるとこうなるのかな、、
という映画でした。
まさに、ヨブ記‼︎‼︎‼︎
映画を観ると、行ったことのない世界や風景がみられるから良いなあと、当たり前のことを最近思います。
タイトルは皮肉だったと後で知る
バレンツ海の漁村では未だにソ連時代と変わらぬ圧政と腐敗がはびこっている、ということか。
鯨の骨が印象的。景色だけを淡々と映すラストシーンが無常感かもす。
ロシア正教もちらり
ウォッカの飲み方が豪快、イメージ通り。
ロシアってこんなのなのね
ロシアの田舎の暮らしが分かってよかった。
ロシア人、普通に、すごくウォッカを飲むんだね。
友達で和気あいあいと飲む感じは良かった。
あと、男子学生のあの集い方も伝統なんだろうね。
スマホとかでの連絡じゃなく、現代でもああいう文化なんだね。
美しい、ブタ!、腐ってる!!
ストーリーとイメージショットのさりげない繋がりに気づいたとき、美しいだけで長くだらだらした映画だと思っていたものが一変した。睡魔から目覚めて、画面に釘付けになった。
だらだらとか嫌な言い方をしてしまったが、展開は非常に面白いと思った。
泣いたりはしなかったけれども、笑えるし、哀しみをものすごく感じた。
これで終わるのか、ここから真逆に展開すれば引いてしまうなー、マジでこれで終わるのか、だからこその評価なんだろう、まぁ現実はこんなものなんだろう、と色々思うところがありました。
次、これとは全く逆の映画を作ってくれたならば、おもろいんだけどナー、まぁ現実そううまくいかないものだよね。
思うツボ
ストーリーも終わりかたも好き。良い救われなさだ。
しかしとにかく暗い。まったり時間を流して綺麗な映像をみせたいのか、救われないストーリーをみせたいのか。
ロシア映画らしいっちゃらしいけど、いらないシーン多過ぎ。
100分でおさめようか。
神ではなく希望の不在
すっきりしない。この「ロシア映画らしいもの」の正体はなんだろう?陰鬱なストーリー、芸術的な映像?
腐敗した市長と司法に翻弄され崩壊する家庭と登場人物たちの不条理そのものの運命を描く。海岸に打ち捨てられた幾つもの漁船、浜辺に横たわる巨大なクジラの骸骨、ブルドーザーに叩き壊される主人公の家。ここで過去と未来を繋ぐのは、朽ちて腐ってゆく“モノ”でしかない。「あなたは神を信じる?」という台詞が繰り返されるけど、ここには神は赦す者としてしっかり存在している。むしろここに欠けているのは希望なのだ。もしや、ロシアでは映画が現状の悲惨さを嘆くことはできても、今とは違う未来への希望の姿を描くことが許されないのではないか?だとすれば、ロシア映画界は、ここに出てくる、政治権力と並走する教会と同じではないのか?赦すばかりじゃいかんと思うぜ。
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