この世界の片隅にのレビュー・感想・評価
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呉の皆さん頑張って下さい?
空襲終わって「ちょうどええ時間に解除になったわー」
社畜?日本人は世界が終わっても出勤するんやな
すずさんの頑張ってる姿が好き
すずさん自身も言ってるけど、ぼーっとしてるし、流されている感じ。みんなが笑ってたらええのになーっていうことだけ目指してる所がええね
普通。普通。普通。
この時間の中では目指さないと出来ない
美味しい白米
この映画をレビューするのは無粋だよ…。
とか言いつつレビューするんですが…😅
太平洋戦争時の呉を舞台に、懸命に生きる女性すずと、彼女の周囲の人々の生活を描くヒューマンドラマ・アニメーション。
主人公すずの声を演じるのは、『告白』『ホットロード』ののん。
第40回 日本アカデミー賞において、最優秀アニメーション作品賞を受賞!
今年も8月がやって来ました。
そのためなのでしょう。この作品が映画館でリバイバル上映していたので観賞してみました。
いつか観ようと思いつつも、戦争映画が苦手だと理由で今まで観てこなかったのを後悔…😭
70人収容の小さいシアターでしたが、3分の2くらいは席が埋まっており、なかなか活気がありました。
アニメとはいえ題材が戦争なので、年齢層は高め。
どちらかというと男性客が多いかなぁという感じ。
太平洋戦争の時代を扱ったアニメといえば、高畑勲監督の『火垂るの墓』と、宮崎駿監督の『風立ちぬ』が思い浮かんでいましたが、この2人の弟子とも言える片渕須直監督がこの2作と肩を並べる、いや、超えているといっても良い程の傑作を作り上げてしまいました。
太平洋戦争末期というデリケートな時代に正面から向き合い、政治色を抑えつつも確固たる反戦メッセージを送り、愛と誠の物語を描き切ったこの作品に万感の思いを込めて拍手を!
徹底的な考証を元に作り上げられた広島や呉の街。生き生きとしたキャラクターの動き。声優の熱演。ひりつくような戦争描写。絶妙なエロティシズム。コトリンゴさんの歌声。「悲しくてやりきれない」を主題歌にするセンス。どれをとっても一級品で本当に感心しました。
この映画、開始3分で泣けます。
幸せな子供時代の映像は、これから悲劇の時代が到来することを知っているだけに涙を誘う。
厳しい時代の中、懸命に「普通」に生きるすずさんの姿にまた涙…😢
あらゆるものを失いながらも、前向きに生きていこうとする北条家の姿にまたまた涙…😭
オープニングからエンディングまでどんだけ泣かすんだこの映画は!
のんさんの演技は本当に神がかっていました。彼女の素朴な演技がなければこの映画はここまで感動的なものになっていなかったと思います。
昨今のアニメ映画の風潮に逆らい、この映画では本職の声優の方々が脇を固めています。
正直、アニメ声優の形式ばった演技が嫌いなのでこのキャスティングには少し不安だったのですが、周作役の細谷佳正さんをはじめ、皆さん素晴らしい演技をされていました。
人類史に残る悲劇の日まで、刻一刻とカウントダウンされていることを知らず、映画の中のキャラクター達は1日1日を出来るだけ楽しく生きていこうとしています。悲劇の時代の中でも、何気ないことで笑い、ご飯を食べて、愛し合い、喧嘩をして…。
終盤になるまで、戦争映画によくある悲劇的なドラマは起こりません。
どこまでも日常の生活を(それは死すらも唐突に訪れる日常な訳ですが…)懸命に生きる人々を描いており、この映画を観ている者全てに、自分の人生について見つめ直すきっかけを与えてくれます。
淡々とした日常が続いて続いて…。
だからこそ、終盤に押し寄せる悲劇の連続が効いてきます。
本当に衝撃的だった…。
この悲劇からエンディングまでの展開で、心を揺さぶられない人が果たしているのでしょうか?
ただ1点個人的に気になったのは、上映時間の長さ。126分はちょっと長く感じましたね。もう少しコンパクトに纏めることも出来たのでは?と思ったりもしたかな。
とはいえ、この映画。
どれだけ言葉を尽くしても尽くしたりない、そもそも言葉でこの映画の感動を伝えること自体が間違っているのだと思います。
ただ観ればいい。そこから各々がなにかを受け止め、考えればいい。そういう映画です、これは。
8月9日が来るたびに、この映画のことを思い出すのでしょう。
夏とともにやって来る、蝉の鳴き声と白い入道雲はいつの時代も変わることがないのだと思いながら…。
各方面から絶賛、数々の賞も獲得した本作、ようやく見ることが出来た。...
各方面から絶賛、数々の賞も獲得した本作、ようやく見ることが出来た。
超期待して見たが…
絶賛されてる声優のんは別に普通。圧力から不遇を受ける彼女への同情があると見た。
内容もあまりグッとくるものはなかった。思うにテレビの連続ドラマでストーリーを完璧に把握していたからだと思う。衝撃的な場面もそうではなくなってしまったり、逆にドラマに描かれていたエピソードがなかったり。あのドラマ、結構良かったんだ(笑)
今冬、それらのエピソードを加えたリニューアル版が公開予定とのこと。ちょっと時季が悪いのでは?さあどうなる?
161112『この世界の片隅に』感想
原作も前評判も全く触れぬまま、只もう7年も前に片渕須直監督の『マイマイ新子と千年の魔法』に受けた超ど級の衝撃と私的に決して揺るがぬものとなった彼の才能への絶対的な信頼だけを頼りに、この度問答無用で前売り券、絵コンテ本、ぱらぱら漫画特典などを次々と買い漁り、我ながら無謀過ぎる先行投資をやってのけた(※だからクラウドファンディングされた方々には只々頭が下がるばかりです)末に、本日劇場公開初日にて無事劇場鑑賞を済ませて来てやや半日が過ぎようとするタイミングでの、以下無理にでもまとまった感想を書き残そうという試みなのだが、大東亜戦争(以下先の大戦)をその日常をもって闘い抜いた末に生き延びる運命を更に強いられ続けた人々の気丈であり続けること、互いに思いやり支え合い決して裏切らず、皆が笑って生きられる日常風景を夢見ながら、この夢と絶えず向き合い続け、自らこれに負う所を大きく抱くことを至上の生甲斐と、自然と受け入れられる快い心持ち、こういった豊かに生き続けることへの貪欲さと言う意味での精神の崇高さの素晴らしさ…といったような、言葉にまとまり切らないテーマ性を私的に直感で抱かされ、まずコトリンゴの歌で飾られたOPクレジットの時点で訳も無くしんみりとできて、次にすずを庇った夜勤明けの義父がまさかの…の場面でまんまとフライング号泣への忍耐を間抜けにも強いられ、しかし玉音放送直後のすずの「そんなん覚悟の上じゃないんかね、最後の一人まで闘うんじゃなかったんかね、まだ左手も両足も残っとるのに…!」続いてすずのモノローグで「飛び去っていく、うちらのこれまでが、それでいいと思ってきたものが、だから我慢しようと思ってきたその理由が…」の流れの一連のシーンや、最後の広島原爆被災孤児との出会いのシーンでは、そしてこれに続くEDで物語られるその後の家族模様は、私をして、「え、劇場で号泣しまくった後、恥もへったくれ無く無惨を極めた顔とか顔とか顔とかは、偶然劇場に来る前立ち寄った郵便局で貰っておいた年賀状販促ポケットティッシュがあったからこそ窮地を免れたが、今回のような超ど級の傑作に泣かされまくった際の劇場鑑賞ってこんなにもリスキィだったのかよふざけんな(喜)!!!」と大真面目に思わしめたりもしたのであった。ここまで映画に泣かされたのは初体験だ。巧妙を尽くした完成度の高過ぎる映画、これを作った才能によって泣かされる時、人は自らその理由を瞬時に悟ることは愚か、直感によって予感したり窺いかけることすら許されない次元で、只々我知れぬまま込み上げてくるまま動揺させられるままなされるがまま、塩分を無駄にするしかないのだなと痛感させられた。
『この世界の片隅に』は、いわゆる反戦映画の枠に収まる筈も無い、「人間とは、いかなる不条理、悲劇、悲惨を極め尽くした状況にあっても、心の豊かな日常を標榜し、これに喰らい付き続け、貪欲であり続けられる生き物だ」とまざまざと表現し尽くした、人間愛の、人間に希望を見出させる、究極の人間肯定の映画である。私がここで言う「豊かさ」とは、先の大戦後の日本が失った公けと個人とへの尊厳の均衡の感覚、この近代以降の国民国家的な社会生活における日常的なさりげない幸福感覚を根底から支える基礎的なモラルを獲得できている人格的な麗しさをもってして初めて営みが可能なもののことであり、これが、いわゆる大東亜共栄圏を標榜し大東亜戦争に突入するまで追い詰められ本土総力戦や大衆の困窮を極めるまで、皇国とこの民主主義の尊厳を守るため故に疲弊させ尽くしてしまったといった、ほぼ必然的な、不可抗力的な、不条理を極めた敗戦に及ぶまでの歴史的事実の総体への是非を問うようなテーマ性に伴う押し付けがましく教条主義的でやや不快にあざとくもあるこれに特有の暑苦しさが一切排除された『この世界の片隅に』においては、まずもって愛国とか反戦とか反核とか民主主義とか近代保守とか愛郷心とか云々する以前の問題として、例えば仮に戦前、戦中、そして戦後に繋がる生々しくも厳然とした連続に他ならなかった全ての局面において、人間はその都度目先に迫られる穏やかさや脅威への動揺と豊かに向き合い続けてこれたかもしれない、こういった理想を諦めさせないでくれる程度には、或いはこれをファンタジーとして説得力を持たせる題材たることに不足が無い程度には、これだけをもってでも充分に快く肯定し、尊び、誇りを持って讃えられる存在と言えるのではないかと観る者をして問いかける力を見事に獲得した傑作だと思えるのであり、裏を返せば、こういった豊かさと疎遠であり始めて久し過ぎるほぼ全ての鑑賞者に対する、心の底からの癒しを与える超弩級にえぐい救済の傑作とも思えるということである。ここまで優しい創作思想哲学に貫かれ、且つ完成度の高い映画作品を、私は『この世界の片隅に』を置いて他に一切知らない、と本気で思えるほど感動できた。
この傑作の名誉のために書いておきたいのが、例えばすずの初恋(?)の相手たる水原哲の「わしぁあ英霊呼ばわりは勘弁じゃけぇ、わしを思い出すなら笑うて思い出してくれ」や、玉音放送直後にすずが畑まで飛び出して嗚咽する手前のCUT1290で朝鮮愛国歌が蛍の光で知られる曲調で鳴り響く中で太極旗が掲げられ始めた情景描写があったりすることは、決して『この世界の片隅に』を反戦映画とか自虐史観映画と愚か過ぎるレッテルを貼る根拠足り得ない。それらは収拾され感慨深く把握され作品の臨場の構造に組み入れられた情景描写の一つ一つに過ぎない。ならば同じ作品の内にそれらと並列して、例えばすずの「海の向こうから来たお米、大豆、そんなモンでできとるんじゃなぁ、うちは…、じゃけぇ暴力にも屈っせんとならんのかね」など、さも日本古来の農本主義を思わせるかのような保守的な思想を象徴する台詞が丁寧に語られる部分とも向き合った時、その陳腐なレッテル張りは整合性を維持できない。そもそも『この世界の片隅に』の原作力、そして映画監督の才能のレベルが、そんな見え透くような貧相な議論上の似非思想の一貫性への拘りなどを一切眼中から排除し切ってしまっている、言うなれば、それだけ教養の生育過程が豊かだった、各が違う、育ちが良いってだけの話で、こういった傑作を生み出す才能の前では、馬鹿は馬鹿らしく恥を知って謙虚たれる機会を得られるだけ儲けモンってことである。そして、まぁ無いとは思いたいが、最後の孤児を連れて帰る件に関して、冒頭のひとさらいよろしくこれは美談を模した誘拐とか軽率な判断の類と批判する向きがあるかもしれない。一つに、当時の原爆被災直後の状況で、あのなりの子供が独りで野垂れ死に寸前のボロボロの体で地べたに落ちて汚れたものを平気でがっつく状況にあった場合、少なくともこの子供の事情からする限りは、これを連れて帰って介抱し面倒を見続けてやるお節介を焼くことは何ら迷惑にも不都合にもなりはしないと、原爆による広島の文字通りの焼け野原を前にして、誰もがそう認識せざるを得なかった、つまりそれが幾らでも通らざるを得ない社会状況が歴然だった。又一つに、時代考証的なリアリティは別としても、すずは右手と晴美を失った精神的且つ身体的ショックで間違いなく流産だろうし、径子も晴美を死なせた自責と向き合う苦悩に耐えることに精一杯だったし、周作をはじめ北條家の面々はかえって生き延びて遺された苦しみを負い続けなければならなくなった彼女らの不遇を只々気丈に振舞って寄り添って支えてやらねばならないと、表面的に決して描かれも語られもしないところで献身を尽くしていたのであり、すずの広島の実家では母が犠牲になり、妹も被爆しほぼ助からない運命に蝕まれ始まる中、真偽定かでない恋沙汰にうつつを抜かせる只一つの救いに依る皮肉の犠牲となりはて、さて果たして、ここまで日常の骨格がボロボロにされ尽くしてしまった北條家のその後には何らかの救済、報いが、せめてファンタジーの体裁上、施されなければ釣り合いが取れない、どう劇伴や絵柄のほんわかさの演出で取り繕っても、ほぼ生き地獄確定路線なのであって、そこにきてあの原爆被災孤児とすずらとの出会いはそういったお膳立ての上で全て必然を持って結ばれる、起こるべくして起こった喜ばしいアクシデントの他ないのだ。
又最後に、『この世界の片隅に』は、広島の原爆を機に呉での日常を取り戻し生き延びた人々を描いた、だからといってこれが本質的に生き延びた人々の卑怯さを忍ばさざるを得ない下らない物語などと卑下されて良い筈も無い、事実、冒頭に述べた私的なテーマ性の印象のように、『この世界の片隅に』は、生き残ってしまったが故の苦しみとも気丈に振舞って心の豊かさに貪欲であり続けることを忘れず生きようと必死であり続けた群像の理想像を描き切ったのだから、彼らに限っては決して英霊を断絶された歴史や価値観、社会像の隔たりの対岸から只突き放して大仰に、形式的にだけ奉ったり、場合によっては後ろ指を差して当時の日本国民を惑わした天皇や軍部こそはアメリカ様に打ち負かしてもらってむしろありがたがるのが当然の報いなどと裏切りの非道を尽くしたりすることとは全く無縁である。繰り返すが、『この世界の片隅に』は大東亜戦争末期の大衆日常的なこれ特有の戦争模様に材をとった究極の人間肯定を謳う超ど級の傑作である。ようやく感想が言葉らしい言葉に落ち着き始めた感がある。宮崎駿の『もののけ姫』以来の、これに優るとも劣らない傑作を前にした困惑を覚えている。ここまで述べておいて今更だが、これだけの傑作を前にすれば、最早私の鑑賞の感覚など全く無力だ。無力感でいっぱいだ。只確かに言えることは、私は映画を観てあれだけ館内で大量の涙を流しながら嗚咽と呼吸の乱れを他から感づかれないよう必死になったことは初めてだったし、多分今後も無いことだろう。未だ私は『この世界の片隅に』を図りかね過ぎているというのが率直なところではないか。んなことはどーでもいいのだ。『この世界の片隅に』という傑作と生きて出会うことができた喜びの余韻に酔いしれるだけ酔いしれていたい。この点で今しばらく馬鹿になり続けていたい。『この世界の片隅に』に敬服する以外何も無いのが今の私の率直な感想の全てである。
鑑賞後のこの不思議な感情はなに?
○鑑賞前
当時の評判が高く、ずっと見たかった作品。泣けたという声も多く、戦争時代の切ないシーンも、覚悟していました。
○鑑賞後
死の描き方が絶妙でした。死がいかに近い存在だったのかが理解できます。
戦争は、ほとんどの人にとっては、日常の中の一部でしかない。普段の暮らしの中に戦争が入ってきた。生活に変化はあれど、生きてる限りは残された人で頑張って生きていこう。そんなありのままの状況を一人ひとりが受け止めていく姿に感動しました。
私はその感動が終わった瞬間に込み上げてきて、エンドロールはずっと泣いていました。その涙が悲しみではなく、感動だったのがプラスの予想外でした。
戦時中も嫁は戦う
かつて時代劇では描かれなかった人々が近年主役格になるように、戦争を、家で父や夫の帰りを待つ主婦目線で描いている点は新鮮に感じました。食卓に並ぶおかずの減り方、頻繁な空襲警報に寝不足になる辺りの生活感はリアルでした。「警報、もう飽きた〜」なんて経験者の方しか思い付かない言葉な気がします。
戦争で分断される絆もあれば、結ばれる絆もある。
最後母親を想って慕ってきた子供のくだりが一番グッと来ました。長生きできるか不安です。
すずは共感覚の持ち主でしょうか。「ぼーっとしている」すずすら目覚める現実の過酷さ。嫁ぎ先で居場所に悩む繊細さはあったみたいですが、彼女の「ぼーっとしている」レベルは、現代なら何かしらの診断名が付きそうです(^_^;)。異常な世界で「普通」でいることの大切さ…。それは、取り巻く環境や刺激に鈍ければ良いということではなく、また趣味への関心を持ち続けることでもなく、人間として基本的善悪の価値観を揺るがずに維持できるかどうかではないでしょうか。つまり、戦時中特有の価値観に流されて判断・行動する人を、憲兵以外にも登場させないと対比できません。
男女の色恋も意外?とあるので、小さなお子様に観せるには後の質疑応答に困りそうな気もします。膝枕ってアリですか?すずは隙があり過ぎるのでしょうか?
「何でも使うて暮らし続けるのが、うちらの戦いですけぇ。」
片隅にあったものは
先日のNHK地上波で再鑑賞。
やはり良い。とても良い。じわりとくる感じ。芭蕉の「岩にしみいる…」という印象で染み込んで来る。
昭和初期の雰囲気もだが、普通の人々の普通の暮らしがあり、そこに戦争がやってきた。ただただ、安穏と暮らしていくはずの日常が、どうしても戦争と言う名の、とらえどころない何かに侵食されていく。それは、水害のように静かに水かさを増し、やがてすべてを呑み込んでいく。精神や感情だけでなく、最後には物理的に、街や周りの人や人体を破壊してゆく。それでも、日常は続いていく。
言ってみれば、当時の当たり前のことが淡々と描かれるだけだが、後半は原爆や内地への攻撃などで悲惨な状況となっているのだが、観ているうちにいつのまにか感受性を下げて、そうした壮絶な画面に対面している自分がいた。当時の人の感性を追体験しているようだ。
私の好きなシーンは、ふだんおとなしい"すず"の感情が爆発するのは、玉音放送の後。はじめて他責としてなじる姿が、当時の日本人の感情ではなかったろうか。物資が無い中、すずが工夫して食事を豊かにし、着るものを華やかにし、少しでも楽しく暮らそうとする姿。この世界の片隅にあったのは、政治や戦争や壮絶な悲劇ではなく、名もなき個人の日常への想いだ。これは昔も今も変わらず、不変で尊いものなのだ。
観終わったら本当悲しくてやり切れないような気持ち。 ほのぼのと終わ...
観終わったら本当悲しくてやり切れないような気持ち。
ほのぼのと終わりはしたけどなんかなぁ…。
悔しさみたいなものを感じた。
残酷だなぁ。
すずが能天気っぽい事だけが唯一の救い。
嗚呼・・・わたしも平和ボケしているなと。しっかり生きなきゃいけないなと。
1945年の広島や呉のあたりを舞台に繰り広げられる日常が、描画を得意とする主人公を中心に描かれる。
異性の幼馴染が嫁ぎ先に訪ねて来たり、ふとしたことで遊郭の世界を少し覗いてみたり戦争の間接的な影響を受けながら時折綻びを見せる程度だった日常が、徐々に直接的な影響を受けてどんどん崩れていく。空襲の頻度が多くなり、強度も強くなっていく。
原爆を投下された後、ポツダム宣言を受諾して戦争は終了した。
能年玲奈さんの平坦な声が作品の主人公にハマっていて、おっとりとして平和に続くかのような日常が強調されている。形を変えながらも終わらない日常に生きる登場人物から、強い生命力を感じた。
どんなにトロくても空襲来てる時に突っ立って空見上げてるのはありえな...
どんなにトロくても空襲来てる時に突っ立って空見上げてるのはありえない。ましてや小さい子連れてるのに伏せるでもしゃがむでもないとは。二度目は鳥逃がした後にまた突っ立ってるし。トロさが非現実的でイライラしっぱなし。ということでファンタジーと思うことにした。
とてもいい作品。長く名作と言われると思う。
見る機会は今までもあったんだけど、どうしても火垂るの墓がチラついて怖くて見れなかった。
でも見てよかった、とてもいい作品でした。
もう一回最初から見たい。
ほのぼので、でもリアルにこの時代の呉を描写してる。
辛い描写もあるんだけど、根底にずっとある明るさに救われた。
そして、どの時代でもみんな一生懸命生きていくのって、同じなんだなあって。
そして、主役の声の のん(能年玲奈)が今でもなぜ女優として評価が高いのかがわかった。
素朴で純朴だけど、きちんと気持ちが乗った、そして明るい演技力があるのを、この作品を通して知ってびっくりした。
いい女優さんだ。
時間が足りない
女性の太平洋戦争。知らない人と結婚し、知らない土地に行き、戦争で家族を無くし、何も自分で決められず。この時代の典型的な女性像なのかもしれない。
毎日の、何気ない日常の中で、イロイロな葛藤や戦いがあり、それが凄く繊細に表現されていて面白い。
ボーっと見えるけど、芯が強く、弱くて小さいけど、逞しくてどっしりとしてる。とても魅力的な女性が表現されてる。
一個一個のエピソードが、もう少し丁寧に表現されてると、もっと良いんだけど、時間的に難しいか。
ほのぼのからの~
ほのぼのとした戦前の広島を描いていたが、徐々に戦火が激しくなってきて…
見やすい、入り込みやすい優しいタッチのアニメーション。これでどんな戦争を描くのかと思ったら、やっぱり優しい感じのタッチだった。
でも、やっぱり戦争映画。切ないです。ぼーっとした感じの主人公のおかげである程度は救われたけど。
ぼーっとした感じののん(能年玲奈)の声もイメージが合ってて良かった(^^)b
ちょうど『君の名は。』が大ヒットしてた陰に隠れて、じわじわヒットしてたけど、『君の名は。』が無かったら、もうちょいヒットしてたのかな?
とりあえず見ろ
戦時中の女の子が可哀想というレベルの話じゃないです。キャラに悲しい出来事を押し付けるのではなく、「浦野すずという人が戦争の中で必死に生きている」という凄まじい作品です。
監督自身が主人公のすずさんに力を入れていて、広島の街を再現したり、「緻密」と言われている調べ物をして背景を描き出したり、アニメーションの動きのつくり方からもう一度考え直す事によって、
監督が言っていた「すずさんという人が目の前にいるかのように浮かび上がってくる映像をつくりたい」という部分が見事に表現できています。
この作品はクラウドファンディングに成功していて、たくさんの人の期待があった事がわかります。
まだ見てない人は、とりあえず見てくれ。
淡々と流れる時間
不思議な映画だ。時間が経つのを忘れてしまうほど、映画の中に入り込んでいた。しかし、それは研ぎ澄まされたような時間ではなく、静かに深く潜行するような音のない世界。すべてが控えめで、間接的な表現。とても居心地が良く、そして悲しくてやりきれない。
片腕が消し飛ぶ衝撃ヤベー
いやー、ほのぼのとした絵柄に完全に騙されましたわ。
親戚の女の子が爆弾で消し飛んだり、原爆被爆者が描かれていたり、エライエゲツない描写が多いやん。
前半は可もなく不可もなくといった作品で、正直つまらなかったんだけど、すずの右手が消し飛んだ瞬間「え?....マジ?」と、ヤベー作品見ちまったなとおもた。
そこから、完全に流れが変わったね。
wikiに「戦時下の困難の中にあっても工夫を凝らして豊かに生きる姿を描く」と書いてあったけど、作品の本筋からズレてる。
書いた人は何を見ているんだって感じ。
戦争の悲惨さに負けずに、片腕を失いながらも幸せを掴もうとする少女に感動する作品だった。
小中学校の歴史の勉強に使える良作でした。
噛み締める幸福感と喪失感からくる悲しみ
人類最大の業という現実を殊更破滅的に悲劇的に描きもせず、かといって楽観的過ぎに描きもせず、すずという一人の自立しきっていないごくありふれた少女を通して映し出すことで、戦争という出来事への距離感を近すぎず遠すぎずに押し付けがましい説教的な戦争論では無い形で描いている。
このように適度に迫りくる距離感で戦争を描く事で一番のテーマである「日常にこそにある美しさ、この世界の片隅に生きていく美しさ」をより際立たせている。
これによりすずという人間がこれからも生きていくという希望に満ちた幸福感とその反対に現代と重ね合わせた時に感じる喪失感からくる悲しみを感じる。
「生きていく」その当たり前のことを忘れてしまった現代社会のへのアンチテーゼにも思える。
政治的、左翼的イデオロギーの匂いの無い理由は、戦争はそれをより際立たせる道具で、あくまでもテーマが人間讃歌であり、ただ生きていくという事の偉大さの主張であるからだ。だからこそ生きていかねばならない我々に突き刺さる物がある。
戦争映画では決して無い、人間映画。マスターピース。
計り知れない明日への希望
生きる。
ただこれだけで努力まで有する時代。
しかし、この作品が描きたいのはそんな事ではない。
まだ見ぬ未来がこんなに平和でこんなにのほほんとしてるなんて、当時の彼等は知らない。
それでも今そこにある事実と、指で数えるほどの娯楽と、計り知れない明日への希望を持って前を向く。
何故なら私は生きているから。
完璧な作品です。
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