「ちりばめられたメタファー」アクトレス 女たちの舞台 moffさんの映画レビュー(感想・評価)
ちりばめられたメタファー
ジュリエット・ビノシュがベテラン女優役という、等身大の役を演じた作品。
ストーリーにたくみに隠されたいくつかのメタファーが、見ごたえと余韻を残す魅力を生み出していた。
映画中の舞台のタイトルの「マローヤの蛇」とは、映画中に出てくるスイスの地、シルス・マリアの自然現象のことらしい。
イタリア側から谷間を這うように流れてくる雲が蛇のように見えることからついた名前だとか。
この現象は天候が崩れる兆候らしいが、「マローヤの蛇」が暗示するものは、忍び寄る不安か、それとも嵐の前兆か。
シルス・マリアという地名と、ビノシュ演じるマリアという女優の名前も無関係ではないだろう。
ちなみに、マリアと個人秘書バレンティンのやり取りを見ている限り、「マローヤの蛇」という舞台は「冷酷で現代的なシグリットに利用され、捨てられる哀れで平凡な中年女性ヘレナの悲劇」という
単純なメロドラマで終わるものではないと感じた。
(そもそも女社長になれる人物が平凡なわけはないと思うが…)
マリア、あるいはヘレナは世間から取り残される不安から心を閉ざしてかたくなになり、バレンティン、あるいはシグリットは狭い関係性に閉塞感を感じはじめ、たびたび相手の目線を外に向けようと忠告する。
マローヤの蛇のように忍び寄った不安や警告を見逃し、結局嵐から逃れられなかったヘレナに対し、マリアは無事遭難せずにすんだのか。
結局答えは明らかにされないまま、映画は終わる。
最後にちょっとだけ登場した若い映画監督の言葉がヒントになるか。
若者の勢いが時代を創っていくものだけれど、年月を経ても変わらぬ雄大なシルス・マリアの地のように、時代を超えてあり続ける存在になることこそ真のスターである条件なのかもしれない、と思った。