64 ロクヨン 後編のレビュー・感想・評価
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改作部分に問題あり
原作は,横山秀夫が 2004〜2006 年に雑誌連載していた長編小説であるが,作者はその出来が気に入らず,連載を中止してその後6年を掛けて全面的に改稿し,2012 年に刊行して大評判になったものである。刑事物というと,犯人の動機やトリックに力点を置くものが多いのだが,この小説の特異な点は,迷宮入りになった誘拐殺人事件の被害者が,自力で犯人を捜そうとする方法にある。時効寸前にまで及ぶその壮大な努力には,本当に心を動かされるとともに,そのモチベーションとなった我が子に対する親の思いに,深く感動させられるのである。この映画の監督は,2010 年に,上映時間4時間 38 分という「ヘヴンズ・ストーリー」という超大作を世に送り出しており,本作を前後編に分けてそれぞれ2時間 15 分という長さは,それに匹敵するものであるが,原作者の身を削るような苦労の果てに書き上げた労作を,一部映画向けに改変していることには賛否両論があると思われる。
昭和 64 年は,僅か8日で平成と名を改められたが,その僅かな昭和 64 年に起こった誘拐殺人事件を起点に物語は進行する。主人公はその事件の担当刑事であったが,ある事情で配置転換され,時効寸前の平成 14 年時点で群馬県警の広報官を勤める人物である。広報官とは,警察のマスコミ向けの公式発表を行う部署であり,刑事部ではなく警務部の管轄で,捜査の一線からはかなり後ろに下がった立場である。映画の前編では,その立場と,個人的な家庭の事情を中心に描いてある。この設定は,前半では実に上手く機能していたと思わせられたのだが,後半ではかなり足を引っ張る設定になっていたと言わざるを得ない。
前編で最も見所となっていたのは,警察署の記者クラブに詰めているマスコミ各社の記者たちとのやり取りである。記者クラブなどという制度は日本独自のものであって,とかく匿名などにしたがる公式発表から少しでも本当の情報を引き出そうとする記者たちは,広報官から見ればハイエナに等しく,自分こそは正義であるという思い上がりと,共産党員のような言動が目に余った。本当にイライラさせられる話で,見ているのが非常に苦痛であった。特に記者クラブの中で最も陰険な態度の記者を瑛太が演じており,ハラワタを煮え繰り返されたのを思えば,前編の MVP の有力候補に挙げても良いと思った。東京都知事の記者会見も是非こいつらにやらせてみたいと本気で思うほどであった。
前編で最も扱いの大きかった一人暮らしの老人の事件は,この作品が単なる推理ものでなく,人間の情を描きたがっているのだということを痛感させてくれるもので,まさに誘拐事件の裏返しになっていることには,原作者の力量を垣間見せられた気がした。主人公の広報官は娘との家庭問題を抱えており,そのことが事件に立ち向かう広報官のモチベーションにも通じている点などの構成も見事であった。人生で最も得難いものは家族であり,だからこそ家族の問題は何より重大であって,その極端な例が誘拐事件であり,誘拐された家族を取り戻すためなら他の何をも惜しまないという人間の美徳を突いた卑劣極まる犯罪である。前編では観客のすすり泣く声も多く聞かれていたのが印象的であった。
後編は,特に原作の改編部分に疑問符が多い印象が拭えない出来であったのが惜しまれる。原作にはない人物を登場させて重要な役回りを持たせたために,いろいろと不自然なシーンが目につくことになってしまった感が否めない。また,原作でも,広報官という立場の人物が捜査の一線で口を出したり犯人を追いつめたりするという展開には,それで良いのかという疑問符が見る側につきまとっていた。後編では,前編と違ってすすり泣くような人もいなかったのが,その戸惑いを物語っているのかも知れない。物語のキーとなる「幸田メモ」とは何だったのかという未消化の謎なども気になった。
後編で特筆すべきは,発端の誘拐事件の父親役を演じた永瀬正敏の演技と役作りであろう。この役のために 14 kg 以上もの減量を果たしたという永瀬の演技には鬼気迫るものがあった。また,犯人役の俳優が見せた証拠隠滅時の表情なども実に見事で鳥肌が立った。その一方で,仲村トオルや小澤征悦,綾野剛,榮倉奈々などは役者の無駄遣いではないかという気がしてならなかった。また,主人公の美人妻を夏川結衣が演じたのは良いとして,娘が父親に似た自分の顔を嫌うという設定なのだから,主人公の広報官を佐藤浩市が演じるのはどうなのかという気もした。ただ,佐藤の演技は文句の付けようもないものであった。
平成 14 年であれば,各種の変声器が市販されていたはずなので,ヘリウムガスを使う必要などなかったはずなのだが,物語の設定上必要なことは分かっていても,ガスが切れた後で喉を押さえて声を変えようとするところなど,ギャグに見えて仕方がなかった。また,犯人の動機についても十分な説明がなされていなかったのが残念であったし,原作にない人物に対して広報官が行ったことは,あまりに酷いのではないかという思いが,見終わった後しばらく脳裏を離れなかった。
(映像5+脚本4+役者4+音楽4+演出4)×4= 84 点
背負うもの
立て続けに見れて良かった。
こちらが、64の核心のような作り。
前半から丁寧に拾い上げていった、組織としての膿が後半にこびりついている。
簡潔にまとめる事は可能だったと思う。
だが、
このボリュームが適切に思える。
経過していく時間と、重くのしかかる空気を見つめ続けたような感覚だ。
記者の書いた記事を、読めなかったので最後のやり取りが「?」ではあったが、小説だと読めるのであろうか?
前半に相当なウエイトでぶちかました割には若干の肩透かし感があったりもする。
それにつけても
イケメンなんかは霞みまくりで…何故ここまでの俳優たちが集まれたのかは謎である。
監督の求心力なのだろうか?
昨今ではとんとお目にかかれない、大人が楽しめるドラマを観たような気がする。
とても、とても幸せで、満足である。
ただ一つ…。
エンディングは腑に落ちない。
別に感動するような内容ではないので、それっぽいBGMなど無くて良かった。
前編の興奮はどこに。
佐藤浩市にとある映画雑誌で前後編同時に見てくれと言われたので、同時に鑑賞した。
昭和64年1週間に起きた誘拐殺人事件を軸として広報官である佐藤浩市と記者たちとの戦いを描く。
印象として、前編に記者たちとの闘い、後編は事件との闘いを描いてはいるが、前編で得た興奮が後編に続くことはなかった。
事件の盛り上がりと、記者たちとのきずなの完成、外部記者との隔たりと、うまい具合に前後編をバランスしていた。
全体を通して、複線の回収が甘いと感じた。自分がバカだからかもしれないがそこはご了承。結局、何を伝えたい映画なのかよくわからなかった部分が多い。
また、全く感動する話ではない。ラストの佐藤浩市の犯人を欲のまま捕まえるシーンはよかったが、被害者とのやり取りなどでも泣けるものはなかった。
ラストのほうで東京の記者たちが瑛太へ圧力をかけるシーンがあったが、なんだかとても薄く、インパクトに欠けた。
佐藤浩市の娘は帰ってくるのであろう。最後の電話のシーンが物語っているが、ああいう表現は嫌い。
わざと2人を合わせて感動シーンにしたくなかったからとは思うが。
模倣事件の、広報官と瑛太たちのやり取りも、よくわからないまま終結し、幸田メモについても明かされないし、複線を残したまま終わってもやもやする映画。
今回の監督は感染列島の監督だが、その前にはピンク映画を多数とっており、このような作品に合っていなかったのでは?とも思う。
前編は☆3つ。後編は☆2つでトータル☆2.5。
犯人の、悪人特有の顔つきが良い
前編を観た後、これは後編どうなるか次第でだいぶ評価が変わるなあ、後編を観なきゃ何とも言えないなあ、と思った。
そして、いざ観てみると…
やはり前編と同様、所々で芝居がかったというか、劇団員的なというか、暑苦しすぎる演技が鼻につく。
特に、記者会見などたくさんの人が集まって揉めるシーン。
メインの役者の背後に何気なく映っている人の目つきなど、どうしても気になった。
全体的に、これなら映画じゃなくて特別ドラマでいいのでは?とも思えた。
つまらないわけではないが、暑苦しさと暗さだけではなく、スパイスが欲しかった。
後編で必見なのは、犯人の演技力だ。
ちゃんと“途中から”悪人特有の顔つきになっているのが凄い。
あんなに別人のような変化を出せるなんて、素晴らしい演技力だと思った。
まさに『昭和64年に犯人を引きずり戻す』ことができていた。
全てを台無しにする、ピアスの穴。
瀬々監督でなかったら本当に劇場で観なくてよかった、前後編合わせての一本。
そもそも警察内部の騒動など一般生活者には関係ないし。
報道マスコミ記者はどれだけ偉そうなんだ?と常々思うくらいだし。
まぁそれを言ったらそもそも「64」自体がお終いなのだが笑
決してつまらない作品というわけではない。
原作から改変されたラストも、物語をすっきりとさせて良かったと思う。
(ありえない方向に舵は切っているけれど苦笑)
前作から引き続き、40代以上の役者陣の演技も素晴らしく。
特に慟哭の長瀬氏と、後編から参加の緒方氏にとにかく震えた。
しかしながらベテランが頑張れば頑張るほど、若手俳優との温度差は前作以上に開くばかりなのは演出も問題があるのだろうか。
演技以前に「身だしなみ」が問題という、近頃の邦画の不思議。
役者を目指そうとするならば、素体としてのナチュラルさは絶対だと強く思った作品。
タトゥーは言わずもがな、ピアスはダメだよ。
追:
CMでも映画でも、どんな仕事でもいつもテンプレの顔。
綾野剛氏は、ある意味すごいのかもしれないな…
前編、後編はしばらく控えます。
一カ月後に後編観ました!
で、まだやるかー!記者クラブ!笑
ほんまにもう、ええから〜って心境でした。
少しガマンしてると、ようやく本編が動き出しました。一番好きなシーンは雨宮と三上がベンチで語り合うとこです。聞きたくても聞けなかった心のうちを聞いちゃうんです。
佐藤浩市さんもええんですけど、私は永瀬正敏さん派です〜あの静かな演技がいいですね
忘れた頃に出てきた幸田元刑事笑
犯人の動機がもう一つ??...あっさり?
観終わった友人が一言、もう前後編映画当分いらんわー...同感!
もしくはアニメのように最初から二本立てにして下さい!
事件の落とした影
事件発生当時解決に至らなかった事で、被害者家族はもちろん捜査に当たった各警察官のその後にも影を落とした少女誘拐殺人事件。
その爪跡が哀しすぎて、各人の想いが切な過ぎてとても印象に残っている。
エリート警察官が記者会見場と捜査本部を往復して疲弊していく場面が少し物足りなかったが、全体としては三上の原作と違う行動もあり、重厚な映画だと思う。
電話の使われ方。
待ちに待った後編。原作もドラマも未見だったため、
さぁどうなるかと思ってはいたのだが…。前編最後
に流れた予告がほぼ答えを握っていたかなぁという
印象がどうも残る。64真犯人が誰なのかは早々に
分かるのだが、彼がなんで少女を殺してしまったか
最後まで疑問が残る。誰もが自分の子供に対し抱く
感情を様々な人間に当てはめて示すことは成功する
がその心中まで深く入っていかないのが理解できず。
どうも中途半端感が残って勿体ない。記者クラブと
の対立に時間を割くなら主人公・被害者・加害者への
取材を試みて欲しかったところ。キャスト陣は佐藤
をはじめさすがの演技で緊張感をもたせてくれるが、
そんな主要キャスト達が昭和に活躍した面々である
ことが懐かしく思い出され表情一つにも酔いしれる。
前編から続いてきた謎が「電話」に集約されているの
が、あ~そういうことだったのかと膝を打つくらい、
公衆電話や固定電話の使われ方が上手くて懐かしい。
(父親の執念凄まじき。永瀬のやつれ方がハンパなし)
前編と後編を一気に観ました。
生きていると誰でも様々なことがありますが、主人公にも様々な思いがあり、だからこそ人の心がわかる人に描かれている。
主人公と部下の関係も素敵に描かれています。
しかし、前編犯人も、後編では64事件になぞられて同じ様なことを犯されていることに気づいているが、なぜ前編で殺人を犯したのかが観ている側には伝わらない。
また、主人公の娘はただの家出なのか。
観ている側の想像でしか、細かい結末がわからない。想像で良いのだろうか。
配役も有名どころばかり連なり、少し役柄とキャストがミスマッチな部分も個人的には気になりました。
結末が、ドラマの様な爽やかさと物悲しさを交錯させます。
小説のラストが映画と異なるとのことなので、小説も気になります。
失速
前半煽って後半失速。
ソロモンの偽証 と同じパターン。
終末に向かって説明が多かったのは退屈。
ドキドキ感が後半も欲しかった。
期待していた分ガッカリ度が増してしまった。
テレビで放映されるまで待てば良かった。
スッキリしない
前編がものすごくよかったので期待していたのですが、、、
広報官の暴走が現実的ではないかなー、、
目崎が警察署に連れて行かれるとき、娘が泣き叫ぶ声が演技してる感満載で冷めてしまいました。
全体的に、入り込めない。
よかったのは、
2課長が、まだ頑張れますから、と根性見せるところ
幸田が出頭するところ
原作を読んでいたのに幸田が実行犯だということを完全に忘れていました
単独犯だと思っていたな
結局、執念で犯人逮捕に至っても、しょうこちゃんは帰ってこないから、救いはないですね。。。
いろいろな意見もありますが
迷宮入事件の解決がこんな形でなされるとは、
声だけで犯人を?という疑問を持つ人も多いだろうが、
声だけでわかる、というのはある程度理解できる。
電話の一声でだれだか、わかるって場合もある。
この映画の見所はやはり佐藤の演技力にあると思う。
佐藤に始まり、佐藤に終わる、そんな感じかな。
佐藤ファンなら見逃せない作品ですね。
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