キャロルのレビュー・感想・評価
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どう感じるかは、恋愛経験によると思います
ケイト・ブランシェットお姉様に身を委ねる
性欲をほのかにふくむ年上女性への憧れってある。『キャロル』は同性愛…というほど強い言葉ではなく、淡い少女時代に美しい先輩に憧れた記憶を見てるような作品。
自分が何者かも分からない、恋愛にも興味はあるけどよく分からない、そんなあやふやな年ごろのテレーズ(ルーニー・マーラー)は退屈な日常の延長から、美しくミステリアスな女性、キャロル(ケイトブランシェット)と出会うことから物語が始まる。
かっこいいお姉さんとお近づきになりたい、一緒にいたい。手取り足取り教えて欲しい。
女性ならきっとテレーズの気持ちになって、キャロルに憧れるんじゃないかな?
少女性、同性愛…という繊細なテーマの割に情緒的な表現が少ない。いい意味でも悪い意味でも感情を揺さぶられない。どちらかというと映画というより2時間ドラマのようなコンパクトな作品という印象。
しかしながら、スクリーンで観るケイト・ブランシェットの成熟した美しさ。確かなキャリアを感じる演技。ケイト・ブランシェット46歳のための映画じゃないかな。ある意味、アイドル映画。
クラシカルハンサムなケイト・ブランシェットと、クラシックガーリーなルーニー・マーラーちゃんの対照的なファッションが楽しい。
愛する形はさまざま
ケイトブランシェットだから格があがった作品
1950年代のアメリカ社会の中で恐らく少なからず有ったであろう女性同士の恋愛。それを美しく、でも社会の中で、家族がありながら…と言う難しさも盛り込んだメロドラマ的作品。
この世のものであってこの世のものでないような美白と気品を備えたケイトブランシェットだから、純朴な中に信念を持った「一般人」といった風情のルーニー・マーラが引き立つ。
お互い立場も経験も違いながら、惹かれ、真の自分に気付いていく過程をうまくとらえていたし、映画の語り口も優雅。
カンヌの勢いがアカデミー賞に続かなかったのが悔やまれるが、今年の受賞作の傾向から言えば仕方ないか。このテーマを大仰に大作にしたほうが却って映画の品格を落としかねなかったと思うし、両女優がしっかりノミネートされたことで大成功だったと思う。
同性愛は病で悪とされていた歴史的背景からするとそこに悩んだり、同情...
タイトルなし(ネタバレ)
恋心だったり、好きになる感情に性別は関係無いんだ。と、素直に思えた映画。魅力的な2人の女優さんの演技力は本当に見事。ラストシーン、テレーズの表情に涙が溢れました。
煙草が、当たり前の時代・・・自由でなかったハート
同性愛と家族愛。
P・ハイスミスが自身の体験(といっても売場での出逢いまで)を基に
発展させていったというラブストーリー。まぁサスペンス色も濃厚
だが、それほど怖い展開にはならない。女同士と聞くとどうしても
「アデル、ブルーは~」の方に気が入ってしまうが、こちらは時代や
設定が全く違うので描かれ方がエレガント。1950年代、そのままの
ファッションや車やとにかくこだわりの映像が満載。演じる二人の
女優の押し殺したような瞳の演技が秀逸で、観る者を釘付けにする。
この時代に同性愛が認められる筈もないが、自我を殺して家族の為
に尽くす妻でいるべきなのか、目覚めたら正直に生きるべきなのか。
私自身が子持ちなゆえキャロルの行動に首を傾げる場面も多かった。
あんなに小さな娘とて両親の不仲や、なんでママは女の人ばかりと
一緒にいるんだろう?みたいな不安は持つ筈で、御体裁を気にする
夫の家族もキャロルも誰も娘の気持ちに歩み寄っていこうとしない。
冒頭のクリスマスプレゼントを選ぶシーンで、新発売のプラレール
が選ばれ、後に一回だけ出てくるのだけど、あのオモチャをもっと
印象的に使えなかったのかしら?と変なことを考えながら観ていた。
だから後半やっとキャロルが弁護士達の前で娘の親権について語る
場面で(まぁ気の毒だけど)ホッとした。最初からそれが言えてれば
彼女も夫もアビーもテレーズも振り回され疲弊することはなかった。
行きつ戻りつ不安に駆られながら進んでいくのが恋愛ではあるから、
もちろんこの展開は正しいのだけど私には心底歯痒かったのも事実。
美しいと賞賛されるケイトはどちらかというと怖いイメージが強く、
ウブな女の子を演じるルーニーが成長する様子が強く印象に残った。
(貧乏だけど幸せな結婚か。金持ちだけど不幸な結婚か。あー難しい)
カメラが優秀
キャロル
キャロル見てきました
僕は男だしゲイでもないので、共感できるか心配でしたが、問題なく楽しめました。
2人がレストランで再会するシーンがありましたが、「これ男女の話となんら変わんないよ!こういう事ってある!おれ何度も経験あるよ!あのピリッとした空気。相手のでかたを伺う感じ!よくある事だよ!」と思いました。
そしてあのルーニーマーラの桜色の乳首…あの役にピッタリの乳首でした!
そしてケイトブランシェットのたくましい背中が最高でした!抱かれたい!!
カメラがすごく綺麗でした。
被写体を窓越しに撮るショットが多く、窓に被写体が反射してたり、向こうの部屋にいる人物をこっちの部屋から撮るようなショットが多かったです。
それは何かを少し離れたところからこっそりと覗くようでもあり、それは当時完全タブーだったLGBTの世界を覗くような感覚でした。またはカメラと被写体の間に何か隔たりがあるような感じでした。
ルーニーマーラの役はカメラっ子という事で、彼女もレンズ越しに世界をみています。
レンズという隔たりがあります。
全体が緑色のトーンで合わせられていたのも特徴的でした。
ただしフィンチャーの緑とは違って、暖かい緑でした!壁紙を緑色に塗り直すシーンとか良かったです。
みゆき座で見てきたのですが、劇場からでると目の前に沢山の女性たちが同じ赤いマフラーをして一列に並んでもいました!
ピアノの音は女心で揺れる
同性愛モノに共感できるか、観ようか迷ったのですが、怪しい魅力全開の美魔女と彼女の虜になった生娘の、ただの恋愛話ではないです。
Carolは本当の愛を知っている人、そしてありのままの自分と心を愛している人だと思いました。
女性の魅力を凝縮したこの映画では恐らくあえて、登場する男性が皆、押し付けがましい性格に描かれています。それ故、女性ならではの繊細さ、相手の心を汲む優しさと共感が際立っています。自分の心の方向性が定まらないThereseが答えに窮する時、男性陣は皆トンチンカンで一方的な慰め方や問い詰め方ですが、女性陣は暖かく包み込むような対応です。傷付いた時、Carolに側にいて欲しい!と思いました。
映画"Shame"では"we're not bad people"というセリフに依存症の苦しみが現れていましたが、この映画ではCarolが"we're not ugly people"と言い放ちます。世間の枠に当てはまらない恋愛、価値観で生きようとも、そこに清らかな美はあるのです。
John Galsworthyの一節
"Love is not a hot-house flower, but a wild plant...(中略)... flower or weed, whose scent and colour are always wild!"
まさにこれです。
幾つになっても揺れる女心に、映像だけでなく音楽も美しく重なりました。
ケイト・ブランシェットの魅力
アメリカ東海岸の1950年代初期の雰囲気がよく再現されていたと思う。古めの画質で、古い映画を見ているようたった。ルーニー・マーラはよかった。上流階級の綺麗な女性に憧れる写真家志望の若い女性。作風に関しては素晴らしいと思う。欲を言えば、まだプロではないけれど、プロを目指している女性の写真家という部分にもっとクローズしてほしかった。当時はフィルムを買うのにも金がかかり、現像するのに時間も手間もかかり、一枚の写真の価値は現在よりはるかに貴重なものだったはずだ。そのあたりの書き込みのリアリティがもうひとつだったように思う。ラスト近くの、双方の弁護士たちがたくさん出てきて、離婚や親権の話し合いをするシーンがもっとも描きたかったことのように私には思われる。
ブランシェットの衣装がすばらしい
同性愛を描いた作品を観ると、しばしば思うことがある。
なぜ、異性同士の性愛を描いたものよりも、同性同士のそれのほうが切ない感情が強く伝わってくるのか。
やはり、性愛というきわめて個人的な問題は、そこに社会的な規範などの障壁が存在しなければ、他人の心に届くドラマとして成り立たないのだ。
逆に言うと、なんの障壁もない男女が、どれほど深く愛し合おうとも、それは個人的な感情の出来事に過ぎず、赤の他人の心を動かす題材としては弱いということである。
時々、その手の個人的な「事情」を描いた作品に出会うことがあるが、非常に無駄な時間を過ごした気分になる。
この作品は、現在以上に同性愛への無理解が強かった20世紀半ばの二人の女性の恋模様を描く。
恋が始まる瞬間の期待と不安、恋が進行していくときの高揚感と視野の狭さ、恋が終わろうとするときの身を切られるような思いを、映画は一つ一つ丁寧に伝えている。
これは、シナリオや俳優の演技以上に、音楽と彼女たちの衣装・美術によるところが大きい。特にケイト・ブランシェットのための衣装は、その時代を想起させつつも、現代にも通用する洗練されたもので、ため息が出るほどに素晴らしい。
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