この世界の片隅にのレビュー・感想・評価
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自らの感受性の衰えを感じさせた映画
このところ高評価レビューも多く、またこの作品みたいに既に評価が定まっている映画であるにもかかわらず、私を感動させてはくれない。
我ながら、どうしちゃったんだろうと自問自答している。映像は美しいし、あえて残虐な描写も避けているのもまた好ましい。
どうやら、私は感受性や想像力を失ってしまったかのようだ。
「個人的な体験」としての戦争
大正14年生まれという設定のすずさんは今年100歳になる。そして終戦80年。やはりキチンと観ておくべきと思ったので原作漫画も読んだ上で本日、映画館で作品を観た。
まず思い出したのは、昭和4年生まれの父と、昭和6年生まれの母。どちらも既に亡くなったが、すずさんの少し下の世代となる。登場人物ではすずさんの妹のすみさんと同じくらいか。
父は海軍兵学校に進学していた。母は大阪で空襲に遭って家を焼かれた。ともに戦争の記憶は濃厚に持っていただろうがあまり子どもたちにそれを語ることはなかった。でも家の書棚には普通に「きけわだつみのこえ」とかがあって戦争はごく間近に感じ取ることができた。ちなみに原作者のこうの史代さんは昭和43年生まれ。34年生まれの私のほぼ10年年下となる。おそらくはこのあたりまでがごく普通に家庭に戦争の記憶が持ち込まれていた世代なのだろう。こうのさんのお母様は呉の出身だったそうだから、この作品には何らかの影響は与えているものと思われる。
戦争に限らず、さまざまな記憶は親から子に伝承される。それはいわゆる「語り部」という形ではなくても、日常会話、ふとしたしぐさやクセ、好き嫌いの感情、家に置かれた物、などから伝わる個人的な体験である。そうして残念ながら世代が隔てられれば伝わらなくなる。80年もたてば戦争は親の体験、祖父母の体験ですらなく、曾祖父母の体験であったりする。何も知らなくても当たり前であり、そして個人的体験としての記憶がなければ、戦争へのイメージは抽象的な理屈による表層的理解と結びつく。それが右であっても左であっても。
戦争を知らない、伝えられていない世代のつくる本作品は、原作をリスペクトし綿密に取材も行ってきちんとした映画化がされていると思う。でも、周平とすずの夫婦の関係性は原作にもましてあの時代にはあり得ないほど現代的だと思うし、全共闘世代の楽曲である「悲しくてやりきれない」が使われているところなども違和感は感じる。それでもすずさんという人の個人的な体験を通して時代、戦争を捉えていこう、その記憶を共有化しようとする試みは高く評価できる。
最後に、私はあまり映画では泣かないのだが、エンドクレジットのイラストで涙がとまらなくなってしまった。すずさんが広島の焼け跡で拾った戦災孤児に晴美のスカートを履かせてやるのだが丈が足りない。継ぎ足しているのはあれはすみさんが持ってきてくれた純綿の布地ですよね。
実写、アニメを問わず日本の戦争映画の最高峰。すずさん百歳の年にリバイバル上映
初の公開からもう9年も経ってしまったか。
Wikipediaによると、
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「2016年11月12日に日本国内63館で封切られた後、公開規模を累計484館(2019年10月31日時点)まで拡大し、2019年12月19日まで1133日連続でロングラン上映された。
この記録は、日本国内の映画館における中断日のない連続上映としては洋画・邦画含めて史上最長である。
累計動員数は210万人、興行収入は27億円を突破し、ミニシアター系作品としては異例のヒットを記録した。
また公共ホールなど約450の会場で上映会が行われ(2018年1月時点)、日本国外では世界60以上の国と地域で上映される。」
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最初の公開当時もユーロスペースで観た記憶がある。しかも2回。
9年を経たけれど、作品の味わいはますます深く感じられた。
すずさんのVC能年玲奈は、本当にこの役は彼女でなければならない、と心から思う。
※「のん」という芸名を軽んじるつもりはないが、かつて芸名を兼ねたからと言って本名を名乗ることを禁じるなんて人権無視も甚だしい。だから小生は今後も彼女を能年玲奈と呼び続ける。
・・・と、ここまで書いて来て、頭に浮かんでは消える自分の感想がまるで陳腐で、この作品にそぐわないことにうんざりしてきた。
どんな言葉をもってしても、この作品の良さ、凄さを的確に表現しきれない。
ご覧になっていない方々には全然意味が分からないに違いない。
が、すべてにおいて、戦争を描いた日本映画の最高峰の一角を占める、とだけしか言えない。
付け加えるなら、やはり音響の良さと迫力を考えると配信視聴はお勧めしない。小さなハコであっても、ぜひ映画館へ行こう。
タイトルなし(ネタバレ)
原作は未読のまま、クラウドファンディングの話を知ったりして気になっていたので、公開されたら必ず観ようと思ってました。
まず、主役ののんさんの好演が印象的でした。おっとりとしつつも力強く生きた主人公にぴったりで、他の人は考えられないほどの適役。
数年分の出来事を二時間で描くために、話はかなりのスピードで進んでいくのだけど、観ていると、とてもゆったりとした気持ちでいられるのはこの好演によるものだと思う。
今までの戦争映画にありがちな、悲惨さを強調するのではなく、あの時代を生きた人々の日常を淡々と語っていく。そこには笑いがあり、物資が欠乏する中で工夫するたくましい姿もある。
それでも、歴史を知っているだけに日付が進むごとに胸が締め付けられる思いになる。
戦争はそういう何でもない日常を否応なく壊してしまう。家族を奪い、楽しい時も辛い時もすずさんの心の支えとなった絵を描く右手も奪った。
エンドロールも素晴らしかった。すずさん家族のその後や、絵を描くすずさんの右手が描かれていて、戦争を生き残った人々の未来と、戦争で奪われていなかったらあったはずの未来の可能性を表してるのかなと感じた。
声高に戦争反対と言っている映画ではないけど、改めて、二度と起こしてはいけないという思いを強くした。
いろんな世代、たくさんの人に観て欲しい。自分も、一回では捉えきれなかった部分があると思うので、もう一度観たいと思う。原作や関連本を読んでみたいし、広島にも行かなくてはと思った。
最後に余談だけど、鑑賞したシネマシティの袋と本作品のパンフレットが絶妙のマッチで、戦災から復興した現代の町並みに思えた。あの当時も今も、この世界の片隅に生きている、すずさんたちと自分たちがより身近に感じられた。
のんちゃんの声に一気に引き込まれた
後世に残る傑作
どんな時代になっても誰もが片隅に生きている
2025年1月に観ました
高評価のビッグタイトルなので観てみたが
この作品を世に送り出してくれた全ての人に「ありがとう」
忘れられない物語がある。その物語を観たときの生の感情は再び味わうことはできない。でも、その物語が映画として残っていることで、観る度にその感情に近づくことができる。何度でも。だから、ありがとうと言いたい。この作品を世に送り出してくれた全ての人に。
2017年1月のある日、私は映画館へ足を運んだ。郊外のショッピングセンターに併設された小さなシネコンだった。この映画を観て何度もクスッと笑った。そして終わる頃には涙が止まらなくなっていた。映画館で泣いたのは生れて初めてだった。パンフレットを買い、原作漫画を買って読んだ。それから2回観に行った。同じ映画を3回も観たのも初めてだった。そして、2回目も3回目もどうしようもないくらい泣いた。どうしてこんなに涙が出るのか自分でもわからなかった。でもそれはとても暖かい涙だった。
この作品は、戦時下に生きたおっとりとした女性「すずさん」を描く。彼女が少女から大人になる過程を、彼女の目を通して見た世界を、ときに彼女の空想を織り交ぜながら描く。そして戦争という特殊な環境下でも、好きな絵を描き、着るもの、食べるものに関心を寄せ、婚家での人間関係に悩み、夫との関係に悩む、どこにでもある「日常」を生きる姿を描く。
野草を使ってまな板をバイオリンのように肩にかけて料理をする場面にほっこりさせられる。砂糖をアリから守るために水に落とすというドジにクスッと笑う。どこまでいっても憎めない、ちょっとぼーっとした天然なお嫁さん。すずさんの愛らしさに惹かれる。
場面は、月日の経過を文字で伝えつつ、刻一刻と進んでいく。じわじわとその影が迫ってきても、どこか実感がなく、遠くの世界の話のように感じていた戦争。それが突然やってきて彼女の幸せな日常を、暴力的に一瞬で破壊する。その破壊の場面は、暗転したスクリーンの中で、間接的に、しかし強烈な表現で描かれる。こんな表現は観たことがない。
日常を破壊されてもなお、痛みを抱えて別の日常を生きなければならない彼女は、兄の死さえ実感できず笑い話にしてしまう自分を「歪んでいる」と言う。そして、原爆投下。終戦。玉音放送を聞いた後に地面に伏して泣いた彼女。彼女は何故こんなに感情を爆発させたのか。なぜ怒り、悔し泣きをしたのか・・・
戦後のすずさんは、戦後の「日常」を生きる。そして新しい家族を創る。少女だった彼女は、たった数年で大人の女性になり、母になる。
呉の街を見下ろすラストカットは、新たな日常を生きていくすずさんたちの未来を感じさせる・・・
悲しくて泣くんじゃない。どんなことがあっても力強く日常を生きるすずさんと周りの人たちに心打たれて涙するのだ。
どうしてこんなに惹かれてしまうのか。
それは、この作品が、この時代にたくさんいたであろう、名もなき市井の人々の生き様に焦点を当て、世界の片隅の一人一人に、かけがえのない日常と物語があったということをまざまざと見せたからだと思う。
そして、「すずさん」という唯一無二の愛すべきキャラクターの存在。彼女を生み出した、原作者こうの史代氏、映像化した片渕監督、声で命を吹き込んだ「のん」。
リアリティに拘りながらも淡く、やさしいタッチの絵。ささやくようにやさしく歌うコトリンゴの声。この作品の世界観を表現するために、なくてはならない要素に携わった人々の、この映画を届けたいという、並々ならぬ想いが、じんわりと伝わってくるのだ。
最後に。
この作品は、反戦映画ではないと私は考えている。
しかし、戦争が、長い時間をかけて徐々に日常に入り込み、突然牙を剥く性質を持っていることを忘れてはならない。そして、日常が、どれだけかけがえのないものであるかを、忘れてはならない。そう思う。
これからも、何度も観て、何度も涙するであろう、宝物のような作品である。
何か良い映画
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戦時中に広島育ちのド天然主人公は、結婚をして呉へ。
軍事拠点のため空襲は日常茶飯事の中、強く生きていた。
気の強い義姉が出戻りで同居していたが、それなりにうまくやってた。
しかし空襲の時に義姉の一人娘を連れた状態で爆撃を受ける。
これにより娘は死亡、主人公も右手首から先を失う。
そして義姉に辛く当たられ、広島に帰ることを決断、旦那に告げる。
しかし義姉は主人公に辛く当たった事を悪く思っていて、詫びる。
そして変な気を遣ったりせず身の振り方を決めるよう告げる。
こうして呉に残る主人公、そしてまもなく広島に原爆が落ちる。
やがて終戦し、主人公夫婦は広島を訪れ、孤児を連れ帰る。
こうして新しい生活が始まるのだった。
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劇場で見た。何を訴えたいのかが難しくてよく分からなかった。
でも戦争の悲惨さや恐ろしさ、人々の強い生きざまはよく分かった。
戦争をしてはいけないこと、現代人は恵まれていることが伝わる良い映画。
主人公は鈍くさくて、義姉の妹の死因にもそれは絡んでいる。
だから主人公も辛かっただろうし義姉の腹立ちもよく分かる。
でもそこが訴えたいことではなかったっぽい。
旦那も嫁を束縛せずに理解してくれるいい人で、主人公は救われている。
タイトルは「この世界の片隅に自分を見出してくれてありがとう」の意味で、
やはり旦那との愛情部分がメインテーマとなるのかな。
しかし能年の声が主人公のキャラとピッタリで顔が浮かんだ。
やっぱり表現力あるのかな、適役だったと思う。
テアトル新宿が大変なことになっていると聞き
劇場公開時鑑賞。「片渕須直監督?はて?」と最初は思ったが、『アリーテ姫』の監督と知り一気に前のめりになった。
当時は配給の東京テアトルさんの株価まで上がったりしてて。公開1ヶ月以上経って少しは落ち着いたかなと梅田に観に行ったら、考えが甘かったり。通常の興行状況ではあり得ない推移してましたよねえ。東宝の邦画と家族向けアニメしか上映しない地方の小規模劇場にすらかかったり、何もかも異例づくめの作品だった。
冒頭の船から陸に上がった場面でもう、非常に丁寧に作られているのが、私にですら見て取れる。銃撃場面の異様な迫力の音響に驚かされたり、夢の場面の特異な演出とか、原作の良さを引き出した上で、さらに上乗せしてくるのはいったいなんなんだろう。原作読んだり、デッキ持ってないのにBlue-rayソフト買って制作過程を見たり、知れば知るほどすごいという言葉しか出てこなくなる。
演者さんはみんな良いですが、サン役新谷真弓さんが好き。
く〜れ〜く〜れ〜。
最初に公開したバージョン。尺の関係で白木リンのシーンは無い
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が有れば、コチラはいらないかどうか…いらなくないです。
周作が愛した白木リンが登場するべきか否か…登場しなくても大丈夫です。
周作とすず二人への愛や切なさが白木リンの魅力でもあり、美しくも儚いその素敵なキャラクターを割愛した本作は、つまり完璧じゃないのか…完璧じゃなくても大丈夫です。
大人の恋愛をカットしたことでマイナスになったのか…むしろプラスです。
結局『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』と、どちらが好きなんだ…両方好きです。
なぜ…スッキリしていて、ドロドロした恋愛モノ感が薄くて良いと思います。白木リン無しでも充分深くて味があって切なくて面白くて・・・戦艦大和のタッチも素敵ですし、径子や晴美もいて、ちゃんと感動するから大丈夫です。
やっとスクリーンで観れた!
できれば前情報なしで
戦争当時を描いたものではあるけれど
陰鬱としてはいない。
主人公すずのノンビリした性格によるモノで
それでずいぶん救われてもいるし、
彼女が知らない土地へ嫁いでも
可愛がられるのもよく分かる。
この作品では悲しい場面もあるけれど
泣き叫ぶ描写は少ない。
あの当時の人たちは、きっと、
悲しいことも、自分だけではないのだと
表に出すのも控えるようにし、
飲み込んで明るく目の前のことを必死に
こなしていたのだろう。
市井の人からみた戦争というものが
肌感覚で伝わってくる作品だった。
あのおもてなしには驚いたが・・・。
観に行く前にさんざん周りから
とにかく泣ける、涙が止まらない、と
言われてたせいなのか、
ホロリ程度はしたがそこまででは無かったなあと
期待はずれに思ってしまう面もあった。
作品はいいものなのに。
前情報あまり入れなかった方が良かったようにおもう。
もがれた白い手が 僕たちに向かって振られている
僕の娘は、この映画を見ながら泣き、
この映画を見ながら美大に通った。
田舎町に生まれて、すずさんと同じに絵が好きで、誰にも知られずに普通に生きて、うちの娘も大人になっていった。
恋をしたり、大人の男を知ったり、裁縫をしたり、料理したりしながら、彼女は、好きな絵筆と彫刻刀をその手で携えてこの先も生きていくのだろう。
誰の手ももがれることなく、世の娘たちよ、その手で恋をし、男を抱き、裁ちばさみを走らせ、小鍋を揺すっていてほしい。
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娘へ、
あなたのひいおばあちゃんは
空襲警報の中で台所で、子供たちに食べさせるためのぼた餅を作っていました。
ピューーっという爆弾の音に
「あれよ!あれよ!」と言いながらぼた餅を抱えて庭の防空壕に転がりこんできた人です。
片田舎で「ミル」という名の犬を可愛がっていた普通の女でした。
覚えていて下さい。
しんどいに決まっている
戦時中が舞台なのに、のんきだ。明るすぎる。という意見がある。ごもっともである。
私は戦争を経験したわけではないし、話や資料で見聞きしたことしかないが、それらは辛く暗く残酷で目も背けたくなるような史実であると教育されている。我々が知り得る第二次世界大戦はそういうものであり、画風も相まってか、ある意味マイルドな印象を受け、我々の知ってる戦争とはギャップを感じる。
というのも
すずさんと言ったら、能天気、ドジ、のろまでお人よし、ぼーっとしてて、絵が好きがゆえ必死さが感じられない。
しかし戦争はとても理不尽で平等に、懐いてた姪を殺し、好きと言ってくれた幼馴染を殺し、絵を描くための腕まで飛ばした。
絶望の淵、まさに悲しくてやりきれない。
能天気だがこれが窮地であることは分かる。
ドジだが、家に落ちた焼夷弾を身を挺して消さねばならぬ
のろまだが、鷺をこの修羅から少しでも遠くに逃がされねばならない、こんな人間のエゴに巻き込んでならない、と走る。
と行動させざる得ない状況にある
なんてしんどいんだろう、生きる希望が目の前で吹き消される感触、息も絶え絶えままならない。
でも、ただ生きねばならない。足がもつれても、前に歩き出さねばならない、しんどいに決まっているが生かされた、代わりに死んでいったたくさんの命があった。歴史にはされど重要視されない、しがない市民の、この映画がなければ知る由もない、この世界の片隅での物語だとおもう。
なんとたくましいのだろうと思う、途方もなく長い長い道の先で我々の生活があるだとしたら、すずさん、日本は平和になったよと。
どんなに呑気に暮らしていても完膚なきまでに潰す、好きな人を簡単に瞬殺する、どんな正義があっても戦争はよくない、絶対に。
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