ルック・オブ・サイレンスのレビュー・感想・評価
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命をかけてインタビューした空虚な目をした主人公👁️
ルックオブサイレンス
1965年🇮🇩インドネシア
インドネシア政府は軍に政権を奪われた。
わずか一年ね100万人以上の共産主義の人が亡くなった。
そして現代、今でも軍の関係者だった人は英雄として普通に生活している。
兄を殺された弟が、当時地域の殺害していた責任者などにインタビューをしていく。
反省どころか、見返りすら求めてくる殺人者達。
この大量虐殺の真実を本人の口から聞くとんでもドキュメンタリー⁉️
❇️私がこの時代に生まれていたら、間違えなく、仕事を全うしていたはず‼️
◉68D点。
★彡恐怖政治❗️やらなきゃやられる❗️
反省したら心が壊れてしまう為に、自分のした事を肯定せざるを得ない。
🟢感想。
1️⃣自分の与えられた役割を遂行しただけ。
★彡誰が悪いとか無いと思いました。
強いて言うなら、戦争が悪かと。
2️⃣自慢げに人殺しを話す民間人。その後、兄があんたらに殺されたと迫る‼️🔪
★彡命をかけたドキュメンタリーでした。
3️⃣兄を惨殺された弟の目が忘れられない。
★彡死んだ魚の目くらい無で感情ゼロ状態でした。👁️
人は動物です
それがどんなに当たり前で、恐ろしい事か。考えても想像出来ません。
現実ほど恐ろしいものはありません。
あなたは人を殺せますか、自分のほっぺたをつねってみてください、自分の手の甲をつねってみてください強くつねると痛いですか?もう一度聞きます、あなたはこの皮膚の痛みを知ってもなお、人を殺せますか
人生に一度は見るべきドキュメンタリー
アクトオブキリングと一緒に観てほしい映画です。見るのが辛い映画ですが、平和慣れしている私たちに「戦争とは」「虐殺とは」を実感として与えてくれるドキュメンタリーになっています。
為政者側(虐殺をした側)の老人たちのほとんどが、過去を忘れた方が良いと言います。そして過去を掘り返せば、再び虐殺が起こると脅してくる人までいます。
しかしそれは全くの逆で平和な未来を作る方法は、過去の歴史から学び間違った行為を正していくことしかないと思っています。
映像の中の村では、(本当かどうかは分かりませんが)過去の虐殺を子ども達は知りませんでした。そして虐殺側の人々の中で虐殺はいけない事だったと口にする人は、1人もいませんでした。
映像内のインドネシアの村は50年前の出来事から現代まで当時の権力構造が残ったままです。過去に蓋をして後世に何も伝えなければ、今後50年の間に同じような虐殺が起こってもおかしくないと思います。そんな未来にならないためにも過去を見つめる勇気を持つ人が1人でも増える事を望みます。
真っ直ぐな眼で
1960年代のインドネシアで起きた軍事政権による大虐殺を、加害者の視点から描いた衝撃のドキュメンタリー『アクト・オブ・キリング』。
本作はその姉妹編で、今回は被害者の視点から描く。
あちらは斬新だったが、こちらは真の描き方。
監督と共に同行するのは、眼鏡技師のアディ。彼の兄が殺された。
彼の両親の暮らしも貧しく、恐怖政権の成れの果て。
アディは無料の眼の検査の名目で(タイトルの由来)、今もノウノウとのさばる当事者に近付き、話を聞く。核心に迫っていく。
アディは彼らを断罪せず、赦すとさえ言うが…、
『アクト・オブ・キリング』を鑑賞し、当事者たちの話に耳を傾ける、その真っ直ぐな眼(まなこ)。
それが、彼の応え。
忘れ難い。
目が悪いならこの眼鏡をかけて見てください
「赤狩り」という宗教。
人間を殺すのはしんどい。
たとえどんな上からの命令であってもしんどい。
ましてや同じ村の顔見知りが、命乞いをし、泣き叫ぶ
その場面では。
だから
必ず戦争には【宗教】が後ろ楯として伴うのだ。
道徳や人情や恐怖に打ち克つにはどうしてもそれを超える【宗教】が必須なのだ。
だから為政者は必ず兵士たちのために、どの時代にも例外なくそれを用意する
・モハメッドも敵を殺すことは禁じていない
・共産主義者は神を拝さぬ“悪魔”なのだから征伐しなければならない
・当方は聖なる神国であり敵方“鬼畜”は殺すべし
・そこにいるのは神国に反逆する“ちゃんころ”であり、“丸太”である。人間ではない
・散華した神軍は英霊として祖国の“神”となる
・殺した人間の血を飲めば狂わずに済むのだという民間信仰
こうして
人間を殺す行為のしんどさは、為政者によって政治的に計算されて与えられた【宗教と信仰】に補償されて、民草に許され正当化され、免罪されてゆく。
【宗教】によって
流血の穢れは祓われ、水ですすがれ、清められるのだ。
日本は、75年前に海の向こうにそれ=宗教行為の残骸=を置いてきたけれど、アディは同じ村に暮らす顔見知りの家を一件一件訪ねる。
眼鏡技師のアディは村を巡る。「はっきり見えますか?」「このレンズでどうですか?」と。
戦後もユダヤ人と同居し続けるドイツ国のヴァイツゼッカー大統領の、あの演説を思い出す。
「あなたははっきりと見ているか?」
と私たちも問われている。
壮絶だ。
虐殺隊長の娘と老妻だけが「許して」と言う。しかしアディの表情は変わらない。
責任なき悪のメカニズム
兄を殺された眼鏡技師のアディが監督と共に加害者のもとへインタビューを敢行する。乳房やぺニスを切り落として殺すなどとにかく殺し方のエグさが酷い。加害者の子供が話の概要を初めて知って顔色が変わっていくのがリアル、それは自責の念だったり逆ギレみたくなったり反応がいろいろ。「過去は過去、俺は知らなかった、俺は悪くない、今さらそんな事言い出して何になる。」アクトオブキリングと対になる。
観なければいけない映画。楽しくはない
興味ない•2•••好き/並•••4•すごい
無••••5社会派/大衆••••5カルト
損はしてない/紹介する
俺の満足度 50点
作品賞ノミネート可能性 80%
再びイメージフォーラム。再びインドネシア1965年の闇。アウトオブキリングの方が、飽きなかった。被害者視点のやるせなさに耐え切れなかったのかも。真実の衝撃なので、どっちを先に観たかだけの差かもしれない。
いずれにしろ、観なければいけない映画。楽しくはない。
よく頑張った、俺。おかげで、同じような状況で少しは違うことができるかもしれない。同じような状況になりたくないが。--支配層が悪とした者を市民が殺しても、必要悪と黙認されたり、それどころか讃えられたりする世界。
●インドネシアの闇。
「アクト・オブ・キリング」続編。1960年代にインドネシアで起きた100万人ともいわれる共産主義者の大虐殺。今回は、被害者の弟が加害者たちにインタビューする。決死のインタビューを見て思い出した。「ゆきゆきて神軍」を。
この国の闇は、巧妙に仕組まれていた。軍は手を下さず、あくまで民間人が共産主義者狩りを行なった。世界はそれを黙認した。今でもインドネシアでは、共産主義者の子孫は公職につけないという。
そして、僕らもこの歴史をあまり知らない。加害者の民間人たちは、いまでも街の英雄だ。そのすぐそばで、被害者の家族たちは暮らしている。
歴史は勝者によって作られる。被害者の心情はおかまいなしに。
想像力の欠如。軍の徹底したプロパガンダ。
被害者の母親は、加害者の不幸をいまも願う。父親は、苦しみから逃れるようにボケてしまったのか。闇はすぐそこにある。
エンドロールには「ANONYMOUS=(匿名)』の文字が並ぶ。インドネシアで本作公開後、アディ氏は移住したとか。
凄まじいドキュメンタリー
エンドロールのスタッフクレジットが
ほぼ全て、
Anonymous
と表記!
皆 命狙われるリスク、
監督も同様に。
というように、
撮影時は、
あなたの武勇伝を語って!の体で臨み、
上映では、殺戮実態を。
心底楽しそうに
殺害を回想して再現説明してる様は
とにかく異様
全肯定している
けれども
目前の人物が遺族でると分かった直後の
リアクション!!
凄い映画
背負いきれない罪と怒り
罪を犯した者の深層心理を描いた前作に対して今作はその罪を置き去りにされた者を描く。加害者の家族は、その罪を背負いきれない。又、本当に背負うべきものではないのかもしれない。被害者の側はやるせない。しかし、彼も被害者そのものではない。使命感も感情を高めることもできるかもしれない。しかし、罪は大きすぎて、それを処せる術もなく、ぽっかり空いた空白感が漂う。
繰り返される「過去は過去だ」。
繰り返される「過去は過去だ」を、諦めで眺めるしかなかった一本。
無駄な飾りが一切なく、その分日々の暮らしに迫る演出は「アクトオブキリング」以上だが。
ただ、その分絶望感も半端では無かった。
スケール、事件の深刻さは違えども。
日常にも置き換えることが出来る事柄に働く、嫌というほど目にする「自分は悪くない」という心理。
私は大嫌いなこの言葉、あなたは口にしてないか?
ただ、過去の事実の認識を確認したいだけの主人公と(そして監督と)。
心理的防御もあろうが「過去は過去だろ!俺は知らなかったんだ。うるさい。」と煙に巻き、または考える事すら拒絶する加害者やその家族。
挙句に身内や生存者まで、その魔法の言葉を放ち…
忘れないのは主人公の、憎しみを忘れない母親だけ。
父ちゃんは恍惚の人って。
監督の意図は別として。
コレ今の日本、そして世界でも未だ当たり前に大手を振るってる状況だよ。
臭い物には蓋、長い物には巻かれろ。
個人的には大嫌いな言葉だけれども。
結局、それで流さないと人生荊の道しかないのか、と改めて絶望した。
絶望を目の前にした主人公の顔と、自分の顔がダブって仕方が無かった作品。
命を絶たなくても。
悪意が無くとも。
「人は殺せる」んだよ、実際…
「自分が大好き」な動物がこの世には溢れているのだから。
被害者からみた悪と加害者からみた悪
歴史上の真実を暴くドキュメンタリーでありながら、カメラワークや色彩表現など芸術性も備えた稀有な映画だった。
この作品を観て、「常識とは何か?」という問いが私の心に痼りのように残された。
殺人が時代の常識なら、私たちも躊躇なく加害者になりうるという危うさが描かれていた。
そして、倫理上は等価値であるはずの一つの命の重みが、ひとたび論理が異なるとで、ここまで軽く扱われてしまうのだとういう事実に衝撃を受け、そして憤りを覚えた。
死から距離をおいた生活を送っている私にとって、この作品に描かれている命の軽さには、只々圧倒されるばかりだった。
また、被害者と加害者の罪の意識の決定的な違いについても再認識させられた。
(加害者側の「罪の正当化」とは、人が生まれ持つ自己防衛本能の一つとして精神安定剤の役割を果たしているのではと感じた。この回路がショートしてしまうと(特に正義感の強い人などは)精神的に破綻してしまうのではないだろうか。)
皆そうなりかねない
インタビューを受けた加害者全員が自分の過去を肯定している。誰一人として謝らない、罪悪感を感じさせない淡々とした話し方。
彼らは根っからの悪なのか?違うだろう。アメリカや軍からの圧力を受け、自分自信を守るために従うことしかできなかったかもしれない。
手をかけた者の血を飲んで、あえて狂った。"正気"でいるために。
年を取ると皆同じだ。鬼と呼ばれた人間もいつかは目は悪くなり、体も弱ってよぼよぼになる。情けなくなるほどに。
人を殺してはいけないイスラムの教えも、敵に対しては殺していいというのだから厳しい。敵だから殺しても許された。
罪悪感の肯定。そうでもしなきゃきっと自分が保てなかったのだろう。
何十年もそう生きてきて、今さら変わるわけがない。人間という生き物をまた少し分かれた気がした。
現実から眼を逸らすことが悪意を増長させる
前作『アクト・オブ・キリング』が加害者たちから一方通行だったものが、被害者と加害者の双方向へと変化している。
ただし、加害者の言い分は前作から変わらない。
すなわち、
・知らない
・あれは善行だった
・おれはただ、これこれ(上からの命令や、直接ではない行為など)をしただけだ
・いまさら、ほじくり返してどうなる
など。
そんな言い訳ばかり。
本作品の主人公ともいうべき被害者の弟アディは、彼らが行った行為が非道であったことを認めさせたいのだが、その他の被害者の心情は、どうなのか・・・
映画中盤で、虐殺の中で生き残った老人が登場する。
彼は、当時は若者で、アディの兄の友人で、虐殺から逃れた後、村から離れて暮らしていた。
その老人がいう。
過去のことは、ほじくり返さない方がいい・・・
えええっ!
たしかの老人の立場としては、生き残っていることが知れたら、余生がどうなるかはわからないが、それにしてもあんまりだ。
眼を閉じて、見ないでいれば、なかったことにできる・・・そういう、一種の諦めなのか。
現実から眼を逸らすことが、唯一の生存手段ならば、それは悲しく哀しい。
しかし、眼を逸らすことが、無自覚な悪意を増長させている。
それは明らかだろう。
非道な行為であればあるほど、その行為を見つめ、非道であることを認める。
そうでなければ、より善き世界には到達しないだろう。
そんなことを考えた一編でした。
人間の本性の露呈。賛否必至のドキュメント。
【賛否両論チェック】
賛:人間の恐ろしさや浅ましさを垣間見る。様々な議論を生みそうなテーマなのも、興味深い。
否:この映画の主張自体も、やや乱暴な理屈か。非常に淡々と進むので、眠くなるかも。グロテスクな話も多数あり。
命乞いをする者達の首を切ったり体を切断したり、絞め殺したり。そんなむごたらしい話を飄々と語る実行犯達にも驚かされますが、その多数が
「命じられて荷担しただけ。自分は悪くない。」
と開き直っている姿にも、人間の浅ましさを感じてしまいます。ただ逆に言うと、被害者からの視点でしか描かれていないので、自然と
「被害者=善で、加害者=悪。」
という構図になってしまっているのも、少し乱暴な理屈なのかなと思います。
また、特にBGM等もなく非常に淡々と進むドキュメンタリーなので、気をつけないとかなり眠くなりそうです。
良くも悪くも、命や社会や正義について、色々と議論のきっかけとなりそうな作品です。
フィクションという残酷さ
加害者達はみんな逃げている。自分のした事から、目を背けている。本当は自分のした事を分かっているのに、認めたくなくて、怖くて、逃げる。加害者の家族も同じ。
事実は曲げられ、真実は伝えられずに、みんな見たくない、知りたくないと、知ろうとしない。怖いから。
でも、みんな、目に涙を溜めて、辛そうな表情をしていた。どうしてその理由に目を向けようとしないのだろう。
殺人は決して賞賛される事ではない。英雄なんかじゃない。
加害者の家族は、自分の家族のした事を一緒に背負わなければならない。自分は知らなかった、関係ないではなく、知らなくちゃいけない。被害者からの目に、声に、耐えなければいけない。それが人を殺すということなんだから。一緒に苦しまなきゃいけない。
観ようか悩んでたけど、みてよかった。フィクションと考えると、ものすごく息が詰まる、苦しい映画だった。
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