午後3時の女たち : 映画評論・批評
2015年11月4日更新
2015年11月7日よりヒューマントラストシネマ渋谷ほかにてロードショー
ヒロインの心の機微を一瞬で表す、ちょっとした仕草や表情に釘付けになる
生活に倦んでいる主婦が、ふとしたことから娼婦を自宅に招き入れる。スリリングなサスペンスになりそうな話だ。だが、ジル・ソロウェイ監督は「午後3時の女たち」をそんな定型にはまるような物語には持っていかない。ドラマ「トランスペアレント」で、性に揺れる家族を不思議なくらいハート・ウォーミングに描いた手腕はここでも健在だ。ヒロインのレイチェルには夫も子供もいて、申し分のない生活をおくっているように見えるが、実際には寒々しい思いをしている。特にしたい仕事があるわけでもなく、具体的な不満があるわけでもないが、生きる力を失っているのだ。それが夫とのセックスレスという形で現れている。
これはレイチェルを演じるキャスリン・ハーンの個性がなかったら、成り立たない映画だろう。包容力や滑稽さ、人間的な魅力の詰まった不思議な女優で、四十代を迎えてキャリアが花咲こうとしている。彼女がそこにいるだけで、映画は表面的なきれいごとからも、露悪的なリアリティからも逃れられる。心の機微を一瞬で表す、そのちょっとした仕草や表情に釘付けになる。
一方、愛しい存在感とカリスマで、娼婦のマッケンナを演じるジュノー・テンプルも負けていない。何も考えていない浅はかな小娘にも、達観した女性のようにも見える。マッケンナ自身は何も変わらないし、レイチェルやその仲間に何も差し出さない。それでいて、その場にある何かを決定的に変えてしまう力がある。
「トランスペアレント」にも出てくるカリフォルニアのシルヴァーレイクの光が印象的だ。温かいようで、どこかよそよそしい。特別な出来事を探し求めて逃げたりせずに、疎ましく思っていた全てをもう一度愛すると決めた時、レイチェルをとりまく光は別の色を帯び始める。
(山崎まどか)