午後3時の女たちのレビュー・感想・評価
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日常に潜む刺激を求めて……
セックスレスの夫婦が刺激を求めて売春婦を家に住まわせたら……という話
日常的な問題を大胆な演出や事件を頼ることなく平凡に、かといってカメラワークやトランジション、演技に一切手抜きをせずに非凡に物語が組み立てられていて、地味なのに目が話せないという絶妙なバランスが成り立っていてびっくりした
特に、カウンセラーを通じて心情を語ったり、飲み会がドンドン下品になって本音がポロリしたりするところがリアルで面白かった なぜ最後に彼女があんな事件を起こしたのか、わからないところは多かったが、もう一回見て考えたいと思えるぐらいには楽しい映画だった
辻褄の合わない女の物悲しさと可笑しさ
セックスレスの欲求不満の主婦が、若いストリッパーと出会い、女を目覚めさせる物語、と言うと下世話に聞こえてしまう。しかし実際はもっと生活臭くて滑稽な話だ。
ただ私はこういった「辻褄の合わない女の物語」が好きだ。見る人によっては、ただのわがまま女でしかないかもしれないけれど、彼女には彼女にだけにしか分からない孤独と悲しみと理由と言い分がある、そういう女が映画の中にいると、私は共感してしまいたくなる。誰もが品行方正で、折り目正しく生きているわけではないし、私にも私にしか分からない言い分と理由があって生きているからだ。
主人公の女は、何不自由ない暮らしをしている。ただ時に、何不自由ない暮らしこそ、最大の不幸ではないかと思うことがある。何故なら、不自由がない以上、自分の人生に不満を抱いてはいけないとでも言わんばかりの社会の風潮と目線があるからだ。不自由のない暮らしの中でそれでも不満を抱いてしまう自分を責めてしまうからだ。
主人公の女も、そうだったはずだ。自分が恵まれていることがわかっていて、それでも満たされない日々が辛かったはず。そんな彼女だからこそ、ストリッパーに共感し、道をうまく外せない自分の理想をついストリッパーに投影してしまったはずなのだ。
ただ、それすらも彼女の幻想で独り善がりでしかない、と映画はきちんと突き放す。若いストリッパーがまさか贅沢な主婦に共感するはずもなく、善意と言う名の独善愛を突っぱねる行動を起こす。友人の第2子妊娠の報告を受けた後の崩壊ぶりが痛々しくも可笑しく、その後の顛末が情けなくてやはり可笑しい。
こういう、「女に嫌われるけれど、しかし同時に女にしか理解できない女」の映画を私は愛している。90年代なら、ジェニファー・アニストンがよくそういう女の役を演じていた(テレビで「フレンズ」のレイチェルを演じる一方で、映画ではフェミニズム的に面白い役を演じていた)。この映画の主人公のような、説明のつかないことをする理由のない女の映画を私は身近に感じ、女の人生の面白さと可笑しさを垣間見る。
この手の映画のヒロインを演じるなら、やはり喜劇のセンスを持つ人がいいだろう。役柄に良い意味での滑稽さを出せる女優でなければ、本当に観客に嫌われるだけで終わってしまう。そういう意味で、キャスリン・ハーンの起用は表目に出た。脇役の面白いサブキャラと言う立ち位置が多い女優だが、それが逆に普通っぽい親近感に繋がり、誰にでも起こりうる物語のように作品を引き寄せることができた。ストリッパー役の童顔女優ジュノ・テンプルも独特の色気の出し方で相変わらず面白い存在感を見せる。
人によっては全く共感できないだけでなく、腹の立つ話にしか映らないかもしれないけど、私は意外と好きな路線の映画だ。
現代の象徴か
売春婦への、好奇心と嫌悪感に苛まれたり
軽く馬鹿にしていたカウンセラーやママ友達に
頭をスコーンと殴れるような描写だったりに
ハッとさせられる。夫に対しても同じく。
彼女は傲慢でしたよね。
自分が正義で、自分が特別。
流れるような展開の中でそういう一つ一つが生きている。
それぞれ思い当たる節があるのではないかなと。
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