奇蹟がくれた数式のレビュー・感想・評価
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大学生におすすめ
一理系として、予想よりも証明こそ苦痛で成した時の喜びが大きいものはないと感じた。
特に、ラマヌジャンの見出す数式は文字通り奇蹟の代物であり、必ずしも予想が真ではなくも、本人からすれば天啓なのだと思う。
文学的に惜しい点として、フィックションにはなるかもしれぬが、有神論者と無心論者の価値観の相違を描いて欲しかった。
英国の皮肉も分かりやすぎて、残念であった。
ターゲット層が見えないが、イギリスらしさは少ない。
よって、なぜイギリスの文化に体が合わないかまでのコンテクストが少ない。
劇中では、スポットとしてラマヌジャンの苦悩がメインで、次いでハーディのフェローとしての視座からの視点にもなり、どちらの人物の描写も丁寧に書かれてそこは評価できる。
大学1年生の理系が課題で見る分には、数学の尊さと基礎の大切さを悟らせるには良さそうだ。
劇中でも描写されていはないが、学問は来るものを拒んではならないという、古代ギリシアのアカデミアの思想、プラトン主義にも通ずるものはやはり学者のコモンセンスに根差しているのだろう。
戦中の学者のリベラル思想が定かではないが、戦争というものがいかに愚行で忌むべきものかも含めて、学問がそれ自体で万国共通で尊いものなのだろう。
全体として、この監督も2人を通し、大衆映画から超越した普遍的な学者間特有の象徴を示したかったのかと思われる。
この監督の他の作品も観てみたい。
ヴィーガンの苦労がわかる映画
いまだに加藤純一や西村博之みたいにヴィーガンを叩く日本人ばかりだが、
世界中の人が肉を食ったら食料の平等性は破綻する。だから格差があるのだが。
これこそSF映画プラットフォームの順番に上の階層から下の階層に降りいく食事台のような話だ。
ラマヌジャンは生まれ上ヴィーガンで霊能力とも言えるような天才的な能力を発揮したが、
イギリス人の周りの理解がなさすぎて苦労しまくっている。じゃがいもを食べようとしたらラード(動物油)で料理してあったり。今の日本もこのときのイギリスのようにヴィーガンにだと食べるものがないので、ラマヌジャンの苦労には深く共感した。今の日本だと韓国企業の叙々苑や中華料理であるラーメンとかが世の中でチヤホヤされていて、悲しいことに日本人が日本食をたべなくなっちゃった。
おばあちゃん家で孫の俺が作った味噌汁に肉や卵を入れられたり、和の文化を理解できなくなっているというかなというか。昔はもっと仏教などで四肢の肉は避けてたりしたと思うだけど。女が肉をガツガツ時代。体が強くなるというが精神薬を始め慢性病などの薬が大量に使われている時代である。
夭逝の天才
主人公S・ラマヌジャンは若くして多くの数論の定理を発見したインドの天才、彼の才能を評価した上司の勧めでケンブリッジ大の数学者に研究発表の支援の手紙を出すことになる。劇中ではガンマ関数の負値のふるまいと言っていますが、実際は「1+2+3+4+…=マイナス12分の1」という間違っているが奇妙な数式を記した手紙を見た英ケンブリッジ大の数学者ハーディー教授は数学の巨人オイラーが「ゼータ関数」という特殊な関数を使って導き出したのと同じ答えに、「天才」と直感し英国に呼び寄せることになる。さすがゼロを発明した国だけあってインダス文明のDNAは素晴らしい、私には殆どちんぷんかんぷんだったが数学監修に日系アメリカ人の数学者ケン・小野の名が、今もエモリー大学教授でラマヌジャンの研究を行っているらしい、ただ劇中の分割数の説明シーンで100の分割数は204,226通りと言っていますが50の分割数の誤りです、どこで間違ったのでしょう。
ハーディー教授とラマヌジャンは映画では親子ほどに見えますが実際は10歳差だったらしい、無神論者のハーディー教授と敬虔なヒンドゥー教徒の奇妙な師弟関係、ラマヌジャンのひらめきの源泉が女神の啓示であり人は神の定めた真理を発見するだけと言う、現代でも宇宙の仕組みを解く数式を「神の数式」と呼び相対性理論と量子力学の融合などが試みられているので含蓄のある表現ですね。
第一次大戦や人種偏見、教授たちの才能への妬みなどを乗り越え王立協会のフェローに認められるほどの業績を上げますが祖国で32歳で病死してしまう。嫁姑のよくある話まで実話かどうかは分かりませんが夭逝の天才の生きざまを描いた秀作でした。
余談ですが同じような話で真逆の師弟関係の実話があります、インドの天才チャンドラセカールとケンブリッジ大のアーサー・スタンレー・エディントン教授の醜聞、なんとエディントンは支援するふりをして策略を用いてチャンドラセカールのブラックホールの学説を潰してしまうのです、後にチャンドラセカールの説が正しかったことが認められノーベル賞を得ますが天文学研究が失った時間は計り知れません、権威とは怖いものです。
ブラックホールの計算にも
第一次世界大戦前夜のこと。ラマヌジャン(パテル)は職を求めて何とか経理の仕事を得て、仕事外では数学にのめり込む青年。ケンブリッジ大学のG・H・ハーディ教授(アイアンズ)から良い返事を貰えたので、妻ジャーナキ(ビセ)と母親をインドに残し、単独で英国へ渡る。
インド人だとして迫害も受け、彼の独学での数学のため、講義でも邪魔者扱いされるラマヌジャン。彼は発見した素数に関する公式を発表したくてうずうずしていたのだが、ハーディからは直観よりも証明が大切だと諭され、やがて対立したりもする。神を信ずるラマヌジャンに対してハーディが独身で無神論者であったことも影響した。
そうやって共同研究する中で、ラマヌジャンはひらめきにより分割数の公式を発見したと報告する。これが公式化不可能とされていたため、にわかに信じがたいもので、ハーディは色めき立つものの、共に長い年月をかけて証明しようと力を合わせるのだった。そんな折、ハーディの右腕でもあったジョン・リトルウッド(トビー・ジョーンズ)が戦地に駆り出される。そしてラマヌジャンには結核という病魔が忍び寄っていた・・・
戦局は激化する中、ドイツのツェッペリン号が上空に飛んできたりする。大学の組合でも反戦の意見が多い。学問に没頭する彼らは戦争の無意味なことを知っているのだ。そして、ハーディはラマヌジャンをトリニティ・カレッジのフェローに推薦するが、委員会では否決され、ラマヌジャンの病状も悪化して、ホームから転落するなどしてケガを負う。しかし、結核の方が心配だったのだ。
分割数の証明をハーディが力説したため王立協会の会員となったラマヌジャン。大変な名誉を受けたため、一旦帰国する。しかし、帰国してから1年後に結核を再発して、32歳という若さでこの世を去ってしまったのだった・・・
ほぼ備忘録
夭折した天才インド人数学者の物語
牧師がこう言った。
「神は存在する。凧と同じだ。糸の向こうに神がいると感じる」
私(ハーディ教授)は答えた。
「無風なら、凧は飛ばない」
数学者の伝記映画で思い出すのは、ノーベル賞受賞学者であるジョン・ナッシュを描いた『ビューティフルマインド』。
こうした実話をもとにした映画には、いつも心震わされる物語があるので、大好きなジャンルです。しかも、自分が知らなかった世界なので、それを知ることができるのもうれしいですね。この『奇蹟がくれた数式』も同様に、発見がありました。
でも、タイトルがなんとも力不足で、頼りないのです。
日本語としても違和感を感じます。
原作は、『The Man Who Knew Infinity (無限を知っていた男)』で、このままでは魅力的ではありませんけれど。
数学的な発見、すごさというものがもう少しほしかったですね。タクシーエピソードはとてもよかったですが、短い生涯だからこそ、濃密な時間がそこにあったはずです。それをもっと観たかった。
ラマヌジャンが、着想をどのように得るかというハーディ教授の問いに答えるシーンがあります。
そのときラマヌジャンは、女神の名を出すのです。女神が現れ、舌の上に数式を置いていく、と。
信仰に支えられた彼の人生は、その信仰の深さゆえに悲劇を招きます。天才の着想とは、信仰のように思念をもち続けることで得られるものなのかもしれません。
トリニティカレッジ
イギリスのケインブリッジとかオックスフォードは、こういう嘘のような実話がゴロゴロあるみたいで、ただただ驚く。それもこれもちゃんとした記録がなされてるから、後世に受け継がれていくのだとしみじみ。だいたい、ハーディ先生の夢が記録として残されていくこと、だもんな。
天才を見いだし、世に送り出すことも大学の役割であることが立派にー偏見や差別と戦いつつもー行われていることにも感動。インドという天才の国が植民地となってしまったのは悲劇ではあるものの、宗主国がイギリスであったのは幸いとも思わせる、偉大なるトリニティカレッジか。最後が実話なのでしょうがないけど、切ない
数学男たち
人との付き合いが得意では無い男
数学と家族を愛してやまない熱心な宗教派インド人
2人の共通点は数学
この映画を観てピンときたこと。
それは理系の人は証明しながら生きてるということ。私は真逆の根拠のないものが好きだから、数学人と噛み合わないんだとわかったけれど、このインド人は証明をしなかったから、どちらかというと閃きで生きている。数学男ではなく宗教男なのだ。
そんな両極端とも言える2人のやり取りが楽しい。
数学男は言う。
君は友を求めていたのに人付き合いが得意でなくて…
するとインド人は女神が数学を教えてくれると言う。寝るときや祈る時に舌の上に数式を置いて行くのだと。本当の友なら、これが真実だとわかるはず。
あぁこれが証明か?いや、神を信じない数学男に
信じられるはずがない。だけど友達のいうことなら
信じるよねって会話、最後に数学男が
神を信じると言った…ここ良かったなぁ!
数学に疎い私でも、神の御心でなかったら
方程式などなんの意味もない…なるほど。
おっしゃる通りですよ。
いかに勉強と実生活が結びついているかを
想像して学ぶべきだったと私は反省してます。
素晴らしい映画だと思いました。
君は数学と無限に踊る
映画「奇蹟がくれた数式」(マシュー・ブラウン監督)から。
「アインシュタインと並ぶ無限の天才」とも称された
インドの数学者「ラマヌジャン」と、
彼を見出したイギリス人数学者ハーディの実話を映画化した作品。
文系のはずの私が、こんな解説に惹かれ、観始めた。
学生時代、数学の数式ほど頭を悩めたものはない。
それなのにここに登場する人々は、
「正しくみれば、数学は真理だけでなく、究極の美を併せ持つ」
数式を眺めて美しいと表現しているし、
「これ(公式)は何なの?」と訊かれれば
「絵のようなものだよ。見えない色で描かれていると想像して」と
サラッと答える。
「モーツァルトが脳内で全交響楽を聴いたように」と前置きをして
「君は数学と無限に踊る」とも・・。
「どこから着想を得るか?」の問いには「女神です」と返答し驚かす。
「眠る時や、祈る時、舌の上に、数式を置いていく」らしい。
「公式は創るものではなく、既に存在し・・ラマヌジャンのような
類い稀な知性が、発見し、証明するのを待っている」など、
一つひとつの表現が数学(公式)の話なのに、文学的で興味を惹いた。
でもやっぱり、記号がいっぱい書き込まれている「公式」を眺めて、
「(一緒に)踊る」という表現は、私には無理だなぁ。
差別キツイです... よそ者はいつの時代も 肩身が狭い... 見て...
差別キツイです...
よそ者はいつの時代も
肩身が狭い...
見ててツライです。
どこにも相談出来ず
結果...
病に倒れちゃったのは
悲しかったな
数学者達に受け入れられて
1年でも妻の所に戻れたのが
救いかな
数学がわかれば
タクシーナンバーも
意味のある数字に変わり
楽しめたりするのね(笑)
絆の糸を歪に結ぶ数学者たち
天才的な感性で数学の公式を見つけられてしまうインド系の青年と、イギリスの数学者との歪な友情と、二人の功績の物語だ。時代が時代だけに、インド系のエリートでも何でもない青年が突如スポットライトを浴びるのを批判的に見る人もいる。また同時に青年には公式をひらめきこそするものの、それを証明するという感覚がなく、数学会においては正式に認定できるものではないという頼りなさもある。天才型の青年と、学術的な思考の理論的な数学者という組み合わせが、衝突しつつも友情に似た絆を築き上げていく様にドラマを感じる作品だった。
かと言って二人の友情に湿っぽい馴れ合いっぽい要素はない。むしろ人間関係や対人関係が得意ではない者同士が、まったく噛み合わない動作を繰り返しながら、綺麗に絆を結ぶことが出来ないがために、かえって縁の糸が不格好に固結びされていくような不思議な友情の形成のされ方で、中盤まではまさか友情の物語だなんて気づかないかもしれないほどだった。
もちろん、移民である青年が数学のエリート世界で目を出す物語としての快感もあるし、それに伴う苦しみもきちんと描かれていて良い。実話であるが故に逃れられなかった「病」という展開にはいくらか違和感を覚えたが、(繰り返しだが)実話であるが故仕方がないのだろう。
もはや、インド系の好青年役はほぼ専売特許になっているデーヴ・パテールの演技は安心して見ていられる温かみがあって好きだ。「マリーゴールドホテル」のようなコメディもできるし、こういったドラマ作品でずしっとした演技もできる。それでいて爽やかで愛嬌があって素敵だ。対するジェレミー・アイアンもさすがの貫禄で余裕の懐を魅せる。数学のことに詳しくなくてもきちんと楽しめるようになっているし、実録ものの歴史的な文化作品としても、感動的な友情と絆の物語としても十分楽しめる良作だった。
クライマックスが
クライマックスがぼんやりしており、盛り上がりに欠けると思った。
以下気になった点を3つ。
1.(出演者の演技ではなく)シナリオとしての演技がイマイチ
ストーリー内で、「証明証明」とうるさく言う割には、教授たちが数式を見ただけでハッと顔を変え、内容に夢中になるのが気になる。
数式に限らず、一瞬見ただけで、内容がわかるだろうか?ある程度読んで、自分の中で腑に落ちてあの表情になるのではないか?さらに数学の特性を考えると、読んで「うーん」ってなんとなく理解し、自分で内容をつぶさに確認していく過程で、ゾクゾクと感じるもので、あんな顔に出ない、静かな感動なのではないか?
2.友情の発展が???
衝突し、理解しあい、その関係を再破壊する新たな大きな衝突、そしてそれを乗り越えた理解という関係の繰り返しが、振り子の振れ幅が大きくなるように訪れてくるのなら、絆の強さを感じられるのだが、さっきと同じ衝突じゃん、それは解決したんじゃないの?といった感じで、同じような関係を繰り返し見せられ、発展性を感じることができなかった。
3.そもそも友情が成立していたか?
最初のモノローグで友情がテーマですとあり、クライマックスは、神を信じるラマヌジャンと神を信じないハーディだが、数式を通して理解し合えたみたいなオチだったけど、果たして友情が芽生えたか?
ラマヌジャンに関しては、最初から「自分の数式を数学界(神)に認めてほしい」という信念に一貫している。一方、神を信じないというハーディだが、彼が信じているものは何か?本人の口から語られないので不確かだが、「大学内政治におけるポジション(権威)」だと思う。彼は神を崇めたいのではなく、(学内で)神として崇められたい。彼はひたすら最後までフェローにこだわるが、ラマヌジャンにとっては、割とどうでもいいことなのではないか?
ラマヌジャンにとって、数式は神に認められるツールだったし、ハーディにとっては神として崇めれるためのツールだった。このお互いの信念は、最後まで変わらないし、交わることがない。たまたま数式の証明という手段において協力した(利用した?)に過ぎず、心根で通じ合えているとは言えないので、友情というには納得がいかない次第である。(仲間なら分かるかな)
数学が苦手でも、ラマルジャンを知らなくても
天才数学者ラマルジャンが映画になりました。
もともと、「世にも美しい数学入門」という新書で紹介されていたのを読み、興味を持ちました。天才ながら決して常に栄光の中にいた、という訳ではない人なので映画にならないかなと思っていたらなりましたね。
まず、ジェレミー・アイアンズはとっても素晴らしいです。繊細で、知的で。「枯れ専」にはたまらないでしょうね、おそらく。イギリス人なのでイギリス風の古風なスーツ、スリーピース姿がとてもステキです。
数学もあえて深い所までは描写されていないので、数学を知らない方でも話はついていけると思います。
が、その一方で、話の筋の方は、というと、ちょっと物足りなさが残ります。
「なぜラマルジャンがこんなに数学の天才なのか?」というところがなかなか掘り下げきれてません。
「世にも美しい数学入門」では、ラマルジャンはじめとして、インドが天才数学者を輩出している背景に「多神教」「自然への畏怖」があると書かれていました。(日本人が数学に優れているのも同様、とありました)
そのあたり、無神論者のハーディとの対比で描ければもっと話が深まったと思います。
前述の通り数学の細かい理論については出てきません。これは数学の知識が無い方でも観られるように、ということだと思います。しかし、その代わり、数学の理論が描写されないので、ラマルジャンの書いた論文がどれだけすごいのかわかりづらい、ということになってしまっています。
また、ちょうど第一次世界大戦中ということで、そのあたりの描写ももっともっと出来たのではないかと。(ありましたけどね、少しは)
ただ単に「天才数学者が偶然、ケンブリッジの大学教授の目に止まって、奥さんおいてイギリス行って、認められるけど、失意のまま亡くなった」という深掘り出来ないストーリーになってしまったのではないかと。。
非常にもったいない作品です。
2人の天才の熱い友情に涙
第一次大戦下のイギリスで、はるか遠くのインドから天才がやってくる。人種差別と偏見の階級社会のケンブリッジで、どのように信念を貫き、実力を発揮できたのか。1人では成し遂げられない偉業の陰には、もう1人の偉大なる天才が彼の才能を引き出し、後押しに奔走したからこそ、世界はこの奇蹟の数式の恩恵を受けることができた。この2人の師弟関係、そして友情に胸が熱くなった。最後の別れには涙が溢れてきた。
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