この世界の片隅にのレビュー・感想・評価
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どこまでも、丸く、柔らかく、そして優しく
大変な時代、厳しい社会、壮絶な戦時中であるということを、隅々まで丸く、柔らかく、そして優しく包み込んでいく不思議なドラマ。何がどうなるのか、ある程度は想像がつくだけに、判っているだけに切なかった。笑えなかった。ただ、見守るしか無かった。その裏に隠された激しい想いが、判りやすく見え隠れする。それでも、あくまでも柔らかく、丸く、そして切なくて。
玉音放送を聴いて地に伏せてむせび泣く姿。これまで良く観た映像だけど、その本当の意味をやっと知った気がして恥ずかしかった。ああそうか、それまで戦争の煽りを喰らい、大変な生活をしてきたことが、全て無駄になったということだ。何も日本が負けたことが悔しいとか、陛下への忠誠とかそんなんじゃなく、今までの苦労を返せと。少し考えれば判りそうなことだったのに。貧しくとも家庭を守り、大変な思いをしてきたのに負けやがって、こん畜生、と。ただ、無心に平和を唱えることは、それは正しいのかも知れないけれど、そんな単純な物差しでは測れない想い。
そして、最後の最後に凄い話をぶっ込んできたな、と思った。親を失い、拾われたあの子の話。これまでにない、無残な映像にビックリしただけかも知れないけれど。そして、最後の最後の最後に沢山の絵を書いて視聴者に手を振るのは、失われたすずの右手。失われた・・・。
どこまでも、まるく、柔らかく、優しく、そして、切ない――。
アニメ耐性がついたおっさんが出会った幸せ。被ばく2世のおっさんは本作をこう見た
「傷物語II」「君の名は。」「聲の形」と今年アニメ映画にチャレンジする、という目標を掲げ、最初のとてつもないハードルをなんとかクリア?し、ここまで来たおっさんにとって、本作を鑑賞することに「アニメ映画」というハードルを全く気にせずに鑑賞しようと思ったことは自然な流れ。
ましてや、広島市、呉市が舞台の映画。被ばく2世のオレにとって、「観なければいけない映画」である。
「この世界の片隅に」
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私的なことだが、主人公すずは、オレのおばあちゃんにあたる世代である。
祖母はまさしく「そのような生き方」をしてきたお人である。いきなり終盤の話をするが、広島で原爆を受け、孤児を受け入れ、孤児院を立てた立派なお人である。
だが、それ以上に、「かわいい」人だった。笑顔がくしゃっとなる。祖母と暮らした日々は中学生までだったが、「当時」の話は一切しなかった。今も資料館にその書記を残す祖母がなぜ「当時」の話をしなかったのか。
それはたぶん、「精一杯生きることに、周りがどうだろうと、やるべきことをする。子供たちにこれ以上悲しい思いをさせない」
本当に、ただそれだけだったのだと思う。
ただ日々を、その日を、その次の日を、その次の年を、「生きてきた」だけなのだろう。それは大変な日々だっただろう。だが、人は笑っていきていたい。
いや、「笑っていきなければいけない」。
祖母のように、すずのように、どんなに世界の片隅にいる人間でも、何があろうと、そうなのだ。
大事なものが奪われる。だが、今は生きている。ならば。
その「ならば。」をどう過ごしたか、この映画の登場人物のさまざまな「ならば。」を「さりげなく」描いていることに、オレはうれしく、悲しく、その「上手さ」に激しく感動しているのである。
この映画には、その日々がある。そしてそこからの、未来がある。
この映画は、戦時中、戦後と、主人公すずが日々を生きる姿を描くと同時に、彼女の中にある「相反する思い」が日々常に交錯し、それが「笑い」「怒り」「悲しみ」「諦観」を重ね、織り交ぜ、小さなエピソードをいくつも見せてくれる。
広島を故郷に、呉を田舎に持つオレにとっては、特に瀬戸内海の景色、小丘の松の木、その土の質感に涙する。
周作の、すずへの気配りと照れの所作に微笑み、性の生々しさを感じる。
哲くんの、すずの「普通の姿」をみて、カットごとに、「はははは」と笑う姿に爆笑し、そして涙する。
ラッキーストライクの空き箱の入った残飯に、怒りと笑いがこみ上げる。
一番ボロ泣きしたのは、ラストの橋の上で、バケモノのかごから出てきたアレ。最高に優しい新たなる出発である。
そして、孤児を連れて帰るすずに涙する。その子供は、うちの母とほぼほぼ同い年にあたる。オレはおばあちゃんのおかげで、ここにいるのだ。
追記
エンドロールも泣かせる。「受け継ぐ」、とはこういうことなのだ。
何か良い映画
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戦時中に広島育ちのド天然主人公は、結婚をして呉へ。
軍事拠点のため空襲は日常茶飯事の中、強く生きていた。
気の強い義姉が出戻りで同居していたが、それなりにうまくやってた。
しかし空襲の時に義姉の一人娘を連れた状態で爆撃を受ける。
これにより娘は死亡、主人公も右手首から先を失う。
そして義姉に辛く当たられ、広島に帰ることを決断、旦那に告げる。
しかし義姉は主人公に辛く当たった事を悪く思っていて、詫びる。
そして変な気を遣ったりせず身の振り方を決めるよう告げる。
こうして呉に残る主人公、そしてまもなく広島に原爆が落ちる。
やがて終戦し、主人公夫婦は広島を訪れ、孤児を連れ帰る。
こうして新しい生活が始まるのだった。
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劇場で見た。何を訴えたいのかが難しくてよく分からなかった。
でも戦争の悲惨さや恐ろしさ、人々の強い生きざまはよく分かった。
戦争をしてはいけないこと、現代人は恵まれていることが伝わる良い映画。
主人公は鈍くさくて、義姉の妹の死因にもそれは絡んでいる。
だから主人公も辛かっただろうし義姉の腹立ちもよく分かる。
でもそこが訴えたいことではなかったっぽい。
旦那も嫁を束縛せずに理解してくれるいい人で、主人公は救われている。
タイトルは「この世界の片隅に自分を見出してくれてありがとう」の意味で、
やはり旦那との愛情部分がメインテーマとなるのかな。
しかし能年の声が主人公のキャラとピッタリで顔が浮かんだ。
やっぱり表現力あるのかな、適役だったと思う。
「(さらにいくつもの)」が有れば、コチラはいらないかどうか…いらな...
「(さらにいくつもの)」が有れば、コチラはいらないかどうか…いらなくないです。
周作が愛した白木リンが登場するべきか否か…登場しなくても大丈夫です。
周作とすず二人への愛や切なさが白木リンの魅力でもあり、美しくも儚いその素敵なキャラクターを割愛した本作は、つまり完璧じゃないのか…完璧じゃなくても大丈夫です。
大人の恋愛をカットしたことでマイナスになったのか…むしろプラスです。
結局「(さらにいくつもの)」と、どちらが好きなんだ…両方好きです。
なぜ…スッキリしていて、ドロドロした恋愛モノ感が薄くて良いと思います。白木リン無しでも充分深くて味があって切なくて面白くて・・・戦艦大和のタッチも素敵ですし、径子や晴美もいて、ちゃんと感動するから大丈夫です。
『この世界のさらにいくつもの片隅に』 の ネタバレである
原作と『夕凪の街 桜の国』を読んだ方は、このレビューを読んでいただければ幸いです。映画を見た方や物語を読んだ方の多くが、拾った子に付いて触れないので、僕はネタバレを覚悟で、あえて彼女に触れたいと思います。
さて、彼女の登場は戦死した父親の遺影の前で朝食を取るところから始まります。笑顔ではありませんが、黙々と美味しそうに、朝食を取っています。すると、ピカドーンと悪魔がやってきます。母は右手にガラス片が刺さり、関節あたりから、無くなっています。力尽きて、遺体が崩れ落ちます。このあと、少女はこの場を去るのですが、原作では『ごめんなさい』と言っております。アニメではそこがカットされています。やがて、広島駅にたどり着いて、おむすびを拾う場面に移りますが、おじいさんの息子の様な若者の遺灰(遺影)を、おじいさんが大事にしていると、少女は遺影を自分の父親と思って、おじいさんに近づきます。しかし、おじいさんは気味悪く思ったのか。『シッシッ』と少女を押しやろうどします。生き残った一般の人々に取っては、薄汚く、放射能に被爆した(伝染ると思われた)浮浪児に情けなんかかけてられないのです。そこがまるまるカットされていました。
さて、この少女ですが、被爆して何日間広島にいたのでしょう。彼女は母親と同様な障害を受けているはずです。りんの妹の紫の斑点で、問題が薄められていると思います。兎も角、同じ原作者の『夕凪の街 桜の国』を読んで貰えれば分かります。少女との出会いの頃の顔色が紫色なのが気になります。
これは、僕の独自の解釈であって、原作者の意図する事ではありません。
因みに、実写版『この世界の片隅に』では、この少女が80歳以上生きた事になっています。そっちの方であって貰いたいですよね。
名作映画
戦争前から戦後までの時代をすずさん(そぼくな能年玲奈さんの声が実によくマッチしている)の目線で描くアニメ映画
まるで岡本喜八の映画の登場人物のように辛い境遇でも明るく楽しく生きる姿もよかったけれど、後半、目の前で姪が死に自分も腕を失ってからは暗いながらも必死に生きる姿もまた良かった。
住んでいる世界が違うんだ。と別れてしまう娼婦
病に体を蝕まれてしまった妹
実はすずさんに思いを寄せていた巡洋艦の水兵
時代にほんろうされる登場人物たちの心境を考えると重い気持ちになるが、孤児を拾い家で育てる家族になるラストからは明るいものを感じた。
そして驚かされたのが砲撃や飛行機のエンジン音
おそらく当時の呉で戦時中を知る人の証言かもしれないけれど、本当に大きくて恐ろしく感じた。
叔父の影響で戦争映画は結構見るけれど、こういう音響で驚かされたのは初めてだった。
海にずらりと浮かぶ戦艦大和のような艦艇
迎撃に向かう紫電を見て馬力がいいんだ。と語るおっちゃん
戦争は良くないことだけれどこういう兵器がカッコいいんだよね。
「機動戦士ガンダム ポケットの中の戦争」や「太陽の帝国」のような要素を感じた。
冒頭とラストに出てくる謎の存在「ばけもの」
アレは地獄の黙示録のクラシックを鳴らし飛ぶヘリコプター部隊、
戦争のはらわたのOPとラストに流れる童謡ちょうちょ
炎628の発砲していくと若かった時代~赤ちゃんになるヒトラーの写真
激動の昭和史 沖縄決戦の戦場をさまよう女の子
それらのような超現実的な演出なのかと思う。
リアルな戦争映画だからああいうファンタジーのような演出がはえるのだろうか。
今までみた戦争映画の中で上位に来る作品だなと思った。
どんな状況でも人は生きていかなければならないのだと
事前の情報を一切知らないで映画.comの評価だけで見てみた。
前半を見てすずの平凡な一生を描くのかな?と思ったら。。。
戦時下で、ともあれ人々は貧しくとも生活をしていかなければならないわけで、
そんな中でも舞台である呉市は戦況が悪くなるまでは、ごく平凡な当時の日本人の
生活を送っていたわけだ。
作品全体の雰囲気や絵のタッチ、音楽など
全てがほのぼのとした表現がなされているが、物語は後半終戦間近の広島を描いているため
雰囲気とはかなりギャップのある展開になる。
この作風と戦争の残虐さと生活。悲惨で悲しくてやるせない気持ちを表現し
他に類を見ない世界観を作っていると思う。
すずが腕をなくしても、径子が晴美を、夫を、家を、息子を失っても、
(径子が一番悲惨だけど。。)
そんな気持ちをしながらも次の日からは世界は回っている。
この世界の片隅にというタイトルは非常にぴったりだと思う。
生きるというか生活するという言葉が合うと思う。
どんな時でも人は前を向いて生きていかなければならないのだと
思わされた物語だった。
能年玲奈の声を久々に聞いたが非常にすずにあっていた。
穏やかだけど実は強烈な反戦映画
お婆ちゃん世代の戦前から戦後の激動の日本。割と最初の方で、ああこのままだと・・と知っているだけにヒヤヒヤした。今世界はコロナと戦っていて、その前に自分の国の政府との考えのズレにイライラしているけれども、この映画の時代は無理矢理戦争に駆り出され、日本に残っていても空襲が命を奪っていく。まあどちらも政府によるところだ。どんな政治家を選ぶかで人生が延びたり縮んだりする。選挙は大切だし、教育も大切。この当時を生き延びて今の日本を築いてくれたお年寄りがコロナで再び苦しめられている。政治家さんは自分だけでなく国民の命も大切にして欲しい。
***主人公すずは人の心を明るく変えられる実は凄い強い人。私なら結婚してすぐに義姉の態度に腹が立って広島へ戻るかも?彼女は若いけど心が広いし鈍感力と包容力がある。次第に義姉も素直な彼女の事が好きに。広島から爆風によって飛んできた障子戸に「あんたも広島から来たんね」と言って広島への想いを巡らせていた。昔の女性は周りが縁談を持ってくるケースが多かった様なので、義姉の様に恋愛結婚は珍しいだろう。すずを見て、私の祖母達の苦労や貧乏生活の中でも僅かな楽しみ方を垣間見た様な気がする。一緒に観て色々当時の話を聞いてみたかったなぁ…
※焼夷弾が自宅に落ちた時、一時悩んだのは家が燃えれば広島へ堂々と帰られると考えていたのかな。あの時は呉で生きていく事を選んだけど片腕は無くなるし、晴美ちゃんは死んでしまうし呉での経験は辛かったのだろう。
映画の構成では、画面の入れ替わりが所々早すぎたりして分かりにくいシーンがあったり、原爆投下のシーンは2回あったりまとめるのが難しかったのかなと思いました。リンさんは少ししか出ていないのにすずはリンさんの事を何かと心配していたり変だなと思ったら、原作ではリンさんはもっと重要人物のようですね。
※良かった、良かったのシーンで「4月にはテルさんの紅を握りしめた右手」のすずのセリフがあって随分何度も見返して探したけれどテルさんすら出てこない。ネット検索してようやく分かりました。リンさんのお友達のようです。この台詞は省けなかったのかな?
※ところで玉音放送の直後のシーンで家々が映りその先に韓国の国旗の様なものが見えます。巻き戻し一時停止して見ました。一瞬です。これは一体どう言う事なのでしょう?呉に韓国人が住んでいたのでしょうか?
この世界の片隅に
当時の人々の生活がよく分かる。
配給の停止、防空壕の設置、空襲、原爆…。戦争の足音が日を経つごとに強く聞こえてくるのがリアル。
死ぬ事が意外にあっけなく描かれてた。誰もがいつ死ぬか分からない世の中。
コロナできつい日々なんてこの時代に比べると本当に大したことない。
そんな中で右腕を失い、絵を描くことも奪われる。
それを彼女は今までの思い出全てが奪われたように感じてしまっていた。
この作品は突如として絵画チックになるが、それが意味するものはなんなのだろう?
すずの物語はまさしくこの世界の片隅でおこっていることで、この時代では他の人々にもそれぞれに物語がある。
すずの『この世界の片隅で私を見つけてくれてありがとう』というセリフが印象的。無理やり連れてこられたみたいに言われるシーンが何度かあるが、このセリフがすずの気持ちの全てを表してる。
いつの時代も、世界の片隅にいる誰かに出会い、共に生きていくことは変わらない。
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「絵」の使われ方が見事だった。
すずの心情を表す水彩画のようなタッチ、暗闇の中で線香花火が弾けるような映像、失った右手、左手で描いたような歪さという表現、「絵」というキーワードを織り交ぜるだけでここまで深みを出せるのがすごい。
何でも使うて暮らし続けるのが、うちらの戦いですけぇ
原作、連続ドラマ共に軽く触れてはいたので、ストーリーは把握済みでした。
我らがすずさん。
圧倒的ヒロイン。
どこにでも居そうなちょっとボケーっとした癒し系ヒロイン。
彼女の声を当てたのはのんさん。
彼女の優しくてゆったりとした声がぴったりで、声で言ったら彼女以上の人はいないと思うほどしっくりきます。
舞台は広島、そして呉。
前半は普段の平和な日常に、少しずつ戦争の影が近づいてくる感じが良かった。
物語が進むにつれて戦況は悪化し、毎日のように空襲警報が鳴り響く。
後半は次々と事件が起きていき、終戦からは涙が止まりませんでした。
普通、戦時中の人の死などに色々と考えさせられますが、終戦してからも戦争が簡単には終わらないことが分かります。
戦争映画ですが、戦闘としての残酷な真実を伝えるような作品ではなくて、あくまでも昭和初期の人々の暮らしが描かれていて、戦場へ向かわない者たちの戦いの記録のような作品です。
すずさんは確かにボーッとしていてマイペースだけど、その分戦時中は色々な出来事が目まぐるしく起こっていくということが分かりました。
映画だから一つ一つのシーンが短めだったのかもしれません。
特に印象的だったのが、人の死の描き方。
お兄ちゃんや晴美の死、そして原爆。
本来もっと尺が長いはずですが、この映画ではすぐに次のシーンに変わります。
確かに心に深い傷を負っていますが、それくらいすぐに切り替えないと、当時はやっていけなかったのではないかと思うと、当時の人たちの心がいかに強かったかが分かります。
それでも、経子さんが娘の死に対して隠れて泣いているシーンには、胸を打たれました。
コトリンゴさんの優しく切ないような、歌も素晴らしかったです。
また、広島弁が何ともいい味を出しています。
本当に美しい映画だと思いました。
必ず観ておきたい名作ですし、何度も観ればその分良さが倍増するのではないでしょうか。
「普通を保つこと」が「特別格別」
どうしても映画館に見に行く勇気が出ず、ドラマだけで留めていた作品。
コロナ禍で終戦後の平和維持を高めるドラマなどが少なく、しかし戦争の惨禍を経験した世代は年々減っていて危機感を覚えていたタイミングで鑑賞。
冒頭の海苔を売りに行く場所が、まさに原爆を積んだ飛行機が落下地点としていた場所で、最初からぞわぞわが止まらない。冒頭で、来たれ友よが流れると、これから出るとわかっている犠牲者に捧げる物として、作品がより一層重たく感じられる。
ほわほわとしていて、何かあらば命を守る機転が働くのか心配なすずだが、人攫いの望遠鏡に海苔を被せるファインプレーと命拾い。
嫁入り後、義姉も出戻って肩身の狭い思いをするが、その義姉ケイコも喪失の連続を乗り越え、娘の晴美だけは守っていく覚悟と緊張感に満ちてなのだろう。
そして、本当は器用で男気ある性格ゆえ、足の悪い母に充分に甘えられず育ったのかもしれない。それゆえ、すずを生易しく感じ、キツい言葉をかけてしまうのかもしれない。オシャレに溌剌と人生を切り開いていたケイコも、身体は被災をしていないが、強がっているだけで本当は心がズタズタで、見ていて苦しい。
でも、ケイコが、すずの人生は「自分で選択した末の果てではない」かのように言ったが、それは違う。
実際その直後、すずは微妙な関係の義姉に泣きついて、ここに居させてくれと頼み、被曝を逃れることができた。
思えば、幼なじみの水原が迎えに来てくれた時も、夫を想いすずの意思で思いとどまれたからこその、高台で過ごせて守れた命。
晴美と畑にいた時は、義父が守ってくれ、白鷺を追いかけた時は、夫が守ってくれ、沢山の命がすずを守ろうとしてくれている。
次々と爆弾の種類が変わり、無関係な大勢の一般市民が恐怖と不安と戦禍で人生を狂わされ、でもその中でも人と人が助け合って守り合ってそれぞれ少しの心の拠り所を保っているのが、より戦争の無意味さを露呈させる。
なかでもすずは、戦争を通して、最初はハゲができるほどストレスがかかっていた環境下の中で、義家属との心の通い合いが深まり、かえって居場所を見つけていく。
嫁入り前には気付いたり、慮ることの難しかった人間の感情にも、しなくても良い経験を沢山させられてしまう中で、否応なしに大人になり、わかるようになっていく。
それでも過酷な環境で我慢をし義家族のために尽くし、実家も兄を失い被爆し、腕も失い、絵も描けなくなり、なにも「良かった」ではないのだけれど、世界の片隅にすら思える1人の人生の中に、人間の存続に不可欠な、思いやりや優しさを生み出す、命あってこその経験や感情の積み重ねが詰まっていて、「尊い」命が繋ぎ止められた安堵がある。
だからこそ、晴美という小さな尊い命の犠牲が悲しくてたまらない。原爆さえなければ、陸軍の将校さんとのキラキラした青春が成就していたかもしれない、姉のすみの被曝の描写も見ていられない。家業の海苔も、被曝した事だろう。一方、すずの夫、周作が戦地に出兵せずに済んだ事は大きな希望である。
誰しもが心の余裕をなくして当然な中でも、少し鈍感なお陰でやさしさを保てたり、時を経て、誰かに攻撃的になるのではなく、少しだけ図太くなれる、すずのような淡々と「普通」を守れる女性が実は1番生命力があり、特別、格別に強いのかもしれない。
そうした想像を絶する忍耐力、咄嗟の判断力の持ち主達が繋いできてくれた、現代の日本人の命を、私は無駄にしていないか、平和維持のために使えているかと、省みる作品。
子供にも平和への意識を強く持っていて欲しいとか、あれこれできるようにならねばと年々求めてしまうが、まず生きているだけで大感謝なことを思い出させられる。
タイムリミットを知っているだけに「ごくありふれているけどキラキラした日常」が次々と奪われていく悲しさがあると聞いていたが、見てみるとどんな環境変化の中でも工夫し、例え原爆まで落とされたあとも、助け合い暮らす人々の逞しさ優しさの方が印象に残ったし、それらを残したまま終戦を迎えられた日本は、むしろ軍事力で負けても人間力では勝ったとさえも感じる。戦勝国がいまだ核の正当性を主張していると、余計に。
想像することすらできない、感情の経験値が浅い優しさでは、世界平和など程遠いだろう。
世界平和に向けて、今後の日本の立ち位置に期待する。
軍港の呉、海猿の呉、呉には既に印象がたくさんあったが、九嶺でくれなことは初めて知った。
戦争がメインの映画ではない
戦争にフォーカスした映画ではなく、一番被害にあった広島市の近くの呉市の話。
他の戦争がメインの映画とは違って他の地域の物語。
タイトルとマッチしているのと、違うところからフォーカスされているのが面白いと思った。
沖縄出身なので戦争について小さい時から勉強させられていましたがこういう映画もまた勉強になるなと感じました。
確かに残酷な描写とかはあまりないが、本当にこういうマイルドな感じで過ごされたのかなぁと。
今コロナで死と近い状況下の中どうでしょうか?
出来ることはして、その中で普通に暮らす。
そんな感じ。
すずの天然な優しさや、前向きな思考、行動、知恵と私に必要な事が沢山詰まった映画だと思いました。
ここからネタバレを含みます
妹さんはピカドンで腕にあざができて、結果亡くなるのか?
最後の今までにない残酷に表現された死体は戦争の悲惨さを描写したのかなと感じました。
後清水さんは、どういうポジションだったのか、、、。
そこがちょっとわからなかったです。
生きてきた中で最初にすずが自分で選んだ道という意味でしょうか、、、。
また、日本が負けたときにとても悲しくなりました。
日本が勝つに決まっていると思って死んだら勇者!
日本の勝利のための犠牲にありがとう。
って思って生きてきた人の気持ちになったらあれだけでは立ち直れないと思うのです。
それをこのほのぼのした表現であの短いシーンで感じさせれるのが凄い。
後、防空壕の中で耳と目をつぶって口を開かないと目が飛び出すという事を知ったのが衝撃でした。
観て良かったです。
戦争とは普通を壊すもの
戦争当時の結婚。北條周作はすずのことを知っていたが、すずは相手のことをまったく知らずに結婚。恋愛でも見合い結婚でもない、こうした風習があったりもしたことは、逆のパターン(押しかけ女房風の)も含めて親の世代から聞いたことがある。それでも貰ってくれたことや、この男性、小さな幸せを見つけるためにこの家族と生きていこうとする姿に昭和を感じた。ボーっとしながらでも健気に生きてゆく姿がみずみずしさをも放ってくる。
平凡、普通、ちょっとおっちょこちょいのすず。戦争中であっても市井の人々の生活はしっかいと根付いていること。「たけやりで」などという言葉も使われるものの、配給に毎日通い、ごはんに味付けし、絵を描き、自然を愛することができるからこそ小さな家庭がある。呉という軍港ならではの特異性もあるにはあるが、多分日本中にすずさんはいたはずだ。
広島の原爆がメインになるかと思っていたけど、呉市は空襲がひどかった都市。毎夜空襲警報が鳴り響くシークエンスは耐えられないほど胸が痛くなった。日々の生活も食料事情が悪化し、今日も配給なし・・・といった状況が続く中、雑草までをもレシピに取り入れる姿も、飽食の時代にあっては想像もつかないエピソードだ。
義姉径子さんの娘晴美の存在も大きく、すずの心の安寧も彼女に見出したのかもしれません。また、普通に危険な関係になりそうな水原哲の存在もあり、揺れる乙女心も絶妙に描いてありました。
柔らかい水彩画タッチの映像は、観客にも心を穏やかにしてくれるが、不発爆弾が時限爆弾であり、その爆発によって姪の晴美とすずの右手を失うことに。暗転した背景に線香花火のような映像がすずの心を映し出し、悲しさを訴えてくる。広島に投下された原爆はむしろ呉から見たイメージでしかなかった。妹のすみはどうなったんだとドキドキしながら、エンディングを迎えるが、彼女の腕の斑点を見る限り、原爆症にかかってることは間違いないのだろう。それでも幼い頃に聞かせた怪物の話を思い出し、前向きな生き方を取る姉妹。そう、どこまでも前向きになれるんだと、勇気をもくれる。
こうの史代さんの作品としては『夕凪の街 桜の国』(2007)が好きだったので、原作も購入してしまったし、田中麗奈も好きになってしまいました。自分だけが生き残ってしまったことの苦しさも夕凪以降に色んな映画で描かれてましたが、戦後70年も過ぎると、そうした後悔の念が現れるのもしょうがないことだと思います。未だに辛さを伝えられない方も高齢になりつつありますが、戦争で亡くなった方も尊んで、未来のために伝承していくことも大切ですよね。
ドラマを先に見てたので、内容は知っていて見ました。 泣かせるための...
ドラマを先に見てたので、内容は知っていて見ました。
泣かせるための演出があるとかじゃなくて、一生懸命戦うってわけでもなく、ただただ日常を生き抜いてた人たちの話で。
最後の虫が怖くて、若干のトラウマだけど、、いい映画だと思いました。
まずまず
戦争が終結する日までの、一般市民の日常を描いた映画。
主人公がのんびりした性格の為、本来悲惨な状況でも、淡々と表現されてます。
描写は細かいですが、匂いまで感じられないという感じでしょうか。
ただ、時々感情が強く描かれてたりするので、訴えるものはあります。
背景の街並みとか、人々のやってることや仕草などがかなり細かく当時の様子を描写しており、丁寧に作ったと言うのが良くわかります。
汽車ってトンネルを通る時は、窓を閉めてたんだなんて、あんまり考えもしなかった。
今の生活からすると、ほとんど想像も出来ない生活だなと改めて思いました。
申し込まれて全く相手のことも知らないのに、嫁いで行ったりとか、家の周りの雑草を集めて夕食を作ったりとか。
最初の内は、まだ戦争の影響がほとんどなくて、のんびりした生活を送ってますが、時間が経つにつれて、だんだんと戦争の影響が色濃くなっていきます。
戦いそのものを描いている映画はたくさんありますが、戦いに行かないこう言う一般の人の描写は、自分の中ではかなり新鮮でした。
ただ、個人的には俳優さんが声を当てている為か、何を言っているのかはっきり分からない場面が良くあり、その辺はかなり残念でした。
声優さんではなく、なぜ俳優さんを使うのか、個人的にはさっぱり理解できません。もちろん上手い方も中にはいますけどね。
戦争ダメ 絶対
今まで観た映画とはまた違う「戦争」の描き方
「戦争はしてはいけない」と言われているが具体的なことは分からない
そういう人達に見てもらいたい
いつ爆弾が来るかわからない恐怖
自分があの時…と一生どうにもならない記憶
やり場のない想いなど
そんな中でも「日常」というものがある
それが壊されるかもしれない
最後の原爆の恐ろしさ 母親からでる蛆虫
そこから逃げて母とおなじ右手を失ったすずに引き取られる いいな
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