マルガリータで乾杯を! : 映画評論・批評
2015年10月20日更新
2015年10月24日よりシネスイッチ銀座ほかにてロードショー
自由でオープンな心を持つヒロインのキラキラした存在感が、いつまでも心に残る
「盛りだくさん」はインド映画の特徴のひとつ。この映画も例外ではない。ミュージカル仕立てではないが歌やダンスのシーンがあるし、エピソード的にも、「セッションズ」と共通する障害者の愛と性、「アデル、ブルーは熱い色」のような同性愛、さらには家族の難病と、波乱万丈の濃い要素が盛りだくさんに詰まっている。それでいてデコラティブな感じがしないのは、これらの要素がすべて「10代のヒロインが自分の居場所をみつけるために繰り広げる人生の探索」という1本の線上にすっきり整理されているからだろう。
加えてヒロインのライラ(カルキ・コーチリン)の透明感あふれるキャラクターも映画の印象を大きく左右している。優しくしてくれるイケメン男子を片っ端から好きになり、カッコいい女性活動家の裸を見てときめきを覚える。身体の不自由さとは対照的に自由でオープンな心を持つライラは、自分に正直にまっすぐな気持ちで恋愛にぶつかっていく。それが、映画全体に清々しい空気感を与えている。
冒険心に富むライラの成長を描くドラマは、数多くの出会いと別れによって構成されている。出会いは彼女の人生の新しい可能性の扉を開き、別れは前に進む原動力になる。留学先のニューヨークからインドに一時帰国したライラが、同性の恋人の存在を母親に告白するとき、自分自身を「同性愛者」ではなく「両性愛者(バイセクシャル)」と表現するのは必然だ。なぜなら、男性も女性も愛することができれば出会いと別れの機会も2倍になるから。そのぶん人生も2倍豊かになる。映画から放たれるオーラはどこまでもポジティブだ。
原題は「ストローで飲むマルガリータ」。カクテルグラスを手で持てないからといってマルガリータをあきらめる必要はない。コップに移してストローで飲めば期待どおりのおいしさが味わえる。たくさんの出会いと別れと喪失の体験を経て、そんな自分の生き方をみつけたライラのキラキラした存在感が、いつまでも心に残る映画だ。
(矢崎由紀子)