奇跡のひと マリーとマルグリットのレビュー・感想・評価
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奇跡のふたり
目・耳・口が不自由な少女と、彼女を献身的に支えたシスター。
19世紀末にフランスであった実話を基にした、フランス版ヘレン・ケラーとただ言ってしまうには余りにも惜しい。
こちらもこちらで感動的な物語。
所謂“三重苦”の少女、マリー。両親には愛されているものの、野生児のような娘にさすがに困り果て、とある修道院へ。
若いシスター、マルグリット。マリーの面倒を見る事が神の啓示と、自ら申し出るのだが、苦難・試練の始まり…。
三重苦の人を教育するなんて、一体どうやったらいいか分からない。
ましてやこの時代、前例など無かった筈だから、尚更。
文字通り、身体を張って。
自分の顔や物に触れさせ、それを分からせる。マリーが暴れた時は抑え付ける。
マリーにしてみれば、見えない・聞こえない・話せないなので、恐怖と不安から抵抗しようとするのは当然。
マルグリットにしてみれば、マリーが暴れた事で周囲に掛かる迷惑を防がなければならないし、それにマリー自身の為にも。
ヘレン・ケラーとサリヴァン先生を描いた『奇跡の人』でもまるでアクション映画のような身体のぶつかり合いのシーンがあった事を思い出し、それを彷彿。
こういう場合、心身共に優しく…なんて、今だから言える事。本当に、身体を以て。
マルグリットの体当たり教育で、僅かずつだが、マリーに成長が見られる。
かと思えば、またぶつかり合い。
それの連続。繰り返し。
気が付けば、もう数ヶ月も経過。
そしてある時遂に、マリーが手話を一語覚える。
人間とは不思議なもので、一つ覚えたら、その後の上達ぶりはみるみると。あれもこれも覚え、知りたがる。
元々は優秀な女の子だったに違いない。
ボロボロの服、ボサボサの頭、痣と傷だらけの顔だったマリーが、服も髪も顔も綺麗にし、久し振りに両親と対面。手話で両親と“会話”も。この時の双方の感激は、とてもとてもこんな文章なんかで表せないものがあるだろう。
その最大の功労者であるマルグリット。
自分の役目は終わったとでも言うように、ある日突然姿を消す…。
実は、これには訳が…。
マルグリットは不治の病に犯されていた。
マリーが修道院にやって来る前からそれは分かっており、マリーの面倒を見る事こそ、自分の人生の最後の使命。
マルグリットが居なくなった事で、再び心を閉ざし、以前に逆戻り。
そんなマリーの為に、マルグリットは入院先から戻る。
マルグリットの最後の教育が始まる。人は何故死ぬのか、何故生きるのか…。
実話を基にしているので、二人の死別は避けられない。
ラスト、マリーはマルグリットの墓の前で語りかける。
毎日、あなたを想ってます、と。
きっと、マルグリットもマリーを誇りに思っているだろう。
調べたら、ヘレン・ケラーとマリー・ウルタンはほぼ同時代。(マリーの方が若干後)
ヘレン・ケラーとサリヴァン先生の方が圧倒的に有名だが、こちらの“奇跡のふたり”も是非多くの人に知れ渡って欲しい。
後半は泣ける
目と耳が不自由で言葉も話せない、もう一人のヘレン・ケラーと言われている人の実話を基にした作品。
こちらは先天的だからヘレン・ケラーよりも大変なのかな。
後半はタップリ泣けました(/ _ ; )
生命の絆
マルグリットに出会う前のマリーは、目が見えず、耳が聞こえず、話すこともできないまま、言葉を知らなかった。
マリーは、マルグリットに出会って、言葉を覚え、世界が広がっていった。両親と心を通わせることができ、周囲に怯えることなく、物事を知ることができた。マルグリットに出会って、マリーの人生は大きく変わった。
マルグリットはどうかというと、言葉を知らないマリーに出会って、彼女のためにできることをしたいと強く思い、それは、彼女にとって情熱を注ぐことのできることだった。マリーが変わっていくことは、マルグリットに生きる喜びをもたらしたのだ。
マリーとマルグリットの間には、そのような生命の絆が生まれたのだと思う。マルグリットは、マリーに死の意味を教え、マリーはマルグリットの精神を引き継いだのだろう。
美しい南フランスの自然の中にある、静かな修道院の庭で、マルグリットのそばでトマトを手に喜ぶマリーが、穏やかな顔で、幸せそうで、とても印象的だった。
ヘレンケラー…三重苦。
マリーとマルグリットの困難は意外にあっさりとした展開。実際はもっと壮絶だったんだろうな。
全くわからない障害の世界。マリーの閉ざされた苦難の生活をどう理解して、どう導き出すのか。詳細に語ったら尺が不足するのだろうけど、もう少し緻密に描いて欲しかったかな。
主人公2人の演技観るだけでも作品の価値はあると思います。
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