「ノーベル平和賞受賞後について」グローリー 明日への行進 ノリック007さんの映画レビュー(感想・評価)
ノーベル平和賞受賞後について
原題は「Selma」で、デモ行進のスタート地点であるアラバマ州セルマのことです。
邦題の「グローリー」は「栄光」という意味で、「明日」とは「投票権法」という意味で、「行進」は「セルマからモンゴメリーへのデモ行進」のことです。
キャッチコピーは、「ただ「歩く」ことで世界を変えた男の、感動の実話」です。
この映画は、FBIがキング牧師を監視し、盗聴した記録を基に制作されているところが、他の実話映画とは違います。テロップとして、表示される日時と場所は、FBIの監視記録です。
映倫はPG-12で、12歳未満の年少者の観覧には親または保護者の助言・指導が必要です。
リンカーン大統領がアメリカ合衆国憲法修正第13条に署名し、成立させ、20万人を超える大規模なワシントン大行進が行われ、キング牧師がリンカーン記念堂の前で有名な「私には夢がある」という演説を行い、ジョンソン大統領が公民権法に著名し、成立させ、南部各州のジム・クロウ法を廃止し、キング牧師がノーベル平和賞の授賞式に出席し、授与されてことで人種差別は区切りがついたと考えていました。
キング牧師は、ノーベル平和賞を授与された後も、黒人を取り巻く状況は変わらずに、人種差別に取り組んでいたことには驚きました。
この映画を鑑賞することで、人種差別を知ることができたので良かったです。
1963年~1965年の出来事を描いた映画です。
1963年は、アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが暗殺された年です。
1965年は、日本では、第1回プロ野球ドラフト会議を開催した年です。
古い時代の物語ですが、今もなお続いている人種差別についての映画なので、鑑賞する価値はあります。
人種差別について、知りたい人には、お勧めできる映画です。
日本に人種差別はないし、外国で仕事をする可能性が全くない政治家や政治家の秘書、官僚、役人で人種差別に興味がない人には、お勧めできない映画です。
日本でも、毎週何かしらのデモは行われていますが、メディアは報道せず、政治家も官僚も無視している、現在の日本の状況は、この映画で描かれたアメリカ合衆国の以前の時代のように感じ、アメリカ合衆国に対して80年は遅れている感じを受けました。
日本でデモを行うなら、この映画は参考になるはずです。
投票権登録の差別撤廃に関わる人々をキング牧師を中心に描いた映画です。
投票権登録の差別撤廃に関する人々の姿勢、ダラス郡セルマ市からラウンズ郡を通過してモンゴメリー郡モンゴメリー市へのデモ行進に関する姿勢は色々で、キング牧師が行進するためにする苦労も、強硬に反対する人々もよく描かれています。
キング牧師は、牧師であり、指導者でもありますが、夫でもあるということも描かれています。
キング牧師の妻であるコレッタについても描かれています。
登場人物は、多く、立場も色々で複雑です。
黒人でも、非暴力で人種差別に取り組むキング牧師たちもいれば、非暴力を否定し暴力で人種差別に取り組む人もいるし、人種差別に取り組み犠牲者になる人もいますし、人種差別に取り組まない人もいますし、人種差別に取り組まなくても犠牲者になる人もいます。
白人でも、国をまとめるために人種差別に取り組み、行動する人もいますし、人種差別に取り組み犠牲者になる人もいますし、人種差別を維持するために黒人だけにではなく、黒人に協力する白人にまで暴力をふるい、殺す人もいます。
キング牧師がノーベル平和賞を授与された理由は描かれていません。
キング牧師が非暴力で、公民権法の制定に貢献したことが理由です。
キング牧師が非暴力に至った過程や非暴力を貫き通した理由は描かれていません。
キング牧師が非暴力に至った過程や非暴力を貫き通した理由は、多くの書物を読み、理解し、インドの弁護士で、宗教家で、政治的な指導者であるガンジーに学んだからです。
ガンジーは、「非暴力・非服従」を掲げ、イギリス製品の綿製品に対する不買運動を行い、イギリスによる塩の専売を批判し380kmも行進し、イギリスからのインド独立運動を指導しました。
ガンジーは、ノーベル平和賞を授与されていません。
キング牧師がいなければ投票権法の成立は遅れ、黒人たちはマルコムXやストークリー・カーマイケル(クワメ・トゥーレ)のように過激になり、投票権法は成立できずに、アメリカ合衆国は内戦状態になっていた可能性さえあります。
この映画を鑑賞するだけでなく、調べることで理解が深まりました。
ニューヨーク州都オルバニーの警察署長ローリー・プリチェットは、キング牧師の支持者をマスメディアに報道されないように逮捕し、逮捕したキング牧師の支持者を周辺の各群の留置場に分散して留置し、キング牧師の支持者が少なくなり、キング牧師の活動を続けられないようにしたことを知ることができました。
キング牧師は、この失敗から多くのことを学び、アラバマ州セルマからアラバマ州都モンゴメリーへの大行進を成功させ、投票権法を勝ち取りました。
ジミー・リー・ジャクソンの遺体をアラバマ州知事ジョージ・ウォレスの足元に横たえようとして、セルマからモンゴメリーへの行進が計画されました。
キング牧師は、「投票権法を求める行進」として承認しました。
キング牧師は、犠牲は覚悟の上で、メディアで全米に伝えられる方法として、日曜日の真昼に行進を始めました。
「血の日曜日事件」が起きて、メディアにより、アメリカ全土に知れ渡り、投票権法の必要性を知らしめました。
アメリカ合衆国ジョンソン大統領は、投票権法に対する態度を変え、テレビ放送された議会合同委員会で演説を行い、広範な投票権法を成立させることを訴えました。
アメリカ合衆国ジョンソン大統領は、キング牧師などの公民権運動の指導者達が同席する国会議事堂で投票権法に署名して法となりました。
投票権法によって、投票権が州でなく、連邦政府によって監督され、執行されるようになりました。